六章 追憶
周囲から、褒め称える言葉が飛んで来るのは、鮮音の日常と言っても過言ではなかった。
『スゲーな鮮音! また100点じゃん! どうしたらそんなに出来るんだ?』
「……わかんない。私は、なにもしてないから。それより、皆で遊びに行かないか?」
ただ遊んでいたくて、面倒なことなど無い最高の日々を過ごす。
『鮮音ちゃんすごーい! もうAランクの力が使えるんだね! やっぱり、将来は神術士になるの?』
「……わかんない。そんなことよりさ、前にやったゲーム、またやりたいな」
初めて受けた神力適性テストは、凄い数値が出た。鮮音は、特になんとも思わなかった。
その日を境に、親族は鮮音への見方を変えて来るのだが、鮮音はそれが嫌だった。
その点、学校に来れば皆がいつも通りの視点でこちらを見て、接して、遊んでくれる。
なんでもかんでも卒なくこなし、上に立つことは当たり前。それでいて、皆とずーっと遊んで、楽しく生きている。
そんな、小学六年生の鮮音。
その生活に、少しキツめのスパイスが加わるのは、遊び倒して終わった夏休みの後の話。
◇
鮮音は、いわゆる天才タイプの人間だ。
なにかに対して頑張ることを嫌い、それでいて良い結果を叩き出して来る。
女の子らしく、おしとやかに振る舞うべきなどと言われても、私はそんなこと頑張りたくない、と言って、男勝りーーとまではいかずとも、女の子らしくはなく育ってしまっている。
しかし、鮮音もいつまでも子供ではない。薄々、感じ始めていたことがあった。
このままの生活は、いつまでも続かないだろう、ということ。
だからといって、生活を改める鮮音ではなかった。
夏休みという尊い時間を遊び尽くす。楽しい時間はあっという間に過ぎ、季節は構わず先へと進む。
そして、また退屈な学校ライフが始まるーーなんて、思っていた時だった。
『転校生を紹介します』
波乱が、訪れた。
現れたのは、小学六年生にしては少し大人びた少女。ツインテールという髪型だけはなんとなく少女の雰囲気が出ている。
胸には容姿相応の膨らみがあり、ランドセルを背負っていることが容姿には不相応。
キリッとした表情に、ぴんと正した姿勢。その凛とした態度は、少しばかり触れ難い雰囲気を醸し出すがーーそこからこぼれた笑顔は、どんな花よりも華やか。
「静音です。よろしくお願いします」
透き通るような、それでいてよく通る声。
『静音の席は窓際の一番後ろ。鮮音の隣だ』
その鮮音はーー静音の放つ雰囲気に、関心していた。今まで会ったことも無いような、まったく新しい生物と遭遇したような感覚。
しゃなりしゃなりと歩いて来る静音。目が放せなくてーー視線が重なった。
「よろしくお願いします、鮮音さん」
「……あ、ああ。よろしく」
にこやかに笑う静音に、完全に圧倒されてしまっている。
これが、彼女らの始まりの日。
静音はすぐにクラスの注目の的になった。クラスメイトは静音に目を向けることが増えて、周囲にはいつも誰かが居る。
鮮音は、特に気にせず今まで通りの日々を過ごしていた。
それから数日が過ぎ、算数の授業でテストが行われることになった。
簡単な問題が多く、満点は堅いと踏んで適当に挑む。面倒な過程を好まない鮮音は、筆算して丁寧に解くことをできる限りせず暗算を多用する。
そして、結果は96点。
小さな計算ミスが祟り、二問落としてしまったのだ。
(まあ、この程度なら……)
不意に隣へ視線を投げる。そこには、機嫌の良さそうな静音。彼女が落とす視線の先には、満点のテスト。
「ま、負けた……」
それを心の声だと思っていた鮮音は、自分が声に出してしまっていることに気がついていない。
「負け……? ああ、テストの点のことね。これはマグレみたいなものだから、別に気にしなくていいわよ」
「……べ、別に気にしてないやい」
そっぽを向く鮮音。それを見て、静音はクスクスと笑った。
「鮮音さんってそういうの気にしそうだと思ってたけど、やっぱりそうなのね。なんか男の子みたい」
「気にしてないって言ってるだろ! それに、私は女だし……」
自分が笑われている筈なのに、何故だかそれは鼻につくような態度で無い。
一見クールで触れ難い雰囲気は、実際に触れてみるとまた違うものにも見える。不思議と惹かれる魅力が、彼女にはあった。
そして、それに飲み込まれないようにしている自分があることに、鮮音は気づいていない。
神力をどれだけ扱えるか、ということに関する技量は、成長期に変動しやすい。
そのため、小学校高学年以降になると年に三回、春夏秋に神術のランク測定を行う。
今回の測定は静音も受けるわけでーー
『えーっ!? 静音ちゃんもAランクなの!?』
鮮音がAランク相当なのは皆が知っていることだが、静音までそうだとなればクラスは湧く。
しかし、静音はクラスの者たちを軽くあしらい、鮮音の元に来た。
この頃、静音は鮮音に絡んでくることが着実に増えている。もちろん、鮮音はそれを良いことだとは思っていない。
「鮮音さんもAランクなんだよね! ちょっと見せて……」
測定結果の書かれた用紙を取られ、静音は自分のものと見比べ始めた。
「ふむふむ……基礎の値がぴったり同じなのね。でも応用力の値は私の方が上……」
「だーっ! なんで静音はいつも私の上を行くんだ!」
何度か絡んでみて、鮮音は静音がどんな人間なのかがわかってきた。
そのクールな見た目とは裏腹に、中身は年端のいかない少女。
仲良くなろうと思えば、それは容易なことだ。しかし、鮮音は彼女に対して気に入らないことがあった。
静音が来て以来、鮮音は様々なことで静音に僅差で負けている。
例えばテストの点。勝ち負けという概念のない世界ではあるが、なんだかんだで人は比べ合ってしまうもの。
数日前の漢字小テスト、鮮音は一問だけ間違えてしまった。しかし、静音は全問正解。
この時も、静音は煽るように鮮音の上であることを告げてきた。
そういうの気にするのね、などと言っていた割には、彼女も結構気にしているのだ。
このまま負け続けているのは、鮮音もなんだか気分が悪い。いずれ、勝たねばならないと決意を固める鮮音であった。
それからまた数日が経ちーー体育の授業。
この日から行われる種目は陸上。そして、百メートル走のタイムを測るのが最初の授業では通例だという。
クラスの者たちが面倒だ、などと言葉を漏らすのに対して、一人闘志を燃やしている者が居た。
鮮音である。
この百メートル走、二人づつタイムを測るのだが、その時は誰とペアで走ってもよいことになっている。
鮮音は、真っ先にあるクラスメイトの元へ向かった。それは、体操服姿が少し性的なクラスメイト。静音である。
「静音……」
「鮮音さん……わかったわ」
言葉は無くとも、二人は通じ合っていた。これまでの経験が、二人の間に必要最低限のやり取りをカットさせているのだ。
そして、スタートラインに立った。
緊張は高まるが、二人は互いに笑みをこぼしていた。
『よーい、スタート!』
風を切って、二人は駆け出した。
鮮音の走り出しは順調。スタートダッシュの差で二人の距離には小さな差が生じる。
しかし、静音は徐々にスピードを速めてきた。そして、スタミナの無い鮮音はトップスピードを維持出来ず、少しづつ速度を落とし始める。
終盤になる頃には二人の差はほぼ無くなった。鮮音は横へちらりと視線を向ける。すると、そこには走ることでアクティブに揺れる静音の胸が、圧倒的な存在感を持ってその周囲の空気を蹂躙していた。
(おっぱいで……既に負けてるじゃないか!)
雑念は捨てきれずーーゴール。
結果は僅差。走っていた鮮音からではどちらが速かったかわからない。
「先生! どっちが速かった!?」
『んーとね、鮮音の方が0.2秒差で速かったかな』
それを聞いた瞬間、鮮音は歓喜のガッツポーズをしてみせた。
「負けちゃった……鮮音さん、運動も結構出来るのね」
「鮮音、でいいよ」
「……?」
「だから、鮮音さんじゃなくて、呼び捨てにしてくれってこと。あと、今のはマグレみたいなもんだから、気にしなくていいぞ」
二人は、互いを讃える視線を交わし合い、同時に心の距離を縮めた。
勝負の後は互いを認め合いたくなる、というものだ。今はその補正がかかって二人の関係は縮まっていると言っても過言ではない。
それなら、いつか二人は途切れてしまうのかもしれないーーが、そんなことは誰にもわからない。
ただ、これまでの出来事こそが、鮮音と静音の馴れ初め。
◇
それから二人はーー
『鮮音ーッ!』
誰かに呼ばれた気がした。それも、聞き覚えがある声。
『起きなさい! 鮮音!』
その時、頭に強烈な痛みが走りーー視界が明転。
よく見知った、学校の教室風景が見える。
既に教室には人の姿は無く、黒板にはなにも書かれていない。時計の針は放課後の時間を示していた。
どうやら、寝ていたらしい。
大きな欠伸をしながら、
「おはよ、静音」
朝のあいさつを告げる。だが、時刻は既にこんにちはの時刻である。
「いつまで寝てるの? もう放課後じゃない。早く帰るわよ」
「…………なんか、夢見てた」
「夢って……どんな夢?」
「昔のことそっくりそのまんまの夢。私と静音が最初に会ったときの」
「あー……あの頃ね。あの頃は鮮音もまだ可愛かったっけ……」
何処を見据えて感慨に耽る静音の物言いに、鮮音は頬を膨れさせた。
「……今が可愛くないみたいな言い方だな」
「当たり前でしょう。私から言わせれば、あなたはもう女というより男の娘ね」
「はあ……私にはちゃんと胸もあるし、なんもついてないぞ」
「そういうこと平気で言っちゃうから男なの」
そう言うと、静音は後方へ身体を向けた。そしてーー
「あと、貧相なおっぱいを引き合いに出さないことね!」
声高に告げながら、勢い良く踵を返す。同時に鮮音の貧相な胸を指差しながら、勢いに乗った静音の胸が揺れた。
「くっ……これでも真っ平らな奴よりはあるぞ。あと無駄に揺らすな!」
「私のと比べたときの話をしてるのよ。下の人を見下すよりも、上を見て精進するべきだと思うけど?」
とっくに成長期を過ぎてしまった鮮音には、そのアドバイスは完全に無意味である。
「ぐぬぬ……やめだやめ。こんな不毛な話をしてても仕方ないだろ」
「ふふ、それもそうね」
二人は教室を後にし、夕陽が差し込む廊下を歩く。
橙色をぶちまけたような空を見て、鮮音は数日前のことを思い出した。
火の雨が降ったあの日。断ち切った炎の色と夕焼けの色が被って見える。
あの日から、神術士を取り巻く環境は変わった。魔術士という存在が世界から日本へと飛んできたというのだ。
日本は国中の空港機能を閉鎖。しかし、選挙された空港には手を出すことが出来ず、それを制圧することを目標に、今は外に出て来る魔術士を叩く日々。
鮮音たちの仕事はそう多くないのだが、常に人々が狙われ、いつ戦いになるかわからないという環境というのは心に来るものがある。
だからこそ、普段の生活で心身を癒しているわけだが。
「……何日か前の戦い、私が居なかったら静音はどうなってただろうな」
不敵な笑みを浮かべて鮮音は言った。
「くっ……それを引き合いに出して来るなんて。ズルいじゃない……」
「そういえば、感謝の言葉をまだ貰ってない気がするなぁ。静音さん、命の恩人になにかないのかね?」
「鮮音が居なくても命になにかあるようなことは無かっただろうし、全部終わらせたのはあのローリエっていう妖術士でしょう? ……でも」
頬を赤らめて、静音は無防備な鮮音を後ろから抱き寄せた。
「ありがと」
「…………スキンシップが過ぎるんじゃないか」
そう言う鮮音も、満更でもない様子。
「女の子同士だからなにも問題ないわ。それに、なんかこうしたくなっただけよ」
「こんな時だけ女の子扱いかよ……」
呆れ果てたのか、それとも他の感情を抱いているのか。鮮音は顔を下に向けて押し黙った。その頬は、赤く染まっている。
二人だけの空間は、触れられず、近づくことすら不可能。通じ合った二人だけが制御出来る、絶対領域。
「……鮮音、今日、一緒に居てくれる?」
「ごめん、今日は用事があるから。でも、すぐ戻るよ。本当に、急いで帰るから」
「……なら許す」
身体を放して、二人はまた歩き出した。
何故だか誰も居ない校舎を歩く二人。次第に距離が縮まりーー手が触れ合った。
そして、行き場を無くした気まずい手と手は、繋がった。
終始無言。しかし、手を繋いで二人は歩く。
そして、別れ道に辿り着いた。
「じゃあ、また後でね」
「ああ……静音、誕生日おめでとう」
言い残して、鮮音は駆けて行った。
鮮音の行く道の空には、橙色を垂らしたような、沈みそうな夕焼けが。
静音の行く道の空には、深い暗雲が立ち込めていた。
<Tobecontinued>