第七百六十六話 『死の回廊』
「対象は一人、位置は結界上部…………ついでに幽霊と切り札が捕まってるね」
「真正面から乗り込むからだ阿呆共め、我に尻拭いさせるとは何様のつもりだ」
「文句言うなら引き受けなきゃいいのに、面倒な奴と面倒ごと押し付けられたこっちの身にもなってよねぇ」
「さっさと終わらせて、お昼寝といきますか」
結界上部を転がりながら、ホロビの弟は右手で宙をなぞる。文字のような物が浮かび上がり、それはプラチナ達を自動で追尾し襲い掛かる。だがツェンが拳を振るっただけで文字は砕かれ墨汁のような物が飛び散った。
(なんだあれは、人間じゃない……悪魔か? なんにせよ凄まじい力……一人で迅速に処理するのは無理だな……!)
態勢を立て直す前に、再び衝撃が顔を弾く。不可視な上に必中の攻撃、理不尽この上ない能力に男は歯噛みする。
「一族の癌め……よりにもよって極大の妖クラスを招きやがって……」
「依頼でもなんでもないのに、殺しを重ねさせるつもりか……」
「アァ……アアアア……!」
黒く染まり悪霊化しているホロビは、呻きながらも弟に手を伸ばしていた。それを見て、弟は舌打ちをして目を逸らす。
「……情で狂うならいっそ呪えよ、僕等を繋ぐのはもうそれだけだろう」
「僕も姉さんも、とっくの昔に人じゃないんだ」
「なんかブツブツ言ってるけど、降りてくる様子はないね」
「関係ない、相手が何をしようと我のすることは変わらない」
「見下し、踏み潰すのみだ」
結界の上で倒れたまま、男は動く様子がない。ツェンは拳を握り締め、止めの一撃を振り下ろす。衝撃が男の腹部を貫いた瞬間、ツェンの腹部が消し飛んだ。
「ぬっ!?」
「…………なるほどね?」
プラチナが目を細め、結界上部に倒れたままの男を睨む。男の身体が黒いオーラに覆われているし、ホロビから妙な力も感じる。
(呪いの器……あの幽霊に何かして……男が何かしらの力……呪いを行使した……)
「ツェン、一回攻撃禁止……はっきりとはわかんないけど今俺達は呪いの影響を受けてるよ」
「不届き、この程度すぐ戻る……物量で押し潰せばよかろう」
「固有技能と違って読めないからね、特に呪いの力ってのは後を引くものもある」
「呪いを生業にしてる家だ、人質有り、仲間も結界の中、動きにくい状況が揃ってる以上舐めてかからない方が良い、めんどいけど」
「むぅ」
吹き飛んだ腹部を再生させ、ツェンは構えを取る。プラチナの指示を聞き、攻撃の手を止め相手を視線で威圧する。立ち上がった男も此方を睨みつけ、双方睨み合いの形になった。
(さてどうするかなぁ、マルス達は結界の中……この手の結界は内から破れるのか……どう見ても普通の結界じゃないんだよなぁ……)
(切り札の奴は捕まってるし、あれが中にいるならどうとでもなるのに悉く面倒かけてくれちゃってさぁ)
ツェンは相手を警戒し睨みまくっているが、プラチナはどちらかというと捕まってるセツナに対して圧を飛ばしていた。当然、セツナはその視線に気づいている。
(物凄く睨まれている……役立たずって視線が言ってる……刺さる刺さるすっごい刺さる視線が突き刺さる……!)
(く、くそ……このままじゃいけない、ただでさえ低空飛行が常の私の評価が落ちてしまう……考えろ挽回の策を! な、なんとかこの拘束を外して……あっ、無理すっごい硬いよこの拘束手が痛いもん)
(力じゃ無理……でもこのなんだかよくわかんない黒い拘束は……きっと能力的な何かだ、私の力で無効化出来るなら外せるんじゃないか!? よし剣で斬って……両手縛られて剣で斬れるわけないだろアホか!!!)
セツナは剣を抜いた状態で黒い手に捕まり、そのまま拘束された。持っていた筈の剣はすぐ近くに抜き身で転がっているのだが、縛られているセツナに剣を装備する事は不可能だ。口も塞がれている為、咥える事も出来ない。
(斬る以外で能力発動できないのか私!! なんかこう、全身からバッてなんか出ないのか!? ぐおおおおおおおおおおおお絞り出せ私の未知のパワー! このままじゃただの捕まってる役立たずだぞ!!)
(出ろ出ろ出ろ出ろっ!! 無効化しろ今やらないでいつやるんだ切り札パワー!!!!)
芋虫のようにモゴモゴもがきながら踏ん張るセツナ、彼女の視界に悪霊と化したホロビが入り込んだ。
(…………待ってろ、今助けるから)
(約束したんだ、一緒にお祭りに行くって、助けたいって私が思ったんだ)
(クロノ達と一緒に助ける、だから、こんなところで捕まってる場合じゃないんだ!! 切り札として役に立て!! 出せっ! 気合いとやる気と根性で、この状況を引っ繰り返せ!!! 私は切り札だろっ!!!)
セツナの全身が光を放ち、奇跡的な何かが目覚める。張り詰めていた空気を切り払い、切り札の狼煙が上がる。拘束していた黒い手が吹き飛び、セツナの転がっていた辺りの結界が消え去った。
「え?」
「ん?」
「は?」
足場を失ったセツナが、結界の中に落っこちていく。不幸中の幸いだが、近くに転がっていたセツナの剣も後を追うように落ちていった。
「なんでだああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
「おい、我の目がおかしくなったか? あいつ落ちていかなかったか?」
「…………まぁ、あれはあれで有りかな……」
(結界内は分からない事だらけだけど、あの不確定要素の塊みたいな奴が中に落ちたなら、それはそれで……少なくてもどんな理不尽ルールがあってもあのチート切り札ならそれを無視して結界を破れる可能性がある……捕まってるより数倍役に立つ可能性は出てくる……筈……)
「……少なくても、俺等のやる事はシンプルになったよ」
予想外の出来事で、間違いなく場の状況は変わった。悪魔二人の様子を見て、男も決断したらしい。結界の穴を即座に塞ぎ、男はホロビを連れ後方に飛んだ。
「引くか」
「まぁそうだろうね、ここでやり合う必要性とか向こうにはないよね」
「俺等がここでどうこうしても結界は破れないだろうって向こうは思ってんだろうさ、それにここは4つの殺し屋本拠地のど真ん中……ここでボサッとしてたら四方から敵が押し寄せてきても不思議じゃあない」
「ならどうする」
「当然追うよ、どうせ襲われる危険性があるなら一方に攻め込む」
「結界についての情報も吐かせてやろう、色々得られる可能性が一番あるのがあの呪い屋達だ」
「マルス達はどうにかするでしょ、なんだかんだ言ってチートな切り札も中に行ってくれたしさ」
「だから俺達は面倒だけど、シンプルに仕事をしよう」
「制圧だな」
「そゆこと」
翼を広げ、二体の悪魔が空に飛び上がる。幸い、悪霊化したホロビの気配はとても目立つ。既に森の中に姿を消したようだが、追跡は容易だ。
「傲慢な奴等だ、逃げられると本気で思っているのか」
「俺はすぐにでも寝ちまいたいんだ、サボる為に速攻で片づけるよ」
「ってことで、戦いは数だよ作戦だ」
空中に無数の魔法陣が浮かび、ツェンのコピー体が大量に這い出てくる。必中攻撃を持つ悪魔の軍勢が、逃走者に目を光らせる。蹂躙が欠伸混じりに始まった。
一方、切り札は自身の引き起こした奇跡によって結界内に落下していた。当然受け身なんぞ取れず頭から地面に激突してしまう。
「ふふ、ふふふ……頭が痛い……すっごく痛い……だが逆になんでこれで生きているのか自分でも不思議だ……これも切り札故の切り札的切り札パワーのなせるうげえぇ!!?」
ついでに落ちてきた自分の剣が背中スレスレに突き刺さる、もうちょっとで自分の武器に止めを刺されるところだった。
「なんだよぉ冗談くらい言わせてよじゃないと泣いちゃうだろぉこっちのメンタルはもうボロッボロで……」
「お姉ちゃんどうしたのー?」
「すいませんでしたぁっ!!! ってへ?」
急に話しかけられ、セツナはバッタのように飛び退いてしまう。顔を上げると、男の子がこちらを覗き込んでいた。
(!? 人……子供!?)
「おいおい嬢ちゃん、道のど真ん中で止まってたら危ないぞ?」
「うえええ? あ、え、すいません!?」
他にも通行人がいる。先ほどまで村人など一人も居なかった筈なのに、何人も人が歩いている。
(ジパングっぽい……畑にも人が……人の声、沢山……)
「都に勇者様が来たんだってよ」
「また? 最近多くない? 外からの勇者さん」
(都……桃源郷の事か……? っていうかクロノ達はどこに……)
「最近物騒だからねぇ、例の殺し屋集団も好き勝手やってるんだろう?」
「依頼がない限り動かないだけマシじゃない? 犯罪者や魔物と比べたらさ」
「恨みを買わずに生きていきたいもんだね、狙われたら笑えないや」
「? ?? ??? 何が……状況がまるでわからないぞ……頭打って変になったのか……?」
「お姉ちゃん大丈夫?」
混乱するセツナを先ほどの男の子が心配そうに見つめていた、切り札として子供を不安にさせてはいけない。
「大丈夫だ! 何故なら私は切り札だからな!!」
「しけてるなぁ、何にも持ってないじゃんか」
「痛い!? 足を蹴ったな悪ガキ!!」
男の子はセツナの足を蹴り飛ばし、そのまま走り去ってしまった。
「なんなんだどんな教育を受けてるんだあのクソガキ!!」
「あんた知らないのかい? あの子はこの辺じゃ有名な盗人さ、数人で組んで盗みを働いてんだ」
「とっ捕まえようにもすばしっこくて……嫌だね最近どこも物騒で」
「ぐぬぬぬ……切り札としてとっ捕まえてやる!」
顔を上げたセツナだったが、そこには話しかけてきた人は何処にも居なかった。代わりに、馬車が横転していた。
「え?」
「あのガキ共!! やりやがったな!!」
「積み荷を狙って……やる事が洒落になってねぇぞ!!」
(……馬車を襲った……? やる事がエスカレートしてる……いや、待って、何だこの違和感)
「私は、何を見て……」
「…………許せない」
声が、聞こえた。声の方を見ると、馬車の下敷きになった人が血を流して倒れていた。
「…………どんな手を、使ってでも…………」
「…………なんだ、寒気が…………」
脳が理解する前に、辺りが急に暗くなった。足元が、濡れている。人が、大剣を振るっていた。人が、真っ二つに切り払われていた。セツナの足元に、さっきの男の子の首が転がってきた。
「ひっ!?」
「…………こっちだって、生きるのに必死だったんだ…………」
「…………死にたく、なかったのに…………」
男の子の声に、セツナは腰を抜かした。顔を上げると、日が昇り辺りは明るくなっている。
「なに、なんだ!? 何が起きて……!!」
「お姉ちゃん大丈夫?」
そして、また男の子が覗き込んで来た。セツナが叫び声を上げている頃、クロノも同じような現象に陥っていた。
「…………マルス、どう思う」
「幻覚のようなものだろうが、質が悪いな」
異常発生と同時、マルス以外の姿が見えなくなった。一瞬で分断されたらしい。
「結界内の座標が狂っているというより、これは軸がずれていると言った方がいいな」
「恐らく、全員が個別に囚われている……お前と僕は器と憑依体の関係性だからバラバラになっていないのだろう、残念なことに」
「悪かったなぁ! でもその理屈だから精霊達も一緒なのか」
精霊達は変わらずクロノの中に居る、会話も普通に出来ている為その点は安心だ。
(だけど、これは気持ちの良いものじゃないね)
(また変わったよぉ!!)
エティルの言う通り、周囲の景色がまた変わった。ジパングの景色ですらない、この感じはアノールド大陸のどこかだろうか?
「……場所も、登場人物も変わる……俺達は何を見せられているんだ」
「呪いを育てる場所、その名の通りなんだろう」
「気付いているんだろう? 目を背けたくなる気持ちは分かるけど、情報を集める為には直視しないとな」
また、人が殺された。普通に過ごしていた人が、次の瞬間殺されていた。恨みを、恐怖を、悲しみを、怒りを零し、絶命する。そうしてまた場面が移り変わる。共通しているのは死、即ち犠牲者と殺し屋。
「…………恨み……呪い……そういう事なのか……?」
「じゃないか? それに手口……毒殺に、今のはなんだろうな、あれが呪殺か?」
「十中八九、これは四任橋の犠牲者達だろう、その記憶か」
「いやそんな甘いものじゃないな、これは死の再現、殺された者の当時の状況をループさせているんだ」
「恐らく死者の霊魂をここに留め、永遠に死を繰り返している……呪いを育てる為に、ずっと」
「驚いたな、悪魔に堕ちたこの身この精神でもここまでドン引き出来るなんて……世の中は本当に下方向に際限がない」
「下がり切った先が、文字通り地獄と呼ばれるのかもな……」
ここはヨノハテ、呪い渦巻く――死の回廊。




