第八百十五話 『道中、落とし物』
両の拳を打ち付け、マーキュリーは身に纏う魔力を一層強める。かなりの力を感じるが、それで怯む程平坦な道は歩いてきていない。クロノは動じず、セツナを庇うように一歩前に出る。
「おうおう一挙手一投足なにもかも気に喰わねぇ野郎だ! テメェ等ッ! 囲え!!」
マーキュリーの指示を受け、周囲の突貫魚達が加速し始める。クロノ達の周囲をグルグルと泳ぎ、水流が渦と化し退路を断った。
「こんな事しなくても、逃げたりしないよ」
「そこは雑魚らしくガタガタ怯えて許しを請うところじゃねぇのか? 俺様の機嫌を損ねたら大怪我するって場面だぜ」
「どんなに胡麻を擂っても、普通にしてても、問答無用で大怪我一直線の理不尽な目に遇ったりする道をこれでもかってくらい選んで歩んできたんだ、周りをでかい魚に囲まれたくらいじゃ怖くねぇよ」
「クロノ! 安心しろ私は凄く怖い!」
「はっはぁ! お連れの雑魚は怖いらしいぜ! 安心しろ本当に殺しはしねぇよ」
「ただちょっと、ズタボロの人肉になってもらうだけさぁっ!!」
マーキュリーの乗るクリスタルシャークが薄く光、氷で自身を覆い始める。トゲトゲした氷の鎧を装備し、勢いよく突進してきた。
「さぁビビり散らかせ人間っ! 生意気な態度を改め海に屈しろっ!!」
「懐かしいな、俺の海ステージ最初のボスじゃんか」
「思い返せば、怒られても仕方ないくらい無茶ばかりしたもんだよ」
「何を落ち着いて思い出振り返ってやがんだイカレてんのかテメェッ!! もういい一回地獄見やがれ!!」
「動かざること山の如しってね」
「は?」
クリスタルシャークの突進を棒立ちで受け、その威力をしっかり受け止める。目を閉じ、大地の力をフルに纏い、ただ受ける。ただただ防御力に極振りし、圧倒的な硬さで受け、相手の氷を砕き、捻りも無く受け止める。力任せに突進してきたクリスタルシャークは氷を砕かれ、それでも前進し自分の額をクロノに押し付ける、その額は徐々に凹み、赤くなり、クリスタルシャークの無機質な瞳が次第に曇り始める。そして衝撃は壁を突破できず、後方に弾かれた。クリスタルシャークの巨体が、マーキュリーを乗せたまま吹っ飛ばされる。
「馬鹿なあああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「氷魔法で攻めてくるならともかく、今更でかいだけのサメの突進で巨山嶽が破れるもんか」
「この……っ! 人間の分際で舐めやがって……!」
吹っ飛んだクリスタルシャークから飛び降り、マーキュリーは自身の力で水を蹴ってこちらに突っ込んでくる。その速度は確かに速いが、今まで戦ってきた猛者と比べれば対応に困る程じゃない。
「俺の力を思い知れや人間っ!!!」
「肌で感じてるよ、あんたは弱くはないさ」
「けど、もっと強い奴等と戦ってきた……なんならネーレウスのじゃれつきの方がよっぽど命の危機を感じたよ」
「はっ! 魔核個体の中でもあの触手女は上澄みだったからなっ! 気持ちの悪い嫌われ者でも、力だけは本物だった!」
ネーレウスを侮辱するような言葉と共に、重い拳が叩き込まれる。クロノはそれを裏拳で払い飛ばし、マーキュリーを睨みつけた。
「ネーレウスは嫌われ者じゃない」
「テメェにあの触手のなにが分かるってんだぁ?」
「ネーレウスは優しい奴だ、それこそ底無しに純粋だった」
「テメェなんぞを救うために命を懸けたって話だったか? 人間を救うために、それは優しさじゃない……底無しに馬鹿だっただけさっ!! 昔から、あいつはっ!! 夢見がちな馬鹿だっ!」
「…………俺はあいつに救われた、その事実は変わらない、変えさせない……一生忘れない、ずっと背負ってくって決めたんだ」
「だから、ネーレウスが俺に夢を見てくれたなら……俺はその夢を笑わせない」
「……ッ……本当に、気にいら……」
「何をしでかしているんですか、愚か者がああああああああっ!!」
「ナバラッ!!?」
突如水流そのものが割って入り、先ほどまで包囲していた渦が物理的に叩き割られる。突貫魚が散っていくのが見えるが、割って入ってきた水流からは知った魔力を感じた。その水流が槌のような形を取り、マーキュリーを叩き潰す。
「ネプトゥヌスさんってば容赦ないなぁ、こいつ北の海の王族なんだろ?」
「ここは北の海でもないですし、そもそも無礼に王族も民草も関係ありませんよクロノ君」
「折角訪ねて来てくれたというのに、大馬鹿者が失礼を……」
姿を現したのはネプトゥヌスだった。久しぶりに会ってみれば、どうやら妹達以外にも悩みの種が出来たらしい。
「テメェのこれは失礼じゃねぇのかクソ野郎が……」
「先日散々迷惑をかけ、北の王にまでお叱りを受けた癖によくもまぁこのような暴挙に出られましたね」
「ネーレウス様の守った人間に会ってみたい、貴方がそういうから特例で滞在許可が下りていたんですよ、約束を秒で破って急襲を仕掛けるとは何を考えているんですか」
「いきなり襲われたから俺はそいつとネーレウスの関係もいまいちなんだけど……」
「この方は北の海の王子、マーキュリー・ナバラ様……ネーレウス様とは幼少時からの付き合いでして……ご友人とはとてもじゃないですが言えぬ仲、嫌み混じりに言い寄り殴り飛ばされたりする仲です」
「ふぅん……」
「強さだけは本物だったんだ、貰い手もねぇならお情けで俺が貰ってやろうってなぁ……!」
「あの気持ちの悪い触手もっ! 戦力としてみれば輝けるって話さ! あいつは馬鹿だったから文字通り蹴ったけどなぁ!」
「蹴られたのは貴方自身でしょう、文字通り海の果てまで」
「王族に対して口の利き方がなってねぇんじゃねぇのかぁっ!!」
「クロノ君、この馬鹿者の無礼は僕に免じてどうか……」
「いいよ気にしてないから、それよりネーレウスの件で会いに来たんだ」
「王様、ネーレウスのお父さんには会えるかな」
「前回そちらのお嬢さんが訪ねて来た時に、このような機会が訪れる予感はしていました」
「前回訪ねて来た切り札です!」
「此方へどうぞ、妹達も待っていますよ」
「おいこら待てやっ! まだ勝負はついてないぞ!!」
「マーキュリー様、いい加減にしてください」
「王とクロノ君の間に割って入ろうものなら、流石にご容赦出来ませんよ」
「ネプトゥヌスさん、その人も連れてきてくれないか」
「え?」
「俺は全部背負っていくって決めたんだ、だから零さない」
「巡り巡って繋がった因縁だって、縁には違いない」
クロノはそこまで言うと口を紡ぎ、黙ってマーキュリーと目を合わせた。無言の圧に対し、マーキュリーは舌打ちをしながら目を背けた。
「……クロノ君が言うのなら、僕は何も言いませんよ」
「嫉妬しない?」
「ふふっ……君も言うようになったな……憎たらしいくらいだ」
「日々嫉妬しているとも、それが僕の原動力になるのだからね」
「開き直ったねぇ」
「そうでもしないと物理的に忙殺されそうなんだ……久々に王の元へ戻った反動に加えて今は流魔水渦とも連携して動いていたりするからね……仕事量がね……」
「お、おう……」
砕けた様子で言葉を交わすクロノとネプトゥヌス、そんな両名を見てマーキュリーは心底嫌そうな顔をした。
(クソが……ッ)
イライラを抱えたまま、マーキュリーは周囲の突貫魚を下がらせる。クリスタルシャーク共々待機命令を下し、自身はクロノの後を追った。言葉の意味は分からなかったが、先ほどの目が語っていた、『ついてこい』と。
「上等だ……良い度胸だ……ケリ付けてやるよ……クソ人間が……」
「お前の何がネーレウスにそこまでさせたのか、教えてくれよ……クソッタレがぁ……!」
先ほど裏拳で弾かれた拳が、ジンジンと痛む。マーキュリーは血の気こそ多いが馬鹿ではない、特に強さに関しては鼻が利く。クロノから、ネーレウスと同じような匂いがする、強さの匂いだ。自分では敵わないと、決して勝てないと、そう感じていた。それでも、引くわけにはいかないのだ。引けない理由は、こっちにだってあるのだ。ずっと探しても見つからない、答えがそこにある気がしてならないんだ。
「どいつもこいつもテメェを持ち上げる、テメェがなんぼのもんだ? どれだけスゲェ、何がスゲェ、お前は一体何なんだ、人間風情がどうして海の者にここまで影響を与えた、なんで変化を生んだ」
「どうして、ネーレウスを救えた、停滞してた筈の西を動かせた……教えろよ」
「なぁ……人間……その『答え』を…………お前は持ってるのか……?」
狂気か、執念か、薄暗いモノを瞳に宿しマーキュリーはクロノの後を追う。それは一筋の光に縋るようでもあり、怒りや恨みだけを感じさせる様子ではなかった。救いを求めるようでもあり、道に迷った子供のようでもあった。だからこそ、クロノは目を合わせたんだ。もう何も、零したくないから。
それがネーレウスの道に転がっていたモノなら、尚更だ。




