始まり
凛と暁は目的地へと森の中を歩き進んでいた。
森といっても樹海ほどの深さはなく、20分くらいすれば徒歩でも抜けられるほどの小さな森である。
しかしそれだからと言って、周囲に鬱蒼と生える樹木はどれも高く大きく、気を抜けば方向を見失いかねない。
森の中は薄暗く、ひんやりと冷たい風が緑に生い茂る木々の葉を揺さぶっていた。
木々の合間から差し込む陽光が所々に差し込み、上空では独特な可愛らしい鳥のさえずりが飛び交っている。
空気は湿気を帯び、地面には緑の苔が所狭しと石畳の道の合間を蔓延り、風情ある世界だった。
凜の背後には、先ほど見た巨木が聳え立っている。
樹齢何万年にもなるであろうその景観は壮大で、この巨木が凜がこの地に来て最初に見たものだ。
井の中の蛙が真っ先に出てみた世界がこの巨木だったらどう思っただろうか。
凜は最初にきてしばらくこの巨木の前で静かに視線を向かわせていた。
しばらくしてふと凜が横を振り向いた時だった。
一人、少女が彼女の視界に突如入る。
そこは少し開けた空間で、その中央に帽子を枕にしてすやすや眠る一人の少女がいた。
「どうかした?」
突然足を止めた凜に暁が声をかける。
「いえ、あそこに愉快なお人がいらっしゃると思いまして」
視線を彼女に向かわしながら凜は言った。
しかし暁がその場所へと視線を向かわせるが、そこに彼女の姿はない。
何度見てもそこはただの少しの開けた空間でそれ以外特に変わったものはなかった。
挙句の果て暁は困った顔をして再度凜の方を向いた。
「・・・そう?僕にはなにも見えないけど」
何度も見渡して言う彼の言葉を聞いた凜は自分だけにしか見えていないのだと気づいた。
どうやら自分にだけしか見えていない・・・
凜は少し心躍る気分になった。
「いえごめんなさい、私の勘違いだったみたい。気にしないでください。少し今日はいろいろあって疲れたみたい」
「凜さんにもそういうことあるんですね」
凜は照れるしぐさを見せつつ、足を前へと進ませる。
暁はそんな彼女に微笑みながら、目的地へと再度進路を取った。
もちろんその言葉通り凜が勘違いしたのではない。
確かにそこには少女がいた。
であれば彼女が霊か何かだったのかというとそうではなく、実体のある正真正銘の人である。
この世界には幻術と言って、人の認識を惑わせる術というものが存在する。
今回それがこの奇妙な出来事の発端でもあった。
凜は生まれつき、そういった類の魔法には耐性があった。
ゆえに彼女には見えないことになっているはずの彼女が見えたのである。
凜は暁に彼女の存在を見せることもできた。
幻術といっても強度はそれほど強くなく、解くには困らないレベルの幻術だった。
しかし見えたからと言ってそれ以外特に何もすることなく、逆に解いてしまえば彼女の睡眠を邪魔することにもなりかねない。
そこで凜は先ほどの言動に出たというわけだった。
見えていないのであれば見えていないことにしておけばいい。
「やっと出会えた」
二人が遠のいていく中、ぼそっとそう謎多き少女はつぶやいた。
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暁と凜は無事ほかの入学生達と合流し、彼らと共に住居区から離れた場所にある学園の前へと来ていた。
彼らの目の前には大きな門が立ちはばかり、そこには先生と上級生とみられる生徒らが一様に並んで待っていた。
入学生たちは興奮している者と顔面蒼白している者との二手に分かれていた。
それはここへ至るまでの道中に関係しており、彼らはここに来る途中、スカイダイビングという絶叫体験をしていた。
これはこの学園の通過儀礼のようなもので毎年、新入生はあの昇降盤から一斉に落とされるのが慣例となっている。
中には苦手とする者がいるかもしれないが、この学園が空中に浮かんでいる以上それは避けられない関門だった。
しかし、凜たちは訳ありでそれを回避していた。
辺りが騒然とする中入学生が揃ったのを見越して、上級生の一人が彼らの前へに進み出た。
胸には胸章がつけられており、それは菊の花を現している。
桜と同じくピンク色をした清楚な生徒は入学生たちの前に立つと、彼らに一礼した。
その姿は優雅で、周囲の心を一瞬で掴む。
彼女の例と同じくして騒然としていた辺りが徐々に静かになっていった。
「この度はご入学誠におめでとうございます。上級生を代表し生徒会長 椿が ・・・」
生徒会長。
この学園にいる者なら誰もが一度は憧れ目指したい地位である。
学園の頂点にして絶対的存在。
凜の目指しているところもそこであり、今その地位に就く彼女に敬意を払いながらいつかその地位に就きたいと見ていた。
生徒会長の挨拶が終わると、今度はその彼女からクラス分け試験のことが伝えられた。
クラス分け試験とはそのままの通り、これから学園生活を送るにあたって共に学ぶクラスを振り分けることになる。
クラス分け試験が知らされ、周囲に緊張感が走る。
この試験から熾烈な学園生活がここから幕を開けることになるのである。
よいクラスに入れば、いい環境に恵まれる。
自分の能力をより向上させるにはよい環境からといっても過言ではない。
凛と暁を含めた入学生 2600名は説明を受けた後、運命の試験会場へと向かうのであった。