第八百四話 『狂気汚染』
「あぎゃ……あ、あああ……」
「ちょ、さっきのわけわかんねぇ放送マジなのか!? アプちゃん一体どうしちまったんだよ!」
さっきまでニコニコと客引きをしていたアプが頭を抱え蹲ったかと思えば、肉体の大半を崩し呻きながら人を襲うようになってしまった。両手を液状にし、周囲の人間を包み込むように飛び掛かる。
「罪を打ち抜け、浄罪の閃光」
白い光が周囲を照らし、屋外屋内問わず雷がアプの分身体を射抜く。崩れかけていた身体が完全に崩れ落ち、物言わぬ液体が水たまりを残す。
「分かってた事だが数が数だな、今も増え続けている」
「増えれば増える程、本体にかかる汚染も強くなる……急がないと!」
マルス達はアプの本体をセツナに任せ、騒ぎの元凶を探していた。道中アプの分身体を可能な限り散らし、人々の避難を支援する。
「プラチナ、僕達の分身作り出す為要素を組む時間も惜しい……自分の分身で避難誘導を支援しろ」
「クソ程だるいけど仕方ないか……避難先は……ん?」
「魔物……魔物だから悪いんだ……魔物なんか、魔物なんかを受け入れたから……受け入れたから……!」
「なんでこんな事に、魔物、魔物を信じたのが、罪、罪……罪を裁きに……私達は正義の、敵……」
どうも様子のおかしい人が多い、パニックを起こしているにしても頭を抱えている人ばかりだ。アプの分身体は一先ず片付けたが、眼前の脅威が払われても周りの人は身体を振るわせその場から動かない。ブツブツと呟き、まるで目の前で何が起きているのか分かっていない様子だ。
「後悔とか後でいいでしょ、今はとにかく避難しなよ、嫉妬しちゃうよ」
「魔物は悪、魔物は罪、魔物が悪い、悪悪悪悪……」
「…………目がやばい事になってるよ、とてもじゃないけど正気とは思えないかな」
「出ていけ! 俺達の国から出ていけぇ!! 邪悪な魔物め、滅ぼされちまえええええええええ」
「あ、あぁ……ああああ!」
「人を襲うなんて、これがお前の本性かああああああああああっ!」
まるで、地獄絵図だ。操られたアプが絶叫し、正気を失った人間達が明後日の方向を指差し暴言を並べ始めた。そこに正気は感じられず、当然だが正義の欠片もない。
「…………中身の無い糾弾、濡れ衣に悪意……だからってやり方が……」
「陳腐よな、これで貫く正義とやらがどんなものか一周回って興味があるぞ」
「ドブ臭い正義の名の元振るう刃は、さぞ気持ちがいいだろうよ」
ツェンが腕を払うと、視界内のアプが弾け飛ぶ。そして、狂気に狂った人々も首筋に衝撃が走り気を失った。
「おい、誰が運ぶと思ってんのさ」
「加減してやっただけありがたく思え、どうせこの状況じゃ避難先の有無など意味は無かろう」
「狂気を感染させ、心を汚染する者……心の闇を煽り、負の感情を加速させる者……そして単純に破壊で不安を加速させる者……外からも内からも追い詰める性根の腐った奴等が相手だ」
『国で暴れ回る魔物がどう映っていますか? 一緒に暮らしていけますか? それと共に、生きていけますかぁ!?』
『魔物を信じた己を恥じて! 悔やんで! 後悔してください! 皆様が罪を認め、罪を知り、罪を憎めばっ!! それだけ正義は、正義が、正義だけが皆様の救いになるのですからっ!!』
『だから私が、私達が、罪を罪とし、罪を皆様に教えるのです、突きつけるのです、罪とは何かっ!! 目に見える形で、悪しきを形にするのですっ!! 正義が輝くようにっ!! 神聖討魔隊切り込み隊・三業が罪で皆様を飾り付けるのですっ!! 裁きの時、皆様は正義を知る、正義を得る、正義を有難いと思う、だから今はっ!! 嘆き苦しみ後悔してくださああああああああああいっ!!』
「あああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
再びの放送に、アプの分身体が叫び声を上げ国を包み込む。その声に続くように、人々は絶叫し、地面に頭を擦り付けるように崩れ落ちた。もはや怒りすら生温いと言った様子で、ツェンは右足を振り上げ、虚空に叩き下ろす。必中であり不可視の衝撃がこの場の全生命に襲い掛かり、意識を漏れなく奪い取った。
「不愉快極まる、一方通行の正義感は神経を逆撫でるな」
「……目を覚ます前に、騒動の元凶をぶちのめすよ……悪い夢を見ていたって事にしようよ」
「……悪夢しても気分が悪いけどね、このままじゃ双方救われない……セツナが一番嫌がる終わり方になるよ」
「……昔と違って、一方だけじゃなく双方の在り方や考え方ってのを意図せず見ちまったわけだけどさー、どうなのさマルス」
「どうもこうもない、そもそも僕は忌々しい事に既に背を押して行動してしまっている」
「そしてこの状況、動かないわけにはいかないだろう」
「結局知っても知らなくても、俺等のやる事は変わりはしないか……」
「けどなんでだろうね、やる事は変わってない筈なのに……昔とは違った結末になる気がするんだよ、頭動かすのもめんどいのに、俺の中でなんかがそう叫んでる」
「押し付けや自己満足じゃないから、じゃないかな」
「少なくても、アプちゃんには帰りを待ってくれてる人がいる、同じ願いを持ってくれてる人が居る……ゴールがちゃんとあるんだよ愛の行きつく先が、だから迷わず助けられる、助けて良いんだって確信できる」
「それを傷つける事、悪いことだって言い切れる」
「善悪がはっきりしてるって事? それすら俺達の勝手な感じ方だと思うんだけどね」
「いや、まぁそうか……そうだな、それしかねぇや……笑えないや」
「笑えばいいだろう、逆に言えば昔の我等にはそれすらなかっただけの話だ」
「迷いを抱えたまま、何が正しいのか己ですら分かっていないまま、無様を晒し続けた……だからこそ行きつく先が滅びだっただけのこと」
「耳が痛いな」
「とことん騒動に巻き込まれるけど、毎回毎回セツナ達が巻き込んでくる戦いはゴールがはっきりしててやりやすいよ、嫉妬しちゃうけど」
「本当にな、幸い湧き上がる怒りの矛先には事欠かない……存分にやらせてもらおう」
「……切り札の言葉を信じるなら、汚染は任せていいだろう……馬鹿には馬鹿をあてがった」
「ならば耳障りな放送を早々に黙らせるとしよう、誘っているのか単純に馬鹿なのか……もはや潜んでいるとも言えぬしな」
ツェンが睨むのは、この国で唯一温泉がない居住区の方だった。緊急事態用の結界が貼られ、人々が目指す避難所もそこにある。
「温泉が一番多い場所、言い換えればアプの分身体が一番多い場所が汚染が一番広がりやすい……そしてさっきの爆発はお店が多い場所から……唯一分かりやすく被害の声が上がってないのが居住区……人が集まる場所は、多くの感情が渦巻く場所…………おあつらえ向き過ぎてあからさま過ぎる、嫉妬も枯れるよ」
「ここ以上の地獄絵図だろうな、何を信じ何を想うか、それすら他者に捻じ曲げられるなら生きている価値などないだろうに」
「傀儡に欲はない、悪魔にとってもそこに価値はない」
「僕等は今や悪魔だ、欲のない国など願い下げ……罪がどうのと欲をぶら下げてくれている輩を狙うとしよう」
「罪と呼ぼうが、正義と飾ろうが関係ない……悪魔らしく、欲を食い潰すとしようじゃないか」
「素直にみんなを助けようって言えばいいのにぃ」
「格好つけてるとこ悪いんだけど気絶した奴全員俺のコピーに任せるのやめない!? 負担がやべぇんだけどっ!!」
アプの分身体を蹴散らし、正気を失った人々を片っ端から気絶させ、全てをプラチナに押し付けながらマルス達は居住区を目指す。一方その頃、ドゥムディとディッシュは燃え盛るカーヤから人と建物を守り続けていた。
「自己満足の化身があああああああっ!! 大口叩いて防戦一方とは惨め、無様、期待外れの燃えカス野郎共がああああああああああああああああああっ!!」
「暑苦しい野郎だなァ、ボク等を相手にあれもこれもと欲張るのは思い上がりも良い所だぜェ」
「ボク等を焼きたいなら、火力集中した方が良いんじゃねェのかァ?」
「俺様に意見してんじゃねぇ!! 万物すべからく燃えるべきなんだよ! 罪は炎上無くして語れねぇ、語り継がれねぇ、俺様の炎は、罪を彩る為にあるっ!! 好きに暴れる為に俺様は在るのだっ!! 分かったか! 分からねぇなら燃えて死ね、分かったなら燃えて死ねっ!!!」
火球がディッシュに放たれるが、その全てが暴食の牙に食い散らかされる。威力自体は脅威にはならないが、範囲と連射が凄まじい。
「炎上ねェ、腹が立つほど気持ちよく燃え散らかしやがるぜェ」
「辺り一帯の人は大体避難させたが、建物も守るには少し厄介な能力だ」
「被害を抑えたいってのはお前の言い出しだろうがよォ、ボクの力は防衛向きじゃねェんだぜェ?」
「だからおれの持ってる能力フルに使って守りを固めてるんだ、早いところお得意の牙で奴を落として欲しいんだが?」
「炎が、熱が、奴までの最短を覆ってんだよォ……! 容易く食い千切れるが、喰い放題ってくらいに張り巡らせてきやがる……味気のねェ炎ばっかり腹に溜まって飽きてきたぜェ」
「俺様の炎を喰ったと本気で思ってるのか? 今も腹の中で燃え上がって熱々だろうがよぉ!!」
カーヤの言う通り、ディッシュの中では今も炎が燃え盛っている。だが、ディッシュは舌を出し笑ってみせた。
「ぬるすぎて笑っちまうぜェ、大罪を焼きてェなら地獄の業火でも生温い」
「そうかいそうかい、火種としては上等だ」
「お望み通り、この国共々燃えカスになってくれよな!」
「残念ながら、ボクは火の玉を喰う趣味はねェ」
「そこの温泉饅頭の方がまだ食欲をそそるぜェ……だからお前の相手は譲ってやる」
次の瞬間、炎を纏った蹴りがカーヤの顔面に叩き込まれた。超速で飛んできたクロノが赤い閃光のようにカーヤに突っ込んだのだ。
「ぬおっ!?」
「こいつ敵だなっ!!?」
「あぁそうだっ!! 炎を使う!」
(違ったらどうするつもりだったんだァ……? マルス辺りの采配だろうが……まァ妥当か……)
周囲の炎を牙で喰い尽くし、ディッシュは早々に鎮火を終える。暴れ回るカーヤを相手に、被害は最小限に抑え込んだ。
「被害を広める為に生まれたような火の玉野郎だっ! いるだけで迷惑だからなァ! やるなら国の外に蹴り飛ばしてからやれっ!!」
「おいおいおいおい何勝手に決めてんだ、そもそもなんだテメェ俺様相手に炎とか良い度胸を……」
「エティル、フェルド! 行くぞ!」
両手を後ろに回し、火と風の精霊球を大量に作り出す。ロケットのように加速したクロノはその速度のまま、カーヤの顔面に両足を突き刺した。赤い線が上空目掛け描かれ、高度を上げたクロノはそのまま左手に熱を貯める。
「ぶっ飛べ火の玉ぁっ!!」
「ぶべらっ!」
渾身の力を込め、カーヤを国の外まで殴り飛ばす。まるで隕石のように地上に叩きつけられたカーヤは、土煙を炎上させ立ち上がる。
「誰一人居ねぇじゃねぇかどうしてくれるんだクソガキッ!! 俺の舞台は罪人蔓延る国のど真ん中なんだよ分かってねぇんじゃねぇのかぁっ!!」
「この国に罪人なんか居ねぇ、お呼びじゃねぇからさっさと帰れ全裸野郎」
「居るじゃねぇか目の前に口の利き方が分かってねぇ罪人エリートがさぁ! そんなにアピールしてくるならいいよ真っ先にサービス炎上してやるよ燃やす順番に拘りはないからさぁっ!!」
飛び掛かってくるカーヤの拳に対し、クロノは真正面から左拳を打ち付ける。ぶつかり合った両者の拳は、炎を纏わせ熱と衝撃を炸裂させた。
「三業が一人! 身業のカーヤ! お前を焼く者の名だぁっ!!」
「クロノ・シェバルツ、共存を夢見る偽勇者だ」
「国に手出しはさせない、お前は一人で燃え尽きろ」
「生意気っ!! いいね、燃やしがいのある奴だあああああああああああっ!!」
炎が激しさを増し、二人の姿を包み込む。灼熱の死闘が始まった。




