第七百八十話 『最後の時まで』
長い廊下を駆け抜け、息を切らしてセツナは走る。走って、走って、転んで、走って、転がる勢いでまた転ぶ、五回くらい転んだ辺りで、流石に変だと気が付いた。何らかの魔術で空間が歪んでいるらしく、廊下が無限に続いている。
「ふふふ……流石の切り札も怒ったぞ…………こんなものでこの切り札を足止め出来ると、思うなああああああああああああっ!」
無駄に転んで無駄に走らされた怒りのまま、セツナは剣を振るう。長い廊下が消え去り、襖が現れた。振り返ってもレヴィ達の姿は見えず、どれくらい離れたのかも分からない。それでも、セツナは躊躇わず襖を開け放つ。部屋の中では、ホロビと沙華が何らかの準備を進めていた。ホロビの手には、セツナが封じた呪いの玉があった。
「え、セツナさん……?」
「はぁ……はぁ……ホロビ……お前等なにしてんだ」
「…………そりゃ、呪いの対応といいますか……色々……」
「…………お祭り、一緒に行こうって言ったぞ」
「私はっ! 約束のつもりだったぞ!!」
「あはは……だから私はもう幽霊で……」
「助けるってっ!! 言ったぞっ!!」
「…………やっぱり、呪いで全部終わらせるつもりなのか」
「だったらなんで、逃げ出したりしたんだ……助けを求めたんだ……」
俯くセツナに、ホロビは困ったように笑う。呪いの玉を弟に預け、セツナに近づいていく。
「…………呪いを抱えきれず、器として私は暴走寸前……弟だけは救いたい、巻き込みたくない、そんな勝手な想いのまま藁にも縋る気持ちで外に逃げ出し、貴女に出会った」
「助けが無ければ呪いを抑え込めず周囲を巻き込み大惨事、犠牲者の念も無視できず、それでも弟を優先しどっちつかずで何もかも苦しめ長引かせ、結果貴方達を利用し巻き込みグダグダだよね」
「それに関しては僕も人の事は言えない、姉さん手にかけ散々器として使っておきながら……姉さんの解放と呪いの発露を常に天秤にかけてきた」
「呪いの爆弾と化した姉さんを当主として無視できない一方で、奇跡に縋ってそのまま自由になる事を信じたかった、その癖犠牲者の念をどうにかしたいとも……どっちつかずはこちらの台詞だ」
「実際、突然現れたお前達の力に頼り……目の前にぶら下がった都合の良い結末に縋りついた」
「もう少しで、全てを忘れて救われてしまいたいと願ってしまうところだったよ」
「…………いいじゃんか、それで……」
「私、切り札なんだぞ……その呪いだって、きっと消し去れる……お前等はそれで自由に……」
「なれないよ、消せないんだよ」
「私は器になってから、犠牲者達をずっと見てきた」
「この呪いの重さ、私達の罪の重さをね……文字通り全部受け止めてきたからさ……一太刀で切り伏せて終わりなんて、言えないよ」
「やらされてきたから、私達は無罪ですなんて……口が裂けても言えません」
「本当は、沙華だけは助けて欲しかったんだけど……」
「僕も姉さんだけはって……だけどこうして呪いが封じられて、二人で話せる時間が出来て……結局お互い同じ想いで、どっちも引けない引かないってのが分かった」
「結論、どっちもお互いを譲らないし、それと同じくらい呪いの念に対して放っておけない気持ちがあるんだよ」
「呪いの器として、呪いの当主として、弄ばれてきた被害者の気持ちにケリを付けるのが責務だ」
「このクソッタレな呪いの連鎖に終止符を打つのが、私達の役目だ」
駄目だと、目を見て理解出来た。この決意は、どうにも出来ない。何を言っても、彼女達は曲がらない。この覚悟は、邪魔できない。
「お前達は、お前達だって被害者じゃないか……」
「それに、呪いの解放って、想いを遂げさせるって、復讐だろ、他の家の奴等も全部呪いに晒して、お前達、お前達が手を汚す事になるだろ……」
「血生臭い殺しの歴史を終わらせるんだ、どう足掻いても綺麗には終わらないさ」
「…………四任橋は殺し屋の家、四つが交わりし点に呪いの育成場を築き上げた……ご先祖様が何を思ってそこに呪いを置いたか分からないけど……もしかしたら、いつかこうなる事を見越していたのかもな」
「殺しが行きつく先は、交わっている以上同じ殺しへ……そして中央に築かれた呪いはいつかそれぞれに回帰する……」
「依頼だからと殺しを正当化してきた私達は、いつか自業自得と笑われ滅ぶ定め」
「…………ならば、その役目は私達の代で……これ以上地獄を繰り返さない為に、これ以上被害者を出さない為に……これ以上、私達みたいな者が生まれない為に」
「なんでっ!! ホロビ達が、お前達ばかりがそんな役目を……っ!!」
「うぐっ……中々粘るね……納得させようとしてんだけどなぁ……」
「あはは……参ったなぁ……巻き込んで悪いと思ってたんだけど…………恨まれるならともかく、そんな本気で心配されるなんてさ……」
「私はっ!!! 本気で助けたいって…………っ!!」
「…………会ったばかりなのに、本当にお人よしだなぁ」
「…………本当に、貴女は私のヒーローだったよ」
「私を助けてくれたのが、貴女で良かった」
「……そんなの、そんな、お別れみたいな……!」
「殆ど利用したようなものなのに、あっちこっちとフラフラして、呪いだの弟だの、散々振り回したのに、最後の最後までダメダメで、貴女が上手い事やってくれたからこうして呪いを制御して事を成せる……貴女が居なかったら何一つ私達は成せなかった……そんな文字通りの呪い、疫病神みたいなもんだったのに…………」
「私は友達だって……思ってた……」
「…………勿体ないよ」
「姉さん、術式は僕が組む」
「…………辛い役目を、ずっと果たしてたんだ……最後くらい姉さんは報われるべきだろ」
「そっちの方が辛かったでしょうよ、クソみたいな身内に囲まれて……当主なんてやってさ」
「いつか絶対ぶっ殺す、そう呪いながら生きてきた……その想いは今から果たされるんだ……僕はもう十分報われたよ」
「被害者達に便乗して、僕の呪いも上乗せしてやる」
「逞しい事で、笑えないっての」
「最後の時間、友達と過ごしなよ」
「未練は残すな、それは呪いの苗床になる」
ホロビは俯いたままのセツナの手を取り、庭を目指す。体温を感じない、霊体の手。セツナは感触すらない半透明の手を、黙って握り返す。別れの時は、すぐそこに迫っていた。
一方、世無家では戻ってきた終牙を中心に隊が組まれていた。呪いが解き放たれる前に、彼岸家を襲うつもりだ。
「あの呪いを手中に収めたとしたら、十中八九あの馬鹿当主と役立たずの器は呪いを四任橋に向ける筈」
「力の制御に難儀するような出来損ない共が、殺しを躊躇う軟弱者共が、破滅思考の異常者共が、奴等の自殺に付き合わされてたまるものか」
「終牙が仕留めきれない程の手練れが向こうにいるらしいが、もはやそんなもの恐れるに足りん……災岳さえ戻れば彼岸家を捻り潰すなんぞ造作もないわ」
「しかし災岳を操り彼岸家に向かわせた筈だが……位置がここから動きませんな」
世無家の地下、ジパングには似つかわしくない巨大な機械が幾つも並ぶ中重役達が各々手元の機械を操作している。災岳の位置を表すマークが、さっきから同じような座標を行ったり来たりしている。
「まるで交戦中のような……」
「あの戦闘兵器を相手に交戦できる化け物なんぞいるわけがないだろうに」
……
「ですが悪魔の影響をも抱えたのです、イレギュラーもあり得るのでは……」
「彼岸家のド阿呆共が万が一にも呪いを放てば、我々は一巻の終わりですぞ」
「…………万が一に備えて、手を打つか……」
「まだ試運転がまだだが……終牙に人工精霊を埋め込め」
「最悪壊れますぞ」
「なら、また作ればいい」
「彼岸家を消し、過去の遺物である呪いを破棄し、我等が殺しの歴史を紡ぐのだ」
「絶対的な力の証明を、今日から我等が殺しの先頭に立ち示すのだ」
「力は、人の命を、想いを、捻じ伏せるのだと」
人の悪意が増長する中、上空では笑い声が響いていた。作り物の精霊使いが、作り物の精霊と共に笑っていた。
「ふはははははははははっ!! 楽しい、楽しいなァ!!!! クロノ……シェバルツウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!!」
「あぁ、全部吐き出せよ」
「安心して吐き出せ、ぶつけてこい、お前達を弄んだ奴等は、俺が絶対に許さない」
「だから、お前達の全部をぶつけてこい…………俺達が、受け止める」
急加速し、災岳が錫杖をクロノ目掛け勢いよく叩きつけてくる。クロノはそれを蹴りで弾き飛ばし、左拳を握り締める。それに呼応するように災岳も右拳を握り締め、次の瞬間両者が拳をぶつけ合った。衝撃波が吹き荒れ、四属性の波動が周囲に咲き乱れる。互いに後方に弾かれ、空中を蹴って再度ぶつかり合う。
「楽しいなああああああああああああっ!! 死合いは、楽しいなあああああああああああああっ!!」
歓喜の声の裏で、ノイズのような叫び声が聞こえてくる。壊れかけの、歪な音が、心が割れる音が。
(…………い、やぁ……)
ティアラが怯むほど、歪で悲痛な心の声。これが世無家の最高傑作だと? 人工の戦闘兵器だと? 吐き気と苛立ちで、頭がおかしくなりそうだった。
(おい、お前はまだ僕と繋がっているんだぞ)
(怒りで満ちて僕は大変不愉快だ、平常心を保て)
マルスからのお叱りを受け、クロノは自分の頬を殴りつける。憤怒の悪魔に怒るなと怒られるとは、中々に理不尽である。
(とはいえ、こりゃあ中々俺達にとっても不愉快だぜ)
(…………同感だ)
(エティルちゃんもちょーっと怒ってますねー)
精霊達もやる気らしい、怒りを燃料に身体も温まってきた。クロノは息を吐き出し、無数の精霊球を背後に出現させる。災岳も笑顔を浮かべ、そんなクロノに呼応する。
「もっと、もっと死合おう!! クロノ・シェバルツウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!」
「…………張り合った事もあったけど、最初から敵だって聞いてたし、やべぇ奴がいるから気を付けろみたいなノリだったんだ」
「けどさ、四精霊使いって初めて会ったから、楽しみだった部分もあってさ」
「妙な関係だったけど、敵だったけど、俺はお前の事嫌いじゃなかったよ」
「だから…………今正直スゲェムカついてんだ」
突っ込んでくる災岳を受け止めながら、クロノはその想いを吐き出した。
「お前等を弄んだ世無家を、俺は絶対許さない」
「命を弄んだ挙句、心まで弄んだ世無家を、許さない」
残された時間はもう少ない。だから、せめて自分に出来る事を。精霊使いとして、やらなきゃいけない事を。




