二十三章 神は黙して語らず
「異常ありません」
という診断を受け、頭痛を訴えた鮮音はほっと胸をなで下ろす。聞こえて来た謎の声も、幻聴かなにかだと判断するほかなく。とりあえず安静にしておくしか道はないという結論に至った。
医務室を出ると「鮮音!」とでかい声の歓迎。付き添いに来て、外で待機していた響歌の声は、廊下を歩く人々をちらほら振り向かせるほどであった。
「鮮音、大丈夫だった? ケガとか? 大きい病気とかじゃないよね?」
「心配しすぎ。とりあえず異常はないけど、安静にしてろってさ」
響歌も一息。しかし、その心配が杞憂ではないかもしれない。そう感じている鮮音が居るのも、また一つの事実であった。
過去、フィメルと戦った際。鮮音の脳裏に一度声が響いた。邁華との模擬戦後に聞こえたものと、まったく同じような聞こえ方で。状況は違えど感覚はまったく同じという事象に対し、無関心でいられるほど鮮音も愚鈍ではない。考えて結論が出るわけでもないので、流れのままに任せるしかないのだが。
「いや、心配もするよ~。だって鮮音、めちゃくちゃ苦しそうにしてたよ?」
「そんなに? わたしとしちゃそんなでもなかったんだけど……」
「うーん、ずっとってわけでもなくて。でも一瞬だけちらっと見えたの、苦悶の表情って感じのがさ」
当の本人としては自覚症状はなく、当惑が広がるばかり。しかし、彼女が見たという事実がある限り、それは本当にあったのだろう。己の中にある「声」への猜疑心は高まり続けていく。
「あれ、鮮音ちゃん?」
その時、声がかかる――想起される記憶。
振り向いた先にいたのは、見知った顔。内巻きボブの髪や長身が、大人びた雰囲気を醸し出す。鮮音はつい、その女性の右腕を見やってしまう。その手は、漆黒の手袋に包まれていた。
「綾さん……」
「久しぶり。元気してた……って、明らかに医務室から出てきたとこじゃんね。なにかあったの?」
綾は、空港制圧戦に際して、鮮音の部隊で共に戦った神術士だ。作戦行動で別行動を取った際、綾はフィメルと遭遇。鮮音が駆けつけるまで奮戦するも、彼女は右腕を失う重傷を負った。
「なにかってほどじゃ。それより綾さん、腕は」
取り繕うような笑顔――外される手袋。そこに手がある、という事実が、彼女の顛末を物語っていた。
「義手。まあ、仕方ないよね」
「……綾さん、わたしがもっと早く駆けつけられれば」
「やめて」
俯く綾の声音は、冷たい。彼女の右手が、わずかに震えながら握りしめられるのを、鮮音は見ていた。
響歌に至っては状況が掴めず黙って見守ることしかできない。その面持ちは、不安げに影を落とす。
「鮮音ちゃんに……年下に謝られるってことはさ、鮮音ちゃんに責任があるってことになっちゃうじゃん? でも、それは違うから。戦うってことは、リスク背負うってこと。その責任持つのは、鮮音ちゃんじゃない」
「大人ですね、綾さんは」
「戦場で、大人も子供も関係ない。みんな平等だし、だからこそ、強くなんなきゃって思うんだ。一応、これでも才能はないわけじゃないみたいだからさ」
自然な笑顔を浮かべて、彼女は言葉を連ねる。それができることの強さを、鮮音は知っている。今、身を以て、目の前の存在を通して実感させられている。
綾はBランク術士で、Aランクへの昇格の話が出ていた。しかし、今回の件を経て、彼女の戦闘能力は著しく低下する。昇格が遠のくことは必至であった。
鮮音は口を開けない。その代わり、拳を強く握りしめる。そして、綾と目を合わせ、逸らさない。
「いい目だ。鮮音ちゃん、助けてくれてありがとう。あたし、あのままだったら確実に死んでた。お互い、強くなろうね」
「はい、綾さん」
「いつか、あたしが鮮音ちゃんを助けるよ」
そう言い残して、綾は去っていった。少し離れたところで軽く振り向き、小さく手を振ってくる。彼女の気さくな性格が感じられる去り際だった。
「……えっと」
「ああ、ごめん響歌。放置しちゃって」
「いやいや。なんか大事そうな雰囲気だし、部外者が口出しちゃダメでしょ。行こ」
響歌が歩き出すと共に、歩調を合わせて鮮音も進みだす。わずかにスピードを速めて、鮮音が先行する。
――強くなりたい、誰よりも。
幾度の喪失を経験したからこそ、鮮音は、失いたくないという想いを発露させる――否、強制的に、向き合わされることとなる。そうでなくては、失意の業火に己が焼かれるのみ。まずは、周りのものを守れるくらいの自分に。
『わかる~。強くなりたいよねぇ』
既知の声音が、反応を返した。鮮音は一瞬歩みを止めかけて、再開。響歌に怪しまれないように平生を保ち続ける。隠す必要などこれっぽっちもないのだが、反射的に隠そうとしていた。
『……誰なんだよ、お前』
頭の中で独りごちるかのごときつぶやき。それが会話の方法であると、知らず知らずの内に理解していた。
思考の中で、冷風が吹き抜ける。鋭敏な感覚を斬りつけてくるようなその冷たさがすべて幻覚であると知っても、鮮音は身震いした。
『私だよ』
この震えは武者震いだ。己にしかと、いい聞かす。
◇
白衣の裾をなびかせて、幼げな風貌の女は神術士本部内の廊下を行く。光源にあてられ輝くブルーフレームのメガネは、知的な印象を抱かせるがその実伊達メガネ。ショートの金髪は、頭頂部の辺りで一束ぴょんと跳ねて存在を主張している。
Sランク神術士、優機。神装など、機械類に強い彼女は、この日より新たな業務に就くことになっている。
階段を降り、地下へ。しかと照らされた廊下を抜けて、「解析室」とある両開きドアの前へ。
「たのもー!」
勢いよくドアを開く。壁際に並んだコンピュータ前に座す解析員たちの瞳が、一斉に優機の方へ集中。静謐にあった部屋の中で、彼女は一瞬にして異彩を放つ存在と化した。
薄暗い部屋の中央に円筒型の機器が配され、その上には鮮音の神装である刀が二本。そこから、壁際のコンピュータにつながる配線がタコ足のごとく絡まり這う。それを通して、解析データが送られる仕組みとなっている機器だ。
そして部屋の奥には、時代に取り残されたかのごとくある、木造の祭壇が鎮座している。神道の形式に則り、材質にまでこだわった一級の祭壇。
「おい優機、うるさいわよ」
右方よりかかる声は、聞きなれた姉御肌を感じさせる。だが振り向くと、予想外な光景が視界に広がった。
「……秘李さん? その恰好は」
そこに居で立つは、神術士局長たる秘李の姿であった。いつもはラフな格好の彼女だが、今日ばかりは、純白にして清潔感と神聖さを併せ持つ浄衣に身を包んでいる。
「あたしが、今日の祝詞担当よ」
「秘李さん、その権限持ってるんですか? 一応神職ですよ?」
「あたしを誰だと思ってんの。局長よ? てか、開発室長になるあんたが神職資格持ってない方がどうかしてるわ」
優機の名札には「第二開発室長」の文字が並んでいる。彼女はSランク神術士として戦ってきたが、その戦闘は、彼女自身の技術によって魔改造を成された神装によるもの。かねてより、その技術力は他にも転用可能なのでは、という話が持ち上がっていたのだ。
「いやあ、資格取得はプロセスに時間がかかるじゃないスか。無駄な時間は極力……あ、無駄とか言っちゃダメっスね」
ぽろりと漏れた優機の本音に、秘李は呆れてため息しか出ない。往々にして、技術屋とはこういうものか、と割り切るしかないのだが。
「もう遅いっての。さっさと始めるわよ」
神の力を扱うに際して、根源たる神に敬意を払うのは当然のこと。開発事業に際しても、エネルギー等々を取り扱うに際しては儀式を執り行うのが習わしとなっている。今回はスタンダードかつスピーディな内容で、神職資格を持つ者が祝詞を読み上げるというもの。
折りたたまれた祝詞用紙が音を立てて開かれる。秘李は一度深く息を吸い、吐く。周囲の空気がピンと張り詰める。これより始まるは、神の御力に触れ、その中身を探らんとする訪問行為。礼を失することは、断じて許されない。
「こほん…………。高天原に神留坐す、神漏岐、神漏美の命以て、皇親神伊邪那岐乃大神――」
朗々と読み上げられていく祝詞。周囲の面々は静粛を重んじ、祭壇の方へ手を合わせ祈る。もちろん優機もしかと手を合わせ、他と同調する。その実、彼女の中身は研究欲求ではちきれんばかりになっていること請け合いだが。
「筑紫の日向の橘の、小門阿波岐原に、禊祓給ふ時に、生坐せる、祓戸の大神等――」
秘李の読み上げるそれは『天津祝詞』と呼ばれる祝詞。罪や穢れを払うに際して読み上げられるこの祝詞は、古事記の内容を記した文章である。イザナギの神が関わった国生み、黄泉の国、筑紫の阿波岐原での祓をピックアップ。イザナギの祓に際して生まれた神々の中の「祓戸大神」のように、罪や穢れを祓ってくださいと願うものだ。
「諸々の禍事罪穢を、祓へ給ひ、清め給ふと、申す事の由を、天津神、地津神、八百万神等共に、聞こし食せと、畏み畏みも白す」
完読――それに合わせて、訪れる静謐。秘李は祝詞用紙をしまい込み、優機の元へ戻った。いざ出番と、優機は白衣の袖をなびかせ一歩前へ。
「えーと、今日は残り三割の解析。それが終わったら会議室に移動して、クリエイティブな話に移る予定ッス。異論ある方、創造性を爆発させたい方いたら手を上げてください。なければ作業開始で」
しんと静まり返る室内。一拍置いて、それぞれが作業に映るべくコンピュータ群へと向き直った。
優機が担当する第二開発室は、従来の神装をアップデートすることを目的に作られた部署である。ピーキーな性能を有する優機の発想を軸に、それを扱いやすい武装とするための人員、そこから汎用化を目指す要因等々を集めた、まだ走り始めの変わり者集団。
本来、神装の解析等々は、クリエイティブ思考である第二の担当ではない。だが、鮮音の神装が発揮した想定外の性能のことを聞きつけた第二の面々。彼らはそういった話題に目ざとく反応する。一度解析は済んだのだが、第二は再解析をすると聞かなかった。そして、今に至る。
「で、なにか結果は得られそうなの?」
問われ、ふむ、とつぶやく優機。その手には、どこからでなく現れたタブレット端末が。なにやらデータ類をところせましと画面に表示している。
「基本的には、前の解析で出たことと変わりないッスね。まあ設備が変わりないんで。ただ、ウチらは解析のプロセスを見てなかったっスから。より詳細なデータと発展させた解析を経て、新たな推論を立てることくらいは可能ッス」
推論を立てたところで、結果が出なくては同じなのでは、と秘李は思いかけるが、自分は技術屋ではないことに思い至る。専門でない者がどう考えたところで、専門には敵わない。考えるだけ無駄である。
「まず損傷データなんスけど、戦闘で鮮音ちゃんの神装はぼっきり。でも、そこから新たな光の刃が出て、応戦したと」
「そこまではあたしも知ってるわ。でも、その、光の刃? のデータは取れなかったんでしょ?」
「はい。というか、解析不可能だった、と言う方が正しいっスね。ウチで開発したデータはすべてアーカイブにあるっスから、そこと照らし合わせて出ないってのはどうもおかしい。そこで」
「ちょ、ちょい待った。解析不可能で、鮮音の扱いをどうするか決める、で終わりじゃないの?」
「秘李さん、ちゃんと報告書読んでないっスね? ま、その先を見るのがウチらの仕事。神装に、折れたとき光の刃を出すなんて機能はないんス。また、それらしいことを記した記録もアーカイブには存在しない。となれば、神装に対しなんらかの外部出力による変換が行われたと見るのがベターっス」
秘李の中に、ある単語が浮かぶ――降り人。神をその身に宿すという、人智を越えた存在。鮮音の武器を解析した結果、鮮音が降り人である可能性が浮上したのだ。まだ確定事項ではない上、彼女の正体を探るための方法すら未だ手探りな現状。この件に関する発展は先になると思われていたのだが。
「その外部出力がなんなのか。解析不能と出たからこそ外部出力とわかったっスけど、なにかおかしくないっすか?」
「なにがおかしいっての? いや、おかしいことだらけだけど」
「なんで神の名前が出ないんスか」
盲点であった。優機の指摘に、思わず息を飲む秘李。
神力による、まったく新しい神装へのアプローチという例外事項に、神術士たちは兎角を見たような気分になったのだ。神力は神装が引き出すもの、という固定観念を覆したのだから。
「神力は神のエネルギー。その源泉には、由来となった神があるっス。鮮音ちゃんの神装なら、剣の神であるタケミカヅチの名前とかが出るはず。でも、なにも出なかった」
大きな疑問の前には、些細なことがどうでもよく感じられることは往々にしてある。だが、その些細を、彼女らは見逃さない。
「鮮音ちゃんの扱った出どころ不明の神力はもう霧散しちゃったんスけど、一度目の解析時点ではわずかに残ってたっつー証言があるんス。あ、前の解析担当の人のっスよ。じゃあ、解析不可能な神力って、なんなんスかね?」
聞かれたところで、答えの出る問題ではない。これは優機の自問であり、自答することもできず、誰も答える者のない問い。
「我々の預かり知らないところで、カテゴライズ不可能の新しい神が、鮮音ちゃんに宿ってるかもしれないっス」
すべては、神のみぞ知る。
〈つづく〉
感想が欲しい。来なくても書き続けますが…