第七百二十二話 『異常の裏側』
「主君! 様子が変ですよ!」
「黒く染まっていた壁が元に戻ったが……終わったわけじゃなさそうだな」
(むしろ……異変は強まっている、普段普段からここに満ちている地獄の気配が薄まって……)
淫魔エリアで傷ついた者達を救護していた魁人達は、周囲の異変にいち早く気が付いた。壁に手を当て気配を探る魁人は、奥底から這い上がる巨大な悪意を感じ取る。
「でかいな……とんでもない化け物がいる……リリネア、何か知っているか?」
「使い魔契約で命じればいいのに、本当に甘いね君はさ」
「知らない、リリネアちゃん達はただ暴れろとしか言われてないのよ」
「餌か都合の良い兵士か、他を利用する事しか考えてないような奴等の集まりって事でしょ」
「自分の欲関係なしに繋がりのある悪魔の方が、異常って事よ」
「……それでも、だとしても、特に濃い悪意だ……!」
「急ぎ救助を進めよう、何が起きても良いように怪我人を避難させ……」
「煌めきが通りまーす! 眩しさ注意のバロンさんだあああああああ!」
「なにやら気配を感知しやすくなったぞ! 困った君のすぐ隣、絵札のバロンの参上だぁ!!」
「よし、救援が来たな」
「あたしが言うのもなんだけど魁人君って昔からずれてんだよね、普段から突っ込み役足りてる?」
「良く分かりませんが、いつもジェイクさんが頑張っていますよ」
「あー……結局元通りなんだね」
「悪魔に堕ちて使い魔にされたあたしを見て、なんて言うやら」
「きっと、喜ぶと思いますよ」
「ジェイクさんは、優しい人ですから」
「…………あー、うっざ……」
そう言ってリリネアは顔を背ける。本心からうざったいと思うし、今の自分には眩しすぎる。そんなリリネアを紫苑はニコニコと見守っているのだった。
「絵札のバロンだな、救援感謝する」
「なぁにサインなら後で任せておきたまえよ、レディ優先ではあるが俺は平等にサインするぜ?」
「ん……コロン! シトリン!」
キラキラ笑顔でポーズを決めていたバロンだったが、傷つき寝かされているシトリンと、その胸の上で包帯を抱えているコロンを見て表情が変わった。慌てた様子で駆け寄り、シトリンの怪我を見て表情を強張らせた。
「…………諜報部隊のお前等が、どうして怪我をした……なんで表に立った……!」
「……シトリン、みんなを庇ってボロボロにされたんだよ」
「馬鹿だよねぇ、ほんと笑っちゃうよ……きっと今回も何言ってるか分かんないくらい小さい声で飛び出したんだ、チャーム使ってまで敵の気を自分に向けてさ……お人よしにもほどがあるよ……」
「向こうでいつもの段ボールも粉々になってたしさ、ほんとばか……ばかだよ……」
「…………ここを襲った悪魔は?」
「俺達が鎮圧した、俺の退魔で拘束して捕えている」
「そうか、感謝するぞ退魔の魁人」
「コロン、シトリン、頑張ったな……他のみんなと一緒に後はゆっくり休め」
「リーダー……」
部下の身を案じるバロンは、ちゃんと上司の顔だった。流魔水渦の絆を感じ、少し穏やかな空気になる。その空気と壁をぶち抜きながら部屋が丸ごと突っ込んで来た。
「四天王のお通りやでええええええええええええええええええええええええっ!!」
「け、怪我人は居ませんかああああああああああああああ!」
「よせタイナ身を乗り出すな! 振り落されるぞ!!」
ドリフトの際タイナが振り落されそうになったが、ツイがギリギリで捕まえる。
「なんだ……?」
「あれはナルーティナーの医務室じゃ……」
異変は濃くなり、一点に集中し始める。多くの戦場ではそのせいで異変が引いていき、救助や避難は順調に進んでいた。その裏で、地獄の力で意識を失い暴れていた悪魔達はほぼ全て喰い尽くされていた。残ったのは意識を保っている上位の悪魔達で、継続している戦闘は僅かだ。滅茶苦茶だったアジト内にも、静けさが生まれてきた。戦場の裏側が大きくなり、悲劇はそこを侵食する。
(あたしは罪を犯した、悪魔に堕ちたのも自業自得、フラフラ楽な方に流れ続けて、堕ちて堕ちて落っこちた先がここだった)
(反省してる、罪を償うって決めた、面倒くさいけど逃げないって決めた……だから騒動の後大人しく捕まった……何をどうするのか、されるのか分かんないけど、今のところ軟禁されてるだけ)
(大罪組の他の子も、ここにいる……ゾーンの兄貴も隣の部屋にいるし、別の任務に当たってた子も近くに居るらしい)
(暴れてる子も、抵抗してた子もいた、流魔水渦はあたし達に向き合うと言っていた、何年でも、何十年でも、それこそ人には出来ないやり方で、魔物だからこそ出来るやり方で、悪魔の欲を受け入れ向き合うと……綺麗ごとだけど、罪人としてはその言葉だけで十分救われる)
(捕まる前、セツナちゃんが手を握ってくれた、助けるって言ってくれたあの子には特に感謝してるし、報いたいと思う)
(何でもするって思ってた、償えるならなんだって…………でも、だからって……)
敵対者、罪人、そういった存在を捕らえておく場所も流魔水渦には存在する。独居房のような部屋が連なった空間で、広さは不明。捕らえた者を思えば部屋が勝手にこっちに来るため、正確な内部構成なんてあってないような物だ。ゲルト・ルフを襲った悪魔の一人であるククルアは、ここに囚われていた。抵抗もせず、大人しく捕まっていた彼女だったが、不意に部屋の壁が一面引き裂かれた。そこから見えたのは、地獄絵図だった。壁から伸びてきた触手が部屋を割き、囚われていた悪魔達を捕らえ、砕き、取り込んでいた。
触手からは、ヘディルの、大罪組のトップの気配がした。瞬時に理解する、自分達は使い捨ての道具だと。最後の最後まで使い潰され、用が無くなったら処理される。捨てられるより酷い結末、力の髄まで吸い尽くされ、利用され終わる。償いのチャンスも、残らない。
「や、やだ……死にたくない……死んだら本当に、何もない……」
「屑のまま終わりたくない……セツナちゃんに、まだちゃんと謝ってない……!」
「まだ……! まだやだよ……!!」
恐らく声は届いてない、この触手に意思なんてない。ほぼ自動で、餌を糧にする為だけに動いてる。触手の先端がゆっくりと開き、ククルアの眼前に迫る。引き裂かれた壁の向こうから、悪魔が一体触手に潰され取り込まれるのが見えた。それは、数秒後の自分の未来。
「いや……いやああああああああああああああああああああっ!!」
「命乞いとか、悪魔のくせに生意気ですね」
「そうやって懇願する人間を、喰らって来たんじゃないんですか?」
一閃が、触手を切り裂いた。追従するように深紅の弾丸が跳ね回り、独房を荒らしまわっていた触手が打ち抜かれていく。
「そう言いながらも迷わず助けに入るしゅぴ君しゅきぃいい……」
「……やり直す機会も無いんじゃ、あんまりだから」
「僕は、そのチャンスだけは守りたいと思うんだよ」
双剣を構えるスピネルと、血の弾丸を操作しつつスピネルに抱きつくロベリア。彼等はアジトに異変が起きた際、真っ先にここを目指して走っていた。途中暴走している悪魔に邪魔されたり、壁がドロドロに崩れたりで到着が遅れたが、なんとか辿り着けた。
「既に被害が出てるけど、出来る限り守るよお姉ちゃん」
「何一つ守れないなんて、二度とごめんだ」
「うんうん、頑張って修行してたもんね、成果見せようね!」
「…………悪夢の中で、ね……」
「悪夢とは酷いなぁ、愛情たっぷりな桃色ドリームだったでしょ?」
「ヒィィ!!」
ロベリアを背後から抱きしめてきたのは、テイルだった。嘗てのルーンの仲間であり、八戒神器を持つ超強い夢魔だ。
「可愛い子二人、目をかけて沢山鍛えてあげたんだから……失望させないでよね……?」
「わかったから離れてください私の身体はスピ君の物なんですからあああああああああ!!」
ワチャワチャする二人の淫魔をガン無視し、スピネルは剣を構え触手に飛び掛かる。その動きを確認したロベリアは指先で血の弾丸を操り、その一つがスピネルに向かって飛来する。弾丸に食らい付き、スピネルはそれを噛み砕きロベリアの血を摂取した。その瞬間、スピネルの全身が淡く光り速度を増す。独房を襲っていた触手が、一気に微塵切りになった。
「誰かが未来を信じて、助けるって決めた奴等だ」
「勝手に喰ってんじゃねぇよ、クソが」
這い寄る悲劇を、切り伏せろ。




