第七十三話 『求めた物と、違う物』
階段を降りようとしたセシルだったが、その肩にエティルがしがみついた。
「どうした」
「真っ暗だよぉ! このまま行くのは怖……危険だよぉ!」
「怖いのもあるが、このまま降りても何も見えないだろう」
「ここからでも僕達はクロノと会話出来る、下の様子を聞いてから追っても遅くないだろう」
「まぁ、そうだな」
「なら早くクロノに呼びかけろ」
契約者と精霊は心の中での会話が可能だ、精霊達はクロノに声を飛ばす。
「いたた……酷い目にあった……」
エティルがテーブルの上の燭台に火を付けようとか何とか言ってたのだが、勢い余って燭台を倒したのがスイッチになったらしい。いきなりテーブルの下に隠し階段が現れ、クロノの座っていた椅子がバランスを崩したのだ。
結果、クロノは椅子ごと地下へ転げ落ち、現在椅子の下敷きとなっている。
(クロノ、大丈夫か? 生きてるか?)
(テステース こちらエティルちゃんだよー)
(あぁ、生きてるよ……全体的にダメージは負ったけどな)
(あう、ごめんねぇ……)
(そっちはどうなってる?)
(ん……真っ暗で何も見えない)
立ち上がって辺りを見回すが、一切の光源が無く何も見えなかった。
(今からセシルと一緒にそっちに向かう、それまで無事でいてくれ)
(お前ら一回姿消せば、俺の近くに現れる事出来るだろ?)
(わざわざセシル達と一緒に階段降りてくるのか?)
(何が悲しくて暗闇にワープしなきゃダメなのさ!)
(はいはい……)
(何も見えないんだし、大人しくそこで待ってるんだぞ)
確かにこの暗闇で動き回るのは不可能だろう、クロノは素直に従う事にした。
「つまり、この下はやはり真っ暗らしい」
「うむ、さっさと向かうぞ」
勝手にクロノの荷物からランタンを取り出し、光源を確保する。セシルが先頭に立ち、地下への階段を降りて行く。
「もう怖いの嫌だよぉ~!」
「結局、こうなるのか……」
やはり暗闇に向かって進むのが嫌だっただけのようだ。それが嫌なのはセシルとて同じだが、クロノを放っておくわけにはいかない。
「貴様、幽霊のくせに何をびびってる」
「同族が居るとすれば、一番襲われにくいのは貴様だろ、貴様が先頭に……」
背後のクリプスに声をかけるが、無言で首を振っているのが音で分かる。
「本当に怖いの無理なんですよ、お化けとかそういうの……」
「貴様、鏡を見て来い」
「大体そこまで怖いなら、忘れ物とやらを諦めればいいだろう」
「それは、出来ません……」
「何を忘れているのか、本当にそんな物あるのかも覚えてないけど……」
「けど、『それ』は私の一番大切なものだった気がします」
「命よりも、記憶よりも、何にも変えがたい……そんな大切な何かが……この先にある気がするんです」
「だから、怖くても見つけたいんです……」
「……そうか」
「見つかるといいな、だが……」
「それを見つけ、もし記憶が戻っても、貴様は貴様でいろ」
「忘れるなよ」
「……?」
セシルの意味深な言葉に、クリプスは首を傾げていた。そのすぐ近くでアルディが片目を瞑って何かをしている。
(……って訳だ、確かに伝えたよ)
(うん、良く分かった、ありがとな)
クリプスの言葉を一字一句間違えることなく、クロノへ伝えていたのだ。それはクロノのやる気を一層強い物にした。
(必ず見つけよう、必ず)
(そうだね、頑張ろう)
(クロノはぶれないねぇ)
ぶれるわけが無い、助けたい気持ちは既にマックスだ。クロノがジッとしていられなくなった所で、上から階段を降りる音が聞こえてきた。
「さて、それじゃ気合入れて探すとしよう!」
「えっ……あ、ありがとう、ございます……」
笑顔でそう言うクロノ、何だか分からないクリプスは戸惑ってしまうが、クロノはセシルからランタンを受け取り、そのまま突っ走っていく。
「馬鹿、明かりを持っていくなっ!」
「わーわー! クロノ待ってよぉ!」
暗闇から逃げるように、精霊達もクロノを追いかける。
「言っただろ、あの馬鹿タレはあーゆう奴なのだ」
「貴様が困れば困るほど、あいつは助けようと無茶をする」
「お人好しの大馬鹿なんだ」
「私、何てお礼を言えばいいか……」
「あの馬鹿が見返りを求めるような奴なら、まだマシだったかもな」
「それすらしない、真の馬鹿だ」
そう言いながら笑い、セシルもクロノを追いかけ始める。その背中をクリプスはしばらく見つめていた。
「……本当に、いい子なんだろうな……」
心からそう思うが、クリプスは何かが引っかかっていた。あの純粋な少年は、恐らく闇を知らない。それ故、クリプスは少し不安を覚えたのだ。
人間の心は、余りにも脆い……。
(あれ……私何でこんな事……)
「って、真っ暗ですっ!?」
周囲が闇に閉ざされている事に気が付き、クリプスは慌ててクロノ達を追いかけていった。
「ちゃんと整備されてるし、普通に地下だな」
「むしろ荒れ果てて放置されてた上の階よりしっかりしてないか?」
「まだ通路しか見てないから、何とも言えないよ」
階段から降り、クロノ達は長く続く石造りの通路を進んでいた。
「えーん! 待ってくださいよー!」
「貴様が遅れてどうする、ヘボ幽霊が」
「うぅ……」
「クリプスさん、何か思い出さない?」
クロノは通路を進みながら、隣のクリプスへ聞いてみる。
「うーん、地下への階段を見たときは、知ってる! って確信できたんですけど……」
「ここはあまり……」
『……めて! ……や……てぇ!!』
「………………っ!?」
「クリプスさん!?」
突然苦しそうな顔をし、俯いてしまったクリプス。
(……何? 今の……)
「大丈夫ですか?」
「何か思い出しそうになったんですけど……やっぱりはっきりしないです……」
心配そうにクリプスに近寄るクロノだが、クリプスは大丈夫です、と笑ってみせる。そんなクリプスを、セシルは黙って見つめていた。
「クリプスさんの忘れ物って、何なんでしょうねぇ」
「大事な物なのは間違いないんでしょ?」
「はい、その事を考えるとですね、凄く暖かい気持ちになれるんです」
「覚えてないけど、一番大事な物だったはずなんです」
「胸がポカポカして、安心できる……私の大事な物……」
「湯たんぽとかじゃないか?」
「セシル、ちょっと黙ってて」
流石にここまでして忘れ物が湯たんぽだったら、少しガッカリするかもしれない。
「私、湯たんぽへの未練で幽霊になったんですか……?」
「無い無い、絶対無い」
「そうだとしたら、間抜けな幽霊だな」
「しかも変に力が強いしな、笑い話になると思うぞ」
「セシルはもう黙ってて!」
ワイワイと喋りながら進んでいる内に、恐怖心はすっかり薄れていた。精霊達も随分と落ち着いたのか、最初のガチガチ感はもう無い。
結構地下の通路を進んだところで、目の前に鉄の扉が現れた。
「当然のように開かないなぁ……」
「仕方ない、金剛でぶち破ろう」
どうせ廃墟だ、壊しても問題ないはずだ。
「アルディ!」
「あぁ、思いっきり行け!」
金剛の力で扉にフルスイングを叩き込む、大きな衝撃音が響いたが、扉はビクともしなかった。
「え、嘘……」
「金剛を纏ってそれか、この貧弱者め」
「退け」
少し強引にセシルがクロノを押し退ける。
「てい」
適当な蹴りを扉に放つ、どうやったらそんな蹴りでそんな音が出るのかは知らないが、爆発したような轟音と共に扉が吹き飛んだ。
「セシル見てると自信無くすよ」
「アホな事言ってないで、さっさと行くぞ」
(……しかし、あの扉……)
吹き飛ばした扉の残骸に視線を移す、セシルは妙な違和感を感じていた。
「何だこの部屋、研究室か何かか?」
扉の先の部屋は、本棚とテーブルが並ぶ空間だった。この部屋から幾つかの部屋への扉が確認できる。
「本棚は殆ど空だな、荷物らしい物は持ち出されたのだろう」
「クロノー、こっちに何冊か本残ってるよー」
エティルが残された本を見つけてくれた。
「日記か何かかな、結構ボロボロだ」
「……エキドナの生物実験記録?」
「エキドナって何だ?」
聞いたことが無い名前だった。
「蛇人種の上位種だ、その魔力は上位魔族の中でもかなり強い」
「一部では魔の母とも呼ばれている、魔王の中には真蛇人種だった奴もいたらしいぞ」
「真蛇人種は結構珍しい種でな、私もあの馬鹿くらいしか見た事ないな」
「リーデちゃんでしょ? 種族が近いのに本当に仲悪いよねぇ」
「あのチョロ蛇とはどうも馬が合わん」
「魔に長けたリーデですら、最初は普通の蛇人種だったしね」
「生まれながらに真蛇人種と言うのは、相当な力を持って生まれた奴だろう」
「とりあえず、凄い強い蛇人種って事か」
「てか……生物実験って……」
良い響きでは無い、この場所から嫌な感じを受けた。
「クリプスさん、何か見つか……?」
振り返ると、クリプスは離れたところで固まっていた。入ってきたところのすぐ近くの扉を開け、その中をジッと見つめている。
「クリプスさん?」
「そうだ……ここは……」
体が小さく震えている、明らかに普通じゃない。
「クリプスさん、どうし……」
「あ、あぁ……あああああああああああああああっ!!!!」
突然の絶叫、それと同時に、クリプスの体が黒い魔力を発した。
「!? 何だ!」
「クロノ、近づくな!」
(吸命の魔法……コントロールも出来ていない……!?)
(それに……この魔力……こいつやはり……)
自らの体を抱き締めるように蹲るクリプス、黒い魔力はそんな彼女の周りに渦巻いていた。
「何だこれ……何がどうなってんだ!」
「思い、出したんです……ここがどんな場所か……」
混乱するクロノに、クリプスが俯きながら答えた。
「私が、何だったのか……!」
渦巻く魔力は激しさを増し、壁や地面を抉っていく。ふと目をやると、彼女の足がゆっくりと現れ始めていた。
「膨大な魔力によって、体が実体化しているようだな」
「なるほど、分かってきたぞ」
「あれ、って……」
出現したクリプスの下半身、それは人の物では無かった。あれは、蛇人種の物だ。
「私は真蛇人種……この場所は……私を利用した人間達の研究所……」
「私は……この場所で非人道的な研究に利用されていた……全部、思い出しました……」
「全部……全部っ!!」
その声に反応し、渦巻いていた魔力が激しさを増した。
「痛かった事も! 苦しかった事も! 辛かった事も! 全部っ!」
「全部、全部全部全部全部全部……思い出しましたっ!」
「憎いと思ったこと、殺してやりたいと思ったこと、全部……」
「こんな事……思い出したくなかった……」
「私は……わだ、わ……わ……」
「クリプスさんっ!!」
クロノの声は、最早届いていない。クリプスの体が黒く染まり、周囲の魔力が荒れ狂うように弾けた。
「うわっ!?」
「チィ……悪霊になったか……!」
「生前の記憶を取り戻し、その際に思い出した憎しみに支配されたようだな……」
部屋の壁は簡単に砕け散り、クリプスを中心に部屋が抉れていく。
「ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!!!!!!!!」
最早理性は残っていない、黒く染まったクリプスに先ほどまでの優しい表情は見られない。完全に悪霊と化してしまったクリプスは、涙を流しながらクロノ達に襲い掛かった。
「クリプスさん! やめ……!?」
金剛を発動し、クリプスを止めようと前に出るクロノ、その体から一気に力が抜けた。
(何だ、これ……)
(っ! 吸命の術か!)
(クロノッ! クリプスちゃんに近づいたらダメ!)
クリプスが纏う怨念のような黒い魔力、それに触れたクロノの生気が吸われてしまったのだ。抵抗しようにも体に力が入らない。
「アアアアアアアアアアアアッ!!」
「やべっ……」
膝を付いたクロノにクリプスが襲い掛かる、近づかれれば近づかれるほど、体から力が抜けていく。
「……っ! はぁっ!」
「!?」
クロノの前に割り込んだセシルが、その尾による一撃でクリプスを吹き飛ばした。斜め上空に吹き飛んだクリプスは、天井をぶち抜き、地上まで吹っ飛んで行った。
「セシルッ! お前なんて事!」
「あの程度では、奴は死なん、そもそももう死んでるからな」
「そんな事……」
「クロノ、今回はもう諦めろ」
唐突な言葉、その真意がクロノには伝わらない。
「……何、言ってんだよ」
「あぁなっては、もう手遅れだろう」
「悪霊化したからには、奴は退治される運命にある」
「貴様では奴には勝てん、私が今から消し飛ばしてくるから、貴様はここで待っていろ」
「セシルッ!!」
「奴が取り戻した記憶が、この結果を生んだのだ」
「物事が常に正しく終わるわけが無い、辛い結果もある」
「貴様が望んだ結果と違ったとしても、今回は奴を倒すのが正しい事だ!」
「そんな事ない、絶対違う!」
「何だよセシル! 今回は協力してくれるとか言ってたくせに!」
「悪霊となったからには、奴は闇の中だ」
「今も苦しみ続けているだろう、消してやるのが奴の為なんだ」
「そんなの、俺が許さない!」
「いい加減にしろ! 貴様はいつまでガキのような事を言い張る!」
「貴様の夢と相反する事だからか? それで我侭を言い続けるか!?」
「辛い選択をする事も、貴様の旅に必要な事だ!」
そんな事は分かっていた、自分の正しいと思う事が本当に正しいかなんて、そんなの自分じゃ分からない。セシルの言う通り、クリプスを倒す事が、一番正しいのかもしれない。
だけど……。
「俺がやりたいのは、一番正しい選択でも、一番賢い選択でもないっ!!」
「一番、納得できる選択だっ!!」
「クリプスさんが思い出した記憶でああなったんだとしても、俺はまだ納得できない!」
「クリプスさんが自分で言ったんだ、大事な物、暖かくなる物って!」
「彼女が求めた物が、こんな結果を生んだなんて認めない!」
「ある筈なんだ、本当に彼女が探してた物が……絶対にっ!」
「……それがあったとしても、奴はもう怨念に支配されている存在だ」
「もう言葉は届かない、それでも貴様は諦めないのか」
たとえ馬鹿だと言われても、答えは初めから決まっている。
「俺は絶対、諦めない」
『諦めたら、あったかも知れない可能性も消えちゃうんだ』
『だから、僕は絶対に諦めないよ』
その言葉が、過去と今を確かに重ねた。
「……奴は真蛇人種だ、貴様ではどう足掻いても勝ち目は無い」
「単純な戦闘力はあの黒狼並だろうし、魔法による攻撃にアルディの防御力は意味を成さん」
「それでも、俺は!」
「10分だ、10分くれてやる」
「え……?」
「探してみろ、奴が本当にここに忘れたという、大切な物を」
「10分経っても貴様が来なければ、奴を消し飛ばす、いいな」
「セシル……」
「早く行け、時間は無いぞ」
「あぁ、分かった!」
「必ず見つけるから、絶対待ってろよ!」
そう言って、クロノは地下のまだ見ていない部屋に走って行った。
(……さて……)
その背中が暗闇に消えた事を確認すると、セシルは翼を広げた。天井に向かってブレスを放ち、地上までの大穴を開ける。その大穴から地上へ飛び立ち、周囲を見渡す。
屋敷のすぐ近くで、クリプスは暴れていた。目に見えない何かに阻まれ、外に出られないようだ。
(自縛の範囲が狭まったか、いよいよ悪霊として完成しつつあるな)
(さて……やろうと思えば時間稼ぎくらいなら幾らでも出来るが……)
空中のセシルに気が付いたクリプスは、吸命の効果を持つ黒い魔力をセシル目掛け放ってきた。セシルはそれを避けようともせず、直撃を許した。
(私はそこまで、優しくはない)
黒い魔力を翼で弾き飛ばし、背負っていた大剣を片手に構える。
「急げよクロノ? 私はやると言ったらやるからな」
「手加減はあまり、得意ではないのでな」
手を貸すとは言ったが、そこまで譲歩するつもりは無い。間に合わなければ、それまでだ。
地上の怨霊を見下ろし、真紅の幻龍が剣を構えた。
タイムリミットは、残り9分だ。




