第七百三十一話 『ありがとうは秘湯の中で』
ここは地獄とこの世の境、流魔水渦のアジト。今はそこにポンと生まれた秘湯・精霊温泉バージョン2のお披露目兼休息タイムだ。男湯側で温泉の制作者が自らの精霊に沈められている頃、女湯側では投げ込まれたエティルとティアラによって切り札が沈められていた。
「お風呂で遊ぶなぁ!」
「失礼だなぁ、お風呂では遊んでないよぉ」
「私達は……セツナで……遊んでる……」
「なお悪い! レヴィ助けろ!」
「どうしてレヴィが助けると思ったの? 嫉妬しちゃうな……クスクス……」
「笑ってんじゃないよ! うわあああああああ!」
エティルとティアラの合体技である渦潮温泉に飲み込まれていく切り札。嫉妬の笑い声が響き渡る中、温泉の端っこでカルディナは口元まで湯に浸かり、ブクブクと泡を生み出していた。見かねたリウナがシズクを頭に乗せたまま声をかける。
「なにお前、またなんで凹んでんだよ」
「凹みもするよ……またあたし何にも出来なかったし……場違い感凄かったし……固まっちゃっててさ……」
ヘディルとの最終戦、力を振るう大罪達やクロノを見て自分と比べているのだろう。確かにカルディナは圧倒され、動きを止めていた。だが攻撃の余波を掻い潜り、最後の力を振り絞ったマイラ達を助け出し端の方へ避難させたのは他でもないカルディナだ。
(あの状況でこいつは間違いなく、自分に出来る事をやったと思うんだけどな……相変わらずマイナス方面への思考加速が凄い奴……)
「あのメイドや犬共は感謝してたじゃねぇか、そもそもお前レター・スイッチとやり合って消耗してたしあれもこれもは欲張りすぎだろ、そっちのがよっぽど傲慢だぜ」
「ブクブクブクブク……」
「あー! うぜぇ!! お前はお前の大事なもん守れりゃいいんじゃなかったのかぁ!?」
「それはそうだけど……難儀だよ勇者って……偽物でもいいって割り切っても大事なモノがどんどん増えちゃう」
「あぁ……クロノ君の道を追っかけるだけでこの有様だよ……情けないよ……」
「お前聞く奴が聞いたら煽りに聞こえるからなそれ、大罪一人抑えて計四人連れ帰って力尽きた絵札二枚引っ込めて被害最低限に抑えて飛んでくる攻撃目見開いて逸らしまくってた奴の言い分じゃねぇからな?」
「うぅ温泉気持ちいい……まったりする資格なんてあたしに無いのに……」
(面倒くせぇ……)
「ポワポワ……どうしようリウナちゃん、ここはシズクが包み込んであげるべきかナ?」
「ほっとけ、ネガティブは死んでも治らねぇ」
「でもマスターが復帰しないとリウナちゃん頭洗えないヨ」
「ほっとけ洗えるわっ!!!」
一緒に旅をすることになった初日、リウナは宿のお風呂でシャンプーが目に入り泣いた事がある。それからいつもカルディナに頭を洗ってもらっているのだ。
「しょうがない……ここはシズクが全身をねっとり包み込んでキレイキレイしてあげるネ……」
「少しでも妙な動きしてみろよ……排水溝に押し込んでやるからな……」
頭の上でウネウネし始める危険因子をけん制するリウナ、だが不意に頭の上の重みが消えた。見上げると、とんでもスタイルの美女がシズクを持ち上げていた。
(誰だ……? 匂いも気配もしなかった……)
「ふぅん……天水体種なんて珍しいわね……柄にもなく懐かしいわぁ」
「ポワワ?」
「積極的に魔に関わってるんだから当然だけど、希少種まで被ってるのは何の因果なのかしらね」
「あの子の周りは、あんたに似すぎてるわ……」
「ブクブク……ん? シズク? あの、その子が何か……」
「あらごめんね、ちょっと懐かしくって……私はテイル、ここに所属してる淫魔よ」
「温泉が出来たって聞いて寄ってみたんだけど、知り合いにフラれちゃってね」
スピネルは復旧の手伝いに向かい、ロベリアもそれに付いて行ったのだ。スピネル曰く、まだクロノお兄さんと顔を合わせられない、との事だ。
(十分活躍したのに、年頃のショタは気難しいわね……そんな子に想いを寄せゾクゾクしてる淫魔を見てるとゾクゾクしちゃうわ、あぁほんと最高の弟子を得たものよぐへへ……)
「はぁ……シズクを見て懐かしいって……」
「その水玉は一応珍しい種だぜ? あんたの知り合いにも居るのか?」
「これでも長く生きてるからね、知り合いは珍しいのも変なのも豊富にいるわよ」
「想うものは色々あれど、繋がりの数だけ馳せる想いは増えるものなのよ」
そう言ってテイルは湯に浸かり、大きく伸びをしてみせる。大きな胸が強調されるが、それ以上に右手に持っているカメラらしき魔道具が気になってしまう。
「あのぉ、つかぬ事をお聞きしても?」
「可愛い子の質問なら大歓迎よ、何かしら?」
「えっとぉ……それは、何でございましょうか?」
「あぁこれ? 同士であるルトちゃんが今お仕事地獄で拘束されてるのよね」
「温泉なんて女の子の裸見放題の楽園に来れないのは可哀想でしょ? だからせめて映像に納めて差し入れしてあげようかなーって」
そう言ってテイルはカルディナの裸体を堂々と、そしてじっくりと撮影し始める。数秒固まり、カルディナは顔を真っ赤にして全身を手で隠す。
「うええええええええええっ!?」
「かかれシズクッ! こいつ変態だ!!」
「マスターの裸を勝手に撮るナ―!!」
「おっと、ここは変なのばっかな魔窟だよ? 常識に囚われちゃ夢も見れりゃしない」
「はっはっは、少年少女よ大志を抱け、君達が輝けば私等年寄りは眼福なのじゃよ、はーっはっはっは」
「訳の分からねぇ事言ってんじゃねぇ! 逃げんじゃねぇ! 撮ってんじゃねぇ!!」
「待てこらマスターの裸代払えー! ポワ―!」
「待ってシズク大声で言わないで!?」
全裸で空中に浮かぶ盗撮淫魔を追いかけるリウナ達。新たなるバトルが始まった頃、精霊達のお遊びは逆に一息ついていた。
「いやぁ、温泉は良いねぇ……」
「ポカポカ、ぷかぷか、のんびり……癒される……」
「なにほっこりしてんだ、切り札はボロッボロだぞ」
渦潮に巻き込まれ、セツナは洗濯されたようにピカピカになっていた。
「汚れ一つないピカピカじゃん、嫉妬しちゃうよ」
「心の淀みは増す一方だぞ……」
レヴィが肩からぶつかってくるが、セツナは反撃する体力すら残っていない。流されるまま漂うセツナを、ミライが抱き留めた。
「よしよーし、セツナちゃんお疲れ様ぁ」
「あぁ……優しいのはミライだけだぞ……すやぁ……」
「あんまり甘やかすとただでさえ役立たずなのにダメセツナになっちゃうよ」
「お前はもう少し私に優しくあるべきだと思うが!?」
「悪魔に対して何を期待しているのやら、ちゃんちゃら嫉妬だね」
「そんなんだから背が伸びないんだ……」
「やられてもやられてもめげないセツナが大好きだよ、切り札スピリットは大事だよね」
「あ、ごめんなさい、本当に申し訳ございません失言でしただからやめて助けて」
「レヴィぷかぷか、セツナはぶくぶく、オッケー?」
「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ミライの腕に抱かれていた切り札は、温泉の藻屑となり沈んでいった。結局ボロボロにボロボロを重ね、セツナは完全に力尽きミライに抱かれるままになる。
「ふふふ、随分遠慮なしだねレヴィ?」
「手加減してるよ、遠慮全開だよ」
「うそつけばかー……」
「……ありがとねぇセツナちゃん、私達を助けてくれて」
「レヴィがなんの遠慮もしないで絡んでるだけで、貴女達がどれだけ真っ直ぐ関わってくれたかわかるよ」
「この子人見知りなんだよ? 私達以外に全然関わろうとしないで、いっつもディッシュの肩に乗っかってさ……」
「昔の話だよ、今は大人なクールレヴィだよ」
「あはは、なーにそれ」
「こうやって昔話したり、新しい友達と笑ったり、いつも通りや当たり前を満喫できるなんて夢みたい」
「あの日突然失った物、ちょっとずつ零れて無くしていった物、目が覚めたら全部戻ってきてるなんて本当に、ほんっとうに夢みたいだよ」
そう語るミライは笑顔でセツナを抱きしめてきた。力なく漂うセツナは湯に浮かびながらその顔を見上げる。キラキラの笑顔で、ミライは泣いていた。大粒の涙が零れ、セツナの頬を濡らす。
「泣いてるのか?」
「これ以上ないくらい、嬉しいからねー」
「目が覚めたら知らない人に身体を取られて、力を利用されて、あぁ結局こうなんだって最低な気分だった」
「どれだけ頑張っても、心からの信頼も、愛も、今も昔も手に入らないんだなって、暗い感情に沈んでさ」
「けどみんなが助けてくれた、あの日届かなかった手が届いた……夢にまで見た居場所が、待ってた」
「私はみんなを愛してる、みんなから愛されたい、みんな仲良く幸せに暮らしたい、そう思って生きてきた……その欲で悪魔になって、能力は日に日に力を増して……いつの間にか周りに愛すことを強制してた」
「心からの愛情じゃない、私は一番の薄っぺらを周りに強制して、自分の欲で夢を塗り潰してさ、もう二度と手に入らないとか、自業自得とか、いろんな感情で余裕無くしてさ……辛かったんだよね」
「だから起きて速攻最低な目に遭って、あー辛さの延長かー、世の中クソだよクソ! もう最悪ー! って思ってたから、こんな幸せに救い上げられるとは思ってなかったのだよ」
「だからさ、ありがとねぇ……本当に、私達を見つけてくれて、ありがとうね……」
「……私は、別に……それならルトやクロノの方が、ずっと……」
「そだね、セツナは別にそれほどでもないね」
「なっ!? おいレヴィ前に言ってた事と違……」
「ここにも良い裸がありますなぁ」
湯を蹴りさかさまの状態で頭上に滑り込んでくるテイル、すれ違い様にセツナ達の裸体がカメラに収められる。
「お? いえーい」
「ナイスピース頂きましたー!」
「盗撮犯だ捕まえてくれ!!」
「そのカメラをぶっ壊しテー!」
呑気にピースするミライと逃げるテイル、そして追いかけるリウナ達。騒ぎが波を立てセツナはその直撃を受けた。もはや体力の尽きているセツナに抗う術はなく、面白いくらい吹っ飛ばされてしまう。
(今回こんなんばっかだな……)
そんなセツナを受け止めたのは、意外にもレヴィだった。仰向けで湯に浮かぶセツナの頭を、鷲掴みにして止めてくれた。
「レヴィ?」
「…………嫉妬しちゃうよ」
「今度は何に嫉妬してるんだ?」
「ミライは変わらないね、嘘を知らない、どこまでも素直だよ」
「レヴィの方が、ずっとずっとありがとうって思ってる」
「…………仲間を、友達を助けるのは当たり前だ」
「…………あっそ、嫉妬しちゃうよ」
「ごぼぼぼぼぼっ!?」
手に力を込め、レヴィはセツナの頭部を湯に沈める。涙ぐんでいる顔を、見られるわけにはいかないから。想いと絆を取り戻し、数百年の溝を埋めていく。ここから始まる、やり直し。湯気は本音を包み込み、精霊の湯は悲しみを洗い流す。勇者の御業は、身も心も癒していく。




