第七百七十四話 『急変』
「ふんふふ~ん♪」
呪いが荒れ狂い、あちこちで戦いが起こっている。四つの殺し屋はそれぞれが好き放題に動き、もはや誰にも制御が利かない状態だ。見る者が見れば酷いグダグダっぷりであり、人の欲の浅ましさを感じさせる。そんな中、当主である父の言葉をガン無視し疫芭最強の毒が彼岸家に迫っていた。
「父上は厳しい癖に判断が遅い、この状況でいつも通りの体裁なんて守ろうとしてどうするのかしら……そもそも殺し屋の在り方なんて、世間から見れば残虐非道極めてなんぼなのにね」
「既に彼岸在りきの運営は崩壊……ならさっさと消してしまえばいいの、落ちた評判も何もかもリセットして新たな疫芭を始めればいいの」
「私が成せばいい、全部上手くこなせば父上も認めてくれる筈よ、結果さえよければ過程なんてどうでもいいの」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、毒の化身は両手に毒素を溜めていく。空気が壊れ、空間にヒビが入っていく。異様で異常な毒の塊を躊躇わず彼岸家へ放つ濃だったが、毒の塊は次の瞬間には跡形もなく消えていた。
「あら?」
「ドゥムディの奴が言った通りだったなァ、とんでもねぇ人間もいたもんだぜェ」
一体の悪魔が、濃の目の前に降り立ってきた。見ただけで分かる、この悪魔は強い。
「私の毒は最強なのだけど、貴方何をしたのかな?」
「喰っちまったぜェ、ボクは暴食なんでなァ」
「悪い事は言わねェから引きなァ、最強なんて自分で言っちまうような世間知らずじゃボクには勝てねェよォ」
「確かに私は世間知らずかもしれないけど、世間に転がってないような地獄の中で生きてきたのよ?」
「だから私は勝つの、それしか価値がないって知っているから、だから私の毒は最強で、私は最強なの」
「私は濃、疫芭で最も強い毒、疫芭で最も価値ある存在」
「強さこそ価値があるって思いこんでるなら、やっぱりテメェは世間知らずの頭空っぽちゃんだなァ」
「好きなだけ暴飲暴食すればいいよ、毒は内から全てを蝕む……四任橋すら蝕んで最後には疫芭だけが残るのよ」
「彼岸家抜きにしても、テメェら全員因果に呪われてるぜェ」
「在り方自体が、呪いの道だなァ」
「この混乱に乗じて私は全てを……!」
そう、事態は混乱を極めまさにカオスだ。暴走した呪いは止める術はなく、味方だった者が襲撃してくるパニック状態。漁夫の利を狙う者と狙われる者、最低最悪の状態で欲が極まる地獄絵図だ。クロノ達ですら、戦いは比較的長引くだろうと思っていた。だからこその防衛ラインだった。だから、この場に居合わせた全員の予想を超えた。呪いの渦が、ヨノハテで育て上げられた呪いの結晶体が、両断された。
「あァ?」
「ん?」
全員が呆気に取られただろう、止める術のない最悪の災害が真っ二つになったのだから。呪いの渦が霧散し、ジパング全土を包んでいた圧迫感が消え失せる。
「…………何事だよこりゃあ、流石に意味が分からないぞ」
「…………同感、言の葉も枯れる……何が起きたの……?」
激闘を繰り広げていた波と鈴も流石に戦いを辞め、散っていく呪いの渦を見つめていた。そんな二人の元へ、ルイン達が駆け寄ってくる。
「鈴! 敵が一斉に引いていくぞ何事だ!?」
「…………ヒーローごっこは終わった?」
「出来ればスルーして欲しいんだよ、完全な黒歴史だよ」
戦いを続ける流れではなくなったと察したのだろう。波は音も無く姿を消し、鈴もそれに気づいたが追う事はなかった。
「良いのか?」
「…………それどころじゃない、ケリは必ず付けるけど今は深追いする時じゃない」
「…………今の今まで続いていたパニックを凌駕する異常事態だ、意味不明過ぎてこれからどう事が動くか予想不能」
「混乱に乗じてあれこれしようとしてたのに、その混乱が秒で消え失せたんだもんね」
「これ、4つの家の間の空気気まずすぎない?」
あまりにも早い事態の解決、予想すらしていなかった沙華とホロビは顎が外れるくらい口を開いて固まっていた。
「あはは……良い意味でセツナは予想を超えるよな」
「比喩抜きで恐怖を覚えたぞ、なんなんだあいつは」
「…………ただ、事態がこれで解決するわけでもなかろう」
「他の家がどう動くかね、引いてくれるかな?」
「引いたとしても、全て水に流してはいおしまいとはならないだろう」
「もう一悶着あると考えるのが普通じゃないか?」
「ヨノハテも崩壊して、呪いも消えた……のかな?」
「微かですが、呪いの気配がまだします……器である私には分かります」
ホロビが言うには呪いは消えていないらしいが、こればかりはセツナ達が戻るまでどうなったのかよく分からない。
「…………さて、どうしようか」
「少なくても他の家にはまだ戦力が残っている、そして彼岸家はほぼ何も残っていない」
「この機に乗じてと言うなら、機はまだ過ぎていない」
「他の家次第じゃ、まだ襲ってくかもって事か……血生臭いなぁ……」
しかし呪いの気配は残っている、完全に消えたわけじゃないのなら他の家も単純に動きにくいのではないだろうか。呪いを抑え込み、彼岸家の手元に戻るのなら簡単に攻め落とす事は出来ないと考える筈だ。
「セツナ達が戻るまでは俺達も動きにくいけど、他の家もまずは情報収集から動くと思う」
「一時的に、休戦状態かもな」
「沈黙がどれだけ続くのかは、微妙なところだけど」
マルスの言う通り、周囲を覆っていた敵意が引いていく。敵の気配は薄れ、暫しの静けさが帰ってきた。
「よっと……」
「ディッシュさん、どうだった?」
「さっき話してた毒使いがそこまで来てたぜェ、すぐ引き返したけどよォ」
「呪いの渦が消えて、方針を変えたらしいなァ…………ペッ」
何かを吐き出し、ディッシュは口の端を拭いとる。床に転がったのは歯だった。
「え、歯……」
「さっきから身体の至る所が腐り落ちて面倒だなァ、毒の消化が遅くて嫌になるぜェ」
「大丈夫なのか?」
「お前の身体でも影響がある毒か、厄介だな」
「元々毒ってのは悪魔に割と有効だからなァ、基本殺せねェ悪魔にうぜェ効果を継続させるからなァ」
「ぶっ殺して良いなら相手にならねェが、殺さず抑えろって言われちゃ少し厄介な相手だったぜェ」
「理性を保って暴食しろってのは、無茶ぶりだなァマジで」
大罪の悪魔に厄介と評価される存在が、相手側に居る。事はまだ済んでいない、それどころか穏便に済む未来も見えない。セツナ達が頑張った結果事態は急転したが、呪いを抜きにしても問題は山積みだ。
「とにかくセツナ達を待とう、呪いが消えてないならどうなったのか気になるしな」
一応ホロビ達の防衛は続け、クロノ達はセツナ達の帰還を待つ。その間にも敵の撤退は続き、ツェン達が相手していた終牙も戦闘を辞めて引き下がった。
「次は殺す」
「抜かせ、でくの坊が」
「確かにほぼサンドバックだったけど、最後の最後まで動き続けてたねー」
「頑丈さが人類のそれじゃない、何者だよあいつ」
「関係ないな、何度来ようが叩き潰すまでだ」
「傲慢なことで……俺はやだよ面倒くさい……」
「はぁ……後半戦ありそうでやだなぁ……」
終牙の敗北は世無家に衝撃を与え、例の存在の帰還を促す。最高戦力を連れ戻し、世無家は強行手段に出る。運命は巡り、衝突する。
「父上ー! 何が起きたの!? 呪いが爆ぜたんだけど! 聞いてた話と違うんだけど!!」
「それにうざったい悪魔も出てきたし! イライラするんだけど!!」
濃も家に引き返し、急変した事態を父に伝える。苛立ちの為か、その存在に直前まで気づかなかった。父親の部屋に、来客の姿がある。
「あれ? あぁ君が例の妹ちゃんかなぁ? お姉ちゃんに似て幸薄そうだねぇ」
見知らぬ男がいるが、どうでもいい。見知った女が、濃の意識全てを持って行った。
「あ……濃ちゃん……久しぶり……」
「……………………姉さま…………」
出来損ないで役立たず、何の役にも立たないゴミ以下の存在。生まれてから一度も価値を見出せない存在、それが自分の姉だった。弱くて、惨めで、いつも自分の下にいた価値のない屑。なのに、今の今まで自分の頭の中に存在し続ける意味不明の存在。現実からも、頭の中からも、最強の筈の自分が消す事が出来ない異質な存在。何をどうしても、消えてくれないエラー。
「追い出された癖に、なんで帰ってきたの?」
「あっ……えっと……その……」
「うんいいよ、答えなくて、どうせ変わってないんだよね、しどろもどろと受け答えもロクに出来ないんだもんね」
「知ってる知ってる、姉さまの事は何でも知ってる、だから良いよわかってる」
「濃、客人の前だ……一度下がって……」
「やっと消せる、ずっとずっとこびりついて、邪魔なんだよ、うざったいんだよ」
「最強の私が、消してあげるよ、疫芭の恥晒しを始末して、汚点を消して……綺麗になるんだ」
「ひぃっ!?」
「おー話が早くて助かるじゃん? 狂ちゃんやったれ! 姉の威厳を見せてみよう!」
「嘘でしょう!? 今の今まで穏便にお話を……!」
「穏便に喧嘩売ってただけだよ、こうなったらもう面倒だし実力行使だ」
「いや待て、濃の力を家の中で使われると……!」
「んじゃ外でやろう、行け狂ちゃん!!」
男が狂を外に蹴り出した。濃の頭の中は既に狂への殺意で満たされており、蹴り飛ばされた狂目掛け飛び掛かる。
「死ねえええええええええええええええええええええええええええっ!!」
「姉妹対決…………ファイッ!!」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
クロノ達の知らないところで、一つの死闘が始まった。呪いも、四任橋も関係ない、巡る因果は場の空気も無視してぶつかり合う。




