俺の愛しい人 2
「だっ、旦那様~!!」
朝、着替えも終えた私の元に、客人の訪問を告げるメイドが来たので、客室に行ってみれば……一度開けた扉をもう一度閉めてしまった事は大目に見ていただこう。そして、パニックになって思わず『旦那様』と叫んでしまった事を恥ずかしく思うのはまだまだ先の事。
「どうした!!メルディア!!」
私の叫び声で、寝室でお休みになっていた旦那様が慌てて降りてきてくださった。この時はまだパニックを起こしていて、私を抱きしめ落ち着かせようと背中を優しく撫でながら、何があったのか問う声に扉に指を指しながらアワアワと文にならない声を出すだけしか出来なかった。
ガチャ
中から扉が開かれ、旦那様は私を背後へ匿うと警戒した面持ちで扉の方へと意識を向ける。
「朝から凄い声ね、メルディア。私、ビックリしたわ。」
凛とした声の主が扉を開け放ち現れた。その人を見た瞬間、旦那様は脱力した様に警戒を解いた。
「母上……」
「何よ?」
「何でこちらにいらっしゃるんです?」
「ユグノーが居ないのよ!!こっちに来てるんじゃないかと思って……」
旦那様が呆れたように、溜息を一つこぼし義母に向かって言った。
「失礼ですが母上、ちゃんと家の隅々まで探されましたか?父上は庭いじりが趣味になられたようですし庭にいたとか……」
「ちゃんと探したわ!!クローゼットの中からゴミ箱の中まで探したのに居ないのよ!!」
何故か義母は義父を探す事が下手だった。まだこの屋敷に住まわれていた頃、私も何度となく義父を探し回る義母を見ていた。不思議な事に、義母が見つけられないのは義父だけで、旦那様や私、私達の子供はすぐに見つけるのだ。
ここで一つ言っておく、義父は影が薄いわけではない。確かに控えめな方ではあるけれど、身長も高いし肩幅だってある。顔立ちはやや厳しい表情に見えるけれど、話すととても優しい人だと分かる。どちらかと言えば目立つ部類に入るだろう。なのに、何故見つけられないのか……
「書置きとか無かったのですか?父上はいつも外出される際は何かしら置いていくのでしょう?」
「それも無いからこうして探しに出たのよ!!」
なんだか段々口論になりつつある親子の会話に、水を差すように「お茶にしませんか?」と言ってみる。なんとか私も落ち着いてきた。
「お義母様、先程は失礼致しました。」
「いいのよ。メルディアに私だという事を伏せて呼びに行かせたのだから、驚いて貰わないとね。それにしても、貴女あんなに大きな声が出せたのね。『旦那様ー』って……ふふっ、仲が良くて母は安心しましたよ。」
イタズラが成功した時の子供の様な笑顔で義母は笑った。歳をとっていることを感じさせない不思議な女性だと思う。でも、先程の自分の行動を振り返られると恥ずかしい……いい歳をしているのに、未だ自分で対処できない事を反省する。
「とりあえず、母上達の家の方に使いを出しました。父上が帰ってきていた場合母上が居なくなっていると、ややこしくなりますので。」
「何?その言い方、嫌味かしら?私が悪いのではなく、ユグノーが居なくなるから悪いのよ。」
二人のやり取りを見ながら以前、旦那様に義母と義父のやり取りについて聞いたことがあった。旦那様は「あれは二人の愛情表現なんだと思う」と言われていたのだけど、その時はよく分からなかった。でも、旦那様と夫婦として過ごしてきた今ならわかる気がした。常に義父の事を考えて、全力で愛情をぶつけている義母を少し羨ましいと思っていた。
「そういえば、貴方達子供はもう作らないの?」
「今は僕の手がいっぱいいっぱいで……メルディアにもルグートにも寂しい思いをさせているのは分かっているんです。そんな状態で、もう一人作るとなるとメルディアに負担がかかりますから。」
まぁ、旦那様ったらそんな事を考えてくれていたのね。確かにルグートが生まれた時はまだ旦那様のお仕事が忙しくなかったし、お義母様達も一緒に住んでくださって居たから私も心に余裕がある状態で子育てが出来ていたけれど、一人きりでとなると……不安だわ。
「でもね、ルグートも4歳でしょ?あまり歳が離れすぎても子供同士お互いどう接すればいいのか分からなくなるわよ。ねぇ、ユージン。仕事なんて貴方がいなくても何とかなるものよ?ユグノーだって、子供が出来たと言えば今まで仕事だ仕事だと言ってたのが何だったのか不思議なくらい家にいるようになったもの。」
「そう……ですね。僕自身も兄弟が居て良かったと思うことが多いので……ルグートにも兄弟を作らないとですね。」
あら?最近本当に忙しくて、寝る間も惜しんで働かれていた旦那様がお仕事に対しての考えを変えてくれようとしている?横に座る旦那様が大きく息を吐き出して、ソファに沈み込むように背をあずけているのを見てから目の前に座る義母を見た。すると、こちらを見てウィンクを一つ送り紅茶を飲んでいてる。なんだか心があったかくなって、ふと気付く。もしかして義母が今日、屋敷に来たのは……
コンコン
扉を叩く音がして、「どうぞ」と旦那様が答えた。扉を開けたのは執事で、その後ろには義父が。
「セシル、迎えに来た。帰るぞ。」
「まぁ!ユグノー、どこ行ってたのよ!!」
義父を見た途端、笑顔になるもそれも一瞬で口を開くと共に眉間に皺を寄せて義父に詰め寄っていた。
「どこって、裏山に狩りに行ってくると伝えただろう。聞いてなかったのか?」
「聞いてないわ!」
「はぁ……そんな自信たっぷり言い切るな。昨日の夜にちゃんと言ったぞ。『明日の早朝から裏山に狩りに行ってくる』と。セシル、本当に覚えてないのか?」
「…………そう、だったかしら?」
義父から目をそらし、空中を漂う義母の目を見て私は確信した。今日、義母が屋敷に来たのは私のためだと。
嘘をつくのが下手な義母を、義父は一目で分かったのか、仕方ないなというように優しく抱きしめ背を撫でる。
「まったく、これではいつもと反対だな。今日は俺が『セシル、セシル』と叫びながら探し回ったぞ。」
「あら、じゃあいつもの私の気持ちが分かって良かったじゃない。」
クスクスと笑う義母と義父のやり取りを、微笑ましく見ていた私と違い苛立ったような声を出して旦那様が言い放った。
「お騒がせもいい所ですね!!イチャつくなら帰ってください!!」
「ユージンったら、羨ましいなら貴方もメルディアを甘やかせば良いでしょ?やーねぇ。」
「セシルが騒がせて済まなかったな。だが、ユージン。妻や子供を放って仕事ばかりは夫や父としては失格だぞ。」
義母と義父からの言葉に、旦那様は自分が如何に周りを見れていなかったかのか悟ったようで、子供のように拗ねた顔をして私に抱きついてきた。私は、義父も旦那様の最近の仕事のし過ぎな現状の愚痴を書いた手紙を読んでいたのだと思った。そして今回、義母と一緒に一芝居打って、旦那様に仕事よりも家族を大事にしろと言いに来てくれたのだ。
「メルディア、父上と母上が虐める……」
「まぁ、旦那様。本当の事じゃありませんか。」
「メルディアまで!……ごめん。僕は家族を守る為に仕事が大事なんだと思って……間違ってたんだな。」
そんな私達を見守るように、微笑んだ義母達は私に向って「後は頑張りなさい」と声を出さずに口を開き、音を立てないようにそっと部屋を出て行った。
「ユグノーったらタイミングがいいわね。」
「執事に事情を話して、書斎でルグートと遊んでた。勿論、ユージンが出した使いも止めたから誰も迷惑は被ってない。」
「まぁ!ユグノーだけルグートと遊んだなんて!!酷いわ!!」
「大丈夫だ、メルディアに子供が出来れば暫くルグートを家で預れば、いつでも遊べるだろう?」
「……何時になるかわからないじゃない。」
「ははっ、心配しなくても数ヵ月後には遊べるさ。」
「本当かしら?」
「俺は、セシルにして見ればすぐ居なくなるが、嘘は付かないぞ?」
「そうね。……ユグノー、愛してるわ。」
「俺も、セシルを愛してるよ。だからずっと、俺を探してろ。」
「バカね。」