第七百六十七話 『彼岸の果てで渦巻いて』
悲鳴が辺りに響き渡る。ミライは即座に駆けつけ、何かに追われている女性を見つけた。
(間に合う……!)
何かと女性の間に飛び込むが、黒い何かはミライの身体をすり抜けてしまう。
(呪い……? いや違う、黒い布を纏っているだけの、人だ……! なのに触れない!)
「能力も……効かない……!」
ミライの能力でも結果は変わらず、女性はミライのすぐ後ろで斬り殺された。崩れ落ちる女性に手を伸ばすが、触れないどころか周りの景色ごと全てが移り変わった。
「……メンタルにくるなぁ……延々と死を見せつけられるし、救えない……!」
「悪魔に堕ちても、傷つく良心くらいは残りまくってるんだよこっちは……!」
場面が移り変わり続け、ただ殺しの前後が繰り返される。大罪達はマルスを除き全員が個別に分断されていた。ミライは被害者になんとか干渉しようとするが、ただの一つも叶わない。ドゥムディも同様に色々試してみるが、何一つ効果はなかった。
「物理的に触れられず、能力も何一つ機能しない」
「そして一定の範囲内でしか動けない、見えない壁のようなものが……」
(村の外周に到底満たない範囲、死の場面を再現する為だけの……言ってみれば記憶の範囲)
「死の前後を繰り返している……ならばこれは被害者の記憶だけではないのか……加害者、それも殺し屋だけではなく依頼した者の記憶も……?」
「どうであれ、悪趣味だな」
周囲の様子を探るドゥムディだが、暫くして悲鳴が聞こえてきた。見ていなくても、死の状況は勝手に再生され続けるらしい。
「……おれ達は意図的に閉じ込められたというより、ただ巻き込まれただけらしいな」
「閉じ込め永遠に死を繰り返し呪いを強める場所、そこに囚われた以上そう簡単には出れそうにないが……レヴィやミライの力でもこの事象は曲げられんかもしれないな」
ドゥムディの予想通り、仲間達の力をもってしてもこの場は曲げられなかった。事実、レヴィは結界を破れず溜息を零していた。
「嫌だ嫌だ、既に多くを歪めているクソ結界はレヴィでも突破出来ないよ、グルグル曲げても捩じ切れない」
「結構嫉妬して力も戻ってきたと思ったけど、全盛期に比べると今のレヴィはダメレヴィだね」
見えない壁に背を付き、レヴィはズルズルと地面に座り込む。視界の端では、恐らく殺し屋と思われる男が夜道で人を襲っていた。
「大体被害者目線の再現……観察しても殺し屋の情報が恐ろしく少ないよ、ほぼ瞬殺で終わって次に行くし」
「怒り、憎しみ、悲しみ、突然の死による困惑と衝撃、最も感情が揺れ動き、波紋を生む瞬間の永久ループ…………それがずっと渦巻いてる、ここにいたら流石のレヴィ達でも狂っちゃいそうだね」
「知らない誰かの死に様なんて興味ないよ、だからセツナ、早く活躍しなよ怒っちゃうよ」
抵抗を諦め休息を始めたレヴィとは違い、ディッシュは動き続けていた。ディッシュの左右で人の首が刎ねられるが、顔色一つ変えず調査を進める。
「返り血すら被れねェ、干渉は一切許さずただ死を鑑賞できるだけとは趣味が悪いねェ」
「恐らく本来の村の形は最初に訪れた時の何もない方なんだろうなァ、関係のねェ奴はあれがベース……ボク達は何かの拍子にこの霊共のベースに入り込んだバグと」
「あの器は本当にここを終わりにしたかったのか、何か別の思惑があったのか、割り込んで来た奴のせいでこうなったか、誰の書いた絵の通りに事が進んでいるのか……どちらにしても脱出しなきゃ話は進まねェが……」
ディッシュは右手で周囲を薙ぎ払い、己の牙を結界に突き立てる。だが、何一つ食い散らかす事は出来なかった。
「そもそも干渉出来ねェ以上、ボク等は観客でしかねェ……絵に書いた餅は食えねェぞ」
「ここが記憶の再現なら、少なくてもベースになってる霊共は実際に居るはずなのにそれにも触れねェ……つまり霊共はこの結界を作るための素材として核が別の場所にある……文字通り記憶だけで構成されてるのがこの世界……囚われた時点で自力脱出不可能のクソゲー状態じゃねェか
「そもそも……ここをぶち抜けたとしてそれが正解かってのも怪しいところだなァ……渦巻く全てが解き放たれる事になる……器の言ってた呪いの終わらせ方とは真逆の、全開放って事になる」
「それこそ、ジパングが終わるんじゃねェのかァ……?」
大罪が各々状況を探る中、クロノは目の前で殺されそうになる人々に手を伸ばしていた。その全てはすり抜け、凄惨な絵が無情に繰り返されていく。
「過去に割り込もうとしても、虚しいだけだぞ」
「わかって、るよっ!!」
「それこそ、お前の過去で散々やったからな……」
「無様だったな、あまりにも」
「虚しいだけだ」
「言うなよ、過去は変えれないけど今は変えられるだろ」
「無様に地面を転がるお前はさっきからなにも変わっていないが」
「ぐぬぬ……」
「犠牲者の怨念も相当だけど、人の醜さがこれでもかってくらい見せつけられるな」
「断片的且つ死の前後が僅かに再生されてるだけで全ては分からないが、殺されて当然って奴もいれば、殺されるほどかと疑問が残る者もいる」
「今の奴なんて、ほぼ逆恨みだろう」
「……殺し屋の、四任橋の感情が殆ど読み取れない、淡々と仕事をこなしてるだけに見える……」
「だから、依頼人と被害者の感情の波を余計に感じる……」
「恐ろしいな、善悪も関係ない……依頼されればそれで終わり、抵抗も弁明も許されず命を狩られる」
「依頼し、金のやり取りだけで……人の紡いできた物語が摘み取られるんだ」
「生者の抱いた黒い感情が命を摘み取り、その命だったモノがこんな歪んだ場所で呪いの糧になる」
「もう一度言うけど、僕でもドン引きだよこれは」
「クロノ、ここは救えないぞ」
「…………何を…………」
「解放は救いじゃない、呪いの解放は滅びの解放だ……こんな場所で死後も苦しめられた者達に会話なんて通じない、彼等は憎しみを発露させるだけだ」
「もう何も通じない、言葉も想いも何も伝わらない、ここにいる全てが周囲を傷つける力そのものだ」
「ある意味では、消滅こそが救いだろう……共に消えようとしたあの器は正しい」
「僕達とは違う、救えないものもある」
「…………救えるものもあるはずだ」
「言葉も想いも、まだ届く人が残ってる……変えられるモノだって残ってる」
「繰り返しちゃいけない、見ちまった俺達は、見なかった事にしちゃいけない!」
「呪いでも想いだ、消し去って終わりにはさせない、繋げていかなきゃ、何も変わらない」
「…………それを救いとは、誰も認めないぞ」
「自己満足とでも呼んでくれ」
背を向けるクロノに、マルスは一息吐き出してついていく。そして横に並び、一つ質問した。
「で? どうやってここから出るつもりだ」
「さっき自分で言っただろ、自力脱出は恐らく不可能って」
実際クロノも色々試したが、結界には傷一つ出来なかった。咆哮ですら効果なしだ。
「だから、俺はセツナを信じてる」
「マルスが事前に手を打って、外に残ったプラチナさんとツェンさんを信じてる!」
「他力本願と言うんだそれは」
「そもそも、切り札は敵に捕まっただろう」
「上手くやるさ、それにプラチナさんとツェンさんは頭いいからな、この結界がやばいってわかればセツナを意地でも取り返してなんとかさせるさ」
「セツナなら、ここを破れるはずだ」
「…………破れたとして、ここに渦巻く全てが解放されることになるぞ」
「それは、器の恐れたジパングの終わりに繋がるんじゃないか?」
「どの道立ち止まってても何も好転しないからな」
「終わりに繋がらないように、なんとかするしかないよ」
「いい加減、最低最悪どん底からのスタートをやめてくれないか?」
「挑戦ってのはいつだってどん底から始まるんだよ、先輩」
「抜かせ」
辛口を叩き合い、クロノ達は切り札に望みを託す。ここで一つ確認しておきたいのだが、クロノ達が会話をしている間ずっと目の前では被害者達の死が再生され続けている。なんならすぐ目の前で人が斬り殺されたり、毒を盛られ地べたを転がりまわったり、なんか呪われて全身から血を吹き出したり、何人も目の前で死に続けている。大罪達は死に慣れ過ぎている為気にしないし、クロノもなんだかんだ耐性が付いている為それほど響かない。だけどこの状況は普通の感性なら中々耐えられるモノじゃない。そしてクロノ達はセツナが攫われた為、外にいると思っている。だが実際は切り札パワーの方向性の狂いで彼女は結界内に落ちてきている。それこそが最大の誤算であり、希望であり、絶望だ。
「オウェ…………ェ……」
繰り返される死の連続、飛び散る鮮血、突きつけられる命の終わり。端的に言って、切り札は吐いていた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!!」
「ヒィ……!」
耳を塞いでも響いてくる悲鳴、絶叫、吐血混じりの異音。
「許さない……絶対……呪って、やる……」
「ひゃあ!」
毒で腐り落ちる人体、切り落とされる四肢、転がってくる生首。
「助けて……助け、げぇあああ」
「わああああああああああああああっ!」
助けを求め走ってくる人が、目の前で狩られていく。死が凄まじい密度と頻度で突きつけられ、セツナのメンタルにインファイトを仕掛けてくる。
「ウブォェ…………」
切り札は、吐いていた。仲間達が期待する中、信じている中、切り札は吐いていた。
(もたない……血が、血がいっぱい……それどころか臓物が……今日だけでなんどスプラッターな人体を……ふざけるなよ殺し屋ならもっとスマートにやれよ力任せにぶっ殺しすぎだろ……)
(…………うぅ……行きつくところまで行けば、そりゃ死に直面する……きっと私の仲間達も……ルトだって……情けない……この程度で泣き言漏らすなんて、切り札として情けない……)
(ゲロ吐き散らかしてる場合じゃない……! っていうか個人的にもここに長くいたくない……とにかくもう誰かが死ぬところを見るのは嫌だ、形振り構わず切り札パワーで結界をぶった切って……)
剣がない、一緒に落ちてきてくれた剣がない。
「ん?」
ゲロ塗れの口元を拭い、セツナは全身をチェックする。今だけは後ろの方で殺されている人の叫び声も右から左にすり抜ける。ない。
「んー?」
振り返る、既に場面が変わって街並みも変わっている。海沿いの街だったり、ジパングの村だったり、大きなお城のある町だったり、死の場面は常に移り変わる。剣がない。
「んーーーーーーーーーーーー」
予想外の力の暴走で、意図せず結界に穴を開け落ちてしまった。そんなアホな主人の後を追って、わざわざ落ちてきてくれた愛剣が、ない。何処にもない。両手を開いたり閉じたりしても、空気しか握れない。
「た、たすけ……いやあああああああああああああああああっ!!」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
目の前で殺されかけている人がいるが、セツナの方が絶望感たっぷりな叫び声を上げていた。あまりの衝撃に正気を失いかけたセツナだったが、そんな場合じゃないのでなんとか踏み止まる。
(落とした? この状況で? 散々ビビりまくってゲロ吐いてグロッキーになってその上剣を落とし、落と、落と!!? 探し、探して拾っ……あるか!? いつ落とした? 何処に落とした!? そこには戻れるのか!? そもそも今どこだここ!? あ、ダメだぁ、なにもわからない)
踏み止まったせいで絶望をしっかり脳が受け止める、もうだめかもしれない。
「あああああああああああああああああああああああああああああ私の馬鹿あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
そしてその勢いのまま、セツナは頭を地面に打ち付ける。凄く痛くて額から血が出た。
「痛い……死にたい……自分を大事にしよう……」
思ったより痛くて凄く後悔した、これからはこういうことはしないと誓う。額を押さえながら顔を上げると、地面に異常なくらい大きなヒビが入っていた。
「…………は?」
ヒビは空間に広がり、周囲が砕け散る。一瞬結界が割れたのかと思ったが、背中が見えない壁にぶつかり違うと分かった。
(外側に壁がある……まだ閉じ込められてる……出れたわけじゃない、内側が割れたんだ)
「風景が変わった……死の場面が切り替わったのか……? また誰か死ぬのか……?」
「沙華! こっち、こっちだよー!」
「ひぃ!? 次の犠牲者か!!? …………って…………」
「姉さん! 危ないよ! 前から人来てる!」
「早く早く! 花火始まっちゃうよ!」
「…………ホロビ?」
少しだけ幼く見えるが、そこにいたのはホロビだった。弟らしき存在と共に、笑って何処かに駆けていく。それは呪いの回廊の奥深く、呪いの器となった者の記憶の断片。想いはどんな形になったとしても、何かと繋がり続いていく。それは変わらず、変えられない。人の想いは、善も悪も永遠だ。




