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神妖クルセイド  作者: いかろす
-神鬼邂逅ノ章-
19/32

十七章 可憐さに震える-後編-

 こんな人間と自分は戦わなければならないのか、と綾は途方に暮れる。

 しかし、立ち向かわなければなにをされるかもわからない。なにも出来ないまま命を取られることだって無いとは言えないのだ。

「こ……怖くなんか、ないよ。強いて言うなら、フィメルちゃんの可愛さが怖いかな」

 引きつった笑みを浮かべて、綾は精一杯強がった。こうでもしなければ、立ち上がるための強さを保てない。

 目の前の、人間なのかもわからない奴が怖くても、自分の力に自信が無くなっても、下着が濡れて気持ち悪くても、立ち上がらなければ始まらない。

 足に力を込めて、今こそーー立ち上がれなかった。

 案外、脳よりも身体の方が事を理解しているのかもしれない。例えば、立ち上がっても後悔するだけだとか。

 もう、自分には頼れないのかーーと、諦めかけた瞬間、一人の少女の姿が綾の脳裏を過った。

 鮮音だ。なにかあったら呼んでくれと言ってくれた、頼れる少女。

 今こそ、鮮音に頼る時だ。自分より年下だとか、そんなことは関係ない。

 やっと見えた希望ーーだが、綾はその顔を蒼白にした。

「……無い」

 鮮音から貰った筈の通信機が無い。ポケットに入れておいた筈。相当派手に動き回ることでもなければ、ポケットから落ちることも無い筈だ。

 しかし、綾には派手な動きの覚えがあった。

 つい先ほど、階段を滑り落ちた時だ。

「嬉しいなぁそんなこと言ってもらえて……でも、綾ちゃんも可愛いよ? 特に今の綾ちゃん、凄く……キレイ」

 粘りつくような声を発しながら、フィメルはゆっくりと綾に詰め寄った。

 態勢を低くして綾と視線を合わせようとしてくる。対する綾は、どうしても視線を合わせたくないので、逸らし続ける。

「どしたの? 目と目合わせて話そうよ。ほらほら……」

「待って! ち、近づかないで……」

 フィメルに近づかれたくないというのもあるのだが、綾の真意は他にあった。

 漏らしてしまった尿に近付かれるのは、恥ずかしい。

「そんなに強く言わないでよぉ……おしっこのこと気にしてるの? 大丈夫だよ、ボクは気にしないどころか好きだから。それに、ここに居ても匂いはわかるよ? う〜ん、芳醇な良い香り……」

 人生最大レベルの辱めだ。まさか怖くて失禁したことを褒められるなんて夢にも思わない。顔が熱くなるのを感じた。

「でも、香りだけじゃあもったいないなぁ」

 フィメルが指を地面へ。それも、濡れた地面へ漬けた。

 そしてーーその指を、口に運んだ。

「うん、美味しいっ」

 その一言に、綾は震えた。

 紛れもない恐怖。踏み込んではならない領域に目を向けてしまったことへの後悔。

 そんな状態の綾へ、フィメルは堂々と踏み込んで来る。

「大丈夫、ボクはなんでも受け入れるよ」

 優しく告げ、またもフィメルは指を漬けた。そして、それを自らの唇に塗ってみせた。

 グロスを塗ったように艶めく唇。それをフィメルは舐めとって、満面の笑みが咲く。

「わかってもらえたかな?」

 今ので、なにをわかれと言うのだろうか。

「だから、ボクのことを可愛いって言ってくれた綾ちゃんもボクのこと受け入れてくれるよね。綾ちゃんはボクのものになってくれるかな……?」

 甘い声音で、子供に言い聞かせるように言ってから、フィメル綾を優しく抱きしめた。

 抵抗しなければ、とは思うのだけれど、動いてくれない。

「……いい子だ」

 やがて、フィメルは綾の唇に唇を重ねようとーー

 その時、綾の中でなにかが閃いた。

「やめてっ!」

 反射的にフィメルを突き飛ばした。

 やっと、身体が動いた。

 驚くフィメルを前にして、力が満ちていく。決意が漲る。

「わかる……わかるよ。フィメルちゃんを受け入れたら、あたしは終わる。それにこのままだとファーストキスだ」

「……へえ。終わりなんてないとボクは思うけど? 逆になにか始まるんじゃないかな」

「たぶんだけど……その始まりは、あたしの終わりを意味してる。だから、あたしはフィメルちゃんと戦うしかないんだ」

 綾は、腕甲を捨てた。

 簡易ビットは残しておき、腰に引っ提げたもう一つの武器に手をかける。

「うーん、残念。平和的解決になれば、なんてボクは思ったんだけどなぁ。じゃあ、ボクがもっと可愛くしてあげるねっ!」

 フィメルは右往左往ステップを踏みながら綾へ近づきーー腕から、黒い触手のようなものを生やす。

 それはまとまり、形を作り出す。

 黒く、蠢く肌。裂けているという表現が合うかどうかもわからない程離れた上顎と下顎。ギラつく緑の眼光。

 フィメルの手から、得体の知れない化け物の頭部が姿を現した。

 これが、部隊員たちを抉ったものの正体であり、フィメルの妖装。

 口裂け女をベースに、としても人の口が裂けたところで戦闘には使えない。

 そして生まれたのが、この腕から生え出す化け物だ。

 口が裂けており、獲物を噛みちぎる牙は口裂け女が扱う刃物の拡大解釈されたものとされる。

 そしてフィメル自ら自分の可愛さを問うので、口裂け女をベースとした力は完璧に出来上がっている。

 対して、綾は腰から抜いた武器はーー短剣。神装と同じような黄金の短剣だ。

 綾はAランク昇格目前ということもあり、未完成状態の個提携神装を渡されていた。

 運動能力はある綾だが、腕甲を好き好んで扱える力量が無い。そのため、短剣の方が戦いやすいのである。

 一階にあった冷気は既に無い。それでも、この場の空気は硬く凍りついてしまっていた。

 死が目前にある戦いを前にして、心が握り潰されてしまいそうだ。

 それでもーー前へ、踏み出す。

 相手の間合いを見極めながら、綾はフィメルとの距離を詰めた。

 フィメルが攻撃してきても避けられ、こちらからの攻撃も出来る間合い。綾の絶好の領域に立っている。

 そう、思い込んでいた。

「そんなとこに居て、誘ってるの?」

 瞬間、フィメルの腕から生え出す化け物の首が伸びた。最早間合いは関係なく、綾はバックステップで大きく距離を取る。

 しかし、今度はフィメルが距離を詰めた。

 フィメルが腕を動かさずとも化け物はその頭を激しく動かし、綾を食いちぎらんと暴れ回る。

 綾はそれに合わせてサイドステップや宙返りで回避。

 食いかかってきた瞬間に隙を見つけ、綾は化け物を手で押しのけてフィメルの後ろに回り込んだ。

 そして、一閃ーーが、フィメルは軽い跳躍でそれを回避し、同時に身体を回して綾に食いかかる。

 バックステップで避けるも、フィメルはその足で食いにくる。

 その勢いによろける綾だが、足元に簡易ビットによる盾を形成。それを足場に高く跳躍してフィメルに短剣を振るった。

 短剣はフィメルがいち早く引いた化け物の額と衝突。しかし、切れるどころか短剣は弾かれた。

「っ……硬い!?」

「綾ちゃんじゃボクは硬すぎるかもねッ!」

 大口を開けて食事を待つ化け物と目が合い、綾の全身が一瞬強張った。

 一寸あるかもわからない先に死が存在するという生き地獄のような状況に、身体の動きから脳の働きまで阻害されそうになる。

 だが、幸いにも綾はその恐怖を感じるより前に次の行動への布石を打っていた。

 綾はまたも足元に盾を形成。それも、空中でだ。それを勢いよく蹴りつけ、綾の身体は地面へ降下。身体を捻ってしっかりと着地した。

「綾ちゃんはすばしっこいねぇ。でも、身体はその動きについてこれてないみたいだ」

 フィメルの言うとおり、綾は今の一連の動作で息を切らしていた。

「こんなんじゃあ、ボクがもう少しがっついたら終わっちゃうね」

「……まだ、終わらせないよ。あたしは」

「本当? じゃあ……」

 化け物は綾目掛けて飛び込むようにして来る。綾はそれを右に半歩ズレて回避ーーした筈だった。

 瞬間、綾の身体は固い衝撃に突き飛ばされてよろめいた。転倒しそうになるのをなんとか踏みとどまるが、あからさまな隙に、今に死んでいてもなんらおかしくはない。

「そんなスレスレで避けなきゃこいつに叩きつけられることもなかったでしょうに。さっきまでは意識して動けてたじゃん」

「……ちょっと気を抜いてただけよ」

 この会話を少しでも長引かせて綾は少しでも息を落ち着かせたかった。しかし、動転しつつある状態では口も回らない。

 しかし、綾から言わずとも会話は続いてくれた。

「……ぷふっ、あはははっ! 面白いこと言うなぁ綾ちゃんは。あまりにも酷くて笑いを堪えられなかったよ、ごめんね。初々しくて可愛い綾ちゃんに教えてあげる。気を抜くってことは死にに行くってことだよ? 特に綾ちゃんレベルの術士じゃあ尚更だね」

 吐き捨てるように言ってから、フィメルは綾と視線を合わせなくなった。

「もう飽きちゃった。ボクより可愛くないし、そろそろ可愛くなってもらおうかな」

 刹那、溢れ出した殺気を感じて綾は自然と後ろに下がっていた。

 対してフィメルは、奇妙なステップを踏みながら綾に近づく。振るう腕、距離を詰める足、躍動する化け物の三つの動きを全てズラしながら食いかかってくるため、綾はなにも出来ずにいた。

 アクロバティックな動きを多用してヒットアンドアウェイを狙う綾の戦い方は、狼狽する思考とフィメルの動きに完封されつつある。

 前から攻撃したところで、防がれるばかりなのは既に理解していた。それならば、どうにか素早く後ろに回り込んで斬りつけるしかない。

 一か八かの賭けーー綾は、食いかかってきた化け物と数センチほどの距離になるように回避。

 そして、跳躍。

 跳び箱に手を付くように、化け物の額に手を載せた。思っていたよりもゴツゴツした表面は木の幹のようで、重なり合う構造が手を滑らせそうになる。

 そこから、身体を目一杯持ち上げて倒立へ。そのままハンドスプリングに持ち込めればと思ったが、勢いが足りずに全体重を支える腕がよろめく。

 そこで止まるわけにはいかない。下手すれば死に直行だ。

 限界まで手に力を込めて、綾は身体を前へ投げ出した。

 自分でもわけのわからない態勢ではあるが、斬れる、と確信した。

 全身全霊を込めて、振り抜いた短剣。同時に、身体が地面に落下した。

 その痛みと共に、勝ち取ったものはーー

「ああ、ボクの服……さっき可愛くしたばっかりなのに」

 結果、服を断ち切っただけ。


「でも凄いねぇ今の! ボクも驚いちゃったよ!」


 その声と同時に、綾の短剣は音を立てて地面に落下した。

 綾の右手は、その強い意思を表すかのように未だ地面に落ちた短剣を握っているーーと思われた。

 短剣を持つ綾の手には、綾の意思は一切反映されていない。

 滴り落ちる血液を見ても、綾は状況が飲み込めそうになかった。

「良い……良いよ綾ちゃん。さっきはごめんね。女の子はやっぱり、皆可愛いや」

 恍惚の表情を浮かべながら、フィメルは化け物を腕に戻してみせた。

 そして、地面に落ちた手を拾い、その指を、手首を、そしてーー断面を、唾液の音を派手に鳴らしながら舐め始めた。

 そこで、綾はやっと理解した。

 自分の右腕が、食いちぎられていることを。

 何故だか、思考は冷静だった。とにかく、止血しなければーーと、ビットで腕の断面に盾を形成。止血することに成功した。

 しかし、痛みは消すことが出来ないのだ。

「ーーっ!」

 一瞬、意識が遠のく程の激痛が走った。

 ふらつく意思をどうにか保ち、意識だけはどうにか維持。しかし、恐怖が綾の身体を蝕む。

 震えが、止まらなかった。

 だが、頭は今すべきことを理解していた。震える身体でも、主導権を握るのは全てにおいて頭だ。

 右手はもう使えない。なら、使えるのは左手のみだ。

 震える左手で、地面に落ちた短剣を掴み取った。

 やらなければ、と心から何度も言い聞かせて、綾はフィメルを見据えた。迷いは、無いーーと言えば、嘘になる。

「……まだ、向かってくるんだ。凄いなぁ……女の子には無限の可能性がある、そう思わない? だから、ボクは女の子が好きなんだ」

 自分の股の辺りを撫で回しながら、フィメルは呟いた。

「強気な綾ちゃんも、震えてる綾ちゃんもたしかに可愛いよ。でも……もう、終わりにしよっか」

 逃げようかと思う。しかし、ここから今の綾が逃げ出して、この捕食者の恐怖から無事生還出来るだろうか。

 フィメルが右手を構える。

 生還するには、戦うしかないのかーー

「……せっかくいいとこなのに。さて、全部食べられるかなぁ」

 唐突にそう言って、フィメルは通路の奥の方を見据えた。

 すると、深い闇の奥から、金色の衝撃波がいくつも飛んで来た。

 フィメルは軽やかにステップを踏み、避けられる衝撃波は全て回避。暴れ回る右腕の化け物は、避けられないものから避けたものまで汚く豪快に食い散らかした。

「ああ……来る。やっと来てくれたんだ!」

 歓喜の声を上げたフィメルが輝く視線を投げ打つ先。そこにあるのは夜の深い闇ばかり。

 しかし、足音が近づく。仄かな光が到来を知らせる。光が形どるのは日本刀。

 黒髪をなびかせて、怒りに身を震わせる剣士が、闇を引き裂いてそこに現れた。

「……鮮音ちゃん」

 鮮音の登場で、綾の震えは歓喜の震えに変わった。同時に、自分の不甲斐なさをこれ以上ないほど強く痛感することになる。


「てめえ何者だ。好き勝手やってくれやがって……殺すぞ」

 鮮音の刀と化け物の顎が衝突し、まるで鍔迫り合いでもしているかのようだった。

 鮮音の表情は正に鬼の形相。そこから溢れ出す殺気は、見せかけではない意思の現れ。常人では出せない特異なものと綾は感じた。

 対するフィメルは、へらへらと笑って鮮音を上から下まで観察している。

「怖いなぁ……せっかく会えたっていうのに。ボクはフィメル。鮮音ちゃんに会うためにここまで来たんーー」

 フィメルの言葉が終わるより先に、鮮音が動き出した。

 刀と化け物の間で拮抗する力を逃がすように受け流し、瞬時にフィメルの真後ろへ回り込んだ。その人間業でないような芸当は、腕甲の推進力によるものだ。

「ちょっ……速すぎ」

「さっさと終わらせたいんでなっ!」

 一閃ーーしかし、鮮音の刀は硬いものに触れ、止められた。

 鮮音の方へと掲げられたフィメルの脚。そこから、漆黒の化け物の頭が現れていたのだ。

 斬撃を防がれた鮮音は、フィメルと一旦距離を置くことに。

「鮮音ちゃんはせっかちだなぁ……焦って逸って突っ走って、そんなんじゃあ掴めるものも、掴めないんじゃない?」

 口の端からこぼれたよだれを啜りながら、フィメルは可憐かつ不気味な笑顔を見せた。


<tobecontinued>

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