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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
狡兎三窟の向こう側
16/70

第一章

「何で…………」


 口をついたのはそんな言葉だった。

 伸ばした手のひらは何にも届かずただ空を掻いて力なく静かに下がる。

 次いで脳裏を過ぎった激情に未だ掴まれたままの腕を振り払って叫ぶ。


「ふざけんなっ! どうして由緒(ゆお)をっ……!」

「そうすれば由緒さんを助けられるからだよっ」


 口から飛び出た声に重ねて、こちらを睨み返す橙色の双眸がその先を遮った。


「轢かれるところを見てないのならそれは観測の外。だったらまだ由緒さんの死は確定してないっ」

「だから助けようと────」

「あんな普通じゃない由緒さんを? 策もなしに飛び込んだところでお兄ちゃんまで巻き添えになるだけだよっ」

「普通じゃないって…………」

「声を掛けて振り返らないどころか、あんなに煩く走ってた車のエンジン音にも気付かない。それが普通だって言うの?」

「それは…………」


 何処までも冷静な言葉の矛が頭の中を刺し貫く。

 そうしてようやく止まった感情が、指先から緊張を解いていく。


「由緒さんを助けるために仕方ないことなの。だから納得して」

「……………………」


 真っ直ぐな視線に何も言い返せず俯いて、それからその景色に見覚えがある事に今更ながらに気付く。

 畳の床、少し汚れた壁。窓の位置と、廊下の先にある玄関の配置。

 ここは雅人(まさと)の一件で過去へ飛んだ時に拠点にしていた一室だ。

 あの頃より更に少しだけくすんで見える色彩に懐かしくなりながら落ち着いていく心で呼吸する。


「……本当に助けられるんだな?」

「そう教えられたから」


 誰に、と尋ねたところできっと彼女は答えないだろうと。直感のようなもので納得して、溜息と共にその場へ腰を下ろす。

 そうして今一度部屋を見回して尋ねる。


「……で、ここはあの部屋だろ。またあの過去へ来たのか?」

「ううん、ここはさっきの由緒さんの景色が起こるより三日前……。つまりあたしたちが雅人さんのことで過去へ飛んだ後、制限によって出来た空白の三日間の、その初日」

「…………この時代にもこの部屋あったんだな」

「だね」

「何だそれ……。それじゃあまるで知らなかったみたいな言い方だな」

「……………………」


 指摘に居心地悪そうに視線を逸らす我が妹、明日見(あすみ)未来(みく)

 恥ずかしそうに頬を掻く仕草に、肩に掛かった紅の髪が一房滑り落ちた。


「…………は?」

「……うん、あってよかったよ、ほんとっ」


 また先走った末の彼女の愛嬌かと。

 呆れつつ頭を掻いて一つ質問を重ねる。


「……例えばもし移動先の建物がなかったらどうなるんだ?」

「えっとぉ……確かそのあるはずの場所や座標へ飛ばされるはずだから…………。二階とかならニュートンに万有引力の存在を教えられるよ? やったねっ」

「嬉しくねぇよっ。頼むから移動先での事故死とかやめてくれっ」


 つまるところそこにあるはずの足場がなければ自由落下を味わえるということだ。

 歴史による景色の変化なんて日々進歩する科学や医学の技術と変わらない。特に時間を超越する記憶を頼りにする移動だ。もしそこに齟齬があれば目も当てられない事になる。


「ったく……。んで、何をどうすれば由緒を助けられるんだ?」

「さぁ~……?」


 本題に疑問を戻せば間の抜けた声が返った。想像だにしなかった答えに思わず怒る気さえなくす。

 もういい、もう慣れた。よくもこれまでそんな能天気な行き当たりばったりで解決してこられたものだと感心する。

 彼女への期待を諦めてどうにか一人で解決策を模索し始める。


「…………えっと、由緒を助けるって事は──」

「まず状況再現だよ。あの時由緒さんは普通じゃなかった……。それはつまり何かに影響を受けてたって事になる」

「そういえば車の方もおかしかったな…………」

「ごめんっ、謝るから話に混ぜてっ!」


 半眼で見据えてそれから改めて姿勢を正す。


「けど影響を受けてたって何にだよ……『催眠暗示(ヒュプノ)』は効かねぇだろ?」

「…………そうだね。由緒さんは誘拐されてる時に『催眠暗示』を受けてるはずで、二度以上同じ人からの『催眠暗示』は受けない。それにあの時の由緒さんは未来人だよ」

「……え…………。あっそうか。廃ビルのとき」


 彼女の言葉に記憶を旅して思い出す。

 《傷持ち》に誘拐された彼女を助けた時、未来と由緒は異能力で廃ビルから家へと戻ったのだ。今から三日後……彼女が事故に遭うという事はそれまでに制限に抵触をして戻されたと言うこともないはずで、となれば彼女はあの廃ビルのときから事故に遭うまで未来人だ。『催眠暗示』は現代人にしか効果がない。以上二つの理由から『催眠暗示』が原因だとは考え辛い。


「でもだとしたら何が原因なんだ?」

「……例えば、そもそも《傷持ち》の持ってる異能力が『催眠暗示』じゃない、別の間接的作用系異能力って言う可能性」

「随分な前提から覆されるな……。んで、もしそうだとして候補は?」


 《傷持ち》。(かなめ)を狙う未来からの刺客。

 目的は未だ不明だが取り合えずあの黒尽くめのお陰で要はこの非日常に浸かっていられる。


「色々あるけど…………」

「『記憶操作(メモリーマネージ)』もその一つだよな?」


 未来の視線に険が宿る。

 『記憶操作』は彼女の父親、透目(とうもく)の持つ異能力だ。

 言葉の通り記憶を改竄する力。使い方次第では『催眠暗示』のように対象を操る事も可能だ。


「別に根拠もなく言ってるわけじゃないぞ。何せ透目さんは俺たちがいない三日間、由緒の近くに居たんだからな」

「お父さんは違うっ」


 幾ら否定されたところでそこに完全な否定は宿らない。なぜならその三日間の彼の動向を要たちは知らないのだ。

 それに要の主観で言えば一つの筋も通る。


「透目さんが《傷持ち》だとすればその言動にも納得が行く話は幾つもある」


 要の行動範囲を知っていて、この時代を知っていて、何より要を知っていて────

 動機は別として、《傷持ち》の語った言葉の裏づけとしては十分だ。


「もちろん可能性の話だ。予知の届かない未来の透目さんが、《傷持ち》となってこの時代に来る。『記憶操作』はその異能力保持者が同じ時間に重なっても何の不都合もない」

「ふざけないでっ!」


 ただ冷酷に可能性だけを言葉にすれば未来が声を荒げて否定した。


「なら透目さんを見張りに行く?」

「行ってどうなるのよっ。仮にそうだとして、その《傷持ち》はあたしの知らない未来のお父さんでしょっ? 今のお父さんを見張っても意味がないじゃない!」


 それはそうだ。だから否定には成り得ない。けれど可能性にはなり得る。


「つまりその可能性もありえる」

「っ…………!」


 悪びれない要の言葉に未来が目を見開く。

 糾弾の炎を灯す橙色の瞳のその奥に、彼女の確信の色を見て要も納得する。

 要には彼女のその憤りこそが証拠になる。

 ここまで非情になれるともはや高校での演劇など幼稚園児のお遊戯ではないかとさえ思えてくるのだから不思議だ。

 そんな事を考えつつようやく本心を明かす。


「まぁそんなこと本気では考えてないんだけどな」

「は? 何を────」

「未来と透目さんの共謀説。もし何か事情があって今と未来とではその志が変わるかとは考えてたけど、多分なさそうだなって」

「…………どういうこと?」


 彼女の視線を飄々と浮け流しながら答える。


「未来の未来と透目さんが《傷持ち》とその裏にいる時空間移動能力保持者って言う可能性。何かがきっかけで心変わりして俺を狙いに来るかもしれないと思って」

「そんなの…………」

「ないとは言い切れないよ。だってその未来は未来にも分からない」


 けれど言葉とは裏腹に、要の頭はそんなことはないと確信を持っている。


「疑心暗鬼だって言えばそれまでだ。未来の事でさえ疑ってるんだから。でも未来はそれを否定した。だからまた一つの可能性が浮上する」

「…………どんな……?」

「未来でないとすれば、《傷持ち》の後ろにいる時間移動者が由緒だって言う想像」


 例え幼馴染と言えどその疑念の矛を向ける。

 分かっている情報で説明しようと思えばそれが現状の最適解だ。


「もしそうなら候補は絞られる」

「……《傷持ち》が、由緒さんの周囲の人間ってこと?」

「それも異能力で由緒の記憶を誤魔化して無理やり風景に溶け込んでる未来人…………」


 脳裏に浮かぶのは彼女の友人。楽が刺されたときに話題に挙がった失恋をしたという彼女だ。


「もっと視界を広げれば俺の周囲にいても不思議じゃない人物。由緒と俺に共通して関係がある人物……。だとしたら俺の学校の、クラスメイトまでも《傷持ち》の候補だっ」

「ちょっと待ってっ! 流石に飛躍しすぎだよ!」

「そう言えば《傷持ち》の一人称は『俺』だったな。まぁ変声機で声隠してるんだから男だって断定するのも難しいんだけど」


 ここまで候補を狭めてしまえば後はどうにかなりそうな気もする。取り合えず見ず知らずの未来人から要や由緒の周囲の人物と言うところまでは絞れたのだ。


「あとは関係を辿っていけばどこかで齟齬が出るはずだ。その尻尾さえ掴めれば────」

「だから待ってって!」


 それは随分と膠着してしまった現状に対する不満だったのかもしれない。

 《傷持ち》のペースに振り回され、幾度も危険な目に合わされて……。そんな風にいつの間にか積み重ねられていた鬱憤が爆発してしまったとても衝動的な極論。

 幾ら人間離れした性格だとは言え要も列記とした人間だ。我慢の限界だってあるし失敗だってする。

 何よりうんざりしていたのかもしれない。

 例え主人公を気取ったとて思い通りにならない現実に。物語の中の主人公のようにうまくいかない押し付けがましい理想に。

 だからそれは仕方のない感情の暴走だったのだと。

 未来に窘められてようやく箍が外れている事に気付いて黙り込む。


「…………ごめん。どうにかしてる……」

「……当たり前だよ。こんな面倒臭い話、あたし他に知らないし…………」


 要の呟きに小さく零した未来。

 今までの経験でもこんなにややこしい事件を解決しては来なかったのだろう。


「大体犯人が異能力者だなんて聞いてないし…………」

「今までそういう話を解決してこなかったのか?」

「……なかったよ。ただ過去に向かって歴史を変えたい子供みたいな我が儘ばかり。だから実のところを言うと、今回の事件はそこまで経験があるわけじゃないの」


 思わぬ告白に、けれど今までの彼女のして来たドジと言う名の愛嬌を思い返す。

 彼女はいわば『Para Dogs』で、時空間事件を専門に扱うその道のプロだ。そんな未来が一々小さな失敗を何度も犯すはずがない。

 そこに理由を求めれば、今回のような事件は経験がないからだと至る。

 そんな中で、目の前に突き出された事件を解決しようと、要と言う荷物を抱えたままどうにか奮闘しているのだ。ならば仕方のない愛嬌だと飲み込むほかない。


「こんな異能力を持っててもたった16年生きただけの子供だからね。別の凶悪な犯罪にはそれ専門の人がいて……あたしは簡単そうな仕事に回してもらってるだけ。……今まで偉そうな事語ってごめんね? 幻滅したよね…………」


 膝を抱え込んで語る未来。

 要だってそうだが、彼女もほぼ初めての経験で戸惑いがあったのだろう。不安だって沢山ある中で、それを虚勢で振り払って今まで繕ってきた。

 その結び目を解いたのは、きっと雅人の事なのだろう。

 きっと心の中ではまだ自分を許しきれていなくて。戒めにと苛むうちに心を追い込まれて。

 それが《傷持ち》の目的だと言うのならば嫌になるほど掻き乱される。


「しないよ、幻滅なんて」

「でも…………」


 しかし違うのだ。

 要にとっては彼女こそが希望だから。

 この非日常に浸っていられて、その先に連れ回されて……。そうして自分らしく箍を外すまでにこうしてこられた事に、感謝さえしている。


「当たり前と言ったらそれまでだ。未来にだって未来がある。まだ経験した事のないことが沢山ある。それをたった16年ほどの経験で全て語れるのなら、誰もが大人になる前に夢なんて忘れてる」


 経験をした事がないから未来なのだと。記憶に縋って前に進むから将来なのだと。


「誰だって分からない事の一つや二つある。もちろん俺にだってある。けど分からないから諦めるのは、違うだろ?」


 未だ来ぬ。だから未来だ。

 未来が分からないなんてのは、当たり前なのだ。


「……それにしたってお兄ちゃんは物分りがよすぎると思うけど」

「それは育ってきた環境のせいだ。自分でどうにかしないといけなかったから必然身に着いたことで、別に特別って訳じゃない。もし同じ状況なら、同じ道を辿る人は探せば幾らでもいる」


 高々高校生の頭で大人のような知ったかぶりを出来るのだって、他人に頼る事を忘れて今までも自分でどうにかしてきた経験則だ。

 本当の遠野(とうの)要など、どれ程ちっぽけで見向きもされない事か。そんなのは要自身がよく知っている。だから道化を演じている。


「それに何より、未来が居てくれてよかったと思ってる。退屈な日常から連れ出してくれたからなっ」

「っ……! そ、そういう事を真面目な顔で言わないでよっ」

「励ましたつもりだったのに……」

「知ってるよ、もうっ。……ありがと」


 言って少しだけ頬を染めた彼女ははにかむように笑う。

 その笑顔に、思わず気持ちが跳ねたのも数瞬。次の瞬間には立ち上がって明るく告げる。


「よしっ、ならこのまま気分転換するかっ。ずっとここで考えててもまた暗くなるだけだ。体でも動かして新しい空気を吸う。そうすればほら、何か閃くかもだしな!」

「……そんな事してる暇あると思ってるの?」

「暇がなければ作るだけだ。ないなら作るっ。経験で語れないなら新しい基盤を生み出すっ」

「何それ誰かの真似?」

「…………かもなっ」


 脳裏を過ぎったのは幼馴染の顔。

 ここへ飛んでくる前の景色が一瞬思い浮かんだがとりあえずは横へ置く。

 考える。そのために思考を再起動。きっかけだってその手で手繰り寄せるだけだ。


「ほら、いこうぜ?」

「…………強引だね」

「兄の特権だ」


 くすりと笑った彼女に手を差し出す。呆れたような溜息は本当にその通りかもしれないと思いつつ、握り返された感触に彼女を引っ張り挙げるとそのまま部屋を出た。

 少し錆びた手すりを横に階段を下りて道に出る。

 辺りを見渡してここが何処なのか、知っている知識で語ろうと少し時間を食えば、少し遠くに見覚えのある建物を見つけた。


「あそこ行くか」

「……原点回帰、だね」

「まぁあれ以外に気分転換なんて出来る場所がないだけだけどな」


 言って見つめる先にはショッピングセンター。未来が家に来たときに由緒と楽と一緒に遊びに行った娯楽施設だ。

 考えつつ、今回はあの時のように賑やかではないとここにはいない二人の事を少しだけ考える。


「……あの時はこんな事になるなんて思わなかったな」

「嘘吐き、期待してたくせに」


 未来の指摘に笑えば二人で足並みを揃えて歩き出す。

 当初の期待とは随分違う方向に進んでしまった景色だけれど。これも非日常だと諦めてその中に日常を探し始めた。




 ショッピングセンターの中は人で溢れていた。

 当たり前と言えばそれまでだが、要達が振り回されている非日常は彼ら彼女らが紡ぐ平凡な日常とは交わらない話だ。

 普段と変わらない景色の裏で世界の命運すら左右する衝突があることなどきっと想像もしない。

 知らないからこそ巻き込まれなくて済むという話ではあるが、そうしてのうのうと過ごしている一般市民を見ていると苛立ちよりも呆れが胸を襲った。


「……そう言えば服着替えないとな。風呂には入ったけどずっとこのままってのも何だか嫌だし」

「だねー」


 この服も過去に行く前に来ていたもので、仕方なく今も着ているに過ぎない。

 気付いてしまえば気になってしょうがないのが人間の性。まずは目的地を服飾店へと定めて歩き出す。


「とは言ってもそこまで手持ちがあるわけじゃないけど……」

「別にいいよ。幾らかは持ってるし、未来に帰ったら必要経費で落とすから。その気になればお金なんて掛けなくても可愛くはできるし」

「あ、いや……」

「ん?」

「何でもない…………」


 そういう意味で言ったのではないのだけれども……。服と言って直ぐにおしゃれの事へ思考が繋がる辺り、彼女は随分と女の子である事が染み付いているようだ。もし今の話の相手が由緒であったなら花より団子だと安心さえしたのかもしれないと。

 頭一つ分違う小さな背丈から見上げてくるその瞳に笑顔を返して彼女達はそれぞれ違うと納得する。

 取り合えず三日先まで。そう簡単には周りに頼れない孤立をどうにかしようと固く決意する。


「それじゃあ服見てくる。また後で合流ね」

「あぁ」


 途中現金自動預け払い機……ATMに寄って自分の口座から幾らか補充する。要の通う高校では申請さえ通ればバイトをしても良い事になっている。未来が来る前までは母子家庭。家事と両立する母親には苦労を掛けられないと要も頼み込んで幾つかバイトをした事がある。今はしていないが、もしこんな事にならなければ夏休み中にバイトを入れる予定にはしていたのだ。

 その僅かな自由なお金。家のためと言って稼いだお金だが、結深(ゆみ)は最初に必要になったらと言ったきり何も言ってこない。それが彼女の優しさだと分かってはいるつもりだが、少し情けなくも感じる要だ。

 まぁそんな遠野家の家庭内事情はいいとして。少しは足しになるだろうと紙束を経由して辿り着いた目的地。全国にチェーン展開するその赤と白の配色の店名を見上げて要も男性用の区画へと足を運ぶ。

 シンプルにシャツとジーンズに下着と一通りを揃えて購入すると、タグを切ってもらって直ぐに着替える。

 新しい服に身を包めば少しだけ気が紛れたのか、現状を客観視出来るくらいには落ち着く事ができた。

 《傷持ち》に振り回される現状。打開するためには何かを決め打たなければいけない。

 出来れば逆手に取れるもの……異能力か次の一手。これまでに未来と一緒に考えて語ってきた推論を全て洗いなおしつつ何かないかと探す。

 流石にここまで来て反撃一つないというのは悪循環だ。だからこそここで一つ決め手が欲しい。

 利用できるもの、《傷持ち》を暴く手がかり……。その中に何よりも最優先な未来への迷惑を考えながら思案する。


「ごめん、おまたせ」

「ん、いや。大丈、夫…………」


 と、そんな風に考えているといつの間にか未来が戻ってきていた。

 掛けられた声に気付けば耽っていた思考を浮上させて顔を上げて、目の前に新たな装いの未来の姿を焼き付けた。

 白いキャミソールにクリーム色の薄いカーディガン。足はすらりと伸びる黒いスラックス。

 先ほどのスカート姿からまたがらりと色を変えたファッションに思わず言葉をなくした。


「どうかした?」

「あ、うん……。いや、よく似合ってると思って」

「気分転換だからね。ならいっその事ってね」


 そういえば彼女のパンツ姿は初めて見ると。それが新鮮さの理由かと考えるのと同時、未来からも言葉が返った。


「お兄ちゃんは、何だかシンプルだね?」

「特に思いつかなかっただけだ。センスがないんだよ」

「そんな事ないと思うけど……。お兄ちゃん格好いいよ?」

「それはどうも」


 言って首を傾げるその仕草が呆れるほど絵になる。

 美人は得だと。そこに秘められし素材としての潜在力に恐れ入る。


「さて、それじゃあこれからどうするかだけど……何かしたい事はあるか?」

「んー……」


 悩む彼女は本気で考え込んで頭の中を旅する。

 そうしている未来を見ているだけでもこちらは飽きないと考えれば、耳が店内放送を捉えた。どうやらイベントホールでマジックショーがあるらしい。

 未来へ視線を向ければ彼女も笑顔で頷く。

 彼女がいいならそうするとしよう。

 何か擽ったそうに笑って足を出した彼女の隣に並び歩き出す。

 ようやく心から笑ってくれたと。その横顔にこの時間の意味を見出してイベントホールへ向かえば随分と大勢の観客が集まっていた。

 要は聞いた事のない名前だが、どうやらある程度知名度があるマジシャンらしい。

 個人的には大道芸のような見栄えのするステージマジックよりは、トランプを使ったような小さくも器用なクロースアップマジックの方が好みではある。一時期は二つに分けたトランプを左右交互に重ねて混ぜるリフルシャッフルを練習した事もあったが、綺麗に一枚ずつ重ねて混ぜるところまでは出来なかったために諦めた。

 ただマジック自体は好きなので幾つかの種は知っているし、真似事ならできる。知らないものも、その種を暴こうと楽しむのもまた一つの楽しみ方だ。それが自分で出来ればもっと楽しいのだろうが……。


「未来は手品とかは?」

「出来ないけど好きだよ。ほら、箱の中に入って串刺しになるのとか」


 それは結果的な脱出が好きなのだろうか? それとも串刺しになるという過程を楽しんでいるのだろうか?

 少し考えて、それからふと思い至る。


「瞬間移動で外に出れば脱出なんて簡単だよな」

「『瞬間移動(テレポーテーション)』?」

「やっぱりあるのか」

「まぁね。ただやっぱり制限とかはあるし、そっちは空間を移動する異能力だから時間までは移動できないけどね」


 ……可能性としてはない話ではない。

 時空間移動で移動しているように見せかけた『瞬間移動』での移動。

 ただその論だと過去への干渉が難しい話で、時間を移動できない以上そこには厳然たる時の流れが存在する事にはなるのだが。


「あ、始まるよっ?」


 考えていると未来が嬉しそうにその瞳を輝かせる。

 きっと異能力を沢山発現した未来では手品など純粋に楽しめないはずだ。

 けれど逆に考えて、大道芸と言う括りで見れば意外と長い歴史を持つ手品。そこに存在する興味や願望は、言わば異能力のとても現実的で物理的な再現だとも言える。

 物を消したり飛ばしたり。火を噴いて、予言をしてと、そうして種のあるマジックが、やがて本当の異能力となって発現する……。

 その願いの根源と考えれば未来にしてみれば子供騙しなたった一時の錯覚かもしれないけれど。ただ純粋に希望にして進化のあり方だと謳えば何か運命的なものさえ感じる。

 冷静に客観視すれば、何かの発展の裏には何かの衰退があるということなのだろうが。

 そんな事を考えつつ音楽と共に出てきた奇術師の道化のような演技に惹き込まれて行く。

 スケッチブックに書いた林檎が実物となって現れ、今度はそれが小さな赤い玉へと変化して。指先で増えては消えるその玉を追いかければ観客の胸ポケットからそれが現れたりと、いわゆるサロンマジックと言われる観客と作り上げるステージが展開されていく。

 流石にショッピングセンターの一角の小さなホールの上。危険物を扱う事はないものの、それでも観客の目と興味を一心に惹き付ける派手な手品の数々。

 時折起こる歓声に笑顔を振り撒きつつ飄々とこなすそのスーツ姿にないはずの赤鼻と奇抜なメイクを幻視した。

 そうしてステージは半時ほど。あっという間に過ぎ去っていく時間は直ぐにエンディングへと時を刻みやがて最後のマジックへと段取りが進む。

 ステージの上に用意されたのは人一人が入れそうな黒い箱。一緒に出てきたのは銀色に輝く幾本ものサーベル。

 本物だと示すためにか、観客が投げた林檎を連続に突き刺してまた一喝采。歓声の中に緊張が滲んでいくのを肌で感じながら目の前に迫った最後の大舞台が幕を揚げる。

 要の想像通り手品師の男性が語ったのは密室たる箱からの脱出マジック。

 鎖や拘束具などが次々に用意されていく景色の中で、彼は観客を見回して飛び入りの共演者を探す。

 よく聞く話でその選ばれたアシスタントが実はサクラだったりと言うものがあるが彼の場合はどうなのだろうかと。

 男の声に元気よく手を上げる子供達の自己主張が重なって会場は僅かに騒がしくなる。


「手、上げてみようか……?」

「本気?」

「無理だと思うけどねっ」


 隣の未来が怖いもの見たさと言う風に小さく呟いてその手を高く掲げる。

 それは憧れが齎したちょっとした思い出作りだったのかもしれない。彼女自身も、本気で望んでいるわけではないだろうが楽しそうに笑って声を上げる。

 親子連れでやってきた小学生達が叫ぶ中に伸びる一つの手。仕草に赤い髪が少しだけ揺れて周りの視線を集める。

 そんなに目立つと後で恥ずかしくならないのだろうかとその度胸に感心したのも束の間、次の瞬間響いた声に思わず息を止めた。


「それじゃあ君っ。赤い髪の女の子っ」

「えっ────?」


 何よりも驚いていたのは彼女自身。橙色の瞳を丸くして固まった未来は、それからロボットのようにこちらを見つめて零す。


「……あは、指名されちゃった…………」

「…………行ってきなよ。いい思い出になるだろ?」

「いや、本当に──え、ぇぇ~……?」


 これまで見た事がないほど困惑する未来。

 そんな中で周りの視線が集まって彼女の顔が固まる。

 いや、この場面でやっぱり間違いだなんて言えはしないだろうと。小さく笑ってその背中を軽く押す。


「かっこいい脱出、期待してるよ」

「…………まじかー……」


 随分と色のない声だと。整った彼女から発せられた随分と砕けた言葉に小さく吹き出して歩き出すその背中を見送る。

 奇術師の側からしてみればこれほど相方に相応しい人材はないだろう。端正な顔に綺麗な赤い長髪。見た目としてのインパクトはステージに立つマジシャンさえも凌駕する存在感。

 彼女が壇上に立つとそれまで喜劇に満ちていた景色に華やかさが加わる。

 選ばれた未来からすればまさかの展開だが、観客側から感想を言わせて貰えばこれ以上贅沢なステージはないかもしれないと。

 未来人が現代の手品の手に掛かる。

 その言葉だけでも十分な売り文句になりそうなものだと一人笑う。

 男性の隣でその存在感さえ食い殺しながら彼の言葉に耳を傾ける未来。単純にして明快な脱出マジックと言うイリュージョンに彼女の顔に緊張が走るのを見つつ一観客として楽しませてもらう。

 やがて説明が終わると未来の手に手錠が掛けられる。

 素人相手だ。きっと単純な仕掛けの直ぐに脱出できるようなマジックなのだろうが、その手に鉄の枷が嵌る音には流石に緊張する。

 鉄臭い音に場が静まり返るとそれまで陽気に流れていた音楽が一変しておどろおどろしい響きへと変わる。

 音響効果に厳重な密室。もしそこにサーチライトのような視覚効果が加わったら完全に魅入っていたかもしれないとさえ思いながらことの成り行きを見守る。

 未来の小さな体躯が黒い箱へ入り蓋が閉まる。彼女が入った開閉口には南京錠。その上から一重、二重と重苦しい銀色の鎖が巻きつけられていく。

 静寂に支配された観客席から、無情な時の流れを示すように次から次へと逃げ場を無くしていく箱の中の未来の姿を追いかける。

 最後に大きな黒い布を被せると出来上がった密室紛いの脱出マジックの準備。

 種や仕掛けがないと言う風に箱を台ごと360度回す。……なるほど、読めてきた。

 被さった布は台の上に乗った箱だけでなく、台の脚までをもしっかりと隠している。つまり仕掛けは箱の底、内側から開く秘密の脱出口があるのだろう。

 要が悟るのと同時、盛り上がっていくBGM。観客の心を煽るその慣れた振る舞いに関心さえしながら踊る気持ちに視界を同調させる。

 手品師が手に取る最初のサーベル。プロのマジックは予め刺さるところが決められてあって、体を捻ればかわせるようになっていたりするそうだが素人はそうは行かない。ならばそこから逆に考える。

 きっと、サーベルの幾つかは偽者だ。最初の一本が林檎を貫いたからこそ起こす錯覚。そう明言したわけでもないのに全てが本物の剣だと思い込んでしまう。

 その偽者を幾つかを刺しながら時間を稼いで、素人でも可能な脱出移動マジックを演出するのだろう。

 思っていると男は一本目を目立つように掲げ、それから無造作に箱へと突き出す。

 悲鳴さえ聞こえそうなほど逼迫した空気の中、要が至った想像は、けれど現実にはなりはしなかった。

 起きたのは衝突音。

 裏切られた景色は、舞台の中心で台に乗っているはずの箱がステージに落下したものだった。

 その箱に、サーベルは刺さっていない。

 失敗……?

 そう考えた、直後だった。


「ぃっ…………!?」


 突然振り返った観客。それも一人二人ではなく、その場にいる全員。

 その無数の視線がどこか虚ろに揺れて要の事を見据える。

 何、何だっ、どうしたっ?

 それまでステージに集中していた大人や子供が一斉にこちらへ振り返る異様な光景に思わず足を引く。


「お兄ちゃんっ、逃げて! その人たち、『催眠暗示』に掛かってるっ!!」


 声は聞き慣れた未来のもの。遠くに見えるステージの上、どうにか箱から這い出た彼女は必死に叫ぶ。

 『催眠暗示』……? あ、そうか、《傷持ち》…………!

 脳裏を過ぎった想像に、けれど体は直ぐには言う事を聞いてくれなかった。

 逃げないと……考えた刹那に、こちらへ向けて幾本もの腕がそこへ音さえ錯覚させてホラー映画のように伸びる。

 締め付けられた心臓。詰まった息に、逃げられないと悟った瞬間────


「走れっ!」


 引かれたのは腕。誰かに手首を掴まれたその感触に引っ張られて、理解すら置き去りに足を動かす。

 その響いた声。違和感さえ通り越して胸の中を駆け巡る嫌悪感。

 聞き馴染みだと言う言葉では説明できないほどに染み付いた────自分の声。

 次の瞬間、人の群れの中から連れ出されたその先にいた、この腕を引っ張る遠野要の姿に呆然とする。


「え、俺…………?」

「話は後だっ、今は走れ!」

「あっ……未来!」

「大丈夫だ、合流できる!」


 確信に満ちた響き。その声に感情を埋め尽くす負のそれが衝動となって駆け出す。

 背後に迫った大小様々な複数の腕。それが届く寸前で後ろへと流れていく景色で声を上げる。


「どうなってんだっ?」

「さっきのショーだ! あの中で『催眠暗示』が掛けられた!」

「っどうやって!」

「……説明するよりまず先に逃げるぞっ。話はそれからだ!」


 確かに質問どころではない。

 後ろを振り返ればこちらへ走ってくる人の群れを目にする。

 これじゃあまるでゾンビ映画の逃走劇だと。支離滅裂な声を上げて迫って来る意識さえ蒙昧な集団に悪寒を感じながら懸命に走るっ。

 ショッピングセンターの中、立体的な構造を利用してエスカレータを駆け昇り奥へ奥へと人の合間を駆け抜ける。

 流れ行く景色は要たちが通り過ぎた後から地獄絵図へと変わる。何せ何処までも追いかけてくる人の波だ。百人近いその物量は壁のように大挙して押し寄せる。

 罪のない市民が巻き込まれ、子供の悲鳴や泣き声が重なる中で、活路を見出す。


「外はっ!?」

「駄目だっ、直ぐそこは公道だぞっ? 連れて出たら大規模な事故が起きるぞ! 罪のない人たちを危険に晒す気か?」

「じゃあどうするんだよ!?」

「どうにもならないなら俺はここにいないっ!」


 それはどういう事かと。言葉の先を追いかけようとしたところで、彼が手に取ったそれを目にする。


「『スタン(ガン)』……?」

「二次被害を防ぐんだよっ」


 言うが早いかセイフティーを解除したそれをリノリウムの床へ向けて撃ち放つ。

 鳴り響く、空気の破裂音。途端、着弾点より目に見えない何かが広がって駆け抜けた。


「何を……」

「空間固定弾だ。勝手に外に出られて事件起こされても困るだろ。解決しても何かあったんじゃ寝覚め悪いしっ」


 恐らくこのショッピングセンター一帯の出入り口を外と隔絶したのだろう。

 けれどそれでは要達が袋の鼠。考慮は正しいが《傷持ち》の思う壺だ。


「優しいことだな、未来の俺はっ。それで、これからどうするんだ?」

「まずは隠れないとな。落ち着いて話も出来ないっ」


 聞き慣れた自分の声。聞き慣れない他人の声に嫌悪感を抱きながら走る。

 頭の片隅には未来のこと。彼が語った通りなら合流できるはずだが、こんな混乱の中でどうやって彼女と落ち合うのだろうか。

 考えていると耳が新しい音を捉える。

 それは館内放送。それまで小気味よく軽い音楽を流していたスピーカの音がいきなり途切れる。

 何事かとより喧騒が大きく感じられる景色の中耳を澄ませば、期待していた避難誘導の声とは裏腹な合成音が響き渡る。


「さて、こんな大舞台での狂騒劇。じっくり楽しんでもらえているかな?」

「《傷持ち》……!」


 そこら中から反響するように重なる雑音交じりの声に苛立ちを募らせながら考える。館内放送、それもショッピングセンター全体へ向けての放送だ。その出所は限られている。


「地獄絵図なんて酷いことは言わないでくれよ? これはただの余興だ。捕まえたければその先を追いかけて捕まえて見せればいい。勝負といこうじゃないかっ」

「ふざけるなっ……!」


 叫んだところでどうもならない。それは分かっている。

 けれどこちらの神経を逆撫でする機械音と煽り口調に声を荒げずには居られない。


「俺が君を捕まえるのが先か、君が俺を捕まえるのが先か……。ならば舞台も整えないとなっ。雰囲気は大事だ、そうだろう?」


 誰に確認するでもなくそう言ってスピーカーの向こうの気配が動く。次いで景色に音楽が混じった。

 それは先ほどイベントホールで聞いた脱出移動マジックのBGM。

 緊張感と躍動感。けれど景色が違えば感じ方は変わるもので、今はただその旋律を聞いても心は躍らない。焦燥感を掻き立てられるだけだ。


「単純明快、直截簡明(ちょくせつかんめい)。何よりも分かりやすい解だ。さあもう始まっているぞ? 知恵と地力と君の全てを賭けてその未来を変えて見せてくれっ! ショータイムの始まりだっ!」


 ブツリと言う音と共に流れる音楽が大きくなる。

 刹那に、それまで逃げ惑っていた周囲の人々が足を止めると、次の瞬間ぐるりとこちらへ振り返った。

 人の視線が一気に集まる、その圧倒的な威圧感に走る速度を落としそうになる。

 けれどそれより先に脳裏を過ぎった目的。《傷持ち》と言う名前に意思を燃やして足を出す。


「……どうせこれから起こる事は教えてくれないんだろ?」

「悪いがそういうことだ」

「なら取りあえず放送室だっ、行くぞっ!」


 どうあっても館内放送は放送室に居なければ行えない。音声データだけを流せば簡単なトリックは出来るだろうがそれでも足を運ばない事には前提が成り立たない。

 ならば例え今そこにいなくとも、何かの証拠を探すくらいの事はできるはずだ。少なくとも、この耳障りな音楽を消して、立て篭もる事はできる。

 考えて、それから数倍に増えた『催眠暗示』の魔の手から逃げつつ走る。

 流石にこの期に及んで聖人君子を貫けるほど要はお人よしではない。伸びてくる手は少し強引に撥ね退けつつ人の波を掻き分けてスタッフオンリーの店の裏側へと駆け込む。

 そうしてやってきたのはどうやら服飾店の裏側。棚に箱にと物が並ぶ部屋や道を奥へ奥へと進んで、人の少ない通路を走る。

 どう考えても客よりも店員の方が少ない。こちら側へ逃げ込んだのは正解だろう。

 時折やってくる追跡を振り切りつつもう一人の自分に先導されるまま専用通路を突き進む。

 早い判断のお陰かまだ物量である客の手はこちらには伸びて来ていない。僅かに走る速度を落としつつ呼吸を整えながら目的地へ。

 細い通路を数分走ればようやくその扉を見つけた。


「お兄ちゃんっ!」


 それとほぼ同時、通路の向こうから赤い髪を振り乱した未来がこちらへ走ってくるのが見えた。

 どうやら彼女も放送室を目指して走ってきたらしい。

 何よりも先に扉を開け放ち中へと転がり込んで『スタン銃』を構える。が、当然のようにそこには《傷持ち》の姿はなかった。

 遅れて部屋へ入ってきた未来。彼女は肩を大きく揺らして膝に手を置くとその場に座り込む。


「……よかっ、たっ…………! 無事、だったんだね……!」

「未来こそどうしてここにっ?」

「張り紙が……けほっ…………ちょ、ちょっと待って、息が……」


 再会も束の間。呼吸を整える間を惜しんで言葉を交わせば、未来がそれを制した。

 全力疾走して来たのだろう。ならば仕方ない。

 考えてそれからようやく、要も落ち着く。

 鼓膜を揺らす騒音のようなBGMが嫌に耳障りに響き渡る事に苛立ちを募らせる。


「落ち着いたか?」

「ん、……うん。大丈夫……」


 一つ息を整えて顔を上げる未来。それから彼女は静かに語り始める。


「あのマジックの箱の中にね、張り紙があったの。《傷持ち》が『催眠暗示』を掛けにくるって」

「………………なるほど、お前の──俺の差し金か」


 少しだけ考えてもう一人の自分へ声を向ける。

 彼……未来の要は答えず静かに放送機具を操作して何かボタンを押す。


「口は災いの元だ。俺だってまだ慣れてる訳じゃない。いらない事を言って歴史に干渉しても仕方ないだろ?」


 言いつつ彼が手にしたのはCD。虹色に輝くその片面を見つめて尋ねる。


「それは……?」

「直ぐに分かるさ。考える事をやめるなよ? それじゃあ俺は急いでるから」

「あ、おいっ」


 質問には答えずただ言うべき事を言い残して部屋を出て行こうとする。その背中に未来が問い掛ける。


「何処に行くの? それより、どうやってここまで……」

「未来の俺をよろしく」


 一方的な言い分に手を伸ばしたが捕まえる事は出来ずに空を掻いた。

 それからドアノブを捻って外へと出た未来の要。外は人の波だと気付いたのも束の間、扉の向こうの自分はどうでも良い事のように告げる。


「空間固定弾でドアを閉めろ。直ぐに来るぞっ」

「待っ────」


 思わず駆け出そうとした足が、けれど外から聞こえた足音に止まる。

 同時、扉が閉まると、そのドアノブに未来が『スタン銃』を撃ち放った。


「未来、何で! まだ聞きたい事がっ……!」

「未来人の言う事だよ、言う通りにしないと歴史が歪む」

「けどそれじゃあ外に出たあいつが……!?」

「多分もう居ないよ、制限に抵触して戻ったんだと思う……」

「戻ったって…………」

「過去だよ。この時間から過去……。多分あのお兄ちゃんはあたしの異能力でここに来た未来人だから」


 彼女の冷静な言葉を聞いて、ようやく要も腰を下ろした。

 そこでふと先ほどまで流れていた音楽が消えている事に気付く。


「……ふぅ。さて、お兄ちゃん状況整理しようっ」

「…………そう、だな。取り合えず安全なんだろ?」

「空間固定弾でこの部屋だけ隔離したからね。基本的に空間移送も電波も通さない。どこかに隠れていない限り盗み聞きされる心配もないよ」


 セイフティーを掛けホルスターにしまうと、彼女もまた壁に寄りかかって座り込んだ。

 そうして生まれた沈黙。

 起こった過去を改めて思い返して分かっているところから暴き始める。


「…………未来は、張り紙があったって言ったよな」

「うん」

「それって俺の文字だったか?」

「暗くてよく分からなかった……。けど多分」

「だろうな。俺を助けてくれたのも未来の俺だ。つまりあいつは最初からそうなる事が分かってた。改めて、未来の俺だ」


 タイミングよく現れて、的確な指示を飛ばして。あんな混乱の中でそんな事が出来るのは、それを予め知っている人物だけだ。


「服装が同じだったよね?」

「え……? あ、そう言えば」

「つまり直ぐこの後のお兄ちゃんで、だったら傍にはあたししか居ない。だからあたしの異能力で一人やってきた事になる。あたしは重なれないからね」

「制限だよな。えっと……一人って事は過去から未来への時間移動か」


 確か未来の異能力の制限⑦。彼女が二人以上同じ時間に重なる事が出来ない。

 つまりこの時間、未来が居るところへの移動は要一人でしか出来ない。ならば一度今居るこの時間より過去に飛んで、そこから未来へ飛ぶ事で再現可能だ。


「あたしは由緒さんみたいに他人を過去には飛ばせないから、飛ぶにはあたしも一緒じゃないと駄目。つまりあの未来のお兄ちゃんは……」

「未来の異能力ではここへ来る前の過去に戻れないから、制限にわざと引っかかって元いた時間に戻った、と……」


 制限。その先にある制限抵触のデメリットが脳裏を過ぎる。

 過去に戻るためにはそうするしかなくて、その後に何か感覚を失う……。

 そこまで考えて、そう言えばもう要の味覚は元に戻っているのだと今更ながらに気付く。


「問題は、その目的をしっかり知らないといけない事だよ。そうじゃないと今起きた歴史を再現できない」

「五感一つ失うけど、いいのか……?」

「今回は仕方ないよ。別の可能性なんてないでしょ?」

「今から由緒にって言うのは?」

「由緒さんそんなこと言ってた?」

「…………いや」


 雅人が事故に遭うあの過去から戻ってきて、今から三日後の彼女はそれまで何事もなかったと告げたのだ。もし要が戻るために彼女の力を借りに行ったのならばその事を彼女が教えてくれるはずだ。

 言わなかったという事は、その事実はない。つまり制限に抵触する事は確定か……。


「今回だけは特別っ。制限に抵触して戻る事を前提に考えるから。だからあのお兄ちゃんが何をしに来たのかを考えよう?」


 未来の言葉に頷いて呼吸を整え過去を頭の中で再現し、暴いていく。


「あいつはあのイベントホールで《傷持ち》からの接触がある事を知っていた……もちろん今の俺も知ってる。そこから景色を打開するために飛んできて助けた」

「例えば『催眠暗示』だと仮定して、それじゃあどうやってあの大人数に『催眠暗示』を掛けたかって事だけど……」


 『催眠暗示』は現代人に効果のある異能力だ。その効果範囲は、《傷持ち》の手の届く範囲だと思っていたが……。


「……まずだ、あそこに居た全員に予め『催眠暗示』が掛かってたって言う可能性は……?」

「難しいんじゃないかな? 随分な手間だよ、一人ずつ、掛ける、のは…………あっ、そうか」

「何?」

「一気に掛けちゃえばいいのか」

「可能なのか……?」

「……うん。方法にもよるけど」


 言って俯いた未来は、それから少しの間を開けて語り出す。


「……『催眠暗示』には幾つかの種類があるって話覚えてる?」

「えっと…………」

「視覚や嗅覚……代表的なのは五感に干渉するものだよ」


 言われて思い出す。『催眠暗示』は別に普通の暗示のように言葉や行動で心理操作をする訳ではない。異能力の干渉によって強制的にその精神を侵すものだ。

 要もどこかで勘違いしていた方法論。必ずしも近くに居ないと掛けられないと言うわけではないのだ。


「人間の五感は意外と無意識に働く。だからこそ言動で操作される暗示より気付きにくい」


 例えばある特定の模様を見ている人物に命令をすれば暗示に掛けられる『催眠暗示』があったとして、それが視覚に作用するものだと知っていても、どんな模様で掛かるかまで知っていなければ対処は出来ない。

 何よりまず『催眠暗示』と言う異能力自体の存在を、普通の人たちは知らないはずだ。考慮の外にある事に対処するのはほぼ不可能だろう。


「大分すれば触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚の五感。感覚に訴えれば広範囲に同じ『催眠暗示』を掛ける事は可能だよ。この中に《傷持ち》の『催眠暗示』のトリガーがあるはず」

「一度に『催眠暗示』に掛けるんだよな……。ってことは触覚と味覚は統一できないだろ不確定要素が多すぎるっ」

「マジックには皆魅入ってたから視覚はある、聴覚も、ある。嗅覚は……」

「特定のにおい…………でもあの時変わったにおいはしなかったぞ?」

「ならそれも違うね。残り二択…………」


 視覚か聴覚か。けれどあの時の事を思い出して片方の可能性を否定しにかかる。


「……そういえば未来はあの箱に入ったとき箱の中で暴れたよな?」

「張り紙……警告がそうしろって書いてあったからね」

「で、俺が見た事から言わせてもらうと、もし未来があの時逃げようとしてなかったら、きっとマジシャンに刺されてた。あれは多分、本物のサーベルだったはずだ」


 もし自分が《傷持ち》なら、これまで何度も邪魔をして来た未来を先に排除するはずだ。

 あのマジックの中で仕掛ける事を決めていて、例えば未来が脱出移動マジックの相棒に選ばれる事を知っていたのなら……それを利用しようとするはず。

 ならば…………。


「……《傷持ち》の『催眠暗示』が聴覚に作用するものである可能性が高い」

「……どういうこと?」


 橙色の疑問の瞳に、頭の中の論に順序付けて話し始める。


「これはマジシャンが《傷持ち》じゃない場合だ。もし視覚に作用する『催眠暗示』なら、その条件はマジックを見てることだろ?」

「……だね。脱出用の箱を見る、とかマジシャンを見るみたいな具体的なのだとそこには小さなずれがあるから。マジックを見る」

「そうだとしたら、マジシャンは『催眠暗示』に掛からないっ。マジシャンは演じる側で、見る側じゃないからだ!」

「あ、そうか……」

「俺はあの後直ぐに連れられてその場を離れたから分からないけど、マジシャンは『催眠暗示』に掛かってたんだよな?」

「……そうだね。あたしを殺そうとしてきたあの人は、正常じゃなかった」

「つまり『催眠暗示』に掛かるなら、マジシャンは《傷持ち》じゃなくて、マジシャンが『催眠暗示』に掛かるなら、『催眠暗示』のトリガーは聴覚に絞られるっ」


 知っている景色から類推して可能性を絞る。消去法こそ、情報があれば最も頼れる解決策の一つだ。


「観客と、マジシャンを巻き込む聴覚干渉の『催眠暗示』。それが《傷持ち》の異能力って事でいいか?」

「…………そうだね。だとしたらあの場で全員が耳にしていた音────」

「それから、その音を聞いていきなり『催眠暗示』の影響下に入る事。つまり、変化する音」


 緊張を孕み舞台上で行われる手品に魅入っていた観客。その外からやってきて、無意識に耳に届く変化のある音。それは────


「BGMだ。あの時、未来が脱出するはずの箱を刺す直前に変わった音は、場を盛り上げるBGMだけだっ!」


 出した結論が別角度の情報で更に補足されていく。


「それから俺があの場所から逃げた後、放送が掛かったのを未来は聞いたか?」

「《傷持ち》が話してたやつ?」

「あぁっ。あいつ、尤もらしい事を並べ立てて最後に音楽流したよな? あの音楽は、マジックの舞台で使われてたものと同じだったっ。その直後、今度はショーの会場に居なかった客達も『催眠暗示』に掛かって俺を襲ってきたんだ」


 ここまで言葉にすればもうそれは確定だ。

 あの音楽こそ、《傷持ち》の『催眠暗示』のトリガー。一斉集団暗示のトリック。


「……最後に未来に一つ聞きたい。例えば音楽で『催眠暗示』に掛けるとして、その音楽の中に『催眠暗示』の内容……詳しい暗示の指示を含ませる事は可能か?」

「可能だよ。例えば音楽の中にある特定の波長を混ぜる事で簡単な『催眠暗示』なら効果を発揮する」


 もうそれ以上の根拠は必要ない。事ここに至ってようやく謎を一つ解明だ。


「《傷持ち》の異能力は『催眠暗示』で、それは聴覚干渉型……」

「だとしたらまた一つ納得もいく」

「何?」

「未来の俺が、さっきCDを持って行ったよな?」

「……あ、そっか」

「あのCDこそがその『催眠暗示』の音源の発信源って事だ」


 《傷持ち》がこの放送室に来たのは確定だ。

 そしてこの結論に至ったから、未来の要はそれを止めに来た。


「けど分からない事がある」

「分からないこと?」

「何で止めるだけじゃなくて持って行ったんだ? そもそもどうして先に放送室からそのCDを抜いておかなかったんだ?」

「持って行く理由があったって事じゃないかな。もう一つは多分そうできなかったんだと思うよ」

「って言うと?」


 要の疑問に未来が答える。


「だってお兄ちゃんがこれから過去の自分を助けに行くためには、そこで起こる事を知ってないといけない。経験してないといけない。この放送室にCDがある事を知ってないといけない。つまりそれはお兄ちゃんにとって経験した過去で、変えちゃいけない歴史だよ。だから例えCDがここにある事が分かってても、経験した事だから歪めちゃいけなかった」

「……全部分かってて飲み込んだって事か。先手打てないのか……」

「残念ながらね。ほんとに先手を打とうと思ったら経験則からまだ見ぬ未来を想像して行動を起こすしかない。廃ビルのときみたいにね」


 つまり今回で言えば、あの音楽がスピーカー越しに流れてくる前にそれがある事に気付いていればよかったと。難しい事を行ってくれると少しだけ考え込む。

 過ぎた事はしょうがない。まずはこちらから打てる手。つまり次の《傷持ち》の行動……。

 けれどそんなもの確率論であって確定ではない。だからこそそうする事に二の足を踏んでしまうのだ。


「くそっ、考えるだけ時間の無駄か。……取り合えず現状をどうにか打開しないとな」


 言って部屋の扉を睨みつける。

 空間固定弾によって誰も入ってくる事はできないが、その向こう側には今も要たちを探して彷徨う『催眠暗示』影響下の客達がいるはずだ。

 例え《傷持ち》の目的が分かっても、目の前の彼らをどうにかしなければ自由に動くのは難しい。

 きっと《傷持ち》だってその人ごみに紛れているはずなのだ。そうして要を狙っている……。

 ならばまずする事は《傷持ち》の『催眠暗示』を解く事だ。物量で攻められているならそれ以上の物量で押し返すか、その供給元を断ってしまえばいい。


「なぁ未来、『催眠暗示』って解除する事は可能か?」

「………………うん、可能だよ」


 少し長い沈黙。その後、彼女は頷いて続ける。


「音楽の『催眠暗示』。さっきも言ったけどそれで『催眠暗示』の効果を出そうと思うと音楽にある種の波形を混ぜて集団暗示に掛けないといけない。つまりそこには音楽って言う媒介がある。例えばそれを打ち消したり出来れば『催眠暗示』は解けると思うよ」

「音楽を、打ち消す…………」


 呟いて、それから脳裏に閃くものがあった。


「そう言えば前に(らく)に聞いたけどノイズキャンセラーって技術があるんだけど」

「騒音公害の対処法だっけ?」

「確かな。で、その方法なんだけど、詳しい原理は別にして、確かいらない音を打ち消すために逆位相の音を流して中和するんだよ」


 近年のヘッドフォンや音楽プレーヤーなどにも内蔵されている機能だ。確か旅客機にも応用されている技術だったはずだ。


「つまりその逆位相を作り出せれば……」

「『催眠暗示』を中和できる」


 親友の無駄な知識に今ばかりは感謝をしつつ方法論を確立させていく。


「でもどうやって? そういうのって機材とかそれ相応の技術が必要なんじゃないの?」

「…………音楽の事なら楽に訊いてみるか?」

「え……?」

「あれでもあいつ作曲したりしてるんだ。で、それを動画投稿サイトとかにアップロードもしてる。音に関する知識は少なくとも俺よりあると思うぞ」

「けど楽さんは今…………」

「どうせ暇してるだろうよ。何せ俺にノートパソコン貸せって…………」


 そこまで告げて、思考が歪む。

 今何か重要な事に手を伸ばした気がする。

 何かが、噛み合った……気が────


「……あっ! そういうことかっ!!」

「え、何、こわい……」


 思わず声を上げて未来に一歩引かれる。お願いだからそういう目に見える反応やめてくれ。


「逆位相を作るためには元の音源が必要だよな。だから未来の俺はそれが入ったCDを持っていった」

「そっか……そうだね」

「でもCDだけじゃ楽だって逆位相は作れない。だからノートパソコンがあの病室にあったんだ……」

「……どういうこと?」


 疑問符を瞳に浮かべる未来に説明する。

 彼女は語った。二度目に楽の病室を訪れたとき……つまり由緒が誘拐された知らせを楽から聞いたときにそこに要のノートパソコンがあったと。そしてそれより前、最初に時間移動で家に戻ったとき、要は自分の部屋で違和感を感じた。それはきっと知らぬ間にノートパソコンが消えた事の違和感だった。

 この間に一つの疑問が生まれる。

 楽にノートパソコンの事を頼まれたのは最初に彼の見舞いに行ったとき。そこから最初の《傷持ち》の襲撃があって、最初の時間移動をした。そして帰った自室で違和感を感じつつも気付かず病院に残した由緒を迎えに行くと、由緒は《傷持ち》に誘拐されていた。その二度目の訪問の時に未来はノートパソコンが楽の病室にある事を見ている。

 要が触っていないはずのノートパソコンが、いつの間にか楽の病室へ。その間に存在するのは空白の十五分。

 つまり、その十五分の間にノートパソコンは要の部屋から楽の病室へ移動した。

 それを実現したのは──未来の要。CDを手に入れ、その逆位相を楽に作ってもらうためにノートパソコンを楽の元へ運んだ。

 これなら要の違和感にも未来の認識にも間違いはない。

 何より、ノートパソコンの事は最初に楽が言い出したことで、歴史的に見れば直ぐに要が持ってきただけと言う時間の流れだ。

 そこに矛盾は生じない。


「なるほど…………」

「つまりノートパソコンの回収ともう一度ここへ来るための時間が同時にできるあの十五分の空白に飛べば全部解決する」


 納得の声を零す未来に最後の道標を提示すれば、彼女は一つ頷いてくれた。


「……分かった。やる事が分かったら行動だねっ」

「既に起こった事だ。その通りになるように歴史をなぞるだけ」

「だからって気を抜かないでよ?」

「分かってる」


 言いつつ立ち上がって最後の疑問を突きつける。


「そう言えばだけど、制限に抵触した時の強制送還って例えば空間固定弾が施された室内からでも戻されるのか?」

「それはないよ。空間固定弾は外界との干渉を断ち切る。もしそんな状況だったら多分強制送還が発動しない。あ、でも戻る先……時間移動をしてくる前に関しては違うよ? 空間固定をされたところに入っていくことと、そこから出て行くことは出来ないけど、制限抵触ってのは言わば歴史の修正力でなかった事にする力……つまり元あったように戻す力なんだ。だから移動した未来から空間固定された元いた時間に制限の抵触で戻って来るときは入ってこれる。歴史的に見れば、その空間断絶された中に居る事が正しいって認識だから、それだけは歪まない……。と言うかそうなる風に作られてる」

「…………えっと、つまり?」

「制限抵触で戻ってきた時に戻る先が隔絶されて戻れなかったら、その人は時空間の狭間に取り残される事になる。つまり行方不明になる。そうならないように、緊急事態として戻ってくる際だけはその先が空間断絶をされた場所でも辿りつけるって事」


 要の疑問に帰った未来の言葉は少しだけややこしかったけれど、どうにか噛み砕いて解釈する。

 色々省いて、つまり制限抵触で戻って来る時だけは空間断絶を通り抜ける例外だと。


「なるほどな。……けどだとしたら逆にそれを利用して現代人に危害を加える事も出来るわけだ」

「え…………?」

「未来に移動する。そこで空間固定弾を撃つ。その空間隔絶の中で現代人に危害を加える。この場合制限には抵触しても戻されないってわけだろ? やりたい放題だ」

「そ、れは……!」


 きっと抜け道。邪法もいいところな悪用だ。けれどその可能性を《傷持ち》が使ってこないとも分からない。

 その考慮さえもしないといけない。


「っけどそれはその時発動しないだけだよ。空間固定の効果を消せばきっと強制送還される。もしかすると普通に強制送還されるよりも大きな反動を受けるかもしれないっ」

「そんなリスクを負うほどかって言われたらありえないと思うけどな」


 一時的な感覚失調が永続的なものへ。もしそうなったら今後に支障が出るはずだ。最後まで成し遂げられるかどうかも分からない歴史改変のためにそこまでするほど《傷持ち》はギャンブラーではないはずだ。もしそうなら最初からそうしているはず。だから今ここまでそうなっていないのであればその可能性は低い筈だ。


「……悪い、変な事聞いたな」

「ううん、あたしじゃきっと気付かない方法だよ。例え悪役みたいな考え方でも、やっぱりお兄ちゃんには助けられてる」

「こんな歪んだ視点を認める未来も十分壊れてるよ」

「完璧な人間なんていないよ」


 そう言って差し出した手のひら。女の子らしい小さな手を取れば未来は疲れたように告げて異能力を発動させる。


「だからあたしも、こんなに失敗してるっ」


 当たり前といえばそれまでだ。

 だからこそ要だって壊れたままの思考を振り翳せるのだと。

 未来が扉の空間固定を解くのを見て目を瞑る。

 脳裏に描くのは十五分の空白の時間。最初に要が受けた時間移動のその裏側。

 こんな風に時間の間隔が曖昧になるほど時を跨ぐなんて誰が予想できるだろうかと。

 そんな事を考えながら小さく笑う。

 そうして体に掛かった重力方向の変化は背中を押されるような前への衝撃。

 段々とその歪みが心地よくなっている事に気付けば、また一つ要は人間らしさから遠のいている気がした。

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