九章 狩る者狩られる者
「どっひゃー! 暇だー……」
ある昼下がりーー狼銀は、暇を持て余していた。
警察組織として動く神術士に回ってくる金は、国民の血税である。そして、なにもない時間を過ごしていても狼銀には給料が入る。
ちゃんと働かなければ、という思いはあれど、仕事が無いのだから仕方が無い。
狼銀はSランク神術士。つまり、相当な実力者である。
そんな実力者に、小さな仕事をさせるわけにはいかない。いつ来るかもわからない大きな案件に立ち向かってもらうために、休息は必要なのだ。
しかしーー
「こうも暇が続いちゃやってられねえよ……」
教育するような新人もおらず、大きな案件は数日前に優機が片付けてしまった。
空港へ攻め入るのはもう少し先、という上の判断により、大きな案件が回ってくることもそうそうないだろう。
だからといって、仕事が休みでもないわけでーーこうして、狼銀は職場待機で暇を持て余している。
肩を落としてため息を吐きながら、窓の奥に見える空を見据える。
思い浮かべるのは、可愛い後輩のこと。
「鮮音、大丈夫かね……」
数日前、一人の神術士が命を落とした。
彼女が命を落としたことに関連する情報は全てトップシークレットになっており、Sランク神術士の狼銀でも細かな詳細は知らされていない。
だが、亡くなった神術士ーー静音は、狼銀自ら指導した後輩、鮮音の無二の親友だったのだ。
しかも、鮮音は静音の死の場面に立ち会い、戦ったのだという。
「あいつメンタルそんなに強くないのに……よく頑張れたもんだな」
狼銀は一度、鮮音の姿を見に行った。
命に別状は無いとのことだが、骨折三箇所に身体のいたるところにある打撲。
極め付けにーー鮮音は、運び込まれて以降一度も眼を覚ましていない。
「あの後、だったんだよな。あたしが付いてってれば、どうにかなったのかね……」
狼銀は、その日の出来事の直前であろう時刻に、鮮音と遭遇している。その時は静音の誕生日プレゼントの話をしたのを、はっきりと覚えていた。
狼銀が居れば、最悪は防げたかもしれない。だが、それは結果論である。
活発さの塊のような狼銀だが、こんなことを考えている時ばかりは、その表情は鬱屈としていた。
じっとしていることに耐えられなくなり、狼銀は散歩にでも出ようかと席を立つ。
しかし、その行動をドアが開く音が遮った。
「狼銀さん、こんにちは!」
「おおっ……邁華じゃねーか。どうした?」
礼儀正しく元気良く、部屋に入ってきたのは、狼銀が密かに目をつけている後輩の邁華だ。
黒のショートヘアと、ぱっちりと開いた目。そして褐色とまではいかないものの、よく焼けた肌は活発さを嫌という程感じさせる。
彼女はCランク評価で神術士になった。それから今に至るまで、約半年。今では、立派なAランク神術士にまでなってしまったのだ。
早すぎる成長は、可能性の片鱗を見せ続ける。狼銀は、これは大者になるぞ、と目を輝かせて指導出来る時を待っていた。
彼女は、なにやら鮮音に憧れているとのこと。彼女が扱う神装は、鮮音の物に限りなく近い日本刀型。鮮音の物と違うところは、変形機構が無いことくらいだ。
「狼銀さんに渡すものがあって来たんです。この紙、仕事の概要が書いてあるとかなんとか」
「仕事? 暇してたから丁度いいや! まあそれもいいんだけど……邁華、あたしの暇を埋めるためにちょいとお話しよう」
「構いませんよ! 狼銀さんとは一度話してみたくて……」
「それはこっちの台詞だ!」
両社共に、目を輝かせながら席についた。この二人、意外というわけでもなく似たもの同士かもしれない。
「でだ、邁華後輩。あたしはいつ頃になればそのほとばしる若さを指導してあげられるんだい?」
その言葉に、邁華は肩を竦めて顔を歪めた。
「……指導? それってどういう……」
「は? お前上の奴から指導受けてないの?」
「はい。全部独流であれこれやってたら実力も何も向上してて」
さも当然、というように邁華は語る。そして、それが当然でないことを、狼銀は深く知っている。
「うへー……マジで可能性の塊かい、邁華は。言っとくけどな、鮮音が今の鮮音で居られてるのは、あたしの指導の賜物なんだぜ?」
「えええっ!? 狼銀さんが鮮音先輩を……それなら、ぜひご指導の程を!」
「鮮音の名前が出た途端それかい。まあ指導はこっちからお願いしたいくらいなんだけども……」
邁華は、鮮音に危ないところを助けてもらったという過去を持っている。その出来事から鮮音への憧れを抱いたとのこと。
偶然にも神力を操る才覚を微弱ながら持ち合わせていた邁華は神術士になり、現在ここまで駆け上って来ているのだ。
狼銀の裁量では、いずれ憧れの存在、鮮音すら超える術士になるのでは、とも考えている。
「指導って、具体的にどんなことをするんです?」
「うーんと、神力を操るために必要なスタミナ作り。まあこれは鮮音がカットした行程だけど……あとは、出力の具合調節の練習かな」
「なるほど……」
関心して聞いてくれる邁華に、狼銀は感動を覚えた。
鮮音は可愛くない後輩で、指導の最中はまるで人形かと思うほどに表情が嫌そうな顔で固定されており、指導する側としてはなんとなく不愉快だった。だから、少しスパルタ教育をキメたのだがーーそれは秘密だ。
その時、狼銀が机の上に置いた、邁華から受け取った紙に視線が向いた。自然と、そこに書いてある言葉が目に入る。
『深夜の謎の歌による被害状況』
その紙には、そうあった。その下からは、読むことを敬遠させてしまうくらいの言葉の列がびっしりとある。
「歌による被害……? なんじゃそりゃ」
「ああ、そのことですか。まあ紙読んでもらえばわかる話なんですけど」
「長いから読むのめんどっちい。かいつまんで話して」
「り、了解です。えっとですね、最近一定の区域内で、深夜になると謎の歌が聞こえてくるという情報が入ってきたらしいんです。その歌は女性によるとても綺麗な歌声で、一度聞いたらしばらく聞き入ってしまうほど。けど……その歌声を聞いていると、気分が悪くなったり、体調を崩したり。近くで聞けば意識を失ってしまうこともあるとか」
そんな不思議なことがあってたまるか、という話だ。しかし、術士という存在がある今、こういった謎の犯罪案件は少なくない。
「へえ……興味深い話だな。んで、それとあたしたち神術士、なにが関係あんのさ」
「それがですね……奇遇にも、私その歌声を聞いたんですよ。気分が悪くはなったんですけど、気にせずにはいられなくて……歌声の発生源に近づいてみたら、妖術の気配を感じたんです」
「つまり、術犯罪だから捜査しろってことね。了解了解」
「その時は私が同行して……」
身を乗り出して告げる邁華に、狼銀は拒否を告げるジェスチャーを促した。
「やめとけ。お前、これの捜査で物凄い無茶しただろ。見りゃあわかる」
「えっ……な、なんでわか」
言葉の途中で、狼銀は邁華の肩を強く叩き、楽しそうに笑ってみせた。
「だーいじょぶだって! お前みたいなひよっこ、しかも疲労してる奴なんて居ても居なくても同じだよ! だから、ゆっくり休んで私の指導に耐えられる身体作っとけ!」
言い残して、狼銀は部屋を出て行った。
◇
「これ……この感じ! 何回見てもそう。降りてるやつよ!」
真っ暗な部屋の中、小さなスクリーンに目を向ける二人の女が居た。
その中の一人、流麗なショッキングピンクの髪の女が、興奮したように声を荒げたのは、映像に映る女が輝く刀を振るっているシーンだ。
「ほお……これが降り人の片鱗というわけですか。私も見るのは初めてだけど、著しい成長ぶりですね。同じ人間とは思えません」
もう一人の、落ち着いた声音で話す女性。白い髪は老年を思わせるが、顔立ちは若々しく、出で立ちは凛としている。
「いいじゃんいいじゃん……楽しくなりそうじゃない千ちゃん!」
「千ちゃんと呼ぶのはやめなさい」
千ちゃん、と呼ばれた白髪の女性は、世間的には相当な有名人である。あまり公の場に顔を出すことはないが、名を知らない人はそうそう居ないだろう。
名を、千羅という。
千羅は、妖術士という組織を束ねる、総指揮官であり、長である。
暗がりであり、映像に関心している表情というのが重なって今は普通の女性のようなイメージだが、明るみで凛とする彼女の威厳は、相当なものである。
彼女も妖術を使えるのだが、今は身を引き、指揮する役に徹している。
「じゃあ千羅ちゃん」
「……もうなんでもいいわ。で、あなたの言う伝承の話、本当に信じていいのかしら?」
「なーに言ってんだ妖術士の指揮官様。あたしたち妖術士は伝承通りの力を扱ってるわけだから、神と妖怪が関わったって伝承通りになるでしょ」
千羅は疑うような視線を彼女に向けるが、すぐに視線を映像に戻した。
「皮肉なものね。殺し合う運命を利用して……」
「そんな考えしてるようじゃこれからやってけないよ? これは! 術士界隈全部巻き込んで二人の女の子を囲って祭り上げる大イベントだ! こんなガバガバじゃ成功確立なんてクソ以下。でも、成功したらあたしらの勝ち。そんだけの運試しってことよ」
「イベント……それを自覚してるのは私たちだけだなんて、なんだか規模が大きいんだかそうでないかわからないわ」
その言葉に、女は表情に憂いを見せた。しかし、それも一瞬だけで、すぐに笑みが浮かび上がる。
「いつだってそうだよ。楽しめるのは一握りの人間だけで、あとの残りは有象無象もしくは手駒よ」
「ふぅん……それで、その一大イベントの末にあなたはどうしたいの?」
「どうしたい? そりゃあ……壊すんだよ。全部壊して……」
開いた手の平。そして、強く拳を握り締めーー
「作り直す」
「なんのために」
「クソになったこの日の本をあたしの手の上で転がしてやりたい、みたいな」
「どうやって」
「言ってなかったっけ? あれは壊す存在。産み落とされればただただ壊し続けるだろうさ」
二人の間に生まれる沈黙。
千羅は考える。このアホらしい考えに、乗って自分に得はあるか。
否、得は無いだろう。しかしーー楽しめる可能性は、ある。運任せに期待を高めるのも、悪くはない一興だ。
だが、千羅は聞いておきたいことがあった。これにどう答えるかで、女がどれだけの考えで動いているのかが簡単にわかってしまう。
「何故それを私に言ったの? あなたの計画は私の起こした戦いありきの話。あなたがやることは私の理念を壊すことになるのよ」
「全部壊しちゃえばノーカンよ」
「……なるほどね。全部壊せば支えるものもなくて、バランスもなにも無くなる、と……。乗った、と言ってあげたいけど、あなたはどうして、そこまでするのかしら? それ相応の理由が無いと、私の命にも関わるイベントだからね」
そう問うと、女の目から生気が消えたーーように見えた。
しかし、見間違いだったようで、女は先ほどのように笑みをこぼす。
「何十年? それとも何百年だったか。日本の蛮行の一つ、神妖戦争。あたしの祖父にあたる人がそこで亡くなったらしい。それから間も無くして戦争は終わって……まあ、貧困者が溢れたのは知ってるよね。あたしの祖母がそれなわけだ」
神術派閥と妖術派閥、どちらが日本という国の舵を取り、同時に世界を導くかという理由で起きた大規模な対立。それが、神妖戦争。
妖術派閥の行動によって始まったこの戦争は、最終的に双方の長が無意味な争いと判断し、合意の元で終わりを迎えるのだがーーあまりにも犠牲者が多すぎた。
戦争を起こした妖術派閥の人間になにもペナルティが無いというのは、と意見が上がり、戦争により財産を失った者などへ、必要最低限以下の支援しか行われなかったという。
「しかし酷い政策。でも、あたしの祖母は懸命に生き抜いて、クソ以下を生き抜いて、あたしの母さんを産んだ」
赤髪の女の口調は、何故だか柔らかいものへ変わっていた。先ほど話していたことと比べても、険悪なことを話している筈なのに。
「そのお母さんなんだけど……ガキの頃からもう金が無くて困った困った。そんで……身体を売っちゃった。小学生で処女喪失は重すぎると思うけど……でもうちのは厄介ものでさ、その年でもう、穴を棒でかき回してもらう愉しさを知っちゃったらしいの」
笑えるでしょ、と女は言うが、とても笑えた話では無い。
千羅は表情を変えず、返事もせずにその話を聞き続けることにした。
「まあそれから月日は過ぎて、母さんは愉しんで金を貰うって生活が当たり前になり始める。その拍子で産み落とされたのがあたし。でも、アレは意外と子育てを熱心に、楽しんでやってたみたいでね。母さんは授乳のとき、絶対に右のおっぱいを吸わせんだよ。今になって考えてみるとさ、左のおっぱいは汚ねえ男どもに吸わせてっから……っていう良心だと信じたいね」
そこまで言うと、女の表情に翳りが見えた。その視線は床を見ているが、もっと遠い先を見据えているように見える。
「私のお母さん結構な美人でさ、特に唇がエロかった。下の唇とは正反対ってね。笑えてくる。なんだかんだで子育てが楽しくても改心は出来ずに、夜な夜な私が起きた時は部屋でギシギシやってた」
捻り出したように笑って、また語り出す。
「んで、最後は快楽に溺れて腹上死。その最後はレズセックスだったらしい。どうヤれば女同士で死ぬまでイき続けられんのか、知りたいもんだね」
「…………胸糞悪い話をどうもありがとう」
「どういたしまして。ともかく、そんな腐った家計の末裔になったからには……あたしくらいは面白いことして華々しく散りたいんだよ。失敗しても構わない。だから運試しでいいんだよ。それがあたしの壊す理由」
語り終え、女はため息を吐く。
千羅は思った。一喜一憂はありながらも、これ程の出来事の群を平喘と言い切ることが出来る彼女は、強いと。
「いいわ、その凄まじい過去に免じて、乗ってあげる。私の命なんて守ろうと思えばどうとでもなるし、あなたの運試しを見守ることにするわ」
「流石は総大将様だ。余裕が違う」
「総大将なんて器じゃないわよ。まあそんなことはいいとして……手順としては? 私はなにかすることある?」
「千羅ちゃんは同意したって事実があればそれでいい。手順は、この二人を度々ぶつけてやるんだ。完全に熟すまでにはある程度の時間を要するし、期間を開けて……次の時は、最後の空港制圧の時辺りがベストかな」
「それまでに対象が死ぬ可能性は?」
「無い無い! あっちは大怪我してるんだ、次の戦闘にすぐさま駆り出すような馬鹿じゃないさ。それに、キズカが今生理だから丁度いい」
他人の生理の状況を知っていることには引かざるを得ない。
しかし、人間を手のひらの上で踊らせるということには、それほどの準備も必要なことなのだろう。
「これ、私たちだけで進めていい案件なのかしら?」
「無論。二人をぶつけるには戦いの舞台が必要。それは今も、これからも。だからこそ、今の現状はピッタリなわけ」
「魔術士の問題はどうする?」
「魔術士ィ? あんなもん一過性のゴミよ。放っときゃ自然に消えんでしょ……っと、時間だ。そろそろあたしは出てくる」
「待って、カリナ。どこへ行くの?」
「罠にかかったネズミをブッ殺してくるよ。楽しんでくるわ」
カリナと呼ばれた女は、情が深く込められた、冷酷な笑みをちらつかせててそこを後にした。
◇
深夜ーー全てが静まり返る閑散の時間に、狼銀と数人の術士は町中で集まっていた。
夜空には点々と星が瞬いているが、頼りないその光では道は照らせない。街灯の光ばかりが頼りである。
「ここら辺でいいかね。……まだその歌声とやらは聞こえてこないみたいだね」
「時間帯も、歌う日も定まってないらしいですよ。もしかしたら、今日が無駄足になる可能性も……」
部隊員の言葉に、狼銀は目を丸くした。
「げー……そんなこと邁華は言ってなかったのに」
単に確認を面倒臭がった自分の責任だと認めないのはどうかと思う、とは隊員たちも声に出せずにいた。
「しっかし、静かだねぇ。これなら歌声なんてのもよく響きそうだわ。今日は少し風もあるし、風に乗って更に遠くまで届いたりしたら大変そうだな」
一つ前のセリフとは打って変わった、冷静な状況分析。本格的な仕事の始まりを予感させる一声で、隊員たちは背筋を伸ばした。
しかし、それは意味無く終わる。
「えーっと、捜査始めるから。とりあえず分かれてこの辺を……ふぁ〜……ねむい」
仕事に臨む前とは思えない大あくびが出るが、時間が時間なのでしょうがないとも言える。引き締まった空気は一瞬にしてぶち壊れた。
「うん、分かれてこの辺を見て回るから。行動開ーー」
全て言い切る前に、全員の耳に同じ音が入り込んで来て、狼銀も喋ることを一端止めた。
歌。
距離は遠い。しかし、透き通るような歌声ははっきりと聞こえ、耳へ優しく吸い込まれていく。
そして、耳へと侵入した歌声は、そこで変貌を遂げる。優しさが逆転し、受け入れることを拒ませる悪へと、それは進化する。
「っ……頭痛い。これが例の歌声ってやつね。皆秘密兵器出してー、すぐ着用!」
狼銀の言葉で全員が取り出したのは、耳栓。これで耳を塞げば、歌声はひどく近づきでもしない限り耳の奥には届かない。
「じゃー行動開始! 敵影あれば容赦無く殺してもいいけど、やれるんだったら生かしといてー!」
大きな声で告げられた開始の合図で、神術士たちは動き出した。
比較的涼しい夏の夜、眠気を押さえつけながら、狼銀は道を歩いていた。
他の隊員たちは一直線に歌の発生源らしき方向へ向かったのだが、狼銀は迂回路を行っている。
それは、少しでも取りこぼしを無くすため。
そして、その行動の正しさを助長する殺気が、狼銀の後ろから現れた。
「…………だ! こいつは…………ぜ」
「ごめん、耳栓してっからなに行ってるかわかんねーや」
後ろに居たのは、いかにも好戦的そうな男。
「ちゃん……聞け! 魔術…………」
「ああ、魔術士なのね。じゃあこの歌も魔術によるものなのか……?」
冷静に考え事をしていると、突然魔術士の男は顔に青筋立てて襲いかかって来た。
無防備に駆け寄る男。それを、スレスレの距離で斜め前へのワンステップで狼銀は避けて見せた。
男は勢い余ってたたらを踏む。そして振り向こうとした時にはーーその身体には、深い切り傷が刻まれていた。
すれ違い様に、狼銀が懐から取り出した黄金の短剣によるものである。
「おかげで目が覚めた。ありがとさん」
踵を返し、狼銀は歩き出す。同時に、短剣の柄が音を立てて伸び、短剣だったものは槍と化した。
これが、狼銀の神装。伸縮可能の槍型である。これは初期に開発された神装のため、機能が地味なのが難点。しかし、使っている本人は気に入っているとのこと。
「んー……なんだかめんどくせえことになりそうだな」
そうして、狼銀はまた歩き出した。
空港を脱出し、国内に潜む魔術士は少なくない。しかし、敵は何故だか馬鹿ばかりで、襲ってきては返り討ち。こんなことでは、日本がどうにかなるようなこともないだろう。
しかしーー恐るべきものがもっと近くにあることを知らなければ、神術士たちの運命に先は無い。
優機の語った妖術士の謀反。それが本当に大々的なものならば、百年以上前の時に時代は逆戻りである。
「……難しいこと考えても仕方ねえか。目先のもんよりもっと目先の案件を片付けちまはないとな」
そうして歩いているとーー道の先に、地を這う淡い赤の光が見えた。
目を凝らしてよく見ると、その光は線となって地に描かれていき、その上を滑るなにかがある。
「なんだ……あれ」
槍を構え、臨戦体制に。
そして、二人は対面する。
滑るような移動は、ローラーブレードによるものだった。夜の闇に溶けるような漆黒のそれは、妖装と限りなく近い色をしている。
風になびくショッキングピンクの髪は地を這う淡い光、月明かり、街灯の光に照らされ、幾度となく光沢を放つ。
肩とお腹を大胆に露出した黒のトップスに、装飾を施された黒のミニスカート。
全体的な服の色は夜の闇に消えるようでいて、肌の露出や髪の色では派手に目立っている。ネックレスやピアスの装飾類も然り。
常に笑みをこぼしながら、睨むような視線が見据えるは狼銀のみ。
その派手な見た目を、狼銀は知っていた。
「その見た目……まさか、あのカリナか?」
「そうだけど、なんで知ってんの?」
「有名人だよ。派手好きが高じて、全部燃やしちまったんだっけ? その勢いで……あたしも燃やしちまうのかな?」
にやりと笑って、カリナは跳躍した。宙を舞う姿は美しくも見えるが、派手な装飾がそれを打ち消す。
「そのことは、もう思い出したくないな!」
瞬間ーーカリナの蹴りが空を薙いだ。
そして、明らかな殺意を持った炎の輪がいくつも狼銀へ向けて放たれる。
「C、スピアフィールド。転開」
告げると、槍の矛先から尾にかけて、その反対でも矛先から尾にかけて、金色の弧が広がった。
槍を中心線として出来上がった金色の円形。それを狼銀は投げ捨てる。すると、槍は宙で静止。狼銀がそれに手をかざすとーー槍は、円は、高速回転を始める。
円形は持ち主を守る盾となり、衝突した炎をかき消した。
槍を回転させて防ぐ、という発想から得た神術、それがスピアフィールド。
スピアフィールドを収束させ、狼銀は向かって来るであろうカリナへ視線を投げる。
そこにあったのは、衝撃的な光景だった。
重力など完全無視と言わんばかりに、カリナは壁面をローラーブレードで走っていたのだ。
そして、そこから彼女は跳ぶ。着地するかと思われたその脚は、未だ宙を駆ける。まるで、その空間に足場でもあるかのようにカリナは浮遊し、勢いそのままに狼銀へと突撃する。
「っ……んだよそれっ!」
走るような姿勢から落下するような体制に移ったカリナ。しかし、ローラーブレードの車輪は待ちわびたかのごとく高速回転を始める。触れれば、指が千切れ飛んでもなんらおかしくない。
槍を横薙ぎに一振るい。車輪と槍の柄の衝突点は軋むような音を立てる。このままの状態が続けば、槍が折れる可能性もありうる。
「っ……オラぁッ!」
気合十分。力を込めて槍を振るい、カリナを吹っ飛ばした。
その隙に、狼銀は槍を構え直しーー突きを放つ。
愚直に、前方を突くことを生業とする槍の力を最大限に引き出す突きが、常人では到底辿り着けぬ速さで、幾度となく繰り出される。
その速さには、カリナも驚愕。
「なっ、あんた本当に人間かよっ!」
「お互い様だろ!」
カリナもローラーブレードを素早く突き出し、槍と衝突する。しかし、速さでは狼銀が圧倒的に上。
数度、脚に切り傷を付けられながらも、空中にあるカリナの身体は槍との衝突で後退。空を滑るようにしてわずかに遠くへ着地した。
息を切らして、硬直するカリナ。その一瞬に、狼銀の眼光が突き刺さり、槍の矛先が一点を見据えて鋭く輝く。
突貫。
その走りは前へ進むためだけにあり、その矛先は前方の標的を貫くためだけにある。狼銀は一瞬にして距離を詰め、槍の届く範囲へと足を踏み入れる。
なんとかそれを見切ったカリナ。しかし、駿足の狼銀に対しては遅すぎた。身体を捻ることしか出来ずーー槍は、剥き出しの背を断った。
思い通りの結果に辿り着けず、狼銀は舌打ち。カリナは必死に狼銀から距離を取り、塀の上に登って安寧を得た。
「は、速すぎ……」
「あたしはさ、槍が好きなんだよ。前に進むことばっかり得意で、他のとこはまるでダメってとこがね。まあ神装になると例外だが」
「好きこそものの上手なれ、ってとこね……それで人間越えられるなら、もう人の作ったことわざの範疇超えてるわ」
「それは褒めてくれてんのか?」
「うーん……難しいとこだけど、強いて言うならビビってるわ、ねッ!」
語尾と共に、塀の上から地面へ、坂を降りるように滑空。無防備ーーに見えて殺気丸出しの狼銀に極限まで接近。
「超近接戦なら、自慢の突進も出来無いんじゃない?」
まるで舞い踊るかのように、高く上げた足を振るう。殺る気の込もったローラーブレードの車輪と、防御に手いっぱいの槍が衝突し、足技の応酬は槍でするべき行動を取らせてくれない。
「ちっ……それを可能にしてるお前の足さばきも中々人間技じゃねーな!」
「そりゃどーも!」
「褒めたつもりは無え!」
カリナは熱烈に左脚を振るう。
しかし、ワンパターンになりつつあるカリナの足技に見切りを付け、なにもして来ない右足へと視線を向けた。
すると、漆黒のローラーブレードに赤いラインが刻まれているのが見えた。
「見たなっ?」
視線の先に気づかれ、狼銀はカリナが攻撃を止めた一瞬の内に距離を取ろうと走り出す。
「遅いね」
カリナの右足が地面を叩く。
瞬間、高温が狼銀を振り向かせる。そこに見えるのは、決して高くは無く、それでいて強大な妖力を秘めた炎の柱。
轟と音を立てて立ち上がるそれは、巨人が足を踏み進めるかのように狼銀へと向かい来る。
そして、狼銀の足元まで辿り着きーー狼銀の跳躍と共に、炎の柱は立ち上がらず、炎は大きく炸裂した。
爆発のようなそれの衝撃に、狼銀の身体は容易く吹っ飛ばされる。地を転げ、壁に激突。
その衝撃で、狼銀の耳栓が外れた。
だが、歌声は聞こえない。耳栓が外れたことに狼銀は気づいていない。
「いつつ……火出してくんの忘れてた。誤算だな」
「こんなんで終わってると思ったら大間違いよ」
姿勢を低くしたカリナ。同時に、舐め回すような視線が狼銀の周囲を撫でた。
「さーて、どこ走ろっか」
疾駆。
風を切り裂いてカリナの身体は前へと進む。その速度は、槍を持って突撃する狼銀以上。
その速さからなる勢いがあれば、確実に狼銀とカリナは衝突する。槍を構えつつも身体を逸らす。
「そっちならっ!」
跳躍。そして、カリナは宙空に足を載せ、走り出した。
狼銀を一周するように空を駆けーー避けきれない狼銀の肩を車輪が裂いた。比較的傷は浅い。
「あっ、避けないでよね!」
「避けないバカが何処に居るってんだよ!」
しかし、狼銀が迂闊に避けられないのが事実だった。
空中に道でもあるかのように、カリナは優雅に中空を駆ける。
否、あるのだろう。空中でありながら、ローラーブレードの車輪は回転を続けている。
縦横無尽に空を舞っては着地し、駆けーーを繰り返し、狼銀の身体は少しづつ切られていく。幸い重傷は無いが、時間の問題だろう。
(なにか、打開策を……)
空中の何処であろうと駆けられるようで、突きを放っても避けられてしまう。
考えに深入りしーーカリナの足が振るわれる。
なんとか避けようとして、態勢を崩した狼銀は尻餅をついてしまった。
その時、狼銀の手に触れた暖かい感覚。
「……なんだ、これ」
その暖かい感覚は、空気中にあるようだ。目を細めてよく見つめると、そこにその正体はあった。
「赤い、糸……?」
燃える炎のような赤色の糸が、そこにはあった。しかし、物体としてではなく、触れればすり抜けてしまう。
「まさか……」
カリナの駆ける宙空をよく観察すると、そこにはあった。カリナの進む先に必ずある、赤い糸の道が。
焦燥感に駆られた心を冷たく研ぎ澄ませれば、自分の周囲を妖力が囲んでいるのがわかる。
「見ーつけた」
不敵な笑みを見せーー
「C、スピアフィールドーー旋」
矛先を囲うように展開する一周の金色円。それは、道を断ち切る刃となる。
立ち上がった狼銀。そして、槍を天へと掲げる。手の平でそれを回転させれば、金色の円は躍動を続ける刃と化した。
そして、その刃が刻むはカリナのみが進むことを許された炎の道。
それが妖力により構成された存在であるならば、スピアフィールドと衝突することで確実になにかしらの動きがある筈。
一閃。
消え行く赤き糸の道。
使い方を知らぬ者かの如く、狼銀は槍を振り回した。
断ち切った道を進もうとしたカリナの身体が宙に投げ出される。
「なっ、炎路が!?」
「その命、貰っていく」
鋭い眼光が定めた位置は左胸の奥で躍動を続ける心臓。
矛先は空を貫き、一撃必殺の一突きでその急所を穿たんと放たれた。
「お前に貰われるような命じゃないよッ!」
ここで、狼銀は詰めが甘かったことに気づく。
スピアフィールドによる先程の回転技で、全ての炎路を断ち切れていなかったのだ。
わずかに残っていた炎路に足を乗せ、カリナの身体は動き出すーーが、避け来れるわけがない。
疾走する槍の速度を超えることは出来ず、矛先はカリナの左肩を深く抉った。
「っ……ぐっ……あぁぁ……」
呻き声を漏らすカリナ。
「今のはさっきのお返しだな」
慈悲は無くーー槍は空間を駆ける。
途切れた炎路により、カリナの身体はまた宙を舞った。確実に、槍はカリナを貫ける状態にある。
突きーーしかし、トドメ、ならず。
動き出そうとする狼銀の身体は、何故だか動きを止め、横から飛んで来た謎の衝撃により浮遊。そのまま、壁に叩きつけられた。
「Ahーーーーーーーーーー」
絹を裂くような声が耳を劈く。やがて、その声は音程を取り出し、歌声となる。
歌っているのは、少女だ。白い髪で、それ以外の特徴ははっきりとはわからない。
耽美な歌声は吸い込まれるように、耳へ。一瞬の心地よい時間を、歌は与えてくれる。
だがーーその綺麗な外面は、身体の中へと入った時に姿を変えるのだ。
「っ……ああぁあぁあッ!」
頭が割れそうな程の頭痛が襲い来る。
「いい戦いだったよ。でも、罠にハマったそっちが悪い」
瞬間ーー背を走る激痛。同時に、暖かいなにかが身体から抜けていく感覚が狼銀の意識を解離させる。
しかし、食らいつく。消え行く意識の中で、全力を尽くして生にしがみつく。
「カリナ…………いや、妖術士。なにが目的だ」
最早先程までの気迫は無く、声も弱々しい。
「うーん……強いて言うなら、世直し? そのためには、神術士の抹消は必要不可欠なのよ」
「正義の味方を殺して世直したあ、日本も腐っちまったみてえだなぁ……」
「神術だとか妖術なんてのはそういうもんなのよ。なによりも強くて、どこまでも理不尽」
「へえ……まあ、いいや。お前らがなにをしようとしてるのかはわからんけど……神術士は負けねえよ。安心しな」
「その忠告、しっかと受け取らせてもらうわ」
既に感覚も消えた身体に、最後の一撃が振り下ろされた。
冷たくなった身体から流れていたのは、暖かい涙。
銀色の狼は、これを最後に生命の躍動を見せることは無い。
「さて、燃やして証拠隠めーー」
「カリナ、この遺体は私たちで埋葬してあげよう」
先程まで歌を歌っていた妖術士の少女が、か弱い声で告げた。
「はあ? ……まあ、借りがあるわけだしな……」
憂いの色を表情に映しながら、カリナは狼銀の身体を抱き上げた。
「……まあ、引き金にしたのは悪いと思ってるよ、槍使いさん」
そうして、二人は夜の闇に消えて行った。
◇
「んー、結構楽しい人生ではあったけど、も少し生きてたかったかもな〜」
一面白が覆う雪景色のような世界に、狼銀は一人佇んでいた。
そこは人が言う天国という世界なのか、そんなことは誰にもわからない。
ただーー
「狼銀、さん?」
声のした方を向くと、そこに居たのは青髪ツインテール少女。
「静音じゃないか。…………どうした、こんな所で」
ただ、自分は死んだ、という自覚だけはある。
「狼銀さん!」
涙を流しながら、静音は狼銀に強く抱きついた。
「おー、よしよし。一人で辛かったか? それとも……まあいいか」
この世に神は存在する。だから、狼銀はこんな世界を作ってくれた神を、殴ってやりたいと思った。
死んでまで、現実を見せる必要は無いだろうーーと。
<Tobecontinued>