第七百九十八話 『予測不能の切り札』
たかがお遊びと言われると確かにそうではあるのだが、敵意や使命、仕事だの見張りだの復活してから常日頃から何かしらを背負ったり感じたりする毎日だ。それら全てを感じず、全力で遊べる機会と言うのは貴重だ。
「それも手頃な相手もいるってわけで……レヴィの嫉妬は珍しく高揚感でいっぱいだよっ!!」
「楽しそうでなによりだね! 女の子を笑顔に出来るのは男として光栄だけど……! レヴィちゃんの笑顔は必要対価が高すぎるっ!!」
プールはレヴィの水魔法で渦のように巻き上がり、水龍の首の如くうねり続けている。枝分かれした渦が幾つも頭上から降り注ぎ、セツナを抱えたクロノはそれを水上を駆け避けまくる。
「たまに渦の中からボールが放たれるし……集中力を欠いたら一気に持ってかれるぞこれ……」
「ボール云々って言うか!! 直撃貰えば私は一発で気絶する自信があるぞ!!!!」
一応レヴィとミライのボールはセツナに預けている、ミライの防御を突破するには今のクロノでは力不足だ。ティアラ抜きの水の力では、嫉妬の力も色欲の力も貫通には至らない。
「落とすなよセツナ! さっきは上手くいったけど……一度ボールを手放せば奪還すら命懸けだぜ?」
「既に命は十割かかってんだよ!! これ以上私に何を差し出せってんだ!」
「差し出したくなけりゃボール落とすなって話してんだ!」
「漫才は日頃から見飽きてるしやり飽きてるよ、避けてるだけじゃ勝ち目は湧いてこないよ?」
「…………レヴィって昔からサドよりだよね」
「急に何さ、甘ったれのミライからすれば大半がそう見えるんじゃ……」
「それも愛の形だよね!」
「真面目に対応しようとしたレヴィが馬鹿だったよ……能力の範囲だけ気にしてればいいんだよ愛狂い」
連打される水撃、それに伴い炸裂する水面。水飛沫に視界を奪われながらも、クロノは大罪二人の会話に反応する。範囲と言う単語が、妙に引っかかった。
(この物量とチート級の能力……レヴィちゃんの『自己解釈の両天秤』は彼女の解釈次第でのなんでもあり……正直今は手加減されてんだろうな……弄ばれてると言ってもいいけど……どちらにせよ持ち前の魔法+チート解釈で滅茶苦茶な攻めを可能にしてる)
(そしてミライさんの『強制好意』……全てを自分にとって有利に進めるこの力、今の俺の水の力じゃ破れず範囲に入っただけで水が勝手に散りやがる……この防御を抜けなきゃ話にならない)
「――――そう思ってたんだけど、考えてみれば変だよな」
全てがミライにとって有利に動くというのなら、別に範囲を絞る必要はない。このプールと言う名の戦場全てを能力で覆えば、ミライに勝つのは不可能という事になる。
(それじゃ勝負にならないから、レヴィちゃんが嫌がるからしないのか……? いや、さっきの言い方だとミライさんは常に範囲に気を使ってる事になる……常に気にしなきゃいけない理由がある)
ミライはとても優しい性格だ、悪魔とは思えない程に。それは能力なんて関係なく、彼女の本質がそうなのだ。能力のせいで全てが彼女を愛してしまうが、そもそも能力が目覚める前から彼女は全てを愛してしまう性格だったらしい。そんな彼女が、絶対的な信頼を置いているとはいえ、こんな虐殺のような遊びを安心してみていられるだろうか。いや、絶対内心ハラハラしてる筈だ。だって今も後ろ手を組みながら、笑顔を装い滅茶苦茶心配そうにセツナを見ているから。
「セツナ! 読み間違えてたら死ぬかもしれない! 先に謝っておく!!」
「許されると思ってんのかそれぇっ!?」
いくら戦闘センスが高かろうと、予想外の動きを高速ですれば反応くらい遅れる筈だ。そう信じ、クロノはレヴィに向かって真正面から突っ込んだ。更に詳しく言えば、降り注ぐ水撃の回避を捨てて突っ込んだ。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ死ぬっ! 避けてくれクロノオオオオオオオオオッ!!」
「いいや、賭けは成功だよ」
レヴィの忌々しそうな顔を見て、クロノは確信する。水撃はクロノ達を避けるように、左右に分かれ水面を割った。水飛沫すら、クロノ達にはかからない。
「ミライッ!!!」
「手、手を抜いてるわけじゃないのにぃ!」
「罪作りな悪魔だな、ありがとう」
速度を落とさず水上を滑り、大罪の悪魔達の脇を抜ける。クロノに抱えられたセツナが大罪をボールで殴りつけ、ライフを削った。その背にレヴィが水魔法で加速させたボールを放ってきたが、さっきと同じ手は喰らわない。セツナ狙いのボールはセツナを後方に投げる事で回避し、自分狙いのボールはしゃがんで避けた。すぐに後ろに飛び、溺れかけたセツナの足を掴んで引っ張り上げる。
「ミライさんが俺達も愛してるんなら、能力範囲内にいる俺達への攻撃だって曲がる筈だ」
「俺達が傷つくのは、ミライさんにとって都合が悪いから」
「あ、あはは~」
「だから範囲には気を配れって言ったのに、嫉妬させてくれるよね」
「そ、そうは言うけど大変なんだよ!? 攻撃には関与せず、防御だけにって簡単に言ってくれるけどさぁ!」
「ミライが能力をフルで使えば攻撃まで必中になるじゃん、それじゃつまらないんだよ」
「我儘~~~っ!」
「今だいけセツナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
言い合う悪魔に勝機を見たり。クロノは全力フルパワーでセツナをミライ目掛け投擲した。
「のあああああああああああああああああああっ!?」
「理解に苦しむよ、いくらなんでも雑過ぎだよ」
当然レヴィは反応し、水の壁を作り出す。その壁が紙のように貫かれた。
「!?」
勿論セツナ自身そんなに頑丈なわけじゃなく、セツナは両手をグルグル回しながら飛んできている。一手目の攻撃がずっと続いている、つまり今のセツナは能力解除効果を纏った最強の弾だ。
「無法の化身だよ……!」
「雑で通用するのが切り札ってもんだ!」
そんなセツナを追い越す速度でクロノがレヴィに接近する。その手にはレヴィのライフボール、無視するわけにはいかない。そして、このままだと水面に無様に着水するセツナをミライは絶対に無視できない。
「ごめんレヴィ、愛には勝てないや」
「知ってるよ、このドアホ」
セツナを優しく受け止めるミライだったが、レヴィの手にはミライのボールが握られている。それはミライに触れた瞬間、弾けて消えた。
「セツナを雑に扱う愛の無さ、それを利用してミライを倒すなんて悪魔より悪魔だよお前」
「いいや、ちゃんとセツナも了承済みだぜ」
「その証拠に、な」
クロノの手にあるボールが、水と化し崩れ落ちた。その瞬間レヴィの背にボールの当たる感触。振り返るとセツナが投げたであろうボールが自分に当たり、そのまま落ちて水面にぷかぷかしていた。
「…………この、嫉妬させてくれるね」
「最初から俺は全信頼をセツナに預けて、攻撃全部任せてんだ」
「今回も作戦通りさ、情けなくも震えた声で信頼に応えてくれた切り札は……この試合が終わったら褒めてやらねぇとな」
「思いがけず追い詰められたけど、最後の最後でボールを手放したね」
レヴィは水魔法で自身のボールを持ち上げる。これさえ返さなければ向こうの攻撃手段は無い。目の前にクロノ、背後にセツナ、挟まれてはいるが立ち位置など問題は無い。ここからは手心もミライの能力による不安要素も無い。
「ミライ、さっさと能力切って下がってなよ」
「もぉ、冷たいんだから」
「お前がいると能力の食い合いで何が起きるか分かんないからね、ここからレヴィは本気のレヴィだよ」
「全力で潰しに来られると、流石に勝ち目がないんだよな……」
「悪いけど遊びといえレヴィのプライドは敗北なんて決して許さないんだよ、ここからは本当に大怪我を覚悟して……」
「だからここは、友達パワーで封殺だ」
「てりゃあ!」
そうクロノが笑うと同時に、レヴィの背後からセツナが抱き着いた。
「…………何の拘束力もない、自殺に等しいね……その度胸は褒めてあげ」
嘲笑うレヴィだったが、彼女のすぐ横の水柱が砕けレヴィのボールが解放された。
「え」
「クロノパスだぁあああああああああああああああっ!!」
そしてセツナが見事なキックでボールを蹴り飛ばす。それを片手でキャッチし、クロノは怪しく笑った。
「レヴィちゃんのライフは残り1……つまり詰みだ」
「馬鹿にしないで、魔法でも能力でもここからいくらでも…………っ」
「いいや発動はしない、だってセツナの攻撃は今も続いてる」
「ふざけ……これの何処が攻撃だって……!」
「セツナの力には不確定要素が多い、初撃でしか発動しない縛りも残ってる、成長の余地があるのかないのかすら不明」
「けど今までの戦いの経験上、セツナの認識次第で拡張要素はある……レヴィちゃんの力だって本人の認識が大事だろ?」
「俺にもセツナの抱き着きが攻撃判定なのか、それとも必死に頭をグリグリ押し当ててる部分が攻撃判定なのかはわかんねぇけど……能力は無効化され、再発動も封印されている現状……がっちり捕まった少女に命のボール片手に近づく俺……ゲームセットだよ嫉妬の悪魔ちゃん」
にじり寄るクロノに対し、レヴィは悔しそうな顔を向ける。だが、一瞬俯いたレヴィが息を吸い込み、その息を吐きながら顔を上げる。その顔には、笑みが浮かんでいた。
「ん?」
「セツナ、勇気と無謀は紙一重なんだよ」
「何を言われても私はお前を離さないぞおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「惜しかったね、確かに予想外だったしセツナの頑張りには驚いた」
「でもセツナも、マルスの器も勘違いしてるんだよ」
レヴィは力技でセツナを振りほどくと、セツナの右手を両手で掴み……。
「セツナの腕力如きで抑え込めるほど、レヴィは可愛くないってのっ!!」
背負い投げの要領で、セツナは水面に叩きつけられた。
「うおおおおおおおセツナッ!? やべぇ死んだか!?」
「余裕ぶってにじり寄ってるからこうなるんだよ、ここから逆襲を……」
――――それでも、セツナはレヴィの手を離さなかった。
「んな……」
「……ッ……絶対……離さな……」
「……!」
想像の百倍近い根性をみせたセツナ、その姿に流石のレヴィも怯んでしまう。その目には明らかに動揺が浮かんでおり、動きも止まっている。セツナが身体を張って生み出したチャンス、これを逃しては顔向け出来ない。水面を蹴り、クロノはボール片手にレヴィに飛び掛かる。
「レヴィちゃんの敗因は、切り札を侮ったことだあああああああああああああああっ!」
「っ! 舐める、なあああああああああああああああああっ!!」
「なっ!? 馬鹿なあああああああああああああああああああああっ!」
寸前のところで我に返ったレヴィがクロノの攻撃をギリギリで回避、そのままの勢いでクロノの顔面を蹴り飛ばす。見た目にそぐわず身体能力も凄まじい。だが右腕をセツナに捕まれたままの為、バランスが崩れ倒れてしまう。しかもセツナに捕まれているからか水上歩行の魔法が途切れ、水に沈んでしまう。
(このタイミングで……セツナの力は本当に予想が付かな……)
水面を見上げるレヴィの視界に、セツナの無表情が割り込んで来た。未だ右腕を離してくれない切り札は、レヴィのボールを持っている。クロノがパスしたのか、それとも蹴り飛ばした際に落としたのかは分からない。どちらにしても、セツナは勝機を見逃さずしっかりその手に掴んだのだ。
(…………まさか負けるとは……割と勝つ気でやったのに……嫉妬より驚きだよ)
まぁ結構楽しんだし、別に不満は無い。もう少し遊びたかった気持ちはあるが、満足はした。迫るボールから逃れる手段はあるが、流石にこれ以上虐めるのは可哀想だろう。セツナの構えるボールを受け入れ、レヴィは薄く笑う。そんなレヴィを見て、セツナの無表情が緩み……。
(……!)
「ごぼ、がぼぼっ!?」
そこでセツナの口から酸素が脱走した。レヴィが目を向けると、装備していた筈の空気の腕輪が手首から消えていた。どうもさっきの投げ技の際に吹っ飛んだらしい。溺れかけるセツナを水面から蹴り出し、レヴィはそのまま自分も水から顔を出す。飛んできたセツナを追いかけるクロノとミライを確認し、レヴィはやれやれと首を振った。
「女の笑顔はお高いとは言うけど……セツナの笑顔は大罪より高いらしいね、嫉妬しちゃうよ」
「本当に、予測不能の切り札だね」
こうして、世界で三番目に激しかったアクアレイドが終わった。間違いなく、切り札が掴んだ勝利である。




