第七十九話 『約束の、その場所で』
弾かれた機投刃を手元に戻し、ブレアはゲートを睨みつける。
「邪魔、しないでって忠告した筈だけど」
「あぁ分かった、何て言った覚えは無い」
槍を構え直し、戦闘の意思を示すゲート、そんなゲートに苛立ちを隠せない様子で、ブレアは機投刃を持ち直す。
「おかしいなぁ、村からここまでの道は部下に守らせてたはずなんだけどなぁ」
「兄さん、どうやってここまで来れたのかな?」
「……俺の目を覚ましてくれた、格好良い奴のおかげだ」
その言葉と同時、村への道から爆発音が響いた。
「あぁ、理解理解、イカれてる馬鹿はもう一人いるのな」
その言葉には答えず、ゲートは先ほどのクロノの言葉を思い出していた。
村から飛び出したクロノとゲートは、桜へと繋がる坂道で数人の男達に囲まれた。
「くそっ……ここは通せないって事か……」
無言で道を阻む男達、無理やり押し通るしかないのだが、時間が無い。
「ゲートさん、ここは俺に任せて先に行け」
「……こいつらも退治屋だ、一人では危険すぎる」
「魔に加担する奴は、人だろうが容赦せずに倒すような奴等なんだぞ」
「知ってるよ」
あっさりとそう言うクロノだが、その様子がおかしい。普段のクロノを知っている精霊達と、既に遠巻きから傍観モードに入っているセシルがそれに気がついた。
「だから、手加減せずに戦える」
「セラスさんが待ってるのはゲートさんだ、早く行ってやってくれ」
「こいつらは……」
言いながらも、疾風を発動するクロノ、普段より強く風が舞い上がり、クロノの姿が消えた。道を塞いでいた男を3人同時に吹き飛ばし、突破口をぶち抜いた。
「……俺が倒す!」
着地と同時に叫ぶクロノ、その表情から怒りを感じ取れた。退治屋の男達は突然の事に戸惑いを隠せずにいる。その隙にゲートは包囲を抜けた。
「悪い……無茶はしないでくれっ!」
その声を背中で受け取り、クロノは構えを取る。
「敵8人、武器持ちは3人」
「大した相手じゃない、落ち着いて対処するんだ」
「クロノ~? 怒ってる?」
目は敵から逸らさずに、クロノは両脇の精霊達に頷いた。
「本当、何でだろうな」
「何で、分かんないのかな」
「何で、話し合う事もしないでさ、聞こうともしないでさ」
「殺すとか、出来るんだろうな」
クリプスの時から続き、また退治屋だ。融通が利かないと言うか、何と言うか……もうウンザリである。
「ほら、来いよ」
「魔に加担する奴はお前等の敵なんだろ、退治してみろよ」
「そのクソみたいな理屈ごと、叩き潰してやる」
疾風の如く複数人の男達に突っ込んでいくクロノ、背後で衝突音が響くのを、ゲートは感じていた。
自分のピンチに現れてくれた、5年間ずっと会いたかった人間、話したい事が沢山あるはずなのに、セラスは言葉が出て来なかった。
「あ…………その……」
「……ちょっと、待っててくれな」
「え?」
「すぐ、済ませるから」
目の前の退治屋に向き合うゲート、その背中を見て、セラスは涙を堪える事が出来なくなった。
「すぐ済ませるだ? 量産型のポンコツが言うじゃねぇか」
「……そっち側に付くんだ? それがどういうことか分かってんだろうな」
「あぁ、勿論だ」
「あっそ……じゃあ遠慮しないわ」
言うが早いか、ブレアの手元からぶら下がる機投刃が燃え上がった。丸鋸のような武器がゲートに向かって襲い掛かる。
それを盾で弾くゲート、自分の体をスッポリと覆い隠せるほど巨大な盾は簡単に攻撃を通さない。
「あはははっ! 何だその無様な盾はっ!」
「戦闘の素人が! それでどう間合いを詰める?」
上から声が聞こえる、気がつけばブレアは空中に飛び上がっていた。空中でワイヤーを操り、機投刃を自在に操るブレア、まるで生きているように機投刃がゲートの周囲を飛び回る。
「炎壊!」
「ぐっ!?」
横から襲い掛かった凶刃を盾で受け止めたゲートだが、その攻撃が爆発した。衝撃で体勢が崩され、隙が出来る。
「遅いんだよなぁ! そんなでかい盾と槍、片手で構えて邪魔すぎだろ!?」
「所詮素人! マジの殺し合いに首を突っ込むからこうなるんだよっ!」
体勢を崩され、流された背後には既に機投刃が回り込んでいた。背中を焼き切られ、ゲートの表情が苦痛に歪む。
「ほらほらっ! その自慢の盾で防いでみろよ! 全方位攻撃だっ!」
「円域炎壊っ!」
機投刃が描いた軌跡が熱を帯び、ゲートの周囲が爆発に包まれる。その爆風に乗り、後方に宙返りしながら機投刃をキャッチしたブレアは、難なく地上に着地した。
「あ、……ゲート…………」
「いや……いやああああっ!」
「あははっ! 残念だったねぇ、王子様が頼りにならなくてさ!」
「スゲェや、ここまでの無駄死には始めてみたかも知れない、マジ笑えるねぇ」
悲痛な叫びを上げるセラスだが、それをあざ笑うようにブレアは手を広げ挑発してきた。
「魔物なんか庇うからこうなるんだよ、量産型のロクに戦えもしないヘボ勇者の癖に粋がるのが悪い」
「5年前に君がちゃんと死んでたら、こんな事にはならなかったかもねぇ?」
「……っ……うっ……」
「何々? 何睨んでんのさ? 本当の事だろ?」
「いい加減に理解しろよ、魔物のお前はどうやっても害なんだよ」
「居るだけで迷惑なんだ、存在自体が世の癌なんだよ」
「それが分かったら、さっさと世の中から退場しろっ!」
ブレアが機投刃を投げ付けてくる、セラスはあまりの悔しさに何も言えなかった。体を起こすので精一杯のセラスに攻撃を避ける術は無い、このままでは殺されるだろう。
勝ちを確信したブレアだが、セラスへの攻撃が通る事は無かった。不意に空中から飛来した盾が、機投刃を弾き飛ばしたのだ。
「何っ!?」
一瞬の出来事にブレアは目を取られる、その為、頭上から襲い掛かる影に気がつくのが遅れた。
「暗襲槍っ!」
「……ッ!?」
頭上からゲートが槍を突き立ててきた、咄嗟に後方に飛んだが、それと同時にゲートが槍を上に振り上げた。その攻撃が、ブレアの右目を深く切り裂いた。
「……っ!? な、がああああああああああっ!?」
「テメェ……、ふざけんじゃねぇぞっ!!」
激昂したブレアがワイヤーを引き戻す、機投刃がゲートの背中目掛け襲い掛かってきた。だが、その攻撃も空中を飛び回る盾に弾かれた。
「なっ……なんだよそれ……テメェ……まさか……!」
「固有技能・『遊覧念動』」
「油断しすぎだ、自信過剰も考え物だな」
空中を回転しながら浮遊する盾、ゲートは後方にジャンプし、盾の上に飛び乗った。
「念動力系の固有技能……さっきの爆撃もそれで空中に逃げやがったなっ!」
「クソ野郎……舐めやがってっ!」
機投刃を投げてくるブレア、ゲートはその攻撃を念動力で操った盾に乗り、空中を飛び回って避け続けた。
「ちょこまかっと……逃げてんじゃねぇぞっ!!」
一度手元まで機投刃を引き戻したブレア、そして片手をゲートに突き出す。
「散弾炎壊っ!!」
何十発もの炎の弾丸がゲートに向かって放たれた、移動では避けきれないだろう。それを見たゲートは盾を思いっきり踏みつけ、自分の手元に跳ね上げる。
「遊覧念動・突貫衝っ!」
念動力で自分の持つ盾を操り、自分の体を引っ張るゲート。盾で炎の弾丸を防ぎながら、ブレアに向かって突っ込んでいった。
「このっ……生意気なんだよっ!」
突っ込んで来るゲートに向かって、渾身の力で機投刃を投げるブレア。互いの攻撃が空中でぶつかり合い、周囲に衝撃が広がった。
「仮にも勇者のお前が、魔物を庇って退治屋の俺と戦っているっ!」
「それがどういうことか分かってんのかっ? 人を裏切ってるって事だ!」
「村に世話になってるお前が、村に巣食う魔物を庇ってんじゃねぇよっ! この裏切り者がぁ!」
「魔物なんざ、害虫と同レベルだろう、そんなの庇って何になるっ!」
「精々俺達の金稼ぎの材料にしかなんねぇゴミを庇って、優越感にでも浸りたいかぁっ!?」
「うざってぇんだよっ! 欠片も残らず消し飛びやがれっ!」
ガリガリと盾を押し返していた機投刃が、赤く光り輝き始めた。魔力が集中してる証だ。
「轟炎壊っ!!」
一際大きな音を立て、機投刃が大爆発を引き起こした。その威力により、ゲートの盾が弾き飛ばされた。
「ははっ! ざまぁみろ、無駄な体力使わせやがって……」
「量産型のゴミが……生意気に…………」
「反撃、しやが……って…………ひっ…………!?」
強がるように言葉を並べるブレアだったが、自分の背後に感じる気配に凍りついた。固まったブレアの背後、空中に浮かんだ槍の上で、腕を組んだゲートがそこには居た。
「俺の能力で操れるのが盾だけとは、誰も言っていない」
「俺の能力は、俺が手で触れた物を同時に3つまで操れるって能力だ」
「まぁ、重さの制限とかあるけどな」
「……っ! この……っ!」
機投刃を引き戻そうとしたブレアだが、飛来した盾が機投刃のワイヤーを地面に打ち付けた。
「あっ……」
「魔物に対する価値観からして、俺とお前は違う」
「5年も止まってた俺には、こんな事言う資格は無いのかも知れないけどさ」
「少なくても、俺は間違ってる事をしてるとは思ってない」
「セラスを守ることを、俺は誇れる」
「もう二度と、俺はそれを迷わない」
そう言いながら飛び上がるゲート、念動力で操られた槍が回転し、その柄がブレアを殴り飛ばした。
「ぶはっ!?」
「……っ! 待て! 分かってんのか、勇者のお前が俺を! 退治屋を敵に回すのが何を意味するかっ!」
「俺達の退治屋は……あの『討魔紅蓮』と繋がりがあるんだぜ? 俺達と敵対すれば、お前だけじゃない、この村もどうなるか分かんないぞ?」
「勇者が魔物を守るとか、問題だもんなぁ? それを知ったら上が何するか分かんないぜ?」
「お前の勝手な我侭で、村まで潰しちまうかも知れないぞ? それでもいいのかよっ!」
命乞いまで腐った理屈を並べるブレアだが、ゲートは僅かに怯んでしまう。村に迷惑をかけるのだけは、避けたいからだ。
ゲートの表情を見て笑みを浮かべたブレアだが、その表情を変える者がその場に現れた。
「勇者とか、村とか、面倒くさいんだよ」
「だったら、その面倒は俺が全部引き受けてやる」
多少傷だらけになったクロノが、その場に現れた。それも一人じゃない、一人の男性を連れている。
「何だてめ……っ!? な……?」
「……村長?」
ゲートが口を開く、その男性は村の村長だ。
「村の近くでめっちゃ派手に戦ってたからさ、普通に村の皆にばれたんだ」
「ごめん、ゲートさんは秘密にしておきたかったんだろうけど、セラスさんのこと話した」
「村の桜に宿る木精種のこと、悪意は無くて、ずっと木を守ってたって事」
「そしたらさ、皆知ってたってよ」
その言葉にゲートだけではなくセラスも目を丸くした。クロノの隣に立つ村長が、一歩前に出る。
「村が出来た時からな、誰が伝えたかは分からんが、あの桜には守り神が宿っていると言われていたんだ」
「その正体が魔物だとは知らなかったけど、その姿を見たらどうでもよくなったよ」
「ゲートも、そっちの木精種の子も……少し油断しすぎだ」
「君達が話しているのを村のみんなが見てたし、その子が木の中に戻る瞬間を見た人もいるんだ」
ゲートがセラスを見る、顔を青くしてセラスは顔を背けた。
「敵意が無いのは分かっていた、ずっと桜の木に宿っていたのも知っていた」
「人と魔物で相容れないとはいえ、この桜が好きなのは、その子も私達も変わらないだろう」
「そう思っていたから、私達は気がつかないフリを続けたんだ」
「関わり合わなければ、この距離感を維持すれば、何の問題も無いと思っていたんだ」
「だからこそ、村のみんなはその事を黙っていたんだ」
「そして、そこに横槍入れたのがお前達だ」
クロノが前に出て、顔を青くしたブレアを睨みつけた。
「村長から聞いたぞ、5年前、この村の木に魔物が宿ってるって押しかけたんだろ」
「放っておくと危険、村の桜を守る為に退治しないといけないってさ」
「けどお前の部下が吐いてくれたぜ、魔物討伐による退治屋の報酬金目当てだったってさ!」
「村に害の無い魔物を悪に仕立て上げて、金稼ぎに利用しようとしたって!」
「村長には邪魔すれば村が危ないだの、『討魔紅蓮』が黙ってないだの、脅し紛いのこと言いやがって!」
「それがお前等のやり方かっ!」
「ぐっ……くそっ……」
「お、俺達が討魔紅蓮と繋がりがあるのは本当だぞ……」
「あいつらは魔物だったら容赦しない、俺達とは次元が違うんだ……」
「本当に、俺達を敵に回せば……」
まだウダウダ言ってるブレアに、クロノが近寄っていく。
「俺はクロノ、人と魔物の共存の世界を成す為に旅をしてる」
「お前達からすれば、危険な思考を持った奴だろう?」
「どうぞ報告でもなんでもしろよ、頭きた」
「いつか絶対に変えてやる、お前ら退治屋も、討魔紅蓮も、絶対だ」
言いながら、ブレアの胸倉を掴むクロノ。
「いいか、覚えておけ」
「魔物はお前ら屑の食い物でも、金稼ぎの道具でもねぇ」
「そんなことする退治屋は、俺が絶対に許さない」
「意地でも潰してやる、覚悟しろ」
「二度とこの村に来るんじゃねぇっ! 馬鹿野郎共っ!!」
金剛の力を借り、ブレアを坂道の方向へ投げ飛ばす。突然の事で完全に不意を付かれたブレアは、頭から地面に落下した。
「ぎゃあっ!?」
「お前の部下ならその先で寝てるよっ! さっさと連れて出て行けっ!」
「……っ! くそがっ! 忘れないぞ、テメェの名前っ!」
「絶対に後悔するぞっ! 退治屋を敵に回せばよっ!」
「ガキが吠えた所で、何も変えられないんだ……それを覚えておけっ!!」
そう言い放ち、逃げるようにブレアは走り去って行った。
(これで、あっちの注意は僕達に向いたかな)
(村よりクロノの方に危険度が向いたみたいだねぇ)
これで、再度村が襲われる可能性より、クロノが襲われる可能性の方が上がっただろう。
(本当に……退治屋って嫌いだ)
(まだ俺は弱すぎて、何も出来ないけど……)
(いつか絶対に、なんとかしてやる)
強く、強く、胸に誓うクロノだった。
「村長、知ってたんですね……セラスの事……」
「実際に姿を見たのは、今回が初めてだけどな」
「ゲート、話はあの少年から聞いた」
「私は村とこの子を天秤にかけ、退治屋にこの子を売ったに等しい事をした」
「……すまない」
ゲートとセラスに頭を下げる村長、それを見たセラスは首を横に振った。
「止めてください、そんなの……」
「私は、もう十分満足してるです」
「ずっと話したいって思ってたです」
「最後の最後に、村の人達に受け入れられていたって分かったから、凄く嬉しいです」
「それに、最後に……会えたから……」
そう言ってゲートを見るセラス、その視線で察した村長が、一歩下がった。
「私はこんな良い子を売った、それを謝罪する時間も、償う時間も、もう残されていないようだ」
「……ゲート、この子の残りの時間は、君の為の時間だ」
ゲートの背を軽く押す村長、ゲートは、ゆっくりとセラスの前に歩いていった。
「……あっ……」
「…………」
「…………そのっ……」
「……遅刻」
「……え?」
「遅いです、遅刻です、いつまで待たせるです」
ジトーとゲートを睨むセラス、言い訳も何も出て来なかった。
「ご、めん……俺……」
「俺……セラスの事……」
「謝るのは、私の方です」
「魔物だって、隠してたです」
「……ッ! 何言ってんだ! 俺は、5年も……むぐっ!?」
「でも、来てくれたです」
言い終わる前に、セラスが右手で口を塞いできた。
「魔物だって知っても、ゲートは来てくれたです」
「助けてくれたです、もうそれだけで十分すぎるです」
「もう出来すぎですよ、あの場面で来るなんて、狙ってたですか?」
「ぶはっ! 馬鹿っ! そんなわけ……っ」
「惚れちゃいそうでしたよ?」
「……え……」
「嘘です、もうとっくの昔から大好きです」
「最後に会えて、本当に良かったです」
「もう私も、この桜の木も、限界ですから……」
「本当に最後の桜ですけど、咲かせます」
「今まで咲かせた中で、一番綺麗ですよ、覚悟しやがれです」
そう言うセラスの体が光り始める、背後の桜の木が一気に生気を取り戻し、急成長を始めた。5年間沈黙していた桜が、この一瞬だけ蘇る。
凄まじい速さでつぼみが付き、満開の桜を咲かせた。その光景は、周囲一帯を幻想的な雰囲気に包み込む。
「おぉ……5年ぶりの桜だ……」
村長は懐かしい物を見るように、目を細めた。同じ頃、村では桜が咲いた事でザワザワと人が騒ぎ始めていた。
「……スゲェ……」
「綺麗だねぇ……」
「満開だ、凄いな……」
桜吹雪が周囲を覆う幻想的光景に、クロノ達は目を奪われていた。
「どうですか?」
「うん、予想通りだ」
「……凄く、綺麗だよ」
「……泣くほど、綺麗ですか」
ゲートは、桜を見上げ、涙を流していた。そんなゲートを見て、満足そうにセラスは目を閉じる。
(……全ての生命力を桜の成長に注ぎました、私自身、もう枯れるしかないですね)
(私が死ねば、この木も終わるです、まったく……木の寿命はまだ残っているというのに……)
(大好きな桜を道連れですかぁ…………無念です、ほんと……)
(けど、ゲートに桜見せる事出来ましたし……)
(もう、良いかな…………)
目を閉じたセラスの体が、足元から崩れていく。ボロボロと腐った木片のようになっていくセラスの体を、ゲートが抱き締めた。
「……なんですか? 急に」
「まだ、俺は謝ってない」
「もういいですよ、私は満足です」
「俺が嫌なんだっ!」
「もう、無理ですよ、時間無いです」
「嫌だっ!」
「…………馬鹿ですね、ほんと……」
「うん……馬鹿です……今更……」
「……私だって……嫌ですよ……やっと会えたのに……」
「傍に居たいですよ……死にたいわけ……ないです……よ……」
涙を流し、ゲートを抱き締めるセラス、その体は腰の辺りまで崩れ落ちていた。見ていることしか出来ない、どうする事もできない、クロノは悔しさでおかしくなりそうだった。
(……クソッ……クソッ!)
(どうする事も、できねぇのかよ……何か……何かねぇのかよっ!)
そんな都合の良い方法があるわけが無い、そんな奇跡、あるわけが無い。
(理不尽に殺されそうになって、ずっとずっと頑張って……)
(その結果がお別れなんて、あんまりだろ……)
(奇跡って、こういうときに起こるもんじゃねぇのかよっ!!)
俯き、悔しさで拳を握るクロノ。爪が食い込み、血が流れ出してきた。
「馬鹿タレ、奇跡なんて存在しない」
「あるとしたら、諦めない者が引き起こす、必然だ」
俯いていたクロノの隣で、セシルが剣を振るった。満開の桜の木の枝が、セシルによって一本、切り落とされる。
「セ、シル……?」
クロノを無視し、枝を拾い上げたセシル。その枝を地面に突き刺した。
「おい、木精種 今この桜は貴様が5年かけて溜め続けた生命力に満ちている」
「このままでは貴様は死に、貴様と繋がっているこの桜も死ぬだろう」
「だが今、挿し木によってこの桜の枝は別の固体になった」
「貴様の命が尽きる前に、この別の固体となった桜に移り変われ」
「挿し木は元の固体のクローンだ、移り変わりは可能だろう」
「生命力に満ちている今なら、宿主を変えて木の生命力を吸えば、貴様は生き長らえることが出来る」
「生命力の象徴でもある植物の魔物の貴様が、簡単に命を諦めるな」
「さっさとしろ、見てられん」
「え……あの……」
「早くしろっ! このまま死にたいかっ!?」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
セシルの叫びに飛び上がり、慌てて地面に刺さった枝に飛び込むセラス。一瞬辺りが光に包まれた。 クロノが目を開くと、地面に刺さっていた枝が少し大きく成長していた。
「……セラス、さんは?」
不安に思い声を上げると、枝からセラスが飛び出してきた。その胸には刻まれていた傷が無い。
「あ……っ……私……本当に……」
「あ、ありが……ありがとうござ……」
「馬鹿、そんな言葉は欲しくない」
「それより、貴様はやることがあるだろう」
その言葉にハッとし、セラスは振り返る。呆然としているゲートが、そこにはいた。セラスは笑顔で、ゲートに向かって飛び込んで行った。
「……セシル……なんで……」
今回は手を貸さないと、言っていた筈だ。
「……なんで、だろうな」
「私も、良く分からん」
「だが、別れは辛い」
「私は、私達は、それを良く知っている」
「だから、かもな」
その言葉に、エティルとアルディは目を細めた。目の前のセシルは、どこか寂しそうにも見えた。だからかは知らないが、クロノは自然とセシルの頭を撫でていた。
「……貴様、死にたいのか?」
「いや、ほんとにさ……」
「ありがとう、セシルのおかげで助かった」
「……ふん、ただの気まぐれだ」
かなり意外だが、頭を撫でられているセシルが嫌がる様子はない。クロノは心の底からの感謝を込めて、セシルを撫で続けていた。
桜舞い散る中、悲しみの涙を流す者は、もう居ない。
この桜は、希望に満ちていた。




