第七百九十七話 『アクアレイド』
――――アクアレイド、元々は水中に住まう種の競技である。嘘か真か、とある勇者が海住種達の大会に横入りし、どちらのチームも叩き潰しなんやかんやで海域の諍いを沈め、荒れていた海を穏やかにしたなんて物語もあるくらいだ。正直クロノはそんな化け物ルーン以外居ないだろうと思っているのだが、ルーンの名前や功績は精霊達やセシルの話を聞くに正確に伝わってたり残ってたりはしていない。実際海住種に泳ぎで勝ったとか言ってた気もするが、この物語にルーンが関わっているかは不明である、正直イメージをこれ以上カオスにしたくないから詳しく聞きたくもない。
「元々魔物の競技とは言え、心技体の問われるルールもしっかりした競技……陸の生き物が楽しむようになってからも歴史は深い……レヴィ達の時代から結構経ってもこうして文化が残ってる事がなによりの証拠」
ゴムボールを手元で転がしながら、レヴィはそう語る。彼女の現在地は水の上、当たり前のように水の上を歩いてやがる。既に舞台は整っている、ここは温泉国の筈なのに、どうしてアクアレイド用の温水プールなんて存在しているのだ。
「はーい! 審判を務めますわアプちゃん番号104番でーす! 5つあるアクアレイドプールの内1番会場よりお送りいたします!」
「5つもこの戦場あんの……?」
上から見下ろす形で観客席まで用意されている、もっとも同じ高さには『危ない』ので設置するならこの形になるのは必然なのだが。見た限り結界も完備されているかなり本格的なアクアレイド用のプールだ。
「ルールは流石に知ってるよね、知らないなら嫉妬より先に失望が来るんだけど」
「俺は知ってるけどセツナは?」
「知ってた私もいたかもしれない!」
「知らんのね」
ルールなんて御大層なものは正直あまりない、水の中でやるドッジボールだ。だが細かな追加点が陸の生き物には意外と重くのしかかる。
「一つ、10秒以上水から離れると一発アウト……ボールには3回当たるとアウト」
「え、2回までなら当たっていいのか?」
「動けるならな」
「不穏な言い方やめてくれないか!?」
「顔面セーフなんて優しさは存在しないからやめた方がいいよ、レヴィはセツナを虐めたいわけで死なせたくはないんだよ」
「お前はなんなんだよ! ってぼぼぶぁ!!」
プールに入ったセツナが姿を消した、もはや大罪を相手取る以前の問題である。
「深い!! ふか、足、足がつか……クロノ! たす……ぶは!」
「あーもう、しょうがないなぁ……」
とりあえず引っ張り上げ、空気の腕輪をしっかり装備するように軽く説教した。
「お前ドジなんだから、常に付けておくくらいで丁度いいよ、せっかく貸してんだからさ」
「遊びだから別にって思って……」
「命懸けの遊びだってそろそろ理解して」
「初めて聞いたんだが!?」
自身の身体は風の力で覆い、クロノはセツナと共にプールに飛び込む。深さはぴったり10メートル、明らかに普通のプールの深さではなく、そろそろアホなセツナでも異常に気付き始める頃だろう。隣を見ると、予想通り無表情に陰りが浮かんでいた。とりあえず手を繋ぎ、水上に顔を出す。
「私は一体何をさせられるんだ……」
「お前が乗った勝負だ、今更怖気づくなよな」
「はいはーい、それじゃ準備といきましょうかー」
ミライが複数のゴムボールを抱き抱え、水上を歩いて来た。手のひらサイズのゴムボールより大きなボールが2つ目立っているが、残念ながら目を奪われる余裕は今のクロノには無い。アクアレイドの最も危険な儀式が始まろうとしているのだ。
「準備?」
「アクアレイドで使うボールの数は一個じゃない、参加人数の数に応じて増えるんだ」
「今回使うボールの数は4個……一番シンプルなルールでやる」
「アクアレイドはただボールをぶつけるだけじゃ相手を倒せないんだよ、こうやって魔力を纏わせて……事前に準備して~」
分かりやすいように、ミライは自分の名前をボールに刻む。これでこのボールはミライに対応した。クロノも同じように手渡されたボールに自分の名を刻み、魔力と言う名の残機を刻む。クロノとミライは互いのボールを交換し、しっかりと抱えた。
「ミライさんを倒すには、このボールを当てなきゃならない……俺は逆にあのボールに3回当たればアウトだ」
「ドッジボールと違って、キャッチしてもアウトだよ」
「3回触れるとボール自体が破裂するから、分かりやすいね」
「えっと、私は切り札なので魔力とかそういうの込められなくて」
「心配しなくてもこのゴムボールはアクアレイド用の安心設計だから、手に持って念じれば勝手にボール側がセツナを認識して魔力纏ってくれるよ」
「あ、アクアレイド用……クソ、だから面白そうなもの見つけたって言ったのか……」
4つのボールが用意され、互いの命の塊が交換される。もはや自分の命は手元に置けない、触れる事すら出来ない。
「さて、それじゃそろそろ始めようか」
「せっかく水着姿なのに、見惚れる暇もねぇや」
「それならすぐ終わらせちゃうよ! その後で沢山見惚れてね!」
悪意はないのだろうが、正直冗談にも聞こえない。実際クロノの目の前にいるのは可愛らしい水着姿に身を包んだ化け物二人だ。当然のように水上に立っている大罪二人を相手に、クロノはセツナを守りながら精霊抜きで立ち回らなければいけない。ちなみに精霊達はと言うと――――。
「さてそろそろ始まる頃でしょうか、クロノさんの精霊さん達はこの試合をどう見ますか?」
「そうだね、贔屓無しで見ればクロノ達が圧倒的に不利かな? 僕達無しでも自然体の制度はマシになってきているとはいえレヴィちゃん達は強敵だからね」
「何秒持つか見物ではあるな、情けないところは精霊としてあまり見たくはねぇが面白くはある」
「頑張れクロノー! 応援はするよー!」
「水の、力……見せ所……不甲斐ない、ところは……全部、許さない……」
最悪な事に飲み物片手に観戦モードだ、フルパワーで楽しんでやがる。
「…………セツナ、アクアレイドは対応したボールを当てないとアウトは取れない」
「逆に言えば対応してないボールは当たっても問題ない、警戒しなくていい」
「お、おう?」
「けど今回の相手は桁外れの化け物だ、その考えは捨てろ、全部避けるつもりでいろ」
「気絶も即アウトだ、死ぬ気で避けろ」
「は?」
「お前はレヴィちゃんのボールを持ってろ、いいか絶対離すな? あの二人相手にボールを手放せば勝ち目がほぼなくなるぞ……取り返すだけで一苦労だ」
「クロノ、待て待って、なんかどんどん怖くなってきて……」
「もぅ、いいかなー?」
「心配しなくても、なんかカウント始めてるぜ」
アプがカウントを始めている、10から始まり、今は6だ。プールの右側には水上に立つ大罪二人、左側には立ち泳ぎするクロノと手を繋ぎ体勢維持に必死なセツナ。
(…………ミライさんは手ぶらだ……ボールはどちらもレヴィちゃんが持ってる……予想通り……)
ミライが後方で笑みを浮かべ、レヴィがそれより数歩分前に居る。正直絶望的な布陣だ。ティアラ無しのクロノが何処まであの二人の能力に抵抗できるか、それが一番重要だ。
「クロノ、あの、今からでも土下座すれば許してもらえないかな……」
「カウント1……息止めろセツナッ!!」
「アクアレイド…………試合開始ィッ!!!」
開幕と同時、レヴィが二つのボールを思い切り放ってきた。水面を切り裂くような剛速球の軌道から、クロノはセツナを抱き抱え水を蹴り付け外れる。
「ぎゃあああああああああああああああ!?」
「舌噛むぞ口閉じろ、息止めろっ!!」
水面を蹴り真横に飛び、何回転かして再度水面を蹴り付けレヴィ達の真横に飛ぶ。先ほどまで自分達が居た場所にボールが着水し、爆撃のような音と共に水が湧き上がる。
「外れた! 今ならあっちはがら空きで……」
「嫉妬は巡る……グルグルグルグル渦巻いて……レヴィは笑う、止まって笑って嘲笑う……水面は歌う、渦巻き荒れて吹き荒れる」
水柱はそのまま渦巻き、プールの水全てが荒れた海のように暴れ出す、能力と水魔法の併用により、この場の事象がレヴィの力で捻じ曲がる。
「手加減とか知らねぇのか嫉妬の悪魔ぁっ!!」
「そういえばレヴィはお前等二人に煮え湯を飲まされていたのを思い出したよ、あれから随分嫉妬を重ねたから力も中々いい感じに戻ってきたんだよ」
「今回は、お前等がレヴィに嫉妬しろ」
水の渦が何発も上から降り注ぎ、プールの水量が半分くらい巻き上がる。クロノは空中を蹴り付け、下の方へ飛び込んだ。
「クロノオオオオオオオオ!?」
「だから舌噛むぞ口閉じてろ!!」
(3秒、4秒……10秒水から離れたらアウト……! 水魔法も使えるレヴィちゃん相手にこのルールはきつい!)
残った水の中に勢いよく飛び込み、そのまま一気に急浮上、クロノはレヴィとミライのすぐ近くから水上に飛び出した。
「セツナ! レヴィちゃんのボールを手前に放れ!」
「え、わ、はいっ!」
ミライのボールを全力でミライに向け投げ付け、身体を捻りレヴィのボールをレヴィ目掛け蹴り飛ばす。当たれば大怪我しそうなくらいの速度で放たれたボールが、不自然に曲がって着水した。
「クッソ……!」
「ごめんね、レヴィは理を力技で捻じ曲げるけど……私は理が私を愛しちゃうんだ」
「今はクロノ君も、私にメロメロかな?」
色欲の能力により、全てはミライの都合が良いように働く。ティアラ無しのクロノには、この力を突破すること自体が困難だ。つまり、ミライの傍にいるレヴィへの攻撃もほぼ無効化されるという事で。
「嫉妬は今もこの場を巡り続けているよ、もっとも嫉妬抜きでも今のセツナ達なら軽く叩き潰せるかもね」
レヴィの両端に水の渦が現れ、その中にクロノが外した二つのボールが囚われている。あれを取り返さないと攻撃すら出来ない。
「ミライさんをどうにかしないと守りを抜けられない……そしてレヴィちゃんをどうにかしないと」
「さぁて……そろそろセツナの泣き顔でも見ようかな」
レヴィの背後から、水の龍が首を持ち上げる。龍の頭部には、クロノとセツナの名が刻まれたボールが凄い勢いで回転していた。
「物量で潰される」
「ボール云々の話じゃないぞっ!! あんなの当たったら粉々に!!」
「やだなセツナってば、ちゃんと加減はするよ」
「そろそろその無表情、違った表情にしてくれてもいいんだよ?」
口を開け、龍がクロノ達に突っ込んでくる。なんとか横に飛んで避けたが、その代わりプールの水が爆ぜた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「10メートルの深さがあるプールが真っ二つじゃねぇか!」
不自然に水が割れ、底まで見えるくらいに綺麗に真っ二つだ。クロノ達は空中で無防備を晒し、上には何やら不穏な魔力を放つレヴィが見える。
「時間切れでアウトなんて、つまらない終わりはやめてよね」
「性格の悪い悪魔だことで……!」
次の瞬間、空中の二人を狙い水の壁からボールが放たれる。瞬時にどちらに対応しているボールか見切り、クロノはセツナのボールを蹴り飛ばし自分のボールは身体を捻じってギリギリ回避した。だが避けたボールは水の壁に呑まれ、再び弾丸のように放たれる。3秒で30連打を凌いだが、後7秒で時間切れでアウトになってしまう。
「だぁっ!!」
セツナのボールをわざと足で受け、その衝撃で水の中に飛ぶ。そのまま水を蹴り、再度水面へ飛び出した。
(あっちはボールに触れなくても自在に操り、こっちを無限に狙い続けられる……一々構ってたらキリがない!)
「セツナ気絶してないよなぁっ!?」
「出来るなら意識を放り出したい!!」
「頑張れっ!」
セツナを肩車し、クロノは一気に宙を蹴り加速、レヴィ目掛け飛び込んだ。
「自棄になったのかな?」
「いつだって本気だよ!!」
(抵抗できなくても、能力範囲くらいなら俺の水の自然体でも見える!)
ミライの能力の範囲ギリギリ、そこでクロノは息を吸い込み、叫ぶ。
「殴れセツナッ!!」
「ヤケクソォ!!!」
能力の割れる音、セツナの無効化パワーを信じクロノは速度を落とさない。そのまま大地の力で両腕を覆い、レヴィの渦に手を突っ込みボールを奪い返した。
「掴めセツナ!」
「ひゃあ!?」
すぐにボールをセツナに投げ渡し、クロノはそのままの速度で水面を滑る。一気にミライの側面を抜け、背後に回る。
「投げるな、ボールで殴れっ!!」
「うおおおおおおっ! 切り札アタック!!」
「ひゃあ!?」
ミライのボールがミライの背中に触れる、その瞬間足元から二つのボールが飛び出し、クロノの肩とセツナの顔面を打った。
「ぐっ!」
「げほぁっ!? なんか憎しみを感じるっ!」
「とことん厄介だね、本当にセツナはレヴィに嫉妬させてくれるよ」
「っていうかミライ、今の絶対避けれたよね」
「せめてものハンデかなぁって、能力まで使って私も本気で動いたら流石にねぇ」
「むぅ……まぁ大人げないってのはわかるけど……勝負に手を抜くのも違うと思うよ」
「手を抜かれて勝ちを拾っても、男の子は嬉しくないと思うんだよね」
「卑怯な優しさ、どうもありがとうな……可愛げのないちびっ子だぜ」
「年長者に対する口の利き方を、この際教え込んであげるよ」
「ふふっ、思いがけず楽しくなってきたね」
圧が強まり、ミライの顔付きも少し変わる。正直きついなんてもんじゃないが、相手の底はまだまだ知れない。クロノは息を整え、セツナを背中に背負い直す。
「まだいけるな?」
「さっきので鼻が痛い、鼻が!」
「レヴィちゃんが本気だったら顔潰れてたぜ、一撃で終わりにしたくなかったんだろうよ」
「友達が楽しんでんだ、まだまだ付き合ってやろうじゃないか」
「要求ハードルが雲を突き抜けてるぞ……でも、私もまだやれる!」
「やるからには勝つ! 切り札に負けは有り得ない!」
「言うねぇ……じゃあ、頑張るかっ!!」
クロノライフ2、セツナライフ2。
レヴィライフ3、ミライライフ2。
本気のお遊びは、熱を上げて。




