十四章 心引き締めて
時刻は午後八時を回ったころ。
夜風は夏のものとは思えない程に冷ややか。冷酷な戦場と化すその場の雰囲気をよく表していた。
現在、空港は結界に囲われている。中から外へ出る方法は壁を崩してこじ開ける他無い。
今回の作戦は、メインゲートとその両サイドにある入口の三つの突入口付近の結界を一時的に解除。そこに神術士を突入させ、制圧していくというものだ。
メインゲートから突入し、一階の制圧を担当するのが昏人率いる大規模部隊。
サイドゲートから突入し、二階を制圧するのが鮮音の部隊。
鮮音の部隊と反対のゲートから突入し、地下一階と地下二階を制圧するのが、邁華と薙姫率いる精鋭部隊。
戦いを前にした今、全員はメインゲートを見据える位置に集まっていた。
「はぁっ……」
鮮音は、つい昨日の出来事を思い出してため息を吐いた。
響歌に思いを告げられ、戦いの前だというのにもやもやした気分になってしまっている。
どうにかしなければならないのだけれど、どうにかなりそうもなくーー
「ため息吐いてっと、幸せが逃げちまうぜ?」
「うわぁっ!? 昏人さん……こんばんは」
突然肩を叩かれて名を呼ばれたためか、鮮音は驚いて飛び上がりそうになった。
昏人とはほぼ初対面に近い。鮮音からすれば、強い大人というイメージだけが先行して、どんな人間だかはっきりとはわかっていないのだ。
「はいこんばんは。どした辛気臭いツラして。なんかあったか?」
「いや……えっと」
これは言っていいことなのかと思い、踏みとどまった。
「おっと、言いたくないなら無理に言わなくていい。ただ、俺から一つ言えることはある」
昏人は少しばかり表情を固くして、鮮音と視線を合わせた。そこに居るのは、紛れもない鮮音のイメージにある強い大人だ。
「この戦いで、お前は部下を持つっていう立場に一応なってる。そうなっちまった以上、部隊員を正しい方向に導いてやらにゃならん。つまり、お前の心がふらついてちゃ、全体がふらついちまうってわけだ」
それを聞いて、鮮音は実感した。自分は、普通ならSランク神術士がやるようなことを任されているのだ。
今回、優機と響歌は他の仕事に回れるように残留メンバーとなっている。鮮音の代役は居ない。
「個人的な悩みは今だけ切り捨てろ。今はそういう時間だ。自分の命拾うだけの余裕じゃなくて、仲間の命拾う余裕も心に持たせとけ」
昏人のその言葉は、鳴り響く鐘の音のように鮮音の心に響いた。
「あ、ありがとうございます。昏人さん……噂通り凄い人だ」
「へっ、俺を凄い人なんて言葉だけで片付けないでもらいたいね。あと、礼は要らねえから結果で返してくれな!」
「はいっ!」
思わぬ人からの激励に、鮮音の心は高まった。心にも、幾分かの余裕が出来た気がする。
「集中……今は、目の前のことに集中だ。響歌のことは今は忘れ……わ、わす……」
忘れようとして思考に一旦置くだけで意識してしまっていた。明らかに重症だ。
もうどうにもならないので、それは捨て置くことにした。思考の片隅に響歌が居ても、まあなんとかなるという鮮音の適当な判断だ。
鮮音は、金色の結界の奥に淡く見える空港を見据えた。
これから戦いの場となるであろうその地からは、なにも気配などを感じない。結界を通しているからなのかもしれないが。
「また、戦いの場に立つ日が……」
昏人の言葉を受けたことで、自分の立ち位置をより深く自覚する。
降りしきる雨の中で起きた悲劇から、既に一ヶ月近くが経過した。
未だ、鮮音は全てを振り切れていない。振り切れるわけがない。
身体の感覚は鈍っているかもしれない。前のように上手く戦えないかもしれない。
それでもーー
「キズカ……いつか、お前を……」
揺るがないその思いだけを、そっと胸に。
その時、鮮音の背を這う悪寒。
「っ!? これは……」
鮮音はその感覚を知っている。決まって嫌なことが起こる時に鮮音を襲う、文字通りいやな悪寒。
しかし、今日の悪寒はとても弱い。不快といえば不快なのだが、若干気になる程度に留まっている。前のように、声を上げてしまうようなこともない。
「……ここで、なにかあるのか?」
予感を感じながら、鮮音は空を仰いだ。
◇
「はぁっ……」
ここにも、ため息を吐く者が居た。
ショートの黒髪で、鞘付きの日本刀のような神装を身につけているのは一人しかいない。
邁華だ。
邁華は、これからの戦いに一抹の不安を抱え込んでいた。
それもそのはず。邁華は今回が二度目の実戦。なのに、大きな役割を任されてしまっているのだ。
緊張と焦りは邁華を苦しめ、最終的に気分を落とすとこに落ち着いたわけである。
何故こんなことになったかといえば、それは邁華の急激な成長が原因だ。
邁華の成長ぶりは著しく、他の者を凌駕してしまっている。
「邁華……どうかしましたの?」
凛とした声音。それでいて優しげなその声の主はーー
「薙姫さん……いえ、別に」
「そう、ならいいです。……敵、見えませんわね」
薙姫は空港の方を見据えて告げた。
言われたように邁華も空港の方を見ると、薙姫の言った通り、敵影は無い。見張りの一人でも居そうなものだが、それも無い。
「確かに……それがどうかしたんですか?」
「……常に状況には気を配れ。基本ですわ。いつものはきはきした邁華らしくないです。なにかあるんでしょう?」
態度には出ていなかったつもりだったのだが、見透かされてしまったらしい。
戦いを前にしても常に落ち着き払った態度の薙姫には、尊敬の念しか無い。踏んできた場数が違うのは明らかだ。
「悩みや辛いことでもあるなら、私の胸に飛び込んできてもいいですわよ? さあ!」
邁華は、思わず薙姫の胸に目を向けた。
清々しいと感じるほどの絶壁。撫で回したくなるようなその壁に、邁華は圧倒されそうになる。
「ふふっ……私だって、緊張したりしないわけではありませんわ」
「えっ……いや、でも」
やはり、なにもかもお見通しのようだ。
「ただ……私から言えるのは、そんなものに振り回されていてはいつまで経っても強くはなれない、ということくらいです」
そう言って、薙姫は邁華の元から去ろうとするが、
「待ってください! 薙姫さん……」
思わず、呼び止めてしまった。引っかかることがあるからだ。
「薙姫さんの強さ、それだけで成り立ってるものじゃない……と私は思うんです。なにかあるんじゃないですか?」
薙姫の強さは一級品。緊張感を振り払ったからといって、更なる昇華に繋がっているとは思えない。
空を掴むような話だが、薙姫にはまだなにかある、と邁華は微かに感じたのだ。
「まだ、強くなりたいと?」
「もちろんです。私は……鮮音先輩に追いつきたい!」
「……おすすめはしませんわ。私の強さは、本来なら許されない意思に沿うことで成り立っているもの。それでも、聞きますか?」
強い意思を支柱に、邁華は首肯した。
「そう……邁華、あなたは戦いとはどうあるべきものだと思う?」
質問の意図がわからず、邁華は答えあぐねた。戦いは、常にあるものだが、無くすべきものでーー
「質問を変えましょう。戦いはあるべきものか、無くすべきものか」
「それは、無くすべきものです」
「そう。それが当たり前の答え。ですが、私はそこがほんの少し……いえ、相当と言うべきでしょうか。ズレてしまっています。私は、戦うことが好きです。この職業に就くことで、なんの躊躇いもなく戦えることを快く思っています」
瞬間、邁華は感じた。
薙姫から溢れ出た、獰猛な獣の殺気。思わず身構えてしまうような空気の重み。
「先程の緊張の話は嘘です。あなたの緊張を解きほぐすための優しい嘘。許してくださいね。この通り、私は今とても高ぶっています! 心のボルテージを最大にして、本能のまま戦いに臨める今を、許されない思いとわかっていても、私はこの高ぶりを止められない!」
薙姫は、邁華に手を差し伸べた。
手を差し伸べる、というのは往々にして良い行いに該当する。邁華に差し伸べられた手も、その類ーー否、違うと肌で感じられた。
「邁華、あなたはこちらの世界に来れる器を持っていて?」
世界が、違う。
美麗な薙姫の笑顔の裏から、牙を研ぐ獣が顔を覗かせていた。
同時に、まだ未熟な邁華はその強さに、殺気に、酔いしれてしまいそうになる。
その手を取れば、そちらの世界に行けるのだろうかーーと。
「やめなさい」
ぴしゃりと薙姫は告げ、手を引いた。それを聞き、邁華にあった酔いのようなものはすぐに冷めた。
「わかったでしょう、世界が違うと」
「はい……本音を言うと、少し怖かった」
「よろしい。実感したならオッケーです。これ機に自分の世界を理解して、その世界で強くなる方法を探してみれば、きっと答えは見つかりますわ」
踵を返し、薙姫はその場を去っていった。
「あっ……ありがとうございました!」
「どういたしまして」
◇
時刻はもうそろそろ八時と三十分が過ぎる頃。引き締まりつつある空気は、昏人の言葉で更に強張った。
「皆時間だぞー。各部隊持ち場に移動開始! 時間になり次第、結界を解除してもらって状況開始な!」
鮮音の部隊も、移動を始めた。持ち場までは歩いて五分近くはかかるため、少し急がなければならないーーが、それ以前に、鮮音は言っておきたいことがあった。
部隊員たちの方を振り向いて、鮮音は若干ではあるが、畏まった。
「その……私はまだまだ未熟だから、至らないことのが多いと思う。だけど、その……」
景気付けになるような言葉を捻り出したいのだけれど、どう捻っても浮かんで来ない。これも未熟さ故のものか。
「だーいじょぶだよ、鮮音ちゃん!」
その時、部隊員の一人が鮮音の肩をぽんと叩いた。
「あ、あなたはたしか……」
「一回一緒に任務に出たことあるよね? あたしは綾。よろしく!」
茶色の髪を内巻きにした髪型で、鮮音より背が高い女性。綾は、今回の鮮音部隊の隊員の一人だ。
鮮音も見た目だけは覚えていたが、緊張などあったためか、そこまで気を配れていなかったようだ。
「鮮音ちゃんから見たら鮮音ちゃんは未熟なのかもしれないけどさ、それを言うならあたしら全員だって未熟者だから! だからさ、皆で手を取り合ってやっていこうよ!」
綾の言葉に励まされることで、鮮音は自覚を得た。群れの長になる自覚を。
持ち場に到着すると、既に時刻丁度だと促され、鮮音たちはすぐに結界内へ入ることに。
これまでここを塞いできた結界を開け、長く人の手がつけられていない地へ踏み込む。
心の準備もまだ完璧ではない。それでもーーやるしかないのだ。
「時間だーー状況開始」
各々が神装を構え、
「「了解!」」
と言い放ち、走り出したーー瞬間だった。
ガラスの割れる音。高所からの着地音。多くの人間の足音。
全てがいくつも重なって、鮮音たちの耳に堂々と入り込んできた。
思わず鮮音たちは身構え、周囲を警戒。
なにかが、来る。
『こちら薙姫! ゲートから魔術士らしき集団が一気に押し寄せて来ましたわ!』
『こっちもだ! メインゲートと二階の窓から降りて来た奴がありえねー程の大群で来やがった!』
他の部隊からの報告が鮮音の元に集う。そして、それに呼応するように状況は動き出す。
ゲートの無い空港の奥地、そしてサイドゲートの中から、すぐには数え切れない程の人数の魔術士が駆けて来た。
『こ、こちら鮮音! こっちも敵が大量に!』
これほどの事態は予測していなかった。作戦を続行か、退却か、それはどこで誰が判断すべきなのかーー
『作戦は続行する』
通信によって聞こえた昏人の声が、鮮音の迷いを振り切った。
しかし、別の迷いが鮮音に降りかかる。それは、これから取るべき行動だ。
『結界部隊、聞こえてるか? どうせこの作戦は今日で完遂、結界の存在意義は無くなる。だから結界の維持人数を最低限にして戦闘する部隊のとこに寄越してくれ。こちらで数を減らしたらビットを持ってる維持部隊に拘束してもらう』
まるで想定していたように昏人はこれからの行動を提示してみせた。人数を増やして取り掛かるのはたしかに合理的ではある。
『はいはい状況開始! 焦らず的確に!』
そこで通信は切れた。それを合図にするように、鮮音の部隊は一気に行動を開始。
各々が自分の判断で駆け出した。迫り来る多数の魔術士に対して向かって行くが、それでは単騎による戦いになってしまう。
自分の命だけでなく、全員の命も守るためにーー
「皆! 二人……いや、三人一組で行動してくれ! 一人一人を意識して!」
ちゃんと伝わってくれるか、と小さな不安が過るが、
「「了解!」」
という返事が鮮音の心を晴れさせた。
「行きましょ、鮮音隊長!」
肩を叩いて声をかけてくれたのは、綾だ。三人一組なので、もう一人も鮮音たちの方へ寄って来た。
「た、隊長……なんか恥ずかしいな」
「そんなこと言ってる暇無いよ! もう戦いは始まってるんだからさ!」
「ああ……行くか」
促す二人に乗せられ、鮮音は駆け出した。
戦闘、開始。
<tobecontinued>