第七百三十二話 『地獄からの始まり』
ここは地獄とこの世の境、流魔水渦内の秘湯・精霊の湯である。噂を聞きつけたのか、アジト内復旧の暇を見つけた魔物達で賑わい始めてきた。
「なんか入れ替わりで混んで来たな……」
「お目が高いことだね、僕達の力の結晶だし評価されるのは当然だけど」
(ドヤ顔アルディに腹が立つが……実際いい湯で身体も楽になってきてるのがまたムカつく……)
「俺達はそろそろ上がろうか、セツナの叫び声も聞こえなくなったし向こうも出たのかも」
「あいつの場合死んでる可能性の方が高くねぇか?」
「ははは、まさかそんな……いくらセツナでも風呂で死にはしないだろ」
ちなみに同じ頃セツナは渦潮に呑まれていた。風呂から上がろうとしたクロノを見て、マルス達も視線を交わす。
「いくか、誰かプラチナを頼むよ」
「こいつ……風呂で漂いながら寝る癖まだ治ってねェのかァ?」
「くぅ……」
「器用な奴……」
流れるままのプラチナをドゥムディが回収し、クロノ達は出口に向かう。一言二言会話しながら出口を潜ると、更衣室で見知った顔を見つけた。
「あれ、魁人じゃんか」
「おぉクロノ、お前の作った風呂を俺も使わせてもらうぞ」
「あぁ、是非のんびりしてくれ……けど少し意外だな? お前は滅茶苦茶働きまくって風呂とか頭から吹っ飛びそうな性格なのに」
「中々俺を理解しているな、襲撃の後始末にジェイクへの報告……あれやこれやとやってる内に紫苑とリリネアに怒られてここに放り込まれたんだ」
「ジェイクも怒っていたな……リリネアの件を伝えた途端に『なんでテメェは面倒を押し付けて面倒を増やして帰ってくるんだボケアホクソ魁人ぉ!!』なんてブチギレてしまって……」
「そ、そっか……えっと、リリネアの件って?」
「昔の縁、簡単に言えば仲間が増えたんだ」
「俺は目を逸らさない、全部背負ってお前を追うよ」
「おぉっと! ずるいぞボス! それはこの烈火のヒーローにも言える事ぉ!」
金属スーツを脱ぎ終えたメランが滑り込んでいた。もう隠す必要は無くなったのだが、それでも半身が炎の男はやたらと目立つ。
「この烈火のヒーローもまた! クロノ少年の後を追う者! 罪から目を背け逃げるような真似、もう二度と、断じて! 繰り返しはしないっ! この身を焼かれようと、身を断罪の刃で貫かれようとも! もう道を踏み外したりは、しないっ!!!」
メランの大声の宣言は更衣室に響き渡り、事情を知らぬギャラリーから謎の拍手まで貰っている。全裸で決めポーズを決める半身炎の男の癖に、引きつける力は確かだった。
「お前半分炎の癖に、風呂平気なのか?」
「ニスティアの炎はこの程度で消えはしないさ! 湯など蒸発させてくれるわ!」
「やめろやめろ」
「妖炎魔の炎は通常のモノとは違うし、魔力で覆うから外にも内にも影響はないよ」
「感情で揺らぐタイプの力だが、今のメランとニスティアは落ち着いているしな、万が一があっても俺が傍にいるから問題はない」
「そういうことだ! だからクロノ少年の熱き想いから生まれた風呂を堪能するとしよう!」
「身体を清め、しっかり休め、そうしたらまた善行だっ!!」
「公共の場では静かにな、じゃあクロノ、また今度」
並んで精霊の湯に向かう二人を見て、クロノは自然と笑顔になった。初めて出会った時は互いに敵意を向けて来た二人なのに、今では頼もしい味方だ。
「後を追うとか、とっくに並んでるよ」
「同じ夢を志す味方は、頼もしいよね」
「……ルーンにも居たぜ、そんな奴が何人も」
「最後には、殆ど死んでたがな」
フェルドの言葉に、アルディの纏う力が少しだけ乱れた。
「フェルド、君は毎回タイミングを……」
「全部包み隠さず話す、こいつにはもう隠し事はしない、俺達全員でそう決めた筈だ」
「あいつは人も魔物も引き付けた、同士は自然と増えていった……そうして共に夢を目指し、道半ばで多くが倒れ消えていった……人も、魔物も、そりゃもう色々な要因で死ぬわ消えるわ敵に回るわだ」
「後を追われようが、隣で支えようが、居なくなる時は一瞬だ、お前の手は限られてる……手の届く範囲に絞っても守り切れねぇ時もある」
「この先、お前はまた失うかもしれないぜ」
「それでも俺は馬鹿だから、諦めないし止まらない」
「失えば泣くし後悔する、どれだけ無謀でも守ろうと全力でぶつかる」
「手の届く範囲以上も求めるから、その度お前達の手も借りるよ」
「…………秒も迷わず言い切るか、良い熱だ」
「やれやれだね……どの道無茶するのなら、後悔する未来だけは避けなきゃね」
「何一つ失いたくない、守りたい、その気持ちは僕達だって同じだから」
「おい、着替え一つにいつまでかかってる?」
先に着替えを終え、外で待っていたマルスが顔だけ覗かせクロノを呼ぶ。クロノは最後にルーンの鉢巻きを巻き直し、顔を上げた。
「じゃ、今回守り切れた奴等と今後の話をしようか」
そう言って、クロノ達は共に食堂を目指す。風呂から上がった後、集合場所として決めていた場所だ。
「さっぱりしたぞー! 次は食堂でご飯だ! 食べて元気になったら出発だー!」
「何処に行くのかもまだ決まってないのに元気だねこの切り札は、嫉妬しちゃうよ」
「お休みだ! 命懸けの戦いじゃない! お休みだ! 輝くキラキラライフがこの切り札を待っていぎゃああああああああああああああ」
「ありゃりゃ、すっごい滑って転んだね」
両足で濡れている床をこすり、物凄い勢いで回転しながら跳ね上がったセツナは天井に激突、そのまま跳ね返り床に叩きつけられた。もはや何か別の力が働いているレベルの転倒だ。
「ちょっとセツナ、床を鼻血で汚さないでよ、掃除する方の身にもなりなよ」
「もっと他に言う事はないのか……? お前の使える言葉に優しさが宿ったものは……?」
「一々お前のドジに気を使ってたら口が疲れて敵わないよ」
「ミライに髪を拭いてもらってる癖に何気取ってんだチビ―!」
「上等だよクソ切り札、濡れた身体でレヴィから逃げられるとでも思ってるのかな……」
「馬鹿な!? 転んで涙目の切り札に追い打ちする気か!? 人の心が無いのかお前は! そして立ち上がれもしない自分に絶望している! 床が滑るぞ!? 油でも引かれているのかここは!!? ぬるっとしてるんだぬるっと!」
ちなみにセツナは気づいていないが、更衣室の床が一直線にテカテカしていた。セツナは丁度その線の上に居て、ヌルヌルと立ち上がれずにもがいている状態だ。そんな切り札に迫る、ニコニコ笑顔の嫉妬の悪魔。
「来るなチビ! 謝るから切り札を寛大な心で許すんだ!」
「立派な謝り方だね、一欠片の人の心も気兼ねなく捨てられるよ」
「レヴィ以下の身長になるまで、押し潰してあげる」
「みゃあああああああああああああああああああああああ!」
「仲良くて良いなぁ、私も愛されるように頑張ろう!」
「そう思うなら助けてくれええええええええええええええええええええええっ!」
切り札の悲鳴が響き渡り、その声に湯に浸かっていたリリネアが振り返った。
「騒がしいわね……誰かが拷問でも受けてるのかしら」
「さぁ……ですが皆さんニコニコ微笑ましそうな顔をしていますし……事件ではないのでは?」
流魔水渦の皆にとって、セツナの叫び声なんて日常茶飯事だ。しかし笑顔を浮かべている者の内、身体を洗っているナメクジのような魔物、スラッグと呼ばれる種である彼女の残した道により、セツナに悲劇が降り注いだことは誰も知らない。
「良いお湯ですね……主君も休めているでしょうか」
「相変わらずの仕事馬鹿で呆れたわ、暗い根暗仕事マンが明るい非常識仕事マンになっただけじゃない」
「通信魔法越しだったけど、ブチギレてたジェイクの顔が鮮明に浮かんだわよ」
「主君を心配している証拠ですよ、傍にいる私達で支えてあげましょう」
「……もう当然の顔で仲間みたいに扱ってるけどさ、リリネアちゃんはここを襲った悪魔で敵だったんだけど?」
「一緒に襲撃したウィローはとっ捕まって、同罪の筈のあたしが仲良く温泉に浸かってるの異常だと思わないの?」
「後日リリネアさんも聴取が行われます、主君や私も立ち会うので、隠し事とかしちゃ駄目ですよ」
「だからなんで当然のように付き合う流れなのよ、あんた達に関係ないでしょ、厄介事抱え込んで頭おかしいんじゃないの?」
「きっと、少しくらい頭がおかしくないと……理想なんて語れないのです」
「もうお仲間なんですから、関係ないなんて言わせませんよ」
「はぁ……調子狂うわ……」
「あ、お背中流しますね」
「ほんっとに調子狂うわ…………」
(最初の使い魔がこの子みたいな子だったら、あたしだって…………何考えてんだ馬鹿らしい)
勝手に背中を流し始める紫苑に対し、リリネアは自分のペースを掴めずにいた。このままじゃ背中だけじゃなく、意識まで流されて良いようにお友達ポジションにはめ込まれてしまう。それだけは、プライドが許さない。悪魔の翼をプルプルと震わせ、飛沫で紫苑の視界を潰す。一瞬生まれた隙に、リリネアは反撃の一刀を見舞う。
「ぷあ、リリネアさん動いちゃ洗えないですよ」
「聴取ねぇ……あんたあたしの事ばっかり言うけどさ、忘れてんじゃないの?」
「ふえ?」
「あんただってこの後、愛しの主君から暴れに暴れまくったお叱りが待ってんだからね」
「!?」
一瞬で顔を真っ赤にした紫苑が、握っていたスポンジを握り潰して爆散させた。ふわふわもこもこだったスポンジの破片がリリネアの頬を掠め、岩壁に弾丸のように突き刺さる。どんな力で握り潰せばそんな事になるのかは知らないが、ミスをしたことだけは分かった。
「いやいやいやいやいやいや愛しの主君だなんて何を言っているのかまるでわかりませんよ何を言っているのですかリリネアさんはっていうかお叱り? お叱り……そうですよね怒られますよね怒られ……あぁああああああああっ!? 私はなんてこと、また、また暴走して……どうして私はあああああああああ!!」
「あははははー、暴走は今もしてるんじゃないかなー?」
「せめてリリネアさんをピカピカにして僅かに残った褒められるチャンスをモノにしてー!!?」
目を回した紫苑がリリネアの肩を捕まえる、きっと僅かにでも力加減を間違えられたらリリネアの肩はこの世から消失するだろう。
(落ち着かせないと、死ぬ)
「オッケー分かった、リリネアちゃんがあんたは良い子だって口利いてあげるわ、だから今すぐ離しなさい、今すぐに」
「全力でお背中を流しますっ!!」
「出すな全力! 大体スポンジ握り潰して今のあんたの右手はただの握りこぶしよ!!」
「ちょっと離しなさいよポンコツ鬼娘っ! ちょ、誰かああああああああああああああっ!?」
追加の悲鳴がこだまするここは流魔水渦、笑顔の絶えない良いところ。
「なんか叫び声が聞こえたような?」
「一々気にしてたら身が持たないよ、さっさと食堂に向かうんだよ」
気絶したセツナの片足を掴みかなり雑に引きずりながら、レヴィはミライと共に食堂に向かう。先についていたクロノ達と合流し、皆で席を囲う。周りの魔物達がざわざわし始めた、それはそうだろう。大罪全員が揃い、切り札を含めて席についているのだ。その緊張感、圧は凄まじい。
「じゃあ、決めようか」
「休暇の、スケジュール……!」
地獄の底で、悪魔達を交えた会談が始まる。七つの欲望を極めた悪魔達を連れ、世界で最も重苦しい息抜きが今始まる。




