第八百二十一話 『舞台裏での邂逅』
クロノが海で新しい縁を結んでいる頃、流魔水渦のボスとそのメイドは温泉に浸かっていた。ちなみに他の客は一人も居ない。
「ううぅ……善意の貸し切り風呂って言われたけど絶対これ隔離されてるだけだよ……クロノ君の温泉と同じ扱いを観光施設でも受ける羽目になるとは……」
「間違いなく自業自得なので、お姉ちゃんは反省を続けてくださいね」
「あったかポカポカ良いお湯なのに心が寒いぜ……およよ……」
「可愛い妹メイドだけじゃ満足できないと?」
「眼福眼福疲れが溶けていきますなぁ……うへへへ……」
欲望全開のルトは髪の毛を何本か触手にしてマイラに忍び寄っていくが、触手より早くマイラの笑顔がこちらに届く。こんな純粋な笑顔をぶち壊すわけにはいかず、罪悪感でルトは死んだ。
「あー……今回あたいマジで駄目ね……」
「お姉ちゃんはいつも何処か駄目ですよ、お気になさらず……我等絵札はその為におりますので」
「それに、対神聖討魔隊の件で方々に手を回しまくってお疲れでしょう、温泉の中くらい休んでもらわないと」
「そうねぇ……いつも以上に忙しいし崖っぷち+正気を疑うような作戦だ……正直大変だけど、こんなまったりしながら挑めるのもディムラ君のおかげよねぇ」
「通常業務をほぼ請け負って回してくれてる、正直一生居て欲しいくらい有能っす」
「私は信用し過ぎるのは危険かと、相手は四天王……しかも私達以上に異質な存在です」
「外の種であるあたい達以上に訳の分からない存在、とは言うがあたい達に差別の言葉はない……でっかくいこうよマイラ……何か仕掛けるつもりならちまちま仕掛けてこないよ、あの手の輩は」
「長く生きてきたが、あそこまで底が見えないのは初めてさ……なのにあの屈託の無さ……ありゃ本当に……」
「本当に?」
「底無しに道楽を求めているだけ、楽しみを欲しているだけ、底が見えないからこそ全部見えてる……そんな存在だ」
「手玉になんて取れないし、あれ自身取る気も無い、全てに手を伸ばし広げた先全部が遊技場、そんな怪物さね」
「味方の内は頼もしいが、さていつまで楽しませることが出来るのやら……カオス極まるって感じだねぇ、使えるもんは全部使わせてもらうが」
「…………無茶ばかりなんですから」
「それにぃ! 奴は四天王!! もしかしたらセシルちゃんとも連絡を取って、あわよくば会えちゃうかも知れないっ!! クロノ君経由が無理ならもはやこのルートしかぁああああああっ!!」
「やれやれ、仕方のないお姉ちゃんですね」
「ただでさえ色々抱えてるんですから、油断大敵ですよ」
欲望全開で暴走するルトだったが、こんな阿呆でも色々なモノを抱え、託され、今の今まで守り抜いてきた大物だ。実を言うと接触こそ勘で避けてはいるが、セシルは流魔水渦について多少調べている。最近は大勢の魔物で構成されている事を隠すことなく活動を続けているので、嫌でも目に留まる。それに加え、セシルからすれば見逃せない重要な点……ベルやテイル、嘗てのルーンの仲間が所属している事。
「そういった情報をぜーんぶセシルちゃんに流してるってバレたら、流石に怒られるかもしれんなぁ」
ディムラは笑う、自身を切り分け、複数人の自分で膨大な量の仕事を片付けながら笑っていた。気さくに、和やかに、敵意の欠片も持たずせっせと仕事を片付け、流魔に混じり、日常的に会話を交わし、この混沌の渦の中を全力で楽しんでいた。自然に、楽しみながら膨大な量の情報を手にし、全ての自分でそれを共有する。警戒を緩め、警戒を解き、警戒をすり抜け、ディムラは胸を躍らせるような情報を凄まじい速さと効率で収集する。セシルから聞いていたルーンの仲間を実際に確認できた時なんて、夢心地だった。
「伝説上の存在、そこから始まる物語、今も尚続いている物語、あぁ面白い、やっぱりワイの思った通りここには面白いが溢れとる、信じられないくらいのワクワクが眠っとるっ!」
「ごめんなぁルトちゃん、ちょ~っとだけ悪戯してまうわ……君が託され、守っていた物をちょっとだけ暴かせてもらうで、ごめんなぁ後で怒られちゃうかもなぁ……でもでもしゃーないねん、好奇心は止められへんしぃ………………今日まで頑張ってくれたあの子にご褒美あげたいんよぉ」
「バレへんようにするから、堪忍な」
流魔水渦のアジトは、地上の地獄である凍獄に隠されている。極寒の冷気に覆われたそこは対策無しで踏み込めば最後、秒で氷漬けになる即死地帯。そんな地獄の一点に、穴が開いた。不自然に、吹雪がそこだけ止まる。アジト内の誰一人その異変に気付かぬ中、たった一人異変に顔を上げる。温泉饅頭を頬張るベルが、遠く離れたアジトの異変を感じ取る。
「…………もふ、もぐ……誰かな~? そこを突っつくのはさぁ……場合によっちゃ許さないよ」
同じく仕事でアジトから離れていたテイルも、異変を感じていた。
「五百年で初めてかしら、そこにちょっかい出したのって」
「もしかすると……もしかしてぇ……来たのかな? 来ちゃったのかな? 来てくれちゃったのかなぁっ!?」
自身にとって天敵である冷気、それが消え失せた隙を狙いセシルが雲を突き破り急降下する。凍獄に開いた不自然な穴を抜け、寒さが消え失せた場所に着地した。
「貴様の言う通り来たが、一体何のつもりだ」
肩に乗ったディムラの分離体に話しかけながら、セシルは周囲を見渡す。凍獄とは思えぬほど全然寒くないが、辺りは氷しかない殺風景な場所だった。
「最近セシルちゃんには世話になっとるからなぁ、お仕事もやっと最低限使えるようになってきたし? 当初の約束をそろそろ果たそうと思ってなぁ」
セシルの肩に乗るディムラは発声器官だけを持たせた水体種のようなプルプルの球状だ。セシルと行動すると何回も潰されるし燃やされる為、壊される前提の形にするようにしていた。
「鍵の情報は流し、無事回収出来た……じゃあ次は君の仲間の情報や」
「ベルとテイルの情報は貰ったぞ、正直どちらにも会いたくはないのだが……」
「ここにはもう一人いるんよ、いやぁ苦労したで見つけるの」
「君の仲間は本当に面白いなぁ……理を歪め今を生きていたり、外法に手を染めてまで生き延びたり、各々が五百年に向き合い何かを抱え生きている……興味が尽きんよ」
「その何かが何なのか、いまいち私には分からないのだがな」
溜息混じりでそう零し、セシルは雪をかき分け前に進む。吹雪が止まっているこの辺りは、まるで現実から切り離されているようだった。何かしらの術で吹雪が止まっているだけで、本来ならここは常に極寒の冷気に晒されている筈、吹雪によって全てが覆い隠されている筈だ。五百年の時を氷漬けで超えたセシルにとって、他人事ではない話である。
「…………私と同じように氷漬けなのかとも思ったが、流石にそれはないか」
「…………貴様等のような化け物が、そんな無様を晒すのは有り得ない」
『そうでもないでござるよ、現に拙者はこうして寿命を迎えているわけで』
声が、響いた。目を向けると、氷で出来た社のような場所に一本の大太刀が突き刺さっている。
「鬼神種の名に相応しい祀られ方ではないか、場所が酷すぎる気がするが」
『今は嘗ての獲物に自らを宿らせ、時を待つしがない付喪神でござる』
「エセ侍が、死んでも変わらんなその振る舞いは」
『久しぶりの邂逅というに……手厳しいでござるなぁ』
『いやはや、大きくなったなぁセシルよ』
「貴様は変わり果てたな、雪花」
大太刀の傍ら、半透明の姿で嘗ての仲間がそこに居た。雪隠れの邂逅がもたらすのは、果たして……。




