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神妖クルセイド  作者: いかろす
-神鬼邂逅ノ章-
9/32

八章 鬼になれ

「キズカと申します。以後お見知り置きを……」

 名乗った少女は、丁寧かつ柔らかい態度で接してきた。

 しかし、鮮音は正反対の行動を取る。キズカの胸ぐらを掴み、引き寄せた。

「お前が、静音を……なんでだよ……なんで殺した!」

「そりゃあ、 それが私に与えられた仕事だからね」

「仕事、だと……?」

「そうだよ。鮮音ちゃんだって、神術士なんだから仕事するでしょう? それと同じ」

 さも当たり前、というような口調で、すらすらと言葉を並べていくキズカ。

 何故自分の名前を知っているか、などという疑問がどこかへ消えてしまう程に、鮮音の中には怒りが満ち満ちていた。

 キズカの胸ぐらを掴む手に、自然と強い力が込められる。

「だからって、お前……」

「聞いてるよ、鮮音ちゃん、魔術士と運悪く交戦したんだよね。で、ローリエと共闘したとかなんとか。その時……一人か二人、殺してるよね?」

「それは仕方ないことだったし、今は関係無えだろうが!」

「仕方ないこと? なにを言ってるんだ人は皆平等だろう。魔術士の命を奪ったこと。静音ちゃんの命を奪ったこと。それは同義だ。鮮音ちゃんが殺した魔術士にだって、静音ちゃんに寄り添う君のように悲しむ人が居たかもよ?」

 鮮音の手に込もる力が次第に強くなる。感情が爆発し、行き場を無くしているのだ。

「それはっ!」


「てかさ、痛いよ鮮音ちゃん。離してもらえるかな」


 その一言から露骨に噴き出す殺気にあてられて、鮮音は思わず手を離し、後ずさってしまった。

「よく出来ました。じゃあ話を続けよっか」

「っ……それとこれとは話が別だろうが。警察組織としての役割を持つ術士が敵対する者、つまり悪を殲滅するのは当然のこと。でも、お前はその役割を同じとする同士を殺したことになる」

 それを聞くと、キズカは悩む素ぶりを見せた。しかし、思考時間は短い。

「ふむ、確かにその通りかもしれないね。筋は通っていなくもない」

 どこまでもわざとらしく、キズカは言った。にやにやと小馬鹿にするような笑みを浮かべて話すその姿は、今の鮮音から見れば憎たらしいことこの上ない。

「でもさ、考えてもみなよ。神術士と妖術士のこの二つ、根本からは違う組織だろう? 警察組織的役割というのがこの二つの共通点として……残りの要素全てまでもが共通するとは限らない。つまり、こちらにはこちらのルールがあるわけだ」

 鮮音は押し黙ってしまった。

「納得してもらえたかな?」

「……出来るわけ、無いだろうが」

「そりゃあそうだね。私たちは正論を述べあっているだけだ。この議論に決着なんてつくはずがない」

 キズカの言葉の中にあった、正論という単語。これに、鮮音は反応した。

 キズカは自分の行いを正論として押し通そうとしている。

 しかし、世間一般から見ても、この行為は正論などと称していい筈が無い。

 それにーー論点がズレている。頭に血が上っているからといって、鮮音もそれがわからないほどでは無い。

「そんな話がまかり通るか。私は悪を斬ることは多数派の正義だって話をしてんのに、お前は自分の組織の話をしてる」

「それなら少数派はどうなる?」

「少数派は世間一般でいう悪のことだよ。つまり……お前のやったことは、平和を乱すことだ。だから……」

「だから斬る、かな? そのやり方を押し通すのは間違っていないかい? 君の言う正論が絶対正義満場一致とは限らないじゃあないか」

「っ……ごちゃごちゃうるせんだよ! さっきから私が喋ってるときに重ねてくんじゃねえ!」

 声を荒げる鮮音。それを見て、キズカはこぼすように笑った。

「おしゃべりが過ぎたかな。私たちのルールでは、この行為が平和を導くことなんだよ」

 互いの意見は相入れず、 自らの中の正解を押し通そうとするばかりで、落ちる場所などどこにも無い。

 正直な話、鮮音はキズカとの戦闘を避けたかった。実力に差があることがわかり切っているからである。

 しかし、もう止まらない。止まれない。

 悲しみは怒りの火を心に灯し、煽るように話すキズカの言葉は鮮音の動き出そうとする心に拍車を掛ける。

 元来、鮮音は面倒なことが苦手である。言語で諭すことと肉体言語で諭すこと。どちらが鮮音の中で面倒かと言えば、それはわかり切ったこと。

 それにーー静音の仇である目の前の女が、こうして生きているということが許せない。

「もういいッ! 私のルールで……キズカ、お前を殺すッ!」

「困ったなぁ……一人殺してこいとしか言われてないから。まあ、とりあえず遊んであげよう。君の正論を捻じ曲げてあげることくらいは、今の私でも出来るからね」

 鮮音が神装を身につけ、右の腕甲を刀に変換。同時に、キズカは首から下げられた妖装らしきネックレスを掴んだ。

 雨にあてられ重く沈んだ空気が、二人によって更に重いものへと変わる。


「着装、鬼」

「C、蹴の太刀ッ!」


 真っ先に仕掛けたのは鮮音。

 刀は空を薙ぎ、可視化神力が弧を描く。それをありったけ強く蹴りつけ、衝撃波が放たれた。

「うりゃあっ!」

 戦いの最中とは思えない、可愛らしい声が響く。

 同時に、キズカの拳が衝撃波を打ち砕いた。

 崩された神力が舞い飛びーーそれが、キズカの視界を塞ぐ。それに気づいたキズカが神力を退けた時には、状況は動き出していた。

 上段に刀を構えた鮮音が、晴れた視界から飛び出したのだ。

 怒りを載せた快速の刀は、空気を裂き、雨粒を裂き、斬殺対象に向けて振るわれる。

 だがーーそれは、いとも容易く払いのけられる。

 手をひらりと振るわせる、たったそれだけの動きで、刀の猛進は止められた。

 その後も幾度と無く刀を振るうが、軽い動きで避けられ、直撃コースを進む斬撃は容易く片手であしらわれる。

「あははっ! 子供の遊びみたいで楽しいねぇ鮮音ちゃん!」

 本気で戦いに臨んでいる鮮音に対する、これ以上ない皮肉。

「うるっせえ!」

 気持ちに身を任せ、構えた刀を振り下ろす。

「こんなんで頭に血上らせてたら勝てないよ? (ここ)、ちゃんと使わないとねッ!」

 キズカはあらん限り膝を天に向けて突き上げる。それは膝蹴りーーなのだが、空を穿つのみで終わった。

 しかし、終わりは始まり。キズカの膝から勢いよく靄が飛び出し、鮮音の刀が進む先を塞ぐ。

 その靄と刀が触れ合うとーーまるでそこに壁があるかのように、刀は先へ向かうことを辞めた。

 目の前に無防備の敵。それを視界に捉えていて、尚且つ刀はあと数十センチ足らずで届く。

 なのに、届かない。

「どうしたんだい鮮音ちゃん、私の膝、ぶった斬りたいんでしょう? 来ないようならこっちから……」

 その場を離れようとする鮮音。だがーー

「やっちゃうよ?」

 時既に、遅い。

 突き上げ、曲げた膝を一気に駆動させ、勢いの乗った蹴りが鮮音を打つ。それを受けた鮮音の身体は後方へと吹っ飛ぶが、着地。

「手ごたえ……ならぬ足ごたえが薄い。鮮音ちゃん、ちゃっかり直撃は避けたんだ。やるじゃん!」

「っ……楽しそうにしやがって……こっちはどんだけキツイと思ってんだ。寒くてちょっと身体も震えてるしよ……」

「キツイのは当たり前だよ。だって戦いなんだよ? ま、命獲りにいってるかそうじゃないかで気持ちの持ちようは変わってくるかもだけどね。あと怖くて震えてるのは雨のせいにしちゃいけないと思った」

「……誰が怖くて震えてるって?」

 確かな怒気が混ざる鮮音の声。

「雨で頭クールダウンさせてあげようと思って喋ってたのに、また怒らせちゃったみたいだね……」

「るせえッ!」

 刀を変換し、片腕の推進力で滑るようにキズカの懐へ潜り込む。そして、もう片方の腕甲による推進力で鮮音は空中へと身体を投げた。

「……へえ」

 懐へと攻撃を叩き込もうとしていたキズカは未だ冷静。焦りなどなく天を仰ぎ、鮮音と視線が重なった。

 鮮音は両腕の神装を刀へ変換し、空中で身体を回転。幾度もの斬撃が空を舞いーー防がれ、空を斬る。

「C、斬奏ッ!」

 鮮音の斬撃は全てが計算の内のもの。その刀が斬った位置は、全てが何処かしら重なっていた。

 繋がり合う剣閃に光が灯り、神力が形を成す。

 鮮音は片方の刀を変換し、その手を剣閃の塊へとかざした。

「対象ロック、行けぇッ!」

 瞬間、斬撃の雨が降り注いだ。

 剣閃は雨雲となり、斬撃は対象を容赦無く斬り刻むために、雨粒となって愚直に空を切って進む。

「おおっ! そんなことも出来るんだ! ちょっと侮ってたのは悪かったなぁ……訂正しないと、ねっ!」

 キズカは向かい来る斬撃に対し、拳を叩き込む。何度も、何度も、何度も空気を叩き、その度に靄のようなもので形どられた拳が現れ、斬撃を砕いていく。

 キズカの周囲を舞うのは妖力と神力が散って出来た煙に近いもの。混ざり合っては弾け飛び、その視界を不明瞭にする。

 その煙を切り裂いてーー鮮音の身体が飛び出した。

 腕甲の推進力に押され、キズカの脇を抜けて後方へと降り立つ。

「死ね」

「そりゃあずるいなぁ鮮音ちゃん」

 一閃。

 しかし、決まらず。

 キズカの足は後方への蹴りを繰り出す。それが、鮮音の渾身の一撃を止めた。

 弾かれた刀。それに同調するように、鮮音は後方へ距離を取ろうとするが、

「待ちなよ」

 キズカの手から出る靄の手が刀を掴んで離さない。

「一本、いただき」

 拳がかき鳴らす砕破の音は雨にかき消されーー刀が折られたという事実だけが、そこに残った。

「神装が……折られた?」

 しかし、それに驚いている暇など存在しない。鮮音は勢いのままキズカに殴りかかるが、赤子の手をひねるかのように容易く、拳は止められた。

「うーん……鮮音ちゃん、言っとくけど徒手空拳に関しては私の十八番だよ? ……ま、いっか。これは死合いじゃないもんね」

「ってことは……お前が私の命を奪えないなら、そんなにビビらなくてもいいんじゃねえか」

「ははっ、ビビってること認めちゃうんだね。命は奪わないけど、五体満足で帰れるかは私の気分次第ってことは忘れずに頼むよ」

 折れた神装を変換。拳のみを覆うことしか出来なくなった神装は、最早腕甲ではなく手甲。

 鮮音の拳を受け止めるキズカの手を振り払い、鮮音は拳を叩き込んだ。

「おお! 結構いいパンチだ! 術とかの補正が無い純粋なケンカなら私負けてるね。そうだなぁ……ボクシングとか向いてるんじゃない? 神術士なんてやめてさ、ボクシング世界チャンピオンを目指そう! 私がセコンドやったげるからさ!」

 軽口を叩きながら、キズカは鮮音の拳を全て受け止めている。

「っ……こっちから願い下げだ!」

 このままでは埒があかないと察し、距離を取った。

 鮮音は腕甲を変換し、刀へ。

「ふむ……この距離ならあれがいいかな」

 キズカは身体を捻り、拳を構えた。

「這って行けぇ!」

 そしてーー全ての勢いを乗せたアッパーが空を打つ。

 同時に、地を這う妖力を感じ取った鮮音が右方への横っ跳びで回避した。しかし、左手に構えた刀の腹は今、鮮音が元居た場所の空中に。

 それを見て、キズカは口角をつり上げた。まるで、狙い通りだと言わんばかりに。

 二度目の砕破音もまた、雨の音がかき消す。

「チェックメイトで王手だ!」

 楽しそうな表情を浮かべて、キズカは飛ぶ矢のように突貫。

 推進で回避しようとした鮮音の肩は靄の腕に掴まれ、身動きが取れない。

「痛いぞ痛いぞー……飛んでけ」

 身体の芯まで響く強烈な蹴りが、鮮音の腰に直撃。その身体は強風に揺られる紙切れのように吹っ飛び、壁へ叩きつけられた。

 空かさずキズカは鮮音の懐へ。同時にその頭を靄の手で掴み、空中に吊り上げる。

「次のはもっと痛いよー。頑張ってねー!」

 意気揚々と、キズカは鮮音の脚に蹴りを叩き込んだ。

 そして、砕いた。

「ひっ…………あっ、ああ……」

 弱々しく漏れる鮮音の声に、嗚咽が混ざる。そして、溢れ出す涙。

 キズカの蹴りは鮮音の脚の骨を砕き、同時に心までも砕いた。

「あはははっ! 痛くて泣いちゃうなんて、鮮音ちゃんも結構かわいいとこあるんだねぇ」

「うっ……くっ……し、静音……」

 無意識に、鮮音は静音を呼んでいた。何故口に出してしまったのかは、鮮音自身でもわからない。ただ、はっきりしていることはーー

「鮮音ちゃんの心の支柱はやーっぱり静音ちゃんか。じゃあ……」

 泣き続ける鮮音を余所に、キズカは歩き出した。その行く先は、静音の遺体が横たわる場所。

「そこら辺が鮮音ちゃんの寝場所には丁度いい」

 そう言って、無抵抗の鮮音の身体を乱雑に放り投げた。その鮮音は、落ち方が悪く硬い地面に頭を打った。

「楽しかったよ、鮮音ちゃんに静音ちゃん。二人の間に幸せが訪れることをずーっと願ってるから」


 ◇


 何故、自分はこんなにも痛い思いをしているのだろうか、という疑問が浮かんでしまった。

 答えは至極簡単。それは、静音の敵討ちのため。

 蹴られたお腹、腰、脚。頭と、そこから流れる血が目に入る。

 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。

 こんなにも痛いのは、いつ振りだろうか。否、初めての経験だろう。

 身体は痛みに悶える。雨に打たれて寒くて、身体が震える。静音を失って、怖くて、更に身体が震えて、心も震える。

 キズカがなにか言っているが、なにも耳に入って来ない。

 視界もぼやけ始めている。

 これ程のことで死ぬとは思いたくはないが、人間は意外と脆い生き物。意外と、もう死ぬのかもしれない。

 不明瞭な視界の中で視線を泳がせてみるとーーそこには静音の姿。

 声が出ているのか、そうでないかなどわからない。けれど、鮮音は、これを問わずにはいられなかった。

「なあ、静音…………私、十分頑張った、よな?」

 静音の表情は暗く、どこまでも深く沈んでしまっている。

「なんも言ってくれないのか……酷いな」

 返答は、無い。

 表情も、身体も、ピクリとも動かない。

 わかってはいるのだ。事実はわかっていても、認められるような心の隙間が無い。

 涙が止まらないのは痛みのせいか、それともーー

「嫌だ……嫌だよ静音」

 声が出ない。それでも、鮮音は心の内で叫ぶ。

「私の……私の元から居なくならないでくれよ静音! ずっとずっと一緒に居たかったのに……居なくなっちゃったら、私はもう……もう……」

 静音の表情を見るとーー笑っていた。

「……えっ?」

 その笑顔を、鮮音はよく知っている。それは、鮮音をバカにしているときに見せる、静音の笑顔。

 その瞬間、鮮音の心を、弾丸が貫いたような衝撃が走った。

 そして、言うべき言葉が浮かび上がる。

「ごめん、静音」

 今度は、はっきりと声に出して。

「私、やるよ」


 ◇


 立ち去ろうとしたキズカ。しかし、雨に濡れた地面を踏みしめるような音に、足を止めざるを得なかった。

「鮮音ちゃん……凄いね、君は」

 右脚を庇うようにして、鮮音は立ち上がった。キズカの方を見ることはなく、ただ天を仰ぐ。

 同時に、装着した腕甲を変換。両手に折れた刀を構えた。そして大きく息を吸いーー

 叫び。

「うわぁお……どうしたんだい急に」

「面倒くさいものを全部吐き出した! んで、お前をぶっ殺すと再認識した! そんだけだッ!」

 気合十分の声音が響く。

 同時に、折れた刀の先から金色の刃が現れた。それは、神力によって形成された、新たな刀である。

「なっ……なんだ、これ」

 鮮音自身、これは想定外のことだった。最後まで戦う、というつもりではいたが、こんな力は鮮音も知る由もない。

「せっかく助けてあげたのに……ま、お望み通り終わらせてあげるよ」

 キズカは地を這う拳を放った。力の動きは速く、すぐに鮮音の元へ。

「っ……なんかわからんが、やるしかないッ!」

 金色の刀を、這う拳目掛けて振るった。剣閃の後に光の粒が舞い飛び、綺麗とすら思える。

 そしてーー衝突。

 同時に、弾けた。

 キズカによる靄の拳は霧散し、鮮音は反動で身体をよろけさせた。

「その反応……もしかして、同ランク? こんな急に強くなるものなのか……? それともなにか……ま、いいや。確かめてみればわかることッ!」

 キズカが前方へ飛び出す。笑顔はそのままに、無邪気な子供のようだ。

「C、蹴の太刀!」

 神力の弧が撃ち出された。光を舞い散らしながら進むそれを見据えたキズカは、拳を振り抜き、靄の拳を打ち放つ。

 衝突ーーそして、霧散。

「やっぱり……そんなもの隠し持ってるなら早く出さないと!静音ちゃんが可哀想じゃないかッ!」

「これは私にもよくわかんねーんだよ! ただなぁ……私は! いつだって静音のために全力だ!」

 一閃の刀

 一打の拳。

 互いが互いを歪め合い、反発する力が新たな力を生み出し、破裂する。

 反動でよろめく二人だがーーすぐさま態勢を立て直し、開幕するのは超近距離での戦闘。

 剣戟の軌跡は光を降らせ、暴れ回る拳の軌跡は靄を生む。

 拳と刀は互いの意思を載せて衝突し、弾け合っては粒子を散らす。

 雨の中で、その空間だけは特別な光の雨が降っているかのように錯覚する程だがーーその実態は、復讐という重い心が生み出す錯覚の美と、悦に浸る心が生み出す狂気の美。

 流麗な戦闘劇は、まるで一つの演目。誰も観客の居ない演目は、予定時間など無く進行する。

 二人の間には優勢も劣勢も無く、拮抗が続いた。攻めては対応され、攻められては対応する、を繰り返してーー鮮音の身体は、限界を超えていた。

 なのに、動ける。

 刀を持つ腕が重い。息切れで苦しく、心臓は最速をキープしてポンプし続ける。

 もっと速く、速くーー

 瞬間、世界がスローモーションに見えた。そして、その目にしかと映り込んだのは、キズカが打つであろう拳の後に生まれる隙。

 確実に避けられる一撃と、今すぐにでも振れるように構えられていた刀。状況と状況が重なり合い、勝利への道を明るく照らす。

 放たれた拳は空気を激しく貫き、旋風を起こす。眼前を過ぎたそれに圧倒され、後ずさりそうになる身体と心をなんとか耐えさせる。

 一瞬の隙を狙い、強く脚を踏みしめて、渾身の一斬を叩き込む。

(貰ったーー)

 だが、それは、失敗に終わる。

 踏みしめた脚に、身体の自由が一瞬効かなくなるほどの激痛が走った。

「あっ……ああ……」

 痛みに声が漏れる。立っていることすら馬鹿馬鹿しいと思えてしまう骨折の痛みが、鮮音を止めた。

 キズカの眼光が鋭く光る。

 同時に、無邪気でありながら、なにより恐ろしい笑顔が映る。それは正しく、逸話上の恐ろしき鬼の笑顔でーー

「とっても残念だけど……ちょっと強くなれた程度でやられる私じゃ、ないよ」

 殴打。

 それも、一撃。たったそれだけで、キズカは鮮音を打ち砕いた。

「かはっ……あっ……」

 鮮音の身体は宙へ投げ出され、そのまま地面を転がった。

 今度こそ、完全に行動不能。戦いは、終ったのだ。この勝敗は誰がどうやっても崩れることはない。覆せるとしたら、神か妖怪くらいのものである。

「まだ……まだ……ぁぁ」

 喘ぐように、声を漏らす。そして、刀を握る手に力を込めた。だがーー金色の刃は、もう消え失せていた。

 その刃は、戦う意思に呼応するようなものではなく、ただの神の気まぐれだったとでもいうのだろうか。

 視界を覆う灰色の地面は冷たく、その景色はなによりも屈辱的。

「お疲れ様、鮮音ちゃん。とーっても楽しかったよ! ありがとね」

 気持ちの込もった礼は、鮮音の心に激しく響く。こんなにも心苦しい礼を、鮮音は経験したことが無かった。

 数秒の沈黙。雨の音だけが聴覚を支配し、執念が繋ぎ止めていた意識を優しく断ち切ろうとするのがわかる。

 朦朧とする意識と、曖昧になっていく視界。

 その中でーー鮮音の前に座り込むキズカが見えた。


「鮮音ちゃん……君は、鬼になれ」


 その言葉が、途切れかけた鮮音の意識を繋ぎ止めた。しかし、その言葉の意味はどう考えてもわからない。

「おそらく……じゃないや。確実に、これから日本は戦火に包まれるよ。小規模でありながら大規模な、矛盾した戦火にね。それには私も巻き込まれるし……鮮音ちゃん、君が今のままでいるのなら、君も巻き込まれるだろうさ」

 言葉を返そうと思う鮮音だが、上手く返す言葉が浮かばずに黙ってしまう。

「その戦火の中で重要なのは術士の存在。君はその中で、一つの駒として動くことになる。でもさ、将棋やチェスの駒のように、全部ぜーんぶ王の言いなりで動く駒じゃあつまらないし、やり甲斐が無い。だから、目的を作ってみてはどうだろう。それも、私を殺して、静音ちゃんの仇を取る、ということ」

 つまるところ、それはキズカの行動の末、それに踊らされているということではないだろうか。

 だが、不覚にもそれは、鮮音の思想と一致してしまう。

「物事に意味を見出すスパイスは必要不可欠。復讐っていうスパイスを持つ君が、私を追いかけて戦場をひた駆ける鬼ごっこ……みたいな。楽しそうじゃない?」

 新しい遊びを思いついた子供のように、楽しそうな語り方をするキズカ。

 その瞳が、焦点の合わない鮮音の視線と重なり合う。

「では、改めてもう一度。復讐の鬼になれ、鮮音」

「……もう、なってるよ」

 キズカには、なんとか聞き取れるほどの声量だった。しかし、鮮音のその言葉には、鮮音の思いが凝縮されている。

「お前を殺すためなら、鬼にでもなんでもなってやる……なってやるよ」

「おぉう……いい眼だ。人殺しの眼だよ。じゃあ約束だね。これから私たちはお友達だ。仲良く楽しく、遊ぼうね」

 そこで、鮮音の意識はまた朦朧とし始めた。

 去っていくキズカ。消え行く鮮音の意識。

 邂逅の終わりを告げる雷が鳴り、それを機に、雨は自然と弱まり始める。

 雨の終わりと同時に、月がその姿を見せ、太陽程では無い月明かりが、雨に濡れた地面を照らし始めた。


<Tobecontinued>

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