第八十八話 『いつかの再会の為に』
夢を誓い合ったあの日から十年が過ぎ、クロノは17歳になっていた。ラティール王から王宮の武術を学び、訓練場へも通い、日々図書館で勉学に励んだ。それは全て自分の夢の為、誓いを果たす為、勇者になる為の努力だった。
幼い頃は苦戦していた山道も、今では散歩道と化していた。
散々追い掛け回された山の動物達も、今は貴重な夕飯のオカズだ。
ローとの日々の鍛錬で磨いたクロノの体術は、城の兵士ですら一目を置くものにまで成長していた。
「その体術も、当たらなければ意味がねぇんだぜ? クロノ」
「はっ! 今日こそ当てるさ、覚悟しやがれっ!」
森の中で睨み合うクロノとロー、日課である組手の真っ最中だ。
「だあああああああっ!」
ロー目掛け走り出すクロノ、軽く飛び、ローの顎を狙って右足の蹴りを放つ。ローはそれは寸前でしゃがむ事で難なく回避した。
「なん、のっ!」
空中で体を回転させ、しゃがんだローに踵を落とすクロノ。ローはそれを左腕で受け止めた。それと同時、クロノの顔がローの右手に弾かれる。
「……ッ!」
バランスを崩したクロノの胴体に、ローは肩から体当たりをかます。その一連の動作で、ローは脇から剣を鞘ごと落とした。
(やべっ……!)
「気づいたときには、もう遅いってなっ!」
ローは体を立て直すのと、足元の剣を蹴り飛ばすのを同時に行った。クロノの腹部に蹴り飛ばされた鞘が深く突き刺さる。
「うっ!?」
体をくの字に曲げたクロノ、その首筋に剣が当てられた。蹴りの衝撃で飛んだのは鞘だけ、剣自体はローが右手でキャッチしたのだ。流れるようにクロノは負けてしまう。
「はい俺の勝ち、進歩しねぇなぁクロノは」
「クソ……また負けた……」
十年間ずっと負けっぱなしだ、流石に凹む。
「はいはい、落ち込まないっと」
「夢に対して、胸を張れ?」
「夢を貫け、努力しろ! 誓いを胸に、前を見ろ!」
「何年やるんだよ、これ……」
「無論、夢を叶えるまでだっ!」
「まぁつっても、お前の諦めの悪さは凄いしな」
「そこは心配してねぇよ、へへっ」
「あぁ、俺は諦め悪いぜ~?」
「って事で、ローに勝つ事は絶対に諦めないからなっ!」
「あーそうなるのか……うわうぜぇ……」
互いに笑い合うが、クロノは少し俯いてしまう。
「…………」
「ん? どした?」
「……大丈夫、かな」
勇者選別の日は、明日だ。10年間の努力の結果が、明日試される。
「俺、自分でも頑張ったと思う」
「けど、ローにも一回も勝てなかったし……俺の夢は……その……」
「やっぱ、勇者は似合わぶべろっ!?」
言い終わる前に、剣で殴り飛ばされた。
「このドアホッ! エクストリームドアホがっ!」
「お前の努力は、俺が一番良く知ってるっ!」
「自信を持てよ、お前に勇者の資格が無いなら、誰にあるってんだ?」
「それに、お前は何を言われても、自分の夢を恥じる事は無かっただろ?」
「今更、そんな事言うな、お前はお前で胸を張れよ」
そう言って、ローは拳を突き出してきた。その手の指輪が日の光でキラリと光る。この十年、この指輪を見るだけで力が湧いてきた。あの日の誓いが、クロノを支え続けてきたのだ。
「うん……サンキュな」
「そうだよな、約束したもんな」
「わりい、弱気になって」
そう言って、拳を合わせた。自然と二人のお決まりになっていたこの動作、この後は決まって笑顔になれた。
「明日は待ちかねた勇者選別だからなぁ、今日はクロノの飯でパーッとやるかぁ」
「何だよ、俺が作るのか!?」
「料理はお前が俺に勝った数少ない分野だろ?」
「むぅ……だけど食材が不安だなぁ」
「一狩りして帰りますかぁ、山は食材の宝庫ってな!」
「ははっ……逃げ回ってた頃が懐かしいよなぁ」
昔話に花を咲かせつつ、二人は帰路に着いた。夕飯を済ませ、ローが帰った後、クロノは一人ベッドで横になっていた。
「……勇者、かぁ」
この十年、勇者になる事だけを考えてきた気がする。その努力が明日、報われるかが分かる。ローの前では強がっていたが、やはり不安はあった。
「約束の、誓いの、指輪……」
クロノは左手を握り締める、自分にとって何よりも大事な指輪に決意を込めて、クロノは目を閉じた。
「まぁ、結局俺は勇者になれなくて、指輪に証は刻めなかったんだけどな……」
自分の左手の指輪を見て、少し寂しそうにクロノは笑った。
「……俺が勇者選別に落ちた後、ローは自分の事みたいにショック受けてさ……」
「……ほんと、大変だったんだ」
選別に落ちた直後、クロノはただ呆然と立ち尽くしていた。ローだけが大聖堂の神官に詰め寄り、クロノの再選別を求めていた。
『頼むよっ! もう一度試験を受け直させてくれよっ!』
『コイツに資格が無いなんて、何かの間違いなんだっ!!』
『なぁ! おい! 聞けよっ! コイツはスゲェ努力してきたんだっ!』
『コイツが資格無いだとっ!? ふざけんなっ! 神様ってのは何を基準に判断したぁっ!!』
『おいこら無視してんじゃねぇぞっ! おいっ!! 聞けったら……っ!!』
『……ロー、もう、いいよ』
ローの袖を引っ張り、俯きながらクロノはそう言った。
『クロ……ッ! 何がいいんだよっ! いい訳あるかぁっ!』
『……お前が、どれだけ頑張って……』
『……いいんだ』
『約束、守れなくて………………ごめん』
ローの顔を見れなかった、自分がどんな顔をしているのかも、分からなかった。
『なんで、だよ…………!』
『なんで…………なんで世の中ってのは……こんなに理不尽なんだよおおおおおおおっ!!!』
自分の事のように、ローは泣いてくれた。多分、クロノも泣いていただろう。
「俺は、その日から目標を失ってさ、どうしたらいいのか分からなくなったんだ」
「ローも、そんな俺を気にして、旅立ちを先延ばしにしてた」
「勇者じゃなきゃ、夢を叶えれない、そう思い込んでたんだ」
「馬鹿、だよなぁ……」
「俺は証を指輪に刻めなかったけど、夢を成し遂げるって誓いは、ちゃんと込めた筈なのにな……」
「二人で勇者になる、その約束は果たせなかったけど……」
「それでも、それが夢を諦める理由にはならないからさ……」
「俺は旅に出たんだ、夢を成し遂げるって誓いを果たす為に……」
そう言って顔を上げたクロノ、気がつけばエティルとティアラが泣いていた。
「うわぁっ!?」
「えうえう~……良い話だねぇ……良い人だねぇ……」
「……感動、した……+1ポイント」
「今、11ポイント……100ポイントで、協力、したげる……」
「先長くないかっ!?」
「心に沁みる良い話だったよ、クロノ」
「良い兄貴分を持ったんだね」
アルディが鼻をすすりながら、肩に手を置いてきた。
「あ、あぁ……そうだな……」
「うん、俺の恩人だよ……」
そう言いながら視線を移すと、セシルがバツが悪そうに顔を背けた。
「? どうしたんだ?」
「あ、いや……むぅ……」
「……そんな過去があったとは知らず……あの時は……少し無神経だったかも、知れんな……」
「セシルらしくないぞ? あの夜セシルの言った事は、正しいよ」
「あの言葉が無かったら、俺は今ここにいない」
「誓いはまだ死んでないって、そんな簡単な事にも気がつけなかったんだ」
「だから、ありがとうな」
「セシルだって、俺の恩人なんだぞ?」
「……むぅ……」
「貴様、あの夜から比べれば、少し良い顔をするようになったな」
「褒めてくれたのか? 今日は珍しい日だな」
「馬鹿タレ! まだまだ下の下の下だっ! 調子に乗るなっ!」
そう言って顔を背けるセシル、その顔は真っ赤だ。
「はははっ! ……うん、まだまだだよな」
「俺がウジウジしてたせいで、ローも旅立ちが遅くなったんだよ」
「けど、俺が旅立ったあの日、ローもきっと旅立ったはずなんだ」
「拳を合わせたから分かる、ローもあの日、夢を叶える為に旅に出たはずだ」
「今もどこかで、ローは頑張ってる筈だ、俺には分かるんだ」
「負けてられない、きっとまたどこかで会えると信じてる」
「それまでに、もっともっと強くなるんだ!」
「もう二度と、誓いを汚すような真似、したくないからな」
その言葉に、精霊達は頷いてくれた。セシルも顔を背けてはいるが、笑みを浮かべている。クロノは左手を握り締め、空を見上げた。
(俺、頑張ってるからな、ロー……)
(誓いを胸に、前を見てるからな)
(また会える日を、楽しみにしてるからなっ!)
希望に満ちた目で、クロノは空を見上げていた。
同時刻、デフェール大陸のとある山中、一体の獣人種が崩れ落ちた。
「そいつで最後だな、ふぃー疲れたぜ……」
「数多かったねー、疲れたー」
「みんな、ご苦労様」
「特にロー君、今回も大活躍だったね」
崩れ落ちた獣人種の傍に、返り血で赤く染まったローが立っていた。その目は、虚ろだ。そして、その背後には10や20では収まらない数の魔物が、斬り殺されていた。
「討伐数ならローがトップだな、マジスゲェよ」
「ロー君凄いから、私超楽ー」
「今回の仕事も早く済んだね、良い事だ」
「次の仕事だけど、次はコリエンテ大陸に向かう事になる」
「仕事の内容は……」
会話の内容は、ローの頭に入ってきていない。ローは虚ろな目のまま、右手を見つめていた。
(また、汚れちまったな……)
(帰ったら、洗わねぇと……)
数多の魔物の血で真っ赤に染まった指輪を見て、ローはそう思った。その表情は、到底笑顔とは言えなかった。
(……クロノ、お前……今どこに居るんだ?)
(お前が凄く、懐かしいよ……)
(……お前に……会いてぇなぁ……)
血染めの指輪を見ながら、ローは昔を思い出していた。誓い合った理想と夢、それらがローを苦しめていたが、それらがローを繋ぎ止めているのも事実だった。
ローの心は壊れかけ、黒く染まりつつあった。そんなローを見て、ビシャスは歪んだ笑みを浮かべる。ゆっくりと、ゆっくりとだが確実に、人間の中に混ざり込む魔物は、ローの心を蝕んでいく。
クロノとローの再会が、果たして喜ばしい物になるのか、それはまだ分からない。
運命の針は止められないが、指針が何を指すか、それは誰にも分からない。
前を見ても、その先が希望だとは限らないのだ。




