第八十二話 『迷う事を、迷わない』
「嫌だ、そんな言葉じゃ済まない事くらい分かっているだろう」
「ルーンの言葉、忘れたわけじゃないだろ?」
「ティアラ、君の番だ」
ティアラに詰め寄るアルディだが、ティアラは俯いたまま顔を横に振っていた。
「やだ、絶対、やだ」
「ティアラちゃん……それはルーンを裏切るって事だよぉ?」
「あたし達も最初は迷ってたけど、今はクロノを信じてる」
「ゲームだけでも、お願いできないかなぁ」
エティルが柔らかく話しかけるが、ティアラは顔を背けた。
「私は、人間嫌い……ルーン以外の人間は……嫌」
「だって……みんな汚い……そんな心、見たくない」
俯き続けるティアラ、そんな彼女の様子に頭を悩ませる精霊達。このままではどうにもならなそうなので、クロノは一歩踏み出す事にした。
(どう転んでも、やっぱ俺から行かないとダメだろうしな……)
そう思い、ティアラに近づき、目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「俺はクロノ、始めましてだな」
「いきなりで藪から棒だけどさ、俺と契約して欲しいんだ」
「……あっ」
『嫌だ』……そう言われると思っていたのだが、ティアラは目を丸くしてこちらを見つめていた。少し驚いたような顔をして固まっているので、クロノは言葉を続ける事にする。
「俺自身ルーンの事とか全然知らないけど、俺の夢は人と魔物の共存」
「……ルーンと同じ夢って事になる」
「その夢の為に、力を貸してほしいんだ」
「だから……」
「分かった」
「「え?」」
言い切る前に、予想外の言葉が飛んできた。エティルとアルディは思わず間抜けな声を上げている。
「君を、試させて、もらう」
「私と、ゲームしよう」
「……! あぁ、勿論だ!」
(え? え? 何々? ティアラちゃんなんかやる気になったよぉ?)
(あの頑固なティアラが……どういう風の吹き回しだ?)
精霊達は混乱しているが、ティアラがやる気になってくれたのは嬉しい誤算だ。このままゲームで勝てれば、何の問題も無く契約を結べる。
「ゲームの内容は何だ?」
「……じゃんけん」
「……じゃんけん? グーチョキパーの?」
「うん、そう」
正直に言えば、少し拍子抜けだ。エティルやアルディの時は身体がボロボロになったが、今回はそんな心配は必要なさそうである。だが、クロノは気づいていない、精霊達が顔を青くした事に。
「ルールは、私に一回でも勝てれば、君の勝ち」
「私に負けたら、その度に罰ゲーム」
「罰ゲームで心が折れたら、君の負け」
「……いい?」
「あぁ、それでいいよ」
今までの精霊との勝負と同じく、諦めなければ負けにはならないらしい。
「よし、早速始めようぜ!」
「……じゃんけん、ぽん」
クロノがチョキ、ティアラがグーだ。
「あ、俺の負けか…………っ!?」
それを理解した瞬間、クロノの視界が横にぶれた。顔の横で何かが弾けたのだ。
「痛っ!?」
「クロノッ!」
「ちょっ……ティアラちゃん!?」
「……罰ゲーム」
「チョキで負けたら、物理的に」
「グーで負けたら、精神的に」
「パーで負けたら、両方に」
「苦痛、与える」
「……続き、しよ?」
前言撤回だ、今回もボロボロになりそうである。
「ちょっと待てティアラ、お前、この勝負は……」
「口出し、無用だよ……」
「契約者、試すゲーム、手抜きは……しないよ」
「やっぱり……そうなんだ……」
精霊達が何か話しているが、その内容は理解出来ない。クロノは体を起こし、頭を押さえながらもティアラに向き直る。
「痛た……何したんだ今の……」
「空気中の、水分を爆発」
「それがこんなに痛いのか……よし、続きしようぜ!」
そう言って構えるクロノ、ティアラもそれに応えた。
(チョキ出して負けたしな……次は何で行く……?)
(罰ゲーム的にパーで負けたら一番苦しいしな、相手もパー出すとはあんまり思わないんじゃないか……?)
(クソッ……意外と考えるな、このゲーム……)
頭を働かせ、クロノが出したのはさっきと同じチョキだ。
「うっ、また負けか……」
「罰ゲーム」
腰の辺りが弾け飛び、物理的に苦痛が与えられた。
「てぇ!?」
「……続き」
その後、数十回じゃんけんを繰り返したが、勝つどころかあいこにすらならない。
(ちょっと、待てよ……何かおかしくないか……?)
最早立っていられず、片膝を付いた状態で考える。
(……少し、試してみるか……)
(エティル、精霊技能だ)
(う、うん……)
疾風を宿し、じゃんけんの構えを取るクロノ。
「じゃんけん……!」
「ぽん」
途中までチョキだったが、出し切る前に高速でパーに変えた。その動きにティアラは完全に付いて来た、殆ど同時にグーからチョキに手を変えたのだ。
「あっ……」
「罰ゲーム」
「……っ!? ぐ、がぁ……!」
何をどうされているのかまったく分からないが、締め付けられるような痛みが体を襲う。それだけではなく、精神を抉られるような不安が襲い、精霊技能が解除された。
「げほっ! これって……」
顔を上げ、ティアラを見た瞬間、何もかも見透かされているような錯覚を覚えた。
「水の……力は、心の力……!」
アルディがそう言っていたのを、思い出した。
「そうだよ、私の力は、心の力」
「君の動き、全部分かる」
「心がどう動いたか、身体はどう動くか、全部、全部」
「全部、見えてるよ」
何だ、それは……。
そんなの、勝ち目があるはずが無い。
出す手が読まれるのなら、クロノが勝つのは不可能だ。
「……っ! くそっ!」
クロノは手を出そうとするが、ティアラの目を見た瞬間にその動きを止めた。見透かされている、考えてる事も、何もかも。
それを察した瞬間、クロノは手を下ろしてしまっていた。その心に、諦めが広がっていく。
(あ、クロノ……ダメ……!)
(クロノ! 待て!)
精霊達の声が聞こえると同時、クロノの顔に大量の水がかけられた。
「ぶわっ!?」
思わず尻餅を付いてしまうクロノだったが、水をかけてきたティアラが泣いているのに気が付いた。
「あっ……」
そして思い出した、ティアラには考えるだけで伝わるのだ。忠告されていたはずなのに、心を不安で満たしてしまった。
「……やっぱり、違う」
「君は、違う」
「人間なんて、みんな一緒だ……」
「う、うぇ……」
ポロポロと涙を零すティアラ、その周りに水の球が幾つも現れた。
「帰ってっ! 帰ってっ!」
「もう、私に、構わないでっ!」
泣き叫びながら水を撃ち出すティアラ、その一撃が洞窟の壁を抉った。クロノは何とか避けようとするが、足が言う事を聞かなかった。
「う、うわっ!?」
被弾寸前、セシルが尻尾でクロノを吹き飛ばした。
「セ、セシル!?」
「続行は無理だろう、一旦引け」
「け、けど……」
「貴様は諦めた、今の貴様にティアラと話す資格は無い」
「一度引け」
そう、クロノは心の中で諦めたのだ。その結果が、これだ。
「あっ……俺……」
「クロノ、一回戻ろう?」
「今は、落ち着こうよ」
「セシル、ティアラを任せる」
「僕達は、クロノを」
「……仕方ないな、まったく」
結局、この場はセシルに任せ、クロノは来た道を戻る事しか出来なかった。
クロノは、ゲームに負けたのだ。
洞窟の入り口近くまで戻ったクロノは、壁に背を預けしゃがみ込んでいた。心の中は後悔で一杯だ。
「……ごめん、俺……」
「……仕方ない、よぉ」
「実際、勝ち目の無いゲームだったからねぇ……」
「だが、致命的だったかもな」
「ティアラは再び、心を閉ざした」
「最悪、もう契約は無理かも知れない」
その言葉に俯くクロノ、取り返しの付かない事をしてしまった。そんなクロノの頭の上に、エティルが乗ってきた。
「ねぇ、クロノ?」
「クロノは、迷わないってよく言うよね」
「絶対に諦めない、絶対に迷わないって」
「今でも、そう言える?」
「うっ……」
「攻めてるんじゃないよ、けど、答えて欲しいの」
エティルの意図は分からないが、磨り減った心にその問いかけは少し響く。
「……言えない……よな」
「偉そうに、言っても……俺は……」
「うん、そうだよね」
「それは、悪い事なの?」
「違うよ、違うんだよ」
頭の上から飛び降り、目の前に浮かんだエティル、その顔は真剣な物だった。
「諦めない事は凄い事なの? 迷わないのって偉い事なの?」
「違うよ、場合によってそれって、盲目になってるって事じゃない?」
「状況によって、その言葉はマイナスに変わる事だってあるんだよ」
「クロノは、今諦めたよね?」
頷く、確かに諦めた。
「うん、けど……そこで終わり?」
「諦めたなら、次どうするか考えないと」
「迷ったら、とことん迷って答えを探さないと」
「そうやって、前に進まないとさ」
「諦めて止まらないで、迷うことを迷わないで」
「そうしないと、いつか潰れちゃうよ」
迷う事を、迷わない……。その言葉が、深く胸に突き刺さった。
「クロノ、君は僕達との契約のとき、夢を諦めないと誓った」
「僕達はその言葉を信じて、契約を結んだ」
「その契約は、君を縛る鎖じゃない」
「夢を諦めず、盲目に突き進む事、そんな事僕達は望んでいない」
「止まってもいいんだ、立ち止まって、迷ってもいいんだ」
「それは諦めじゃない、折れて崩れても、もう一度立ち上がれるなら」
「それは、絶対に諦めじゃない」
「ティアラが確かめたい物、君がティアラに示さなきゃならない物」
「それを考えるんだ」
「俺が、示す物……」
失敗してそこで終わりじゃ、本当にダメダメだ。一度諦めて、そこで投げるわけにはいかない。クロノはまだ、契約を諦めてはいない。
「クロノ、実はね、ティアラはルーンが最初の契約者じゃないんだ」
「え?」
「生まれて間もない頃、契約が何を意味するかも知らなかった頃」
「ティアラは一人の人間と、訳も分からず契約したらしい」
「その人間は、金儲けの為にティアラを利用した」
「その人間も勿論だが、ティアラが外の世界でみた人間達は、心が汚れた奴等ばかりだったらしい」
「ティアラは人間に、外の世界に絶望し、契約者との契約を破棄……泉に引き篭もったんだ」
「そんなティアラちゃんを外に引っ張り出したのが、ルーンだったんだよぉ」
「ずっと笑わなかったティアラちゃんを、笑顔にしたのがルーンだったの」
「ティアラちゃんにとって、ルーンは本当に……救世主みたいな存在だったんだよ……」
つまり、今のティアラは……そのルーンを失った絶望に沈んでいる事になる。そこから救い出すことなんて、自分に出来るのだろうか。
「……何で、ティアラは俺とゲームをしてくれたんだろう……」
「……ティアラには、見えたのかも知れない」
「君の心が、闇の中でも」
「きっと、ルーンに似た物を感じたんだよぉ」
「ティアラちゃん、純粋な子だもん、本当は寂しがり屋だもん」
「絶対、一人は寂しいはずだもん……」
クロノは左手を握り締め、立ち上がった。
「もう一度、会いに行こう」
「迷って決めた、もう大丈夫」
「諦めて見えた物、絶対無駄にしない」
今回のゲームで戦う相手、それはティアラじゃない。自分の心、それに向き合うゲームだ。
今度こそ、クロノの迷いは断ち切れた。洞窟の奥を目指して走るクロノを見つめ、精霊達は笑っていた。




