第七百三十九話 『クロノの欲・暴走編』
アゾットの朝は早く、職人達は商品の仕込みを始めている。薬品の匂いが香る中、クロノは宿で目を覚ます。いつも通り精霊達がスヤスヤと空中を寝ぼけながら彷徨っているが、そろそろ最近の日課の為に準備をしなければならない。
「あっと、そうかセツナは向こうか」
クロノはせっかくなのでアゾット現地の宿で休んだが、セツナは鍵を使って流魔水渦のアジトへ戻っていた。これもルトから頼まれていた事だ。現在地獄の色々が狂っている為、鍵を使った移動に制限が生じている。片側からの調整でも効果はあるが、その調整的なモノは両方から行った方が早く済むらしい。なので世界を巡る途中途中、気が向いたらでいいので現地から鍵を使ってゲートにアクセスして欲しいと頼まれていた。前日セツナは何度か鍵を使い、アゾットからアジトへのゲート開通に成功していた。そのついでに彼女はアジトで夜を明かすと言い残していったのだ。
(なんか昨日のセツナ凄く疲れてたな、大罪達と何してたんだろう)
くたびれた様子のセツナは砂まみれだった、きっと砂遊びでもしていたのだろう。あのドジスキルなら砂遊び程度でもあれくらいボロボロにはなりそうだ。
「流魔水渦の総員は凄い数だし、世界中に散って復興やら調査やらお仕事に精を出してる、この調子じゃ鍵がいつも通り機能するようになるのもすぐだろうな」
「なのに俺達はきっと、今日完成する移動型の棺桶での旅を強制されるんだろうな……」
既に何かが壊れているクロノは精々、移動中の良い修行になるだろうなくらいに受け止めている。だが果たしてセツナは人の形を留めていられるだろうか、人前に出せる程度の肉塊で居て貰いたいところだ。まぁレヴィとかミライが一緒だし死にはしないだろう。漂う精霊達にぶつからないよう、クロノは朝の着替えや歯磨き等を済ませていく。寝起きのぼんやり脳みそをゆっくり回しながら、クロノは贅沢だと乾いた笑いを浮かべていた。
(鍵を使ってアジトに戻れば、流魔水渦が用意してくれた部屋がある……船が完成して本当にアナスタシアに簡単に行けるようになれば……ルーン達が使ってた家で寝泊まりは困らない……王様やフローの依頼達成で貰ったお金もまだあるし、流魔水渦からの仕事も正式に退治屋との契約だからルトさんから報酬も支払われてる……現地の宿で休んでもお金は減るどころか増えていってる……ローと培った経験で野宿でも問題は皆無だし、恵まれ過ぎた旅路だな……)
そういえばセツナはアジトに戻る際、お風呂と叫んでいた。せっかくクロノが作ってくれた温泉に入るんだと言っていた。嬉しい事を言ってくれるが、ニヤニヤしていた精霊達がとても腹立たしい。
「俺は懐柔されていない、今だってあれが伝説の勇者の御業だなんて認めちゃいない、だけど成長と共に更にランクアップした温泉に出来るだろうと思っている自分も居る……あぁ頭が痛い……」
大罪達も正体は隠しているが、目立つと面倒だからとアジトに戻っていた。万が一バレたら大罪全員が泊まった宿として長く語られかねない。魔物や悪魔が世界から向けられる目が多少マシになっても、良く思わない人がまだいるのも事実なのだ。
(アゾットはミルナイさんの影響と、王様自身があれだからまだマシな方だよな……悪魔騒動で世界中がざわついてるのと、それを抑え込んだり積極的に手伝ったりしてるのが魔物中心の流魔水渦なのも大きな変化を与えてる)
共存の世界を夢見るクロノにとって、世界の動きは見逃せない。自身が生んだ波紋が何処まで広がり、どんな影響を生んで与えるのか、与えているのか、新聞は要チェックだ。
「ケーランカで新魔術の開発……王様前に出てるなぁ……ゲルトも立て直してきてるし……まだ行った事ない国の名前も最近よく出てるな……あれもこれもって言えばまた怒られそうだけど、せっかくの休みなら挨拶回りだけじゃなくて行った事のない国にも行ってみたいよな……」
自分の影響で他国に面倒ごとでも起きているのなら、傲慢だろうがなんだろうが気になるのが当然だ。解決したいとか言えばまた驕りだと叱られそうだが、兄貴分の影響+自分の性格上見て見ぬふりは出来ないのだ。勿論それだけじゃない、自分の知り合いへの挨拶回りは自分にとっては重要で大切だが、どう考えても大罪やセツナにとっては退屈だろう。この時間は自分だけのモノじゃない、自分達の休暇なのだ。
「義務的な挨拶回りだけで終わらせるのは、避けたいからな……観光ついでに行った事のない国にも足を運びたいし、なんなら観光に突き抜けて旅の名所も……」
勇者に憧れ勇者オタクと化したクロノは、英雄譚や物語にも多く目を通している。そういった物語の舞台となった場所は人が集まり、観光名所と化していたりする。当然、行ってみたいし見てみたい。
「レラやピリカも言ってたしな、知るだけではなく、見たい嗅ぎたい触りたい……実際に行ってみたいもんな」
多分エルフから一番影響されてはいけない要素を取り込み、クロノは悪魔から取り込んだ要素として己の欲に対して真っ直ぐ向き合う。その結果欲と夢は混ざり合い、無計画は天井を突き抜けていく。残念なことに通常では叶わぬ無茶苦茶なスケジュールも、今日完成する移動型棺桶は叶えてしまうのだ。どんな距離でも物理的に物理法則をぶち壊し、速度という名の暴力で願いを顕現する。その名はメガストローク改め、ギガストローク。旅の道連れの事を想い、クロノの計画は色鮮やかに描かれていく。その結果、道中の地獄は文字通り加速していく。長い間寝てたせいで積み重なった恩と歯がゆさが、本人も気づかぬ内に暴走し始めていた。やりたい事全部を叶えてしまう棺桶の完成が、クロノの常識を麻痺させていく。一日で大陸を跨げるあの船型棺桶が悪いのだ、そうあんなものを作り上げた超絶天才が悪いのだ。
「あれもこれもやりたいしあの人にも会いたいしここも行ってみたいしあれもやってみたいしこれも」
ブレーキ役も説教役も常識枠も夢の中だったり不在な以上、馬鹿タレを止める者はここにはいない。基本早起きのクロノは誰よりも早く活動を始める、だからこそ一日の始まりと共に暴走すれば誰にも止められない。普段は周りにおかしな奴ばかりでツッコミ役として精を出してはいるが、本質的にクロノも馬鹿タレ呼ばわりされるし、何処かズレてる無茶野郎である。周りが変だから普通に見えるだけで、しっかり狂っている事を精霊達は知っていた。知っているだけで今は寝ている為、何の意味もないが。
「よし、行き当たりばったりじゃ迷惑だしな、急に始まった旅だけど、これで完璧な計画が出来たぜ!」
こうしてブレーキ役を欠いた完璧な計画が早朝に完成した。無茶苦茶な計画なら実行前に誰かが止めれば良いのだが、それを楽しんだり、関心が無かったり、狂っている事に気づけぬ者の比率がこの旅には多すぎる。具体的に言うと大罪は全員止めない側、セツナが止めるか理解しない無能枠、そしてブレーキ役の精霊が四体。そう、この旅路はブレーキ側が圧倒的に不利なのだ。今ぐっすりお休みしている精霊達はこの後物凄く苦労することになるのだが、契約者が暴走している事にまだ気づいていない。
「さていい時間だし、セツナ達を迎えに行こうかな」
最近の日課、それはセツナの記憶解放だ。寝る度色々忘れてしまうセツナに触れ、忘却を解除しなければならない。何を忘れるかはランダムだし、消えなかった記憶は次に消えることはない。なので最近レヴィの事は寝ても覚えているようになった。だが休暇の事や、他の大罪の事はすっぽ抜けたりする。
「色々忘れたセツナじゃ、こっちに戻ってくるだけでも一悶着ありそうだしね……迎えに行くとするか」
鍵を使ってアジトへ向かい、クロノはセツナ達を回収する。レヴィ以外の事は忘れていた癖に、朝風呂でまったりしていやがった。記憶を取り戻したセツナや大罪達と合流し、クロノ達はアゾットへ舞い戻る。
「うおおおおおおおおおおおおお! 今日も頑張って休むぞおおおおおおおおおおおお!」
「どしたのセツナ、朝からハイじゃん……?」
「朝ご飯の時にレヴィから貰ったポーション飲んでからこうなんだぞおおおおおおおおおおおお!」
「なーに飲ませたのレヴィちゃん」
「ちゃん付けやめて、昨日途中でセツナが力尽きそうになったから使った活力ポーションだよ」
「いつも無表情だけど、昨日のセツナはいつにも増して死んだ目をしててとても面白かったよ」
「最後の方はポーション加えながら砂漠を這いずって居たからな」
「なにお前等、観光してたんじゃないの?」
「依頼してたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「依頼?」
「お前の金魚の糞してるだけじゃ、ボク達も思うところがあるからなァ」
「マルスが言い出した事だぜェ、お前の挨拶回りについて行きながら、各地で気持ち悪ィ慈善活動しましょうってなァ」
「セツナはそれを手伝いながら自己強化に努めてたんだよ、流石切り札偉いね凄いね頼もしいね」
「なんだか知らない内に巻き込まれたんだぞ!!!!!!!!!!!」
「ちなみにアースクリスタル集め1位はこのミライちゃんでしたー♪」
「誰かの役に立とうとする力が強すぎるぜェ……」
「ま、まぁなんにせよ俺は偉いと思うよ」
「褒めろ!!!!!!!」
「今褒めたんだよ……」
「それにマルスも、昔に比べて捻くれたけどやっぱり根は俺と同じで」
「気持ちが悪いから同調するな」
「俺に対して当たりが強すぎない!?」
「過去を覗き見られた上に嫌いな相手が昔を語ってくる、これ以上なく不快なんだが」
「ごめんって……」
「だが稽古をつけてやったのだろう、内心思うモノもあるくせに正直じゃないな」
「誰に言われてもツェンにだけは言われたくはないが……?」
「ふぁぁ……ところでドゥムディどこいったー?」
「ドゥムディさんなら俺は寝なくても平気だからって一晩中この世の終わりみたいな開発現場だよ」
「飽きもせずに熱心な事だね、俺なら秒で寝れるわー」
「寝てたし飛んでったしね……とりあえず向かおうか、多分船も完成しちゃってるし」
全員でアゾット城を目指す中、いつものようにクロノの頭の上ではしゃぐエティルが何かに気が付いた。
「いやー、やっぱりエティルちゃんはここが落ち着きますなー」
「足パタパタさせないで、かかとが額に当たってんだよこんにゃろう」
「復活したクロノの頭にはしゃぐ可愛いエティルちゃんに免じて許し……クロノってばなに持ってるのー?」
「ん? あぁこれか、朝に纏めたこの休暇にやろうと思ってる事リストだよ」
「朝の時間を使って完璧な休暇プランを用意したってわけさ、ドゥムディさんと船を回収したらお披露目する予定だぜ」
「へー? なんでか知らないけど今嫌な予感したよぉ?」
「奇遇だな、俺もだ」
「私も……心の、底から……深みまで……」
「エティルが空気を読めたって点からしても、これはかなり悪い事が起きるね」
「心外もここまで行くと笑えてくるなぁ」
「君に対しての信頼だけど、この方向の信頼は裏切って欲しいものだね」
「無茶ぶりに定評のあるお前等と比べりゃ、俺は常識的だと自覚してんだけどな」
「私はクロノも大概だと思うぞ!!!!」
「失礼な切り札だ、俺はお前も楽しめるように計画を立てたのに」
「じゃあ楽しみにするぞ!!!!!」
(ちょろい……)
笑いながら歩いて行くクロノ達だったが、精霊達は振り払えぬ不安を抱えていた。特にアルディはクロノの持っている紙束の異様な分厚さから目を離せずにいた。
(何故だろう……ルーンが暴走する時特有の悪寒がする……五百年経とうと忘れる筈がない、この震えは悪い事の前兆……しかし精霊として契約者が言い出す前に止めるのもどうかと……け、経験が生かせない……)
ダメな確信があるのだが、精霊故に起こる前に対応が出来ない。精霊達がまごまごしている内に、クロノ達は城についてしまった。そこにはショートしたドゥムディと、やり遂げたフロー、そして一回りでかくなった棺桶が待っていた。
「ドゥムディさんが死んでるー!」
「ふふ、超絶天才を理解することは大罪と言えど不可能じゃったな」
「強欲が溢れる何かがあったってのかァ……? この嬢ちゃんの脳みそはパンドラの箱かなんかかァ?」
「喜べクロノ、お主は物理を超える足を手に入れたぞ!」
「常識は超えたくなかったんだけどなぁ」
「これでお主は望めば天界へもかっ飛んでゆける、距離も法則も隔てる壁になり得ぬじゃろう」
「望む夢の果てまで、減速せずに突き進むがよい!」
善意からの本心なのだろう、実際今日まで助かってきたし、今後も助けになるのは間違いない。問題は、乗る者の耐久だけだ。一周回って安全性も上がっているかもしれない、その可能性に賭けよう。
「ま、まぁ移動の足は実際助かるよ、少しだけ無茶な計画もこの船なら余裕だろうしな」
「うむ! 少しだろうがやばかろうが、どんな無茶も音速を超え成してみせるじゃろう!」
「色々と突っ込みたいんだけど、とりあえずクロノの計画を聞かせて貰えるかな? 少し無茶な予定なのかい?」
「あぁ、知り合い全員に討魔紅蓮や悪魔騒動のお礼や謝罪をしたいってのもあるけどさ、それだけじゃセツナやマルス達は退屈だろ? なんか勝手に仕事してたり充実してるみたいだけど」
「私は仕事したいんじゃないし修行したいわけでもないんだよ! 大事なのわかるけど!! 休みなんだよ遊びたいんだよ!!!」
「仕事とか初耳なんだけど、休みたい寝たいまったりしたいは俺もそこの煩いのと同意見だわー」
「だからさ、俺の行ったことある場所だけじゃなくてさ、行った事のない国にも観光目的で行ってみようかなって、後国だけじゃなくて自然の中の観光地も行ってみないか? 挨拶回り目的じゃなくて、遊びにさ」
「賛成!」
「セツナがレヴィ達より早く動いたよ、嫉妬しちゃうよ」
「具体的には……?」
「ユリウス王の話にも出てたエルルゥ、四大陸の外にある孤島、通称監獄島と呼ばれる島にある国! 幾つもの勇者物語にも出てくる国だ! 討魔紅蓮関係で迷惑かけたみたいだし、物語に出てくる各地は観光名所にもなってるぞ!」
「おー!」
「悪魔連れて監獄観光って正気かお前」
「それと温泉を気に入ってくれたセツナの為に、デフェール大陸にあるフィンレーンに行ってみよう!」
「アクトミル、クールラインと並ぶデフェールの代表三国の一つだな」
「フェルド君知ってるのー?」
「行った事はねぇ、だが噂程度はサラマンダーの住処にも届いてた」
「昔は国なんてなかった場所だが、ある理由で一気に発展した国だ」
「そう! 大きさ自体はケーランカとあんまり差はないけど、デフェール三国に数えられる最大の理由! 湧き出す温泉! 温泉国・フィンレーン! 世界一大きくて、多様なお風呂を楽しめる国だ! 観光なら外せない!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「セツナがうるさいよ」
「デフェールならジパングも外せない! 俺もあんまり詳しくないしジパングにも行くぞ!」
「うおおおおゲホッ……ウェッホ……」
「むせたよ」
「ジパングと言えば勇者物語にも出てくる四神伝説に……龍種が跨ぐ雲より高い仙山が有名だ!」
「それと俺が寝てる間に海の底まで行ってくれたらしいな、ネーレウスの事で俺もそっち関係に会いにいきたいし、そのついでに海の底の名所もチラッと見てみないか」
「海の底の名所?」
「俺も海の底の珊瑚の森とか見た事あんだけどさ、星の海って呼ばれてる場所があるんだ」
「これは聞いた話だから、行けたら行ってみるくらいで……それとこれは新聞に告知の紙が挟まってたんだけど……」
「なんだキラキラした紙だな、傲慢な」
「言いたいだけだろォ……なんだ祭りかァ?」
「そう! コリエンテ大陸のラーナフルーレでお祭りがあるんだ! しかもコール・ミジットのライブも行われるって!」
「誰だそりゃ」
「勇者だよ、僕達も面識があるんだ」
「各国を巡って歌でみんなを楽しませている変わった人なんだ」
「盤世界最大の歓楽境……アクト・レリーフは彼の活躍で賑わったし、世界中でそういう『賑わい』や『娯楽』を売りにした名所とか生まれるようになったのも、そんな流れを生んだのも、やり始めた誰かが居たから……コールさんはその流れを受け継いで、より大きくした凄い人だ」
「ラーナフルーレの雪花氷祭りもその流れで生まれた大きな祭りだ! 休暇って言うならお祭りに参加しないわけにはいかないだろ! コールさん達にも会いたいし!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「切り札や大罪に楽しんでもらいたくて、少し張り切って計画を立ててみました」
「クロノ大好きだ! 起こして良かったぞ!」
無表情ではしゃぐセツナだが、アルディは一人考える。確かに楽しそうだし、興味もそそられる。だけど世界中の知り合いに会いつつ、行った事のない場所にも遊びに行く。そんなの時間がいくらあっても足りない、筈なのだ。
(この場の誰も、クロノですら……不可能だと思っていない、だって不可能じゃないから……だからこそ、常識が欠けている事に誰も気づかない……無茶苦茶なスケジュールでも可能にしてしまう、ギガストローク……あの存在が、終わりの呼び水……!)
「クロノ、君その無茶苦茶なスケジュールで世界を巡るに至って、生じる移動の負荷については……」
「え?」
「え?」
「問題はない、何の心配も要らぬ」
呆けるクロノとセツナ、そして口を開く超絶天才。
「常識なんぞ、置いて行け……!」
「…………そうだな、俺はもう振り返らないよ」
「こうなったらとことん、楽しんでいこう!」
「え?」
ブレーキは、取り外された。己の欲のまま、突き進め。




