交わす運命
仰ぐとまだ空がオレンジ色を帯びている頃。
ほんのりと温かな日差しが心地よく眠っているひな鳥に欠伸を促す。
長細い黒い車が静かにエンジン音を止めた。
外から車内の様子を確認することはできないが、よほどの要人が中に乗ているのだろうと判断することができる。
それも魔法や神器が蔓延るこの世界とは言え、このような車に乗ることができる人間なごく限られた者たちしかいないからに他ならない。
外から車内を見ることができず、車の強度も他とは比べ物がないほど高い。
身の安全が常に保障されていないこの時代においてその需要は計り知れないものだが、製作への金銭面の問題、【アース】の7割をGS によって失っている現在における資源の枯渇もあり供給は限られていた。
それゆえごく限られた者しかこの車を使用することが出来ず、決まって社会的地位の高い者たちがその使用者となっていた。
少し離れた場所ではきれいな制服姿に身を包んだ人たちが同じ方向へを足を運ばせている。
その先には広場があり、そこにはその制服を身にまとった者たちで溢れかえっていた。
そうここに集まっている者たちこそ、クエアランス学園に入学を有された者たち。
この広場はクエアランス学園が指定した集合地点だった。
新入生たちで賑わいを見せる中、黒い車の扉がバタンと音を立てながら開いた____
第一章___ 立つ鳥、羽ばたく ___
「凛様、到着でございます」
扉の傍に視線を送ると、そこには端麗な執事の姿がある。
黒い燕尾服は相変わらずの清潔感を漂わせており、艶のある緑の髪、手には白色の手袋がはめている。もちろんそれらは全て新品で、彼女は凛の執事の不知火だった。
「ありがとうございます、不知火さん」
そう言いつつ、初めて外に出たという嬉しさを胸に秘め、地面に足をつける凛。
初めて足を踏み入れた外の感触は、アスファルトの硬い感触だった。地にしっかりと足がついた反動を足の裏に感じ、それが外の世界に足を踏み入れた実感を持たせる。
だがそれは想像していたよりも以上でなければ以下でもなかった。
「凛様、どうかなせれましたか?何か面白おかしいことでもおありで?」
気づかないうちに、凛の顔には笑みが零れていた。
咄嗟のことに、凜は車の窓に映る黒い自分の姿を覗きこむ。
するとそこには、確かに僅かながら微笑む自分の姿が映し出されていた。
こんな笑み?をした顔を今まで見たことがあっただろうか。
一瞬、窓の中に映った顔が本当に自分のものなのか戸惑う。
しかし確かにそこに映る顔は紛れもなく凜自身のものであった。
「こほんっ…えっと…ここが、例の………」
凛はぎこちない咳払いを小さくしつつ、話題を変える。
これが今恥じらう彼女が出来た最大限のふるまいだった。
しかしそれが返って、不知火の顔に笑みを浮かべさせる結果となってしまう。
年は18といえど、まだあどけなさの残る少女。
不知火は改めてあどけなさの残る少女により一層の愛着心をもつ。
「はい、そうです、凛様。ここがクエアランス学園が指定する場所、『レリックの広間』でございます」
「普段、ここはどういったところなのですか」
不知火はそれを聞くと、まず両手の上に用意していた凛の通学鞄そして神器である『零影』を先に凛の元へと差し出した。
凛は不知火から刀と鞄を彼女から受け取ると、広間にもう一度視線を向かわせる。
その場所は今まで写真でしか見たことがなかった街の風景だった。
「一言で言えば、人通りの絶えない街の中心地です。特に特別何かがあるということはありませんが、時折ある催し物の際には、イベントをここで行ったりしています」
「そう……ですか」
凛はそれを聞くと再度すぅっと辺りを見渡した。
大きな広間には溢れんばかりの人だかりが賑わいを見せ、その誰もが真っ新な制服に身を包む生徒たち。
また広場を囲むようにして建設されている煉瓦造りの建築物には新入生を祝う垂れ幕や意匠が施されている。
所々に植えられた桜並木は、桜色の吹雪を演出しながら新入生の晴れ舞台を彩っていた。
些細なことでも新鮮に感じる凛にとっては、それらの風景は神秘的な光景として映っていた。
無知には羞恥というものが生じることがあるが、今の凜はまさにそうであった。
外に出て間もないにもかかわらず、その間どれ程の衝撃を受けたことか数えてもきりがない。
自分の知らない世界がまだまだ存在するのかと思うと、これからますます知らないことが目の前に現れるのだと思うと、少し自信を失ってしまうのも無理はなかった。
「凛様、先ほど私が申し上げたことを覚えていらっしゃいますか」
広場の景色に心奪われる中、突如不知火が凛に確認をとる。
凛はいきなりの質問に意表を突くかれる形となってしまうが、それのことははっきり覚えていた。
「はい……一応、頭の片隅には置いています。刀を抜く時は最低限度に済ませ、戦闘は極力避ける、ですよね」
「そうです。冬天奏家次期当主たるもの、行動には慎みを持ちつつ責任を常に持ち合わせなければなりません。常に日頃から穏便な行動に心がけ、そして先のことを考えながら行動することに努めてください。呉々も軽率な行動はご自重いただきますようお願いします」
凛は鞘に静かに収まっている『零影』を見つつ、次期当主として改めて決意を固め直すことにした。
この世界において、神器とは『フォトン・コア』から生成した個人の専用の武器を指す。
『フォトン・コア』とは突如【アース】の至る所で出現するようになった光の玉のことで、いまだその全容を解明するに至っていない。
光の玉『フォトン・コア』に触れることにより神器は生まれる。
神器は生成した所有者だけにしか使うことが許されず、ほかの者が扱うことはできない。
凛が手にもっているこの刀もまた神器であり、もちろん彼女以外の人がそれを扱うことはできない。
凛はこの刀を《零影》と名付けた。
よく形状が歪な形をしているため刀だと判断しずらいが、凜はこの容姿がひどく気に入っていた。ただ彼女の価値観がおかしいだけなのかもしれないが、きっと分かる人には分かる独特のフォルムをしていると彼女自身そう思っていた。
いわば茶道のお茶碗といった骨董品のようなもので、受け手の感性によるところもある。
いまでは『零影』は唯一無二の愛刀となっていた。
ピンクと白でコーディネートされた清楚な感じを漂わせる制服。
靴にしろ、鞄にしろ、靴下にしろ、どれもみな輝きを放つ。
凛は新春の衣装を軽く指で摘まみながら、不備が無いかどうか確認する。
見栄えの良い色彩鮮やかな容姿端麗の衣装は綺麗な白とピンクの服で、クエアランス学園指定の服だった。
学園に入学を許されるものだけが着用することができ、それはこの学園に入学する者の証であり誇りでもある、
腰のラインにあるレースが風に翻るのが特徴的な服で、その姿は見る者すべてを魅了していた。
晴れやかな衣装を着るとその嬉しさに胸が躍る。
ようやく憂鬱な生活から解放された凛にとってそれは待ちに待った機会といても過言ではなかった。
いつかこの世界に生きるものとして一度でもいいから学園生活をしたいと長らく思っており、果たしてついにこの日が来たのである。
楽しくないはずがあろうか、いや楽しくないはずがなかった。
活力に満ちたこの空気、新鮮な春の日差し。
まるでここは御伽の国であるかのように煌いた世界が目の前に広がっている__
凛はその場で一度、舞う。
スカートは円状に仄かに広がり、レースはハタハタと翻りながら宙を踊る。
「綺麗ですよ、凛様」
その姿に不知火は笑みを綻ばせながら、口の前で小さく手を重ねその姿を眺めていた。
「ありがとうございます、不知火さん。そう言っていただけると嬉しいです限りです」
舞い終えたところへ、春風が凛の元へと吹く。
それは気持ちいい肌寒さを持つ風だった。
でも、それは少し強過ぎるもので、凛は咄嗟に右手で軽く靡く髪を押さえ、左手でめくれるスカートの裾を掴む。
すると辺りでは黄色い声援が沸き起こり、あたりのスカートは瞬く間に広がっていた。
凛と不知火は慌ててそれを抑えにかかる。
これが小説で読んだ女の気をつけるべきもの……だと、凛は顔を赤らめながら思うのであった。
***************
数時間後、凛は人だかりの中にいた。
どこを向こうが見渡す限り、目の前には人という人。
数えるのは困難を極めるほどの人集が、こにはあった。
「……凄い……」
思わず凛は驚きの声を漏らす。
ここはクエアランス学園が指定した、集合場所の『レリック広間』。
この場にいる者は皆、学園へ行くために集まった関係者ということになる。
多くの人が集まるなどというのは名門において、造作もないことだ。有名なところに通う所以はさまざまであるにしろ、そこには人を魅了するだけのものが確かに存在する。
入学生が一堂に集まったこの大人数の景色は有名どころでないにしろ、普通の入学の光景である。
凛は、その数が多かったことにも驚いたが、それ以上に現場のインパクトにはそれを上回るほどの驚きを覚える。
家から出たことがない彼女にとってそれがどれほどのものだったか……
言葉の中には表しきれないもの感情がそこには存在していた。
凛は余りの人の多さに息を呑み、萎縮さえしてしまう。
この光景はむしろ度が過ぎたもので、もはや彼女の眼に好意なものとしては映っていなかった。
そんなときだった。
後ろから耳障りのない男の子の声が凜にかけられる。
「おはようございます。あなたが冬天奏 凛さんですね」
凛は突拍子もない背後からの挨拶にビクリと驚く。
ゆっくり後ろを振り返ると、そこには自分の元へ近づく二人の姿。
一人は中年男性で、その場の臨場感を一蹴するかのような特異なオーラが放たれており、どう考えても学園の生徒ではない大人の風格があった。
そしてもう一人はというと、こちらは水色と白色の制服に身を包む男子学生。一言で彼を言うなら、美男子だった。絵本から出てきた王子様にも近い容姿で、髪の金髪、整った顔立ちどれをとっても普通の人とは全く違う印象を受ける。
凛にかけられた声はこちらの美男子のものであった。
少年は緊張している少女の黒い目と自分の目が合うや、にっこりと笑みを浮かべ手を振る。
凛は視線をその若い美男子の姿を上から下へ疾走させた後、しばらくしてぎこちなく軽い会釈をして挨拶を返す。
彼女のの目の前にいる少年は初面会の人物だった。
金髪の少年もまた、凛の挨拶に気づくとさらに笑みを返す。
「……どういった事なのですか、お父様」
と、すぐさま凛は挨拶をするやいなや少年の隣に立つ中年男性に向かって、問いかけた。
その中年男は名を冬天奏 大将といい、つまるところ凛のお父君にあらせられた。
「……やぁ。おはよう、凛。今日も可憐できれいだな。さすがは私の娘だけある」
大将は凛の妙に威圧感のこもった視線にその体にそぐわない 下出の態度で、何とか口を動かす。
胸のあたりでは両手が合わさって許してくれと言わんばかりの素振りが見て取れた。
今日は入学式。
おめでたい晴れやかな一日である。
親なら当然一緒に、自分の子供の式典を祝うのがふつうである。
もちろん入学式では、親と子はともに会場へと足を運ぶものだ。
彼らの通る道は桜色で染め上げられたカーペット、そして新品の黒い制服は門を越えた学校へと誘うのである。
凛が描く入学式もまた、そのような手筈になるはずだった。
父親とは昨日、一緒に行く約束を交わしていた。
しかも何度も何度も念を押して・・・
しかし大将はそんな記念日にも関わらず、一人娘とは別の、血筋の違う少年と共になって凛の前に現れたのだった。
「お父様………」
その言葉を聞き、覚悟を決める大将。もはやそのあと出てくる言葉など聞かずとも分かってしまう。
「…くっ……」
大将は次の彼女の言葉に腹をくくる。
いまの状況を表すなら、まな板の上の鯉だった。
「………」
彼は凛から出る次の言葉を待つ。心の中では、謝辞を永遠と繰り返していた。
口の中はひどく乾燥し、額にはかなりの汗が噴きだしている。
しかし彼女から出る言葉はそのこととは無縁の内容であった。
「…………そこにいる方は、どちら様なのですか」
「…………………うん?」
大将は予期せぬ言葉に、一瞬、呆気に取られる。
凛から出た一言は叱責ではなく、自分の隣にいる少年が誰なのかという質問。
彼はどのような言葉が自分のガラスの心に突き刺さってくるかと覚悟していたが、実際はそうではなかった。
「……か…彼のことか………」
意外な言葉に凛の顔色を見ながら返事を返す。
どうやら約束を破ったこのに関してお咎めは無いようだった。
大将は状況を把握すると、涙目になりたい気持ちを抑えつつ心の奥で無数の感謝の言葉を天に向かって叫ぶのであった。
「はい、そうです彼のことです……彼は一体何者なのですか」
凛は再度何も言わない顔で、大将を見た。
「…………お前の婚約者だ」
大将は簡潔に話した。
「…………っ!!」
あまりの即答とその内容に、思わず言葉を失う凛。
何も聞かされていなかった彼女にとって、それはより一層衝撃をもたらす。
婚約者とは詰まる所、凛の将来の夫を意味する……
しかし凛はまだ世間に出て間もない18の少女だった。
あまりにも先に行き過ぎた彼の言葉は凛の心をなかば放心状態にさせる。
「今の今まで隠していたのはすまないが、これは彼のどうしてものお願いだったんだ」
「……えっ、……あっ……えっと…」
大将は凛の気持ちを鑑みず、自分の言いたいことをニコリと笑みを浮かべながら言い放つ。
凛はあまりの彼の言動に、もう何を言っていいのやら、言葉を失ってしまっていた。
目はただ美男子の方に丸々と向けたまま、固まった体は石のように微動だにせず、その場に立ち尽くす凜。
美少年はそんな彼女を、笑顔で見つめるのだった。
今は四月。平穏無事な季節。
__しかし。
彼女のこれから向かおうとする世界は波乱万丈、桜吹雪の季節だった。
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