二十四章 鬼さんどちら
連載再開からここに至るまで、キズカの一人称を間違えていました。ごめんねキズカ
己の内より響く声が己のものでないことは、鮮音にとって自明の理。なぜなら、その声を鮮音はよく知っていたから。
――キズカ、なのか。
このようにすれば、声が帰って来る。麻薬中毒者はこんな症状と常に戦っているのではないかと夢想する――いわゆる、幻聴。そうであるならば、薬を貰うかしっかり休むかすれば良い話なのだが。
『時は満ちた。いや、私の時は満ちた。鮮音ちゃんの方はどうかな?』
人をあざけるようなその声色は、どう聞いてもキズカのもので。鮮音の耳にこびりついて離れず、耳にすれば否が応でも体が反応する声音。
現在鮮音は、響歌と共に神術士本部を出て家への帰路についていた。隣の彼女に動揺を悟られまいと努めているものの、表情にはわずかな翳り。今でこそ響歌は気付いていないものの、注視されれば気にかけられるのは時間の問題だろう。
『おーい、私の質問に答えてよ。つれないなぁ、私たちの仲じゃあないか。もう少し会話をしようよ、あの雨の夜以来……というか、私たちの邂逅はあの日だったね』
――うるせえぞ。
『おーこわ! それにしては、不安そうなお顔をしているね』
まさか、見られている。周囲に目をやるが、キズカの姿は視認できない。あるとすれば、高層の建物から覗いているか、特殊な能力を用いているか。
――お前を見ているぞ、とでも言いたげだな。
『ああそうとも、鮮音ちゃんを見ているよ。キミからも頑張れば見えるんじゃないかな? おーい! 今手を振ってるよ。見つけてみて』
殺したいほど憎い相手。しかし、彼女の言動は妙に浮ついていて、常に緊張感に欠ける。今すぐにでも黙らせたいが、黙れと言って黙るような女でないことはここまでの言動から察せられる。
「……鮮音、顔が怖い」
いつのまにか、響歌がこちらを向いていた。思わず「うぇ」と声を漏らしながら、笑顔を作らんと顔の筋肉を駆動させる。しかし笑顔作りなど慣れない鮮音では、わざとらしい引きつり笑顔が限界であった。
「はぁ……やっぱ大丈夫じゃないんだ。それとも、なんか心配ごと?」
「いや、そんなことは」
脳裏ではキズカの笑い声が響く。目の前では響歌の懐疑的な視線。二人の女に板挟みにされ、鮮音はどうにもできず――ため息。誰か助けてくれと心で念じると、
『いやあ、それは私でも助けらんないよ』
と返って来る。お前には言ってない、と念じればまたキズカがなにやら言いそうな予感。心の中で言論統制を敷かれた鮮音は、もう考えることすら放棄したい想いにかられ、再度のため息をつく。
「ため息つくと幸せ逃げるよ?」
『ため息ついてると幸せ逃げちゃうよお?』
――同時に言うな。
響歌には「今めちゃくちゃ一人でメシが食いたい!」とありえない程雑な言い訳をして、なんとか分かれることに成功した。いつまでも板挟みでは、どちらに対しても対応がおろそかになってしまう。
『ねえねえ、もう少しマトモな言い訳があったんじゃないの? カノジョさんかわいそうだ』
――誰のせいだと思ってる! もとはと言えば、てめえが声かけてきたからで。
『あ、そこのラーメン屋さん美味しそう! 後で行ってみようかな~』
――人の話を聞け! てめえ、一体。
『ごめんごめん。こうでもしないと、二人きりにはなれないかなと思って。だって二人、べったりなんだもん。足りないものをお互いで埋め合ってるみたいに、さ』
キズカの声音は、徐々に温度を下げていく。浮ついたような態度はそのままに、温度だけが、急降下を始める。
『鬼にはなれたかい? フィメルくんと戦ったって聞いたけど』
――知るか。てめえみてえなクソ鬼になるつもりはねえ。
『人は誰しも心に鬼を飼っている。鮮音ちゃん、キミの中にもそれは居る。それを、檻から解放してあげるんだ』
――さっぱり意味がわからねえ。それよか、なぜてめえはわたしと喋ってる。つか、どうやって喋ってる。
『質問は一つずつにしてくれないかなあ。じゃあ後者から答えよっか。これはね、鮮音ちゃんの神力と私の妖力で対話してる。ドゥーユ―アンダスタン?』
――少なくとも、わたしの知る能力にテレパシーはない。そういう能力者はいるのかもしんねえが。
人間が有する神の力、妖怪の力を、装備が引き出す。これこそが、術士たちにとっての常識。装備を欠いた今の鮮音が、こうして「力を使って」なにかしているという事実が、既に常識からかけ離れているのだ。
繁華街を歩き回りつつ、時々鮮音は周囲を見渡す。所々に立ち並ぶ高層ビルのどれかからか、キズカはこちらを見ているかもしれない。相手の位置が未確認である状況は、圧倒的に不利だ。しかし、見つかりそうにないのが現実。
『もうお忘れかな。キミは私の前で、埒外の力を発揮したじゃないか。私のはまだ、見せたことないけどさ』
思い出される記憶――思い出したくない記憶。神装より出でし光の刃は、わずかな時のみキズカへの抵抗を可能にした。それに関してなにかわかったかもしれない、という連絡が優機から来ていた気がするが、まだ確認はしていない。
――それで、わたしの質問にはちゃんと答えてくれんだろうな。
『もちろんだとも。私たちはね、鮮音ちゃん。どうしようもなく、特別なのさ。偶然、本当の偶然にね』
――答えになってねえ。
『答えになってるんだよ、これが。偶然にも、他の面々と違う力を持っちゃっただけ。たったそれだけなんだ。ま、携帯で通話をかけるほど簡単なものじゃないけどね。通話料がかからないのがいいところさ』
自分が特別である。そうと告げられたところで、はいそうですかと頷ける鮮音ではない。だが、今キズカと通じているということが、なによりの証拠であるのもまた事実。自分に問うたところで満足いく回答は得られず、キズカに聞いてもこんな感じ。
優機に聞くのが最短ルートに思えるが、彼女は機械専門。神の力を扱う者とあいえ、鮮音が遭遇しているケースにも対応できるとは限らない。
『わかってもらえたかな? よければ、前者の質問に答えようと思うけど』
――なんでもいい。さっさと答えろ。
はらわたが煮えくりかえるような怒りを抱いてもいい筈なのだが、調子が狂わされてばかりである。イニシアチブを取られた今、鮮音としては、有用に相手を喋らす方法を模索するのがベターな選択と言えた。
結局、キズカの姿は見つかりそうにない。人通りが増えて来た町中、鮮音はただただ歩き続ける。なにを求めるでもなく、青になった信号の横断歩道へ進む。
『決闘を申し込む』
徘徊を続けた鮮音の足は、横断歩道の真ん中で制止。後ろを歩いて来た人が、突然の制止に驚いて彼女を避けた。点滅を開始する信号。駆け足で反対車線へと向かうが、到着の直前で信号は赤に変わった。車が動き出すより前に、歩道に立つ。
『言ったよね? 私の機は熟した。いや、正確にはまだなのかもしれないけど、肌感覚でわかるんだ。生まれたヒナはいつしかニワトリになる。私も鮮音ちゃんもまだヒナ。でも私は、そろそろ成る』
例え話を持ち込まれたとて、理解に至れるかといえば否。そもそも鮮音にとっては、己が「特別なヒナ」であるという認識からして、未だ判然としていないのだ。
――決闘は罪だぜ。
『アレは双方の同意があることで初めて犯罪になるよね? 鮮音ちゃんはまだ同意してないし、てか犯罪とかもう関係ないとこまで私らは来ちゃってるよね』
ややおふざけに走ってみたものの、すぐさま論破され、鮮音は頬を淡く染めてそっぽを――キズカの方角の反対を、向く。
その時、自分の向いた方向がなぜ「キズカの反対」と悟れたのか。己の中に懐疑の芽が顔を出す。この方角に、キズカが居る――半ば意味不明な確信の元振り向いた先。六階建てのマンションが、高さ的に唯一目立つ建物。
――そこに、いるのか?
『私が来たことで触発されたのかな? やった! いい傾向だよぉ、私はこれを求めて来たんだ。本当は鮮音ちゃんが成長しきるのを待ちたかったんだけどさ、私にもいくらか都合ってヤツがあってね。待ちきれない……というか、抑えきれなくなっちゃったんだよ』
最早、聞いて、かみ砕くほかなかった。キズカは秘密を知っている。鮮音はなにも知らない。なれば、知る者から得るしか、知識を得る方法はないのだから。
『キミと私は……いや、ちょっと違うのかな、まあいいや。惹かれあう運命。ゆえに相対すれば、その力は増すはずなんだ。すべてを出し切ることが、出来るようになる』
――わたしは、そんなの臨んじゃいねえ。
『臨むと臨まざるとに関わらず、時は来る』
――お前、誰だ。
直感。鮮音の中で、告げていた。会話の相手が、途中からすげ代わっている。同じキズカの声であれ、内包するなにかが違う。具体的なことは言葉にできない「なにか」が。
沈黙がやって来て、鮮音もまた無心になる。相手の返答なくして、こちらはなにも言うことができない。
『言ったでしょ? 私は、抑えきれなくなってきてるって』
キズカは、鮮音と戦いに来た。それは、静音を巡ったあの雨の日とはまるで違う。運命の糸によって引き合わされてしまった二人が、成されなければならない形で執り行う儀式。神と妖の力がはびこるこの世界が、二人を結びつけた。
彼女を殺したい自分と、実力に不安を抱くゆえに戦いを避けたい自分。対極の想いを抱きながら、鮮音は相手の言葉を待った。相手がどう出るか。それ次第で、自分の動き方も変わってくる。
だが、待つだけで、いいのか?
脳裏をよぎる、静音の散り際。
覚悟を決める――臨まねば、勝ち取れない。
――来いよ、どっからでも。
『あー、ごめん、お腹空いたしシャワー浴びたい。また後で連絡するよ』
「は? おい待て!」
思わず声に出していた。周囲の視線がちらちらと鮮音に向かう。そして、キズカからの返答はなかった。
それから、鮮音は彼女の気配を感じたマンションの方へ直行。辺りを歩き回ってみた。しかし、その姿は見当たらない。ならばさっきのラーメン屋かと思い至り、今度は走って向かう。しかし、キズカの姿はなかった。ついでに食べたラーメンは美味かった。
ラーメン屋で待てば来るかとも思ったが、ラーメン屋というのは長く居座るタイプの店ではない。食事を終えた鮮音は、仕方なく家路につくことにした。
「……覚悟し損じゃねえか」
◇
「……で、なんであたしの前にいんだ?」
街中を歩いていたカリナは、探していた人物との思わぬ遭遇に、首を傾げる。次いで、頭を抱えた。
「お腹空いた。あとシャワー貸して」
カリナとしては、もっと壮絶な場面での再会になると踏んでいた。それゆえ、別れの際とまったく同じ格好での再会は、やや拍子抜けと言えた。
「……シャワーが先だな。仕方ねえ、タクシー拾うか」
二人は大通りに出てタクシーを拾い、カリナのマンション方面を行先に告げる。座席に収まったキズカは、物ほし気に遠くを見つめている。なにかをやり残してきたようとも、欲しいものを買い与えられなかった子供のようにも見えた。
「お目当ての人物には会えたのかい?」
「まあねえ。あんなに喋ったのは初めて。鮮音ちゃん、やっぱり面白い子だった」
「じゃあどうしてあたしのとこ戻ってきた? 遊んでくりゃよかったじゃねえか」
「……鮮音ちゃん、私と話してるとき、時々他のところを見てるんだ。私たちの対話にも限界はあるから相手の考え全部はわかんないんだけどさ」
「それが理由?」
「あ、普通にお腹は空いてる。あと、決闘にドレスコードは必要かなって」
空を見やるアンニュイな面持ちーーカリナはクスリと笑みをこぼす。
鮮音とキズカの邂逅を知るカリナとしては、鮮音の思うところーー静音のことは、察せられる。ゆえに、キズカの思考を察することも容易。
「ふふっ、ジェラシーってやつか? かわいいとこあんじゃねえか。で、今夜にでもやりにいくのか」
「うん、今夜のつもり」
「そっか。じゃあ……メシはカツ丼にすっか! 美味い店調べて行くぞ!」
「私そんなにお金持ってないけど」
「んなことわかってるわ。今日くらい、あたしが奢ってやるよ」
タクシーの運転手的には、なんだかわからないことを喋っているな、という印象しか抱けない。偶然にも、そんな会話が繰り広げられる車内。タクシーは、二人の帰る場所へと迫りつつある。
〈つづく〉
いつも活動報告にあげてた次回予告をのせます
渇望は牙を生む。牙は望まぬ意思をも屹立させ、時は必定の下に流れ出す。
流るる涙は、誰がために。
次回「私闘」