十六章 可憐さに震える-前編-
外での戦闘をなんとか終わらせ、鮮音たちは空港内部へ進入することに成功した。
目指すは一階と二階を繋ぐ階段。
そこへ向けて一行は歩いているのだが、全員がある違和感を感じていた。
それを一番に声を上げて確認したのは、鮮音だ。
「なあ……なんか、外よりも寒すぎないか?」
この日、夏にしては気温が低い方で、快適この上ないような状態だった。そのため、夏という季節の邪魔を受けずに済んだのだ。
しかし、空港内部へ入ってから少し中へ進むと、急に気温が下がり出したのだ。
建物の中に入ったら涼しくなった、というならありそうな話だが、鮮音たちが体感している気温の下がり様は少しばかり異常とも言える程だった。
「そうね……あ、あれって階段じゃない?」
綾が指差した先。そこには上へ通ずる階段と、下へ通ずる階段が共に存在した。
「よしっ……これから二階に向かう。皆警戒は怠らないように」
周囲に警戒心を行き渡らせるようにして鮮音たちは階段の元へ。
空港内はやけに静かだ。外での戦闘の音が聞こえるが、それ以外には鮮音たちの歩行音ばかり耳に入る。
それに、感覚を研ぎ澄ませてみてもなにもある気がしない。
静かすぎて、逆になにかあるのではないかと疑ってしまう。
その時だった。
「うわぁっ!?」
鮮音よりも先行していた部隊員が声を上げた。それ程大きな声でもなかったが、無音の空港内には自然と音が響き渡る。
「どうしたっ!」
「いや、なにかに滑って転んじゃいまして……」
特に問題は無かったようで、すぐに立ち上がった。彼の足元に目を向けると、そこには滑った原因が堂々と地面に。
「床が……凍ってる? それに、微かな妖術の気配……いや、それは気のせいか」
触れてみると、それはとても冷たい。やはり氷のようだ。
床の凍結はその地点から先にもまだ続いており、それが行き着くは地下へ続く階段だった。
地下へ続く階段は降りていくのが悔やまれるほど凍りついており、手すりを使わなければ進むのは困難だろう。
更に、天井から床や壁へ伸びる氷の柱が階段を狭めている。
「鮮音隊長……下、調べてみない?」
綾からの提案に、鮮音は肩を竦めた。
「調べる必要あるのか? まああからさまになにかありそうだし……」
迅速に作戦を進めることは大切だ。鮮音たちの仕事が終われば他の場所へ行って支援も可能。
速く終わらせるには、多くの人員を割いてさっさと終わらせていくべきである。
しかし、地下になにがあるともわからない。それに、地下を調べておけば薙姫たちへの支援行動にもなりうるかもしれない。
「うーん…………」
作戦行動を考えるというのは難しいもので、考えることに時間を割きすぎてもいけない。
「なら、分隊に分けてみたらどうですか?」
部隊員の一人が妙案を出した。
彼が言うには、これから制圧予定の空港二階は道が二手に分かれているから、左から行く組と右から行く組に分かれ、片方は地下階段の調査を軽く行ってから向かおう、とのこと。
たしかに良い案ではある。リスクも無いわけではないが、効率の良さを求める行動にはときにリスクは付き物である。
しかし、鮮音は納得出来なかったーーが、
「鮮音隊長、ちょっと耳貸して」
綾が告げたことは、判断を鈍らせる個人的意見だった。
綾は、Aランクに昇格寸前らしいのだ。しかし、実践経験が一度も無いためにまだ上がれない。
今回の作戦で分隊を指揮したなんて功績を上げれば昇格間違いなし。だからやらせてくれーーとのこと。
悩んでばかりでも仕方が無い。ここを妥協点として、鮮音はその作戦で行くと決めた。
「じゃあ、綾たちは地下を流すくらいに見てから右ルートを来てくれ。私たちは出来るだけ速く綾に合流するようにするけど……これを渡しておくから」
綾に渡したのは、通信機。もしものことがあれば呼んでくれという意味だ。
「じゃあ私たちは行くけど……綾、気をつけてくれよ」
「大丈夫大丈夫! また後で!」
そうして鮮音たちは上へ。綾たちは下へと進むのだがーー
「うわっ! うわわわ!」
なんとも元気そうな綾の声が鮮音の耳にかすかに届いた。
「だ、大丈夫なのか……?」
さすがに気がかりなので、歩きながらも一階の方に目を向けてしまう。するとーー自分の足につまづいてこけそうになった。
「わっ、うわっとっと……わ、私も人のこと言えないな……気をつけよ」
空港の二階は、一階と同様に薄暗い。遠くまではっきりとは見えないため、常に警戒を厳にしなければならない。
出来るだけ早く、しかし警戒は怠らずーーと歩く。
「…………なにもないな」
面白いくらいに静かだ。なにかが襲ってくるようなこともなければ、虫の一匹も居るようには思えない。
しかし、その程度のことで警戒を解いてはいけない。歩く速度を徐々に早めながら、鮮音たちは進む。
「……なにも、ないな」
◇
「じゃあ、とりあえずあたしから行ってみるね」
下の階へ続く階段の調査に移る綾たち。綾が先行して階段を降りていくことに。
手すりに掴まりながら、一段一段踏みしめてゆっくり降りていく。
前へ進むごとに、気温が低下しているのが感じられた。同時に、かすかな違和感のようなものを感じる。
(寒いし、なんだこの感覚……まさか、これが神術と妖術を嗅ぎ分けるみたいなやつ?)
確実性のない憶測に考えを向けた綾。そこに襲いかかるはーー氷の魔の手。
「うわっ! うわわわ!」
声を上げた時にはもう遅い。これまで慎重に降りてきたことは意味をなさず、綾は階段を勢いよく滑り降りることに。
豪快に落ちて行きーーなんとか停止。
「いったたた……お尻打った」
なかなかの滑りっぷりだったのだが、それで軽傷で済んだのだから綾は運が良い。滑りどころが悪ければ、局所から出ている氷の柱に激突していたかもしれないのだから。
「うわぁ……ちょっと、綺麗かも」
階段は、奥へ進む程に凍てつく空間となっていた。氷の柱の数は増え、地下一階まで降りることは不可能となっている。
透き通るような氷が視界を覆い尽くしていて、幻想的とすら思わせる光景が出来上がっている。
普通の生活どころか、雪国で暮らしていてもこんな光景は目に出来ないかもしれない。
少なくとも、雪国の中でもごく一部。氷点下の世界の光景なのではないだろうか。
目の前の光景にばかり気を取られていても仕方が無い。綾は比較的細い氷の柱を力一杯殴ってみた。
しかし、傷はつかない。
ならばーーと、神力を手先に集中させてパンチ。
今度は傷どころか、弾かれてしまった。
「んっ? この反応……」
神力と妖力は反発しあうもの。
「まさか、妖力で出来た氷……? それが本当だったら、あたしの感じた違和感も頷けちゃうなぁ……」
妖術で氷を生成する手段があるとしてもなんら不思議はない。
もし、これが本当に妖力で作られたものなら、何故こんな場所にあるのだろうか。
これを破壊することも出来ない綾には、到底解決出来そうもない疑問だった。
今度は更に慎重に階段を登ることで、なんとか滑り落ちることはなく上まで戻って来ることが出来た。
「とりあえず……あたしたちじゃ解決不可能! 先に進もう!」
ゆったりとした足取りで綾たちは上へ向かった。そして、鮮音たちが向かったであろう道の反対、右ルートを進む。
「結構暗いのね……」
先の見えない行き先に、言いようのない不安感を覚えてしまう。
我ながら、綾は無茶な提案をしてしまったと思っている。しかし、なんとかなりそうだとは心のどこかで思っていた。
綾は自分の運動能力に自信がある。神力の扱いはそこそこだが、それもカバー出来る程には動けるのだ。現に、それがあるからこそ綾はAランク昇格への道をこじ開けることが出来ている。
それに、先程までの戦闘は余裕を持って臨むことが出来た。仲間のサポートあって、というのもあるが、正直言えば三人一組でなくとも自分はよく戦えていただろうと思っている。
過信なのかもしれない。けれど、今回実戦に臨むことで掴めたものは大きい。
これでAランクやSランクの者たちと方を並べられるかもしれないと思うと、心も踊るというものだ。
それにーー綾は、自分の実力への更なる過信材料を持っていた。
(今日、これを使うような時が来るのかな……)
綾の言う「これ」に手をかけようとした、その時。
「……足音?」
一定のリズムで、同じ階層の床を駆けてくる音が響き渡る。確実にこちらの方に向かってきており、足音だけで判断するなら、来ているのは一人だ。
「一人だけ……なら鮮音ちゃんじゃなさそうだけど。一応、警戒体制で居ましょう」
あえて、そこで来る者を待つことにした。どうせ来るなら、早めに確認しておくべき。それから判断しても遅くはないと思ったからだ。
近づく足音。緊張感高まる中でーー暗闇を切り裂いて現れたのは、緑髪の可愛らしい少女だった。
「…………誰? 魔術士?」
「ボクかい? ボクの名前はフィメル。よろしくね〜」
フィメルと名乗った少女は、可憐な笑顔と振る舞いを揃えて綾たちに歩み寄って来た。
「私は綾。よろしく……って、あなた何者? ここは部外者は立ち入り禁止でーー」
そこまで言って、綾は気づいた。
この場所は、部外者立ち入り禁止どころか、部外者では入ることすら不可能な空間であると。
一瞬緩まった緊張が、再び綾たちの心の中を走り回る。
「……念のため、取り押さえよう」
ささやくように告げると、フィメルは不敵に笑いーー
「ここじゃあ丸聞こえだよ、綾ちゃん」
なり振り構わず、綾以外の者たちはフィメルを取り押さえにかかった。
まず、一番近くに寄った者が手を伸ばした。掴みかかるのが、一番危害の少ない方法だからだろう。
「触らないでほしいなぁ」
ぼやくように言ったフィメルは、瞬時にその雰囲気を変えた。
フィメルに向けて伸ばされた腕を掴み取り、身体ごと引き寄せーー腹に蹴りを叩き込む。
ぐったりした部隊員の腕を持ったまま、フィメルは問う。
「一応聞いとくけど、ボク可愛い?」
「そんなわけあるか!」
襲いかかった部隊員が答えた。
「そっか……残念だね」
部隊員の攻撃を軽くいなしてみせた。これまでの軽い身のこなしは、随分と戦いに慣れているようである。
そして、フィメルは告げた。
「着装……口裂け女」
その発言で、確信した。彼女は妖術士であると。
フィメルが右手をかざすと、腕から黒い触手のようなものが生え出した。生命を持つように蠢くそれは、繋がりだして形を成しーー
「お仕置きだね」
にやり、と笑った。
刹那、禍々しい殺気がフィメルから溢れ出す。止めどなく充満しだす殺気にあてられたのか、綾は反射的に目をつぶってしまった。
恐ろしすぎるのだ。この世に存在していいものなのだろうかという疑問さえ湧いてくる。
現実から目を背けてはいけない、と心に強く言い聞かせて、開眼。
「あっ……あぁ……」
思わず声が漏れるような光景が、そこにあった。
血を流して倒れ伏す人、人、人。全てが自分の知る人間であり、全てが生死不明。
共通しているのは、身体を食いちぎられたように抉られていること。
「嘘はダメだよ嘘は。ボクにはぜんぶわかっちゃうのに。皆ボクが可愛いってわかってるはずなのに、可愛くないなんて口に出すからこうなる」
こんなにも直情で、可憐で、恐ろしい独白があるのか。
疑問に思う意味もない。今まさに、目の前でそれは起きている。
「可愛いって言わなきゃ……食べちゃうよ」
終わりだ。そう、悟った。
戦えるのは自分一人。生きているのも自分だけかもしれないという事実が綾をじりじりと追い詰める。
狼狽する自分をどうにかしたくても、どうにもなりそうな気がしない。
これがーー戦いなのか。
それを脳が完全に理解した時、綾は失禁していた。
「綾ちゃんっ!? こ、こんなところでおしっこするなんて、えっちすぎるよぉ……最高だね」
自惚れなのか、嘲ているのか。真意はわからないが、フィメルは笑みを浮かべている。
可愛らしいと思えたフィメルはそこに居らず、その少女には畏敬の念を抱くことしか出来なかった。
「どうしたの? ボクのこと、怖くなっちゃった?」
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