第八十三話 『心を示せ!』
セシルは地底湖を黙って見つめていた、ティアラは再び、水の中に潜ってしまったのだ。
「おい、聞こえているのだろう」
「契約を賭けたゲーム中に泣き喚くとは、貴様それでも精霊か」
『うるさい、放って……おいて』
姿は見えないが、会話は成立していた。
「……ルーン以外の人間は、どうでもいいんじゃなかったか?」
「何故そこまで、過剰に反応する」
『うるさい』
「認めろ、貴様は期待したのだ、クロノにな」
「貴様は、あいつの心をルーンに重ねた」
「自分をもう一度、外へ連れ出す存在だと期待したのだ」
地底湖の水がセシルに襲い掛かるが、セシルはそれを尻尾で払い飛ばす。
「そして、期待を裏切られ、貴様は傷付いた」
「それを認めろ」
『……だったら、何?』
『あの子は、ルーンじゃない、やっぱり違った』
『ルーンは、もう……居ない……私はもう、笑えない、よ』
『真っ暗、だもん……何も、見えない、見たくない』
『ルーンの、言葉……意味分かんない、し……もう、何も……考えたくない……』
『もう、やだ……放っておいて……』
全てを拒絶するティアラだったが、その言葉にセシルの苛立ちが限界を迎えた。
「ふざけるな、この大馬鹿がっ!」
「今の貴様を見たら、ルーンがどう思うと思っている!」
「貴様は、全て無駄にしたいのかっ!?」
「ルーンの想いも、私達との思い出も、全て……もういいと言うのかっ!?」
「一生、水の底に引き篭もる気かっ!」
『……私、一人じゃ、何も出来ない……』
『諦めたのは、あの子の方だもん……私、悪くない……もん……』
駄々をこねるティアラに、セシルがキレそうになった時、セシルの横を何かが走り抜けた。
「あぁ、諦めたのは悪かったよっ! 水篭り野郎っ!!」
そう叫び、クロノが地底湖に飛び込んだ。そんなクロノを見て、セシルは笑みを浮かべていた。
水中でティアラと対峙したクロノ、その表情は迷いを感じさせなかった。『空気の腕輪』のおかげで息の心配も無い。
「……何しに、来たの……」
「君は、一回諦めた……もう、話す事、ない」
そんなクロノを冷たく睨むティアラだが、思った以上に拒絶はされなかった。クロノは水中で、ティアラに頭を下げた。
「ごめん、さっきは君を傷つけた」
「勝手なこと言ってるのは分かってる、だけど……もう一度チャンスをくれ」
「……頼む」
「何度やっても、無駄」
「結果は、変わらない、やる意味……無い」
「今度は、絶対に勝つ」
「君を認めさせてみせる、頼む」
「……っ」
真っ直ぐとティアラの目を見て頼む、もう逸らすわけにはいかない。ティアラはそんなクロノを見て、僅かに目を潤ませた。
「……分かった、もう一度、やろう」
「けど、今回で最後、今回諦めたら、もうダメ」
「絶対に、再チャンスはあげない、分かった?」
「あぁ、分かってる」
「今回で、必ず認めさせてみせる」
そう言って、クロノは浮上を始めた。陸に上がり、心を落ち着ける。
「……次は無いぞ」
「うん、分かってる」
「もう失敗しないよ」
セシルと短い言葉を交わし、水から上がってきたティアラに向き直る。
「ルールの変更、無し」
「さっきと、一緒、オッケー?」
「うん、大丈夫」
「始めよう」
早速勝負を始めたクロノだが、いきなり負けた。グーを出して負けた為、精神を直接抉られる。
(これも、水の力なのか……)
(心に直接攻撃って……結構堪えるなぁ……!)
「……っ! じゃんけん……!」
「ぽん」
今度はチョキを出して負けた、空気中の水分が弾け、クロノの右肩が物理的に吹き飛ばされる。
「痛っ! ぐぅ……じゃんけん!」
「ぽん」
また負けた、何度も、何度も、数十回、数百回……クロノは負け続けた。足の感覚を失い、両膝を付いた状態で、クロノは手を出し続けていた。
「……げほっ……じゃ、んけん……!」
「……ぽん」
何度目か分からない負け、水が弾け、クロノの身体が後方に吹き飛んだ。
(……なん、で……)
それでも、クロノは立ち上がろうとしていた。
(変、だよ……どうし、て……)
立ち上がれずに、両手で這いずり、左手をこちらに向けてくる。
(こんなに、ボロボロなの、に……)
それでも、クロノは笑っていた。
(なん、で……諦めない……の?)
(なんで……心が……光ってる……の?)
まるで、あの人間のようだった。どんな時でも、笑顔を絶やさなかった、太陽のような、あの人間のようだった。
「ほら、どうした」
「続き、しようぜ」
「……勝ち目、無いのに、何で……笑ってるの?」
(何で、心が……折れないの?)
「ははっ……何でかなぁ」
「自分でも、よく分かんないけどさ……」
「意地でも、もう諦めたくないんだよ」
「もう、お前を泣かせたくないんだよ」
心が見えるティアラには、その言葉が偽りじゃないのが伝わっていた。
「……じゃんけん、ぽん」
チョキを出して負けたクロノが、再び物理的に吹き飛ばされた。
(とは言っても、このままじゃどうしようもないわな)
じゃんけんで勝つのは、恐らく無理だ。そもそも、このゲームは心を示すゲーム、普通の方法じゃ勝てないだろう。……だったら、自分の心をこれ以上無いくらい、示してやろう。
全身全霊の力でクロノは身体を起こし、フラフラの状態で立ち上がった。そして、左手を前に突き出した。
「……何?」
「俺は、このままでいい」
左手でパーを出したまま、クロノは止まっていた。
「馬鹿に、してる?」
「心が読めるなら、そんなの分かるだろ?」
そうだ、分かっている、本気だ。ティアラには嫌ってほど伝わっている、クロノは本気なのだ。
「……じゃんけん、ぽん」
ティアラが出すのは、当然だがチョキだ。負けたクロノに精神と物理、両方の苦痛が襲い掛かる。
「あぐっ……うぅ……!」
それでも、クロノは手を引っ込めなかった。パーを出し続けるクロノに、ティアラはチョキを出し続けた。何度も、何度も、クロノに苦痛が襲い掛かる。
それでも、クロノの心は折れなかった。
「……死んじゃう、よ?」
「……エティ、アル……止めない、の?」
目の前で血を吐き出すクロノ、その姿を見たティアラに迷いが生まれた。
「仮に立場が逆だったとして、君は止めるかい?」
「クロノの覚悟だもん、精霊のあたし達に、それを邪魔する権利は無いよ」
次の手を出すか迷ったティアラが視線を泳がせる、その目が、クロノと合った。
「……っ!」
見えてしまった、感じてしまった、クロノの心はまだ光っている。眩しいくらいに、光っていた。
「やめ、て……そんなの、……見せないでっ!」
ティアラがチョキを出す。クロノの身体が苦痛に包まれるが、クロノが手を引く事はない。
「ルーンと、似た心……そんなの、見たくないっ!」
「何で、諦めない……の……」
「どうして、そこまで……」
泣き出しそうになるティアラに、クロノは顔を上げて微笑んだ。
「俺は、君に勝てないと思う」
「だから、これは……俺の子供じみた意地だよ」
「俺に出来るのは、心を示す事だけ」
「だから、絶対に諦めない、この手は戻さない」
「君がこの手を取ってくれるのを、待ち続ける」
ティアラに向けられたクロノの心、それが痛いほど真っ直ぐで、ティアラは直視できなくなった。
「……う、あ……」
「うああああああああああああああああああああっ!」
ティアラが絶叫した瞬間、黒く濁った水がティアラを包み込んだ。その水が膨らみ、クロノの身体も飲み込まれてしまう。
「うわああっ!?」
「クロノ!?」
「何だ、これは……」
二人の勝負を見届けていた精霊達は慌てて近寄るが、黒い水球はそれを拒むように2体の体を弾き飛ばした。
「この水……ティアラちゃんの……?」
「心水……水の精霊技能か……」
「ティアラの暴走で、契約者の居ない状態で発動したのか?」
「飲み込まれたクロノに、危険は無いと思うけど……痛っ!?」
不安そうなアルディに、セシルが饅頭を投げつけた。
「何するんだセシルっ!」
「貴様等に出来る事は最初から無いだろう、饅頭でも食いながら待っていろ」
「クロノがあの中でティアラを見つけ、あの精霊技能を押さえる事が出来れば、契約は結ばれる」
「しかし、随分濁っているな、ティアラの心の具現か?」
「……見つけられなかった場合、ティアラは壊れるかもな」
「そんなっ!」
「あの馬鹿を信じろ、貴様等に出来るのは、そのくらいだ」
静かに浮かぶ黒い水球、精霊達は黙ってそれを見つめていた。
水球に飲み込まれたクロノは、真っ暗な空間を漂っていた。どっちが上でどっちが下なのかもさっぱりだ。
(ティアラは……どこだ?)
辺りを見回すが、ティアラの影も形も見えない。
(……なんだここ、凄い静かだ)
(それに、凄い寒い)
不安に満たされた空間、クロノは出口を探して泳ぐが、進んでいるのかもはっきりしない。
(参ったな……これじゃどうすることも……ん?)
何かを感じる、風の感知を使っているときと似ているが、少し違う。遠くに、誰かが居る。
『何も、見えない……暗い、怖い……一人ぼっち……』
声が聞こえる、いや、心に直接流れ込んできている。
(なんだ、これ……これが水の力なのか?)
(いや、今はそんなのどうでもいい……ティアラを見つけないと……!)
何かを感じる方に進むクロノだが、一向に近づかない、むしろ離れて行っている。
(ティアラ! クソッ……あっちは俺に気づいてないのか……?)
(何か、気づいて貰える手は無いのか……)
そこでクロノは気が付いた、未熟な自分がティアラの心を感じられるほど、この場所は特殊なのだ。だったら、クロノ自身の心を光らせれば、ティアラが気が付いてくれるかもしれない。心を示すゲームは、まだ続いているのかもしれないのだ。
(……この場所が、ティアラの心を示しているなら……)
(やっぱり、ティアラは絶望の中に居るってことだ)
嘗てのティアラを救ったルーンのように、彼女の光だった男のように……。
自分も、この闇の中からティアラを救い出さなければいけない。
クロノは闇の中に手を伸ばす、彼女がこの手を取ってくれる事を願って。
自らの心を、強く光らせて。




