第七百八十五話 『この呪いを、忘れない』
「なァんで悪魔の、それも後の歴史に大罪とまで名を馳せてるボク達が墓なんぞ作ってんだかねェ……それも埋めるもんはなァんにもねェときてる」
呆れたように吐き捨てるディッシュだが、文句こそ言いながら手はせかせかと動かしていた。暴食の力を使い、ヨノハテの外周を覆うお札付きの鎖を除去していく。
「いつの世も、感情や在り方で回って行くものだ」
「伴わずとも、世界はそうして巡っていく」
「もうこの場所には誰も居ないけど、誰の目にも映らない戦い、復讐は続いてるもんね」
「何も知らない人が近寄れば何か危ない事が起こっちゃうかも知れないし、そうじゃなくても無人のお家は目立つからねぇ」
「何より、静かに眠って欲しい願いもあるからね」
「エゴと押し付けのオンパレードだなァ」
「エゴも押し付けも、世界を回す要素だからな」
「世界を回す要素が多すぎんだよなァ、随分軽いもんだ」
「そりゃ善行だろうが悪行だろうが関係なしに回ってくんだ、狂いもすらあなァ」
「回す方も、狂うわ堕ちるわ最悪だぜェ」
四任橋は解放された犠牲者達の怨念に引きずり込まれ、全員が姿を消した。四つの家も、呪いを育て続けたヨノハテも、完全に沈黙していた。知る人だけが知る殺し屋のアジトは、人知れず呪いによって滅んだのだ。自分達が育てた呪いによって、完全に。
「多くの命を奪い、多くの犠牲を生んだ殺し屋達が呆気ないもんだぜェ」
「どれだけの事を成そうとも、終わりが派手とは限らないさ」
「正しく語り継がれるとも限らない、大抵の人にとっては知られる事もない」
「ボク等も似たようなもんだからなァ」
「大多数の奴等にとっちゃ、ここの悲劇なんざその辺の犬のクソより目に入らねェ」
「だから、私達が少しでも綺麗にしてあげなきゃね! 愛だよ!」
「愛やお節介で説明がつかねェ、暴食の悪魔も喰わねェよこんな綺麗ごと」
「今もここでどす黒い呪いが虚しい復讐劇を繰り広げていると思うと、マジで胸糞悪いぜェ」
「確かここに来る前で……一週間後祭りとか言ってたっけかァ? どんなテンションで祭りに出てその後観光すりゃ良いんだァ?」
「お前は美味いもん食ってればテンション上がるだろうに」
「知能担当のディッシュは観光名所でもテンション上がると思うな!」
「テメェ等ボクを何だと思ってんだァ?」
マルスとミライは睨んでくるディッシュから露骨に目を背け、周囲の片付けを進める。呪いの村の中央に、気休めにもならないかもしれないが一つのお墓を建てておく。せめてもの、供養として。
「なんで俺達が後片付けまでやってんのさぁあああ……流魔水渦の奴等に任せとけよ俺等休暇中じゃんかよおおおお……」
「流魔水渦のみんなが来るまでおれ達に出来る事をやっておこうぜって話だったろう、どうせ祭りまで日があるんだから!」
「元気満々の善行クソゴーレムがよおー……ツェンもなんか言ってやってよぉー……」
「文句垂れ流しのクソ怠惰如きが我の苛立ちを加速させるとは……死にたいようだな……」
「苛立ちはドゥムディに向けろ~……あ~……やる気出ね~……」
「どれだけ己の欲に忠実なのだ……しかし無駄にでかい家が多いな、殺しで大層儲けていたのだろう……悪党共が」
「悪魔に言われちゃ世話ないだろうさ、それにしても……本当に一人残らず消えちまったんだな」
「金だけじゃなく、何か貴重な物とか残ってるんじゃないのか?」
「なんだ? お前も強欲のままに動くか?」
「残念だが、おれの欲はお前達と一緒に居るせいで満たされているからな……何の興味も湧かん」
「お前もお前で悪魔らしくない……違う意味でまた傲慢よな」
「なら、遠慮せずにぶち壊すぞ」
「待て待て、回収はしておこう」
「後の事は流魔水渦に任せるとするさ、腐らせるより世の中に還元してもらおう」
「奪い奪われ、殺しの色に染まったもので世界を回すか?」
「知らない奴にとっちゃ、ただの貴重品だ」
「腐らせるよりは、ずっと良いさ」
「黒も白もゼロになったか、覚えている我等にとっては正直良い終わりとは思えんが……」
「誰にとっても良い終わりなど存在しない、綺麗ごとなんて存在しない、その考えは強固になるばかりだ」
「だからこそ、良い結末の為に頑張る奴等が今も居るんじゃないか?」
「報われる事の無い物語もある」
「そう信じたくない奴等や、それを知っても諦めない奴をおれは応援したいよ」
「……好きにしろ、傲慢な考えも個人の自由だ」
「もっとも、今の世を生きるお人好し代表達は堪えた様子だが?」
「おれ達がそうだったように、躓くし挫折もする、心が負けそうになる時だってある」
「それでも立ち上がる事を、おれは成長と呼びたい」
「身も心も機械のお前が、我には今も昔も一番人に近いと思ってるよ」
「お前等喋ってないで働けよー……俺が働く羽目になるじゃんかー……言っておくけど俺は追い込まれるまで絶対に働かないからなー……っていうかお前等増やせば人手は足りるじゃんね?」
「……そして今も昔も、一番あいつが堕落してると思ってる」
「まぁまぁ……別段忙しいわけでもないんだし」
「貴様は甘すぎるのだ……!」
無人になった四つの家、そしてその周囲に並ぶ幾つかの家。大罪達は少しずつ、住む人の居なくなった家から残された物資を運び出し、後から駆け付けた流魔水渦の者達に引き渡す。誰にも知られず、それでも確実に、殺し屋達の痕跡は片付けられていった。
「…………四精霊を操る奴がいる、殺し屋だとか、悪魔だとか、色々な情報を置き去りにしてもお前の名前は知れ渡ってた」
「派手に暴れてたんだろうな、お前達はさ」
世無家から少し離れた場所に、クロノは災岳とその精霊達のお墓を作っていた。誰も居なくなった世無家の中、ぶち壊した機械の残骸が残る地下室には人工精霊の核が転がっていた。クロノは拾ってきた核を、墓の前に供えた。
「お前達の作った理想の契約者は、強かったよ」
「悪者だったけど、立ち位置は褒められたものじゃなかったけど、ちゃんと精霊使いだった」
「戦いたい、強くなりたい、その欲はお前達を作った奴等に植え付けられたものだった……でも俺はお前達の欲に本物を感じたんだ、作り物とは思えない本当の欲を」
「…………お前達は、心の底から……契約者が欲しかっただけだったんだ」
「……勝ってさ、終わらせてあげたかったよね」
「あの生意気シルフ……ランは、エティルちゃん作り物なんかじゃなかったと思うよ」
「そうだね、あのノームは中々に変態だった」
「シンと言ったか……忘れたくても、忘れられないかな」
「……ウツロ、最後は……笑ってた」
「……私、忘れない……最後のお願い、だから」
「カゲリの奴も無念だったろうよ、俺もぶっ飛ばして終わらせたかったぜ」
「んで? 我等が契約者様はその核を供えて終わりにすんのかい?」
「分かってるよ」
悪用はさせない。もう二度と、彼等のような犠牲は出させない。万が一にも、繰り返させるわけにはいかない。
「…………静かに、眠ってくれ」
そう言って。クロノは左手に四精霊の力を込める。全員で祈るように、核を静かに握り潰す。砕けた核は、風に流され消えていく。まるで墓に吸い込まれるように、欠片も残さず消えてしまった。
「なんとも、スッキリしねぇ終わりだなぁ」
「……今回は救うだとか軽々しく言えない感じだけど、それでも堪えるな」
「俺も結構きつい、旅立ち当初だったら心が折れてたよ」
「失敗や挫折の経験が活きたかな」
「出来れば活かしたくねぇな……今後もこんな思いはごめんだよ」
「でも泣き言は出来るだけ控えよう、今回に限ってはセツナが特にきついだろうしな……俺がへこんでちゃ話になんないよ」
短い間だったとはいえ、セツナは本気でホロビを友達だと思っていた筈だ。本気で助けるつもりだったし、一緒にお祭りに行くつもりだっただろう。誰も居なくなった彼岸家に戻って、今後の動きをみんなで相談していた時、セツナはずっと黙っていた。無人になった各家の後片付けをしようと言った時、セツナは一人で彼岸家の片付けをしたいと言い出した。
「…………彼岸家には呪いの道具が多いと思うから、呪いの影響を受けない自分が適任……か」
「もっともらしい事言って、相変わらず無表情の癖に分かりやすい奴だよ」
「全くだね、レヴィもそう思うよ」
「どわぁっ!?」
いつの間にか背後にレヴィが立っていた。彼女は一人でやりたいと言うセツナを『セツナ一人じゃドジで何も進まないでしょ』、と正論で叩きのめしていた筈だ。
「レヴィちゃん……? どうしたんだこんなところに」
「ちゃん付けやめて、レヴィがお願いをしてあげるんだよ」
「物凄い上からなお願いだな……まぁいいけどさ……」
「セツナが今回の事をどう受け止めるのか、それはセツナ次第だしレヴィはどうでもいいんだよ」
「けど現状有り得ないくらい凹んでる、今もなんか鞠を抱えて影を背負って無言のセツナだよ」
「ん……」
「…………挫折や後悔、無念ってのは成長の壁……レヴィにだってわかってる」
「……けど、今回セツナは生意気にも頑張ってた、レヴィが嫉妬するくらいにね」
「…………明日になれば、セツナはいつもみたいに忘れてる……そうでしょ」
「……多分、な」
「……マルスの器、お前はセツナの記憶の忘却に影響を与えてる」
「お前は、セツナの記憶を呼び起こす」
「うん」
「…………ずっととは、言わない」
「…………お祭りの間だけでもさ、忘れたままで居させてもらえないかな……」
「せめて、お祭りの時は……楽しませてあげたいんだよ」
「…………そ、だな」
「俺も、そう思うよ」
祭り当日まで、クロノ達は四任橋の後片付けに勤しんだ。クロノは出来るだけ、セツナに会わないように、触れないように過ごした。セツナは寝て起きると、なんで鞠を抱えて寝ていたのか分からなくなっていた。毎日レヴィから様子を聞いていたが、セツナはなんでこの場所の片付けをしているのか分からなくなっていた。悲劇を忘却でひた隠し、桃源郷のお祭り……桃源神楽の日がやってきた。
「うおわああああああああああああああああああ!! 夜なのに明るいぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
とんでもない人の数、多くの出店に夜の闇を消し飛ばす花火の連射、ジパングで最も大きなお祭りの名に恥じない大盛り上がりだ。
「桃源郷全域がお祭りムードだな、こりゃはぐれたら終わりだ……」
「安心しろクロノ、既にディッシュは出店の方へ流れていき、プラチナは人の多さに死んだ」
「お亡くなり!?」
「そして大はしゃぎのセツナが人の波に飲まれて消えていくよ」
「あぁもうはぐれるなって事前に言ったのに!!」
「子供じゃないんだ、僕達も別行動させてもらうよ」
「祭りの日くらい、ムカつく顔を見たくないんでね」
「一言多いんだよお前は! あぁセツナがもう見えなく……」
「レヴィちゃん! ミライさん! そっちは任せた!! 俺は精霊達の世話で両手が足りない!」
「お任せあれ~!」
「…………ま、こっちは任せてよ」
「……うん、任せた」
「神妙な感じしてるとこ悪いけど、何で流れるように君は僕達の保護者面したんだい?」
「しまったまだ理性を残していた!! だってお前等もはしゃいで暴走する枠だろう!?」
「確かに、既にエティルとティアラが居ないしな」
「特にちっこい奴と普段あんまり動かない奴が!!」
「じゃあ期待されてるみたいだし、僕等も宴の賑わいに身を隠そうかな」
「それじゃあなクロノ、あんまり羽目を外すんじゃねぇぞ」
「手綱を外すんじゃねぇ馬鹿精霊共! 桃源郷の広さを考えろ!! 探さないからな!? 呼んだら戻って来いよ!? おい無視すんなお前等っ!!」
そんなこんなで、クロノ達はお祭りに身を投じる。楽しげな空気、右も左も笑顔ばかり、道行く人はみんな幸せそうだ。人の波をかき分け、セツナは全身でお祭りを楽しんでいた。
「レヴィ、ミライ! あっちでみんな踊ってるぞ!」
「あっちには知らない食べ物だ! 今度はあっちだ!」
「あはは、セツナちゃん楽しそうだねぇ」
「……普段じゃ考えられないくらい、機敏だね」
「転びもしないし、人にぶつかりもしない」
「…………これで良かったのかな」
「……お祭りくらい、楽しんでもバチは当たんないんじゃないの」
「ふふふ、これも愛だね」
「ただのお節介だよ」
「それに……無駄骨だしさ」
「レヴィーーーー!! ミライーーーー!! 向こうの高い場所で花火見るぞーーーー!!」
「呼んでる、いこっか」
「そだねぇ……」
セツナは坂道を駆け上がり、高台を目指す。あの場所なら、きっと花火がよく見える。目を輝かせて、無表情でも楽しそうに、セツナは走っていた。一番上に辿り着く瞬間、笑顔の子供とすれ違った。
何も知らず、幸せに生きていた子供。そんな命すら奪っていた。悪い人も、良い人も、大人も、子供も、殺していた。殺しが、殺しを紡いでいた。あの場所は、あの集まりは、間違いなく悪い場所だった。手だって染めていた、言い訳なんて出来もしない、言い訳一つしなかった。全て受け入れ、全て受け止め、積み重なった全てを終わらせた。何も、変わらない。大きな大きな、終わりだったのに。多くの人にとって、何も変わらない。楽しいお祭り、笑顔の人々、彼等はある日突然命を奪われても、命を奪う悪い奴等が滅んでも、何も知らない、変わらない。悪い事も、良い事も、酷い事も、どれほど大きな波紋であろうとも、世界に広がり、誰もが知り得ることはない。世界を変えるのは、途方もなく大きな事だ。今笑顔でお祭りを楽しんでいる人々は、裏で何があったか知りもしない。すぐ近くで起こっていたことに、気づきようもない。
「はぁ……はぁ……はぁ……やだな……私は、体力がないなぁ……」
息を切らし、セツナは空を見上げる。小さな花火が途切れることなく打ち上がり、夜の闇を切り裂いていた。
「…………クロノ、言ってたな……四任橋が不安定だって、彼岸家が、魔物側にって……」
「そうだよな……最初から、そっか……そうだよな……沙華さんが、魔物側……ううん……ホロビの、お化け側に……だから、最初っから……分かってたんだ」
息が切れている、言葉が上手く紡げない。押し殺せない、溢れる言葉が、止まらない。
『私は、友達を呪いたくないから…………』
――――友達だって、思ってた。
『だから、忘れてもいいよ』
『忘れた方がいいよ、私の事なんて』
――――だから、記憶の中に沈もうとした、いつもみたいに。でも、自分の力はいつだって自分の意思とは別に働いた。忘れる時もあれば、覚えてる時もある。消えていく記憶も、何度も繰り返せば残る時もある。仲間の名前、顔、声、何度も何度も忘れてきた。長く共にいる間に、忘れないようになっていった。
『忘れるもんかって、歌を聞きながら思ってたんだ』
『綺麗で可愛くて、でも格好良くもあって胸がドキドキして耳が幸せで、なんかこうドーンってなってハチャメチャが滅茶苦茶で切り札って感じがしてっ!!』
一方で、強く想えば忘れない時もある。それが最初の一回目でも、心に残ってくれる時だってある。強く想えば、薄情な自分の心にも傷は残せる。経験が、それを物語る。
(あぁ、呪いだな)
(…………お前の言う通り、これは呪いだ…………背負ってた時以上に、私を苦しめてるぞ)
クロノが明らかに、自分を避けていた。レヴィが凄く、気遣ってくれていた。だから、いつもの自分を振舞った。切り札だから、心配かけたくないから。友達がそれを望んだから、自分は前を向いたんだ。
「忘れていいよって、お前は言ったよな……友達を呪いたくないからって……けど、忘れないでって……言ったもんな……」
「わがままだ、二つも託すなんてさ……悪霊め……」
前を向く、上を向く、自分は切り札だから。それなのに、目から涙が零れた。砕ける、溢れる、助けたかった想いが、噴き出した。失敗という経験を、切り札は忘却する事を自ら拒んで受け止める。
「呪っていいよ、悪霊らしく呪っていいよ」
「覚えてるよ、絶対、絶対…………忘れないよ…………ッ!」
「う、……ッ! うわ……うわあああああああああああああああああああああんッ!!!」
大きな花火が打ち上がり、切り札の泣き声が掻き消される。それでも、セツナは泣いた。大声で、今までずっと無表情だったセツナは、表情を崩し年相応の顔で泣いた。笑顔が行き交う祭りの夜、切り札だけが全てを受け止め泣いていた。
「…………行かないの?」
「これも愛でしょ、レヴィだったら……必死に隠そうとしてたものを見られたくないよ」
「…………まったく、嫌になるね」
「やっと違う表情が見れたと思ったら、よりによって泣き顔なんてね」
「生意気に隠そうとしてさ、嫉妬しちゃうよ」
「…………誰かが失敗しても、泣いても、居なくなっても……こうやって笑顔で満ちる場所もある……光もあれば影もある……複雑だねぇ」
「だからこそ乗り越えた時、胸張れるんでしょ」
「思いきり泣いた分、とびっきりの笑顔でさ」
「ほほぅ、レヴィはそれが見たいのね?」
「別に、大したことじゃないよ」
「ただの、約束」
「そりゃあ、大したことだ」
「交わる筈の無かった縁だもん、いつまで居られるかわかんないけど隣で見守ろうよ」
「先輩として、理想の為に頑張る子達をさ」
「…………精々、嫉妬させてくれることを願うよ」
「今は、気の済むまで泣くといいよ」
最高の終わりじゃない、悲しみも犠牲も残す終わりだ。だからこそ、忘れない。悔しさも悲しみも、後悔も無念も、全部胸に刻んでいく。ずっと覚えてる、涙も笑顔も忘れない。こうして、切り札は呪われた。この呪いは決して消えることはない、忘れることはない。
この呪いは、成長の証だから。




