第七百七十五話 『責任問題』
「疫芭の方が騒がしくなってきたなぁ……こんなところまで似てなくていいと思うんだけどねぇ」
高い木の上から周囲の様子を伺っていた波は、人知れず溜息を付いていた。職業柄彼の視力は並外れており、能力関係なしにかなり遠くまで見渡せる。毒塗れの死闘が開幕し、もはや疫芭は外に構っている余裕はなさそうだ。
「何の因果なんだか……向こうも身内が帰ってきてゴタゴタとはね……」
「…………終牙も引いたか……世無家も醜態を晒して、例の合成品を引っ張り出すと……あれだけの暴走だったくせに一瞬で消え失せて……彼岸の呪いは不気味なくらい静まり返った……ははは、なんなんだこれは」
訳が分からな過ぎていっそ笑えてくる。波は木の上でしゃがみ込み、大きく息を吸い込んだ。
「…………ボスが聞いたらなんて言うかな、上も下も他の家も……全部滅茶苦茶だよ」
「これじゃ役立たずと家を追い出されたり、逃げ出した奴の方が正しいみたいな結果になるじゃないか」
「…………正しいも間違いもねぇわな、生きる限り証明を続けなきゃならない」
「世無も疫芭も好きにやるんだ、どうせ四任橋はどう転んでも崩壊する……彼岸がどう動くのか未来の形に興味も未練もねぇ……琴葉の在り方なんてどうでもいい」
「僕も好きにやらせてもらおう……最後の時間は家には戻らない……答え合わせをしようじゃないか」
「なぁ鈴、お前がそれを望むなら…………僕達の罪を照らし合わせようじゃないか」
長年続いた体制の崩壊、それを悟った波は全てを投げ捨てた。後の事なんてどうでもいい、目の前に転がってきた因縁だけを見据えよう。全てが崩れ去るのなら、この機会に決着を付けよう。重ねた罪が呪いとして裁きの時を迎えるのなら、その前にケリを付けよう。裁きが下されるその前に、身内の問題だけは片を付けよう。呪われた生でも、それくらいはやり遂げたいんだ。
事態は止まる事なく動き続けているのだが、一方で止まったものもある。一番の問題でどうにもならない大事だった筈なのだが、今回も切り札がやってくれた。
「今回の成果がこれだ!!」
ドヤ顔無表情の切り札が掲げたのは、何やら黒くて靄が溢れてる小さな球体だった。
「帰還早々何を言ってんだ、出来るだけわかりやすく状況を伝えてくれよ」
「命懸けの死闘帰りだまずは褒めろよ!!」
「レヴィとミライの能力でセツナを切り札にして呪いにぶつけたらワンパンでぶっ倒してなんか封印的な感じで捕まえたよ」
「分かりやすいのに脳が理解を拒んでるなァ」
「なんでだ!!! 私もビックリだったけどさ!!」
「消し去るのではなく、封印か」
「ルトさんが言ってた通り、セツナは無効化だけじゃなくて封印も出来るんだな」
「元々最初の話じゃ大罪も封印する的な流れだったし」
「勿論狙ってやったわけじゃないぞ! どうやったかわかんない! なんなら戦闘中の記憶が曖昧だ!」
「これが切り札の台詞だから驚きだよ、都合良すぎて嫉妬しちゃうね」
「結果オーライだろうがよ!!」
「これ本当に大丈夫かァ? この至近距離で封印解けて爆裂、呪いが暴走とか洒落にならねェぞォ」
「そうか……封印したセツナ本人がよくわかってないからこれ爆弾みたいなものなのか……」
あの規模の呪いの渦がこの場で解放される危険性がまだ残っているのだ、問題解決どころか恐怖が零距離まで接近してきた。
「危ないからセツナに持たせておくよ」
「おいふざけるな!! 危ない物を私に任せるな! 次の瞬間にはすっ転んでどっかんまであるぞ!」
「自分を良く分かっている……っていうか封印した本人が爆弾扱いかよ」
「既になんか靄が漏れ出してるからな……中の呪いは健在なのが見ればわかるぞ……」
プルプルと震えるセツナだったが、ホロビがセツナの手から球体を取り上げた。ビー玉サイズの球体から、一瞬黒いオーラが吹き上がる。
「ホロビ!」
「大丈夫です、私は器なのでこの呪いが凄い力で抑え込まれているのを感じます」
「暫くは大丈夫、内からも外からもどうにも出来ませんよ」
「後は私達でなんとかします、彼岸家の責任ですから」
「その通りだ、その呪いは元を辿れば四任橋の犠牲者達のもの……我等の先祖が作った仕組みが生んだ呪い……片方の勝手な理屈で消し去って良いものじゃない」
「…………どうするんだ」
「責任を取るよ、我等のやり方で」
「もっとも、他の家はそれを許さないだろうが……既に色々崩壊している以上責任逃れに手段は選ばないだろうな」
「都合の悪い事をされる前に、強引に消しに来る可能性があるってわけだ」
マルスの言葉を裏付けるように、敵意が一気に周囲を囲んで来た。一度は消え失せた筈の敵意が、一層濃くなって現れる。
「吹き出してきた殺気はともかく……幾つかの敵意は全然違う方を向いているぞ」
「戦闘音が全然違う場所から響いてるよ、あっちもこっちもゴタゴタだね」
「他の家も内部事情で内輪揉めかァ? グダグダも極まってるなァ」
「私はホロビ達を守るぞ! 私がいれば呪いは大丈夫だろうから!」
「ドゥムディはまだ屋根の上で見張ってるんだよね、じゃあ私とレヴィもここでセツナちゃん達の援護!」
「…………」
「全方位から敵意を感じるが、お前はどう動くつもりだクロノ」
吹き出すように集まってくる敵意の中に、異質なモノを感じる。それは四つが重なり五つ目を形成しているような、異形の気配。こんな不自然な気配、心当たりが一つしかない。
「約束がある」
「それは難儀だな、約束や誓いは呪縛になり得る」
「だから、果たしに行く」
一直線に向かって来る、塊の気配。クロノは空に飛び上がり、それに向かって加速する。作り物だろうが、空っぽだろうが、それとの因縁は積み重ねた確かな物だ。だからこそ、ちゃんと受け止める。それが出来るのは、きっと自分達だけだから。
「クロノ…………シェバルツウウウウウウウウウッ!!!!」
「そうがっつくなよ、邪魔はさせない、逃げもしない、待ったも無しだ」
「満たしてやるよ、お前等の欲を」
笑顔で錫杖を振り下ろしてくる災岳、加速が乗った一撃を片腕で受け止め、クロノはもう片方の腕を振るう。上空で衝撃が弾け、クロノと災岳は互いに後方に吹き飛んだ。
「さぁさぁさぁっ!! 共に死合おうじゃないかっ!! 四精霊の力を扱う者同士っ!! 至上の打ち合いといこうじゃないかっ!!」
「……あぁ、付き合ってやるよ」
「だから刻め、お前達の想い…………全部受け止めてやる」
「ははっ!! はハはッ!!! あはははハハはハははははハッ!!!!!」
四属性がぶつかり合い、上空を染め上げる。戦闘の余波を四任橋の家々全てが感じていたが、疫芭だけはそれどころではなかった。彼岸は防衛に集中し、世無と琴葉は差はあれど内輪揉めと彼岸攻めが半々だ。だが、疫芭だけは身内騒動に手一杯……突如勃発した姉妹喧嘩が全てを染め上げていた。
「やってくれたな、この忙しい時に……」
「えー? 僕は狂ちゃんのご実家に挨拶に来ただけだよー?」
「噂通りの性格だな、メリュシャンの王よ…………そもそも殺し屋に挨拶に来る王がいてたまるか」
「外に蹴り出しただけ感謝して欲しいもんだよ、確かにあれは家の中だとやばすぎる」
逃走した狂を追いかけ、姉妹喧嘩の舞台は既に結構離れた場所になっている筈だ。なのに毒の余波がここまで届いている、庭の植物は変な色になっているし、縁側の辺りが腐食してやばい事になっている。
「下っ端とはいえ毒使いの傘下……毒に耐性ありそうなもんだけど……あれは雑魚なだけなのか、それとも娘さんの毒がやべぇのか」
何人か部下っぽい奴等が毒の汚染を食い止めようとワタワタしているが、突然倒れたり動かなくなったり痙攣したりしている。いつの間にか人の山が出来上がりつつある。
「両方と言いたいところだが……まぁ濃の力が凄まじいのがでかい」
「確かに狂ちゃんとはえらい違いだなぁ…………討魔紅蓮の一件でカリアを襲った奴にあんたの息子さんがいたらしいけど、そこで聞いた能力とも違って見える」
「岳か……確かに奴の毒死界は強力な能力だったが、自身の毒耐性が能力を使いこなす水準に届いていなかった……故に徐々に己を失い、結果中途半端に終わった」
「流石殺し屋、親とは思えぬくらい冷徹な評価だ」
「己を蝕む毒と同質のガスを身体から噴出する能力だっけ、幼少から毒を取り込ませ続けて、壊れたらぽいですか」
「すまないが、私自身親にそう育てられてきたものでね」
「殺し屋として生まれた私には、それ以外の接し方など知らないし理解も出来ないのだよ」
「そう、そんなあんたが最高傑作って思ってるのがあの子なわけね」
「じゃあよく見とけ、あんたが捨てた出来損ないが最高傑作をぶっ飛ばすからさ」
「間違いを自覚し、積み上げてきた立場と歴史が終わるのを見届けろ」
「それだけが、代々あんた等を蝕んできた毒を消してくれる」
「…………疫芭の毒は、消えはしない」
「思い込み程、罪なモノはないんだぜ」
ケラケラと笑うカラヴェラの頬を、毒の匂いが撫でた。楽しそうな王とは違い、狂は絶望の中に居た。普通の人なら一滴で意識を失う程強力な強化薬を一瓶飲み干し、身体能力を極限まで引き上げ全力で逃走する狂、そんな彼女を鬼の形相で追いかけているのが疫芭の最高傑作、毒の女王と呼ばれる濃だ。
「姉さまー? どうして逃げるのー? 鬼ごっこかなー? どうして無駄な事するのかなー? 小さい頃から姉さまが私に勝てた何かがあったのかなー?」
「ひいいいいいっ!? 小さい頃よりずっと狂気的になってるっ!!」
(ど、毒の濃度が狂ってる!! 私でもあれには耐えられない……! 耐える耐えないの次元じゃ、ないっ!)
ニコニコと笑顔を浮かべながら、濃は信じられない程濃い毒素を纏って追いかけてきていた。踏みしめた地面が腐り、濃の周囲の植物が、それどころか空気までもが破壊されていく。毒耐性の有無を完全に無視し、接した全てを汚染するのではなく、破壊している。
(岳兄ちゃんの毒死界は……摂取した毒素を毒霧として身体から噴き出す力……あくまで毒は外部から摂取する手間があった……けど濃ちゃんの能力は……)
「知ってるよねー? 時間切れとか無いから、姉さまはよぉく知ってるよねぇ?」
「逃げても無駄、そして私の毒は絶対に耐えられない……出来損ないでもこれくらい理解出来る筈だよねぇ」
(濃ちゃんの能力は毒秩序、効果、濃度、範囲……毒の全てを操作し生み出す毒系能力の頂点……疫芭の歴史で一番強い……毒の規格を超えたチート……!)
(濃ちゃんは天才だ、見ただけで今の私の毒耐性を正確に見切ってる……私が耐えられない毒を生成して、攻撃してきてる……! 毒液、毒霧、色んな形で追い立ててくるっ!)
「勝てるわけない……姉さまは誰よりも理解してる筈なのにさぁ……昔から……昔からなんで…………」
「なんでっ!! 壊れないんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
激昂する濃に呼応するように、凝縮された毒素が背後で大爆発を巻き起こす。爆風に乗った狂はそのまま距離を取るが、それが却って怒りを買った。
「死ねって言ってんだけど、なんで上手く避けてんの……?」
「り、理不尽が過ぎる……!!」
「嬲られて……ぐちゃぐちゃになるくらいしか……姉さまに価値はないんだからさ……」
「私のストレス解消の為に、黙って殺されろっ!!」
「弱いくせに、価値なんかないくせに、捨てられたくせにっ!!! 今まで誰一人、私に殺せなかった奴はいないのにっ!!! どうして姉さまはいつまでも私の前に立ってるのっ!! どうして殺せないのっ!!!」
世の理が許さぬほどの濃さを持つ毒が、濃の身体を染めていく。人体が耐えられる筈のない上限突破の毒が、鎧のように濃の身体を彩った。四肢が鮮やかな紫に染まり、足元の地面が耐え切れず消し飛んだ。異次元の濃度の毒は、その圧で濃の身体を僅かに浮遊させていた。
「”毒天女”・”荒織飾り”…………頭が高いんだよ、姉さま如きが…………」
「あばばばばば」
(し、死ぬ……シーさんごめんなさい、お別れの言葉すら残せそうにありません……!)
(い、一度でいいから、普通のご家庭みたいに……普通の姉妹みたいに過ごしてみたかった……シーさん達みたいな普通の姉妹喧嘩で良いから……普通に……)
そう、普通の喧嘩すらしたことがない。虐げられてきた自分は、姉らしいことを一度もしたことがない。期待も、重圧も、全て妹に集中した。自分は、一度も妹から笑顔を向けられたことがない。一度も助けてもらえず、勿論助けてあげる事が出来なかった。ずっと苦しかった、辛かった、だから考える余裕がなかった。自分とは違った辛さが、兄や妹にもあった事を。殺し屋は、疫芭は狂ってた。普通じゃなかった、離れて分かった、知ったからには目を背けたくない。考える余裕が出来たから、嫌でも考えてしまう。全ての重圧を背負って、狂った家に残された妹の事を。目の前の妹から、目を背けたくない。
「消し飛べっ!! 出来損ないっ!!」
凝縮された毒の塊が、地形を抉りながら迫ってくる。狂は懐から薬剤を取り出し、毒の影響を受けやすい物質を即座に調合する。毒の影響を薬剤に乗せ、そのまま逸らし弾き飛ばす。
「なっ……防いで……」
「…………姉には、姉の責任があるよね」
「ごめんね、出来損ないのお姉ちゃんで、何の役にも立てなくて……そのせいで苦しい想いもさせたよね」
「殺しの世界に、置き去りにして」
「…………はぁ? なにそれ、同情? 哀れみ? 的外れも良いところだよ、私はこの仕事に誇りを持ってる、自分の強さに誇りを持ってる!! 弱い者を殺す事に何の躊躇いもないし、罪の意識だってない!!」
「私は何も苦しんでいない! 出来損ないが何を勘違いしているのか……考え方からしてお前と私は違うっ!!」
「……そうだね、濃ちゃんは強いからね」
「けど、ずっと虐げられてきた出来損ないだから分かる事があるんだよ」
「濃ちゃんより早く生まれて、傍に居たから、姉だから覚えてる事だってあるんだよ」
最初からこうじゃなかった、自分の背中に隠れていた小さかった妹の姿を覚えてる。殺しに怯え、毒を怖がり、震えていた姿を覚えている。小さな手を離してしまったのは、自分だった。妹が毒に染まるのを、見て見ぬふりしたのは自分だった。
「私が弱かったから、同罪だよ……四任橋は、終わる……」
「疫芭も終わる、だけど……それでおしまいになんか出来ないんだ」
「濃ちゃんと向き合わなきゃ、私の罪は終わらない」
「疫芭は終わらないっ!! 私がいるから、私の強さが疫芭を永遠にするんだっ!!」
「向き合う? 意味が分からない!! 罪を語るなら死んで終われっ!!」
「追い出された雑魚がっ!! 都合の良い思い出に縋って吠えるなっ!!! 私はお前に何も望んでいないっ!!!」
「それでも、私は妹の手を掴みたい」
「自己満足の道化がっ!! 吐き気がするっ!!!」
「………………ッ!! 今更、抜かすなぁっ!!!」
毒が猛る、荒れ狂う。もう目を逸らさない、もう逃げたりしない。この身が朽ちようとも、この毒は受け止める。毒に染まったあの手を取れるのは、この世で自分だけだから。




