第七百十四話 『渦巻き、叫ぶ』
大罪集いし地獄の底、欲が渦巻く戦場と化した流魔水渦のアジト。至る所で戦火が上がる中、クロノは相対せし災岳の身体を思い切り蹴り飛ばしていた。黒ずみ泥のように変容したアジトの壁をぶち抜き、複数の精霊球を操りながらクロノは災岳に狙いを付ける。
「はははははっ! クロノ……クロノ・シェバルツッ!!」
「そんな名前連呼しなくても、俺はここに居るよ」
「そんなに楽しいか? 俺と戦うのがさ」
「楽しいね、強者との戦いは心が躍る、いつだってそうだ生きてる実感がある」
「もっとだクロノ、もっとお前の強さを……!」
「それを求めても、もうお前はここに居ないんだ」
「お前達の叫びは、虚しさしか感じないぞ」
空中を蹴りつけ、精霊球を回転しながら蹴り砕く。加速と強化を乗せ続けた一撃が災岳の鳩尾に叩き込まれ、再びその身体を吹き飛ばす。威力は関係ない、ダメージなんて存在しない。ただ、言葉だけが心を抉る。四つの心で塗り固められた偽りの身体が、言葉によって乱れていく。
『僕達はここに居る、僕達がマスターの存在を証明するんだ』
『あの日も、それ以前も、私達は心躍る戦いの中に居たのです』
『いつだって、私達はそう在ったのです、これからもずっと』
『どれだけ乾こうと、悪魔としての自分が、この欲を証明する』
『この衝動が、俺達をマスターと繋ぎ止める』
『これを楽しめなくなったらさぁ、少しでも疑ったらさぁ、うちらは消えちまうんだよ』
『止まっちまったら、それこそ死なんだよ、うちらはマスターを死なせない』
「さぁ、死合おうクロノ・シェバルツッ! 強者の時間を始めようじゃないか!」
目の前で狂気に笑う男は、もう何処にも居ない。精霊達の想いで作り上げられた、人型に過ぎない。どう見ても生きていて、存在は本物のようにそこにある。これほど精巧で生き生きとした虚像、どれだけ理解していれば作り上げられるのだろう。親愛と、失った際の絶望を肌で感じる。縋りつき、歪な形で塗り固めたモノ。言ってみれば、それ自体が欲の塊。
「精霊と精霊使いの別れ、か」
「嫌だな、言いたくないな……嫌な役回りだ、目覚めの一発目がこれかよ」
(クロノ……)
「けど、付き合ってやるって約束したしな」
「お前達のマスターは、もう居ないんだ、眠らせてやれ」
「それは違うぞクロノ・シェバルツ、望む限り、欲する限り、悪魔は永遠だ!」
「永久に戦い続けよう、俺と共に、精霊使いの極致を目指そうじゃないか!!」
「永遠なんて無いから、俺達は絆を繋ぐんだ、今を大事にするんだよ」
「これ以上歪むな、お前達の思い出まで汚す事になるぞ」
「永遠はある、俺自身が永遠だ」
「楽しいな、楽しいぞクロノ・シェバルツ……闘争こそが我が衝動……っ」
ボコボコと災岳の身体が歪に変容していく、精霊の動揺が肉体に現れている。バランスを崩した身体にアジト内の壁や床が取り込まれ、地獄の力を呑み込み暴走を加速させる。
「あ、あぁ……ああああああああああああああっ!!」
「もっと、力……だ、め、崩れ……マス、たー……消えな、い……消させない……まだ、ずっと……」
「永遠に……ま、だああああああああああああああああああああああッ!!」
絶叫と共に、災岳が突如飛び上がる。天井を突き破り、そのまま力任せに凍獄の外まで飛び出した。
(外に……!?)
「気配が遠ざかる、逃げたのか……」
(この場に満ちる地獄の力、取り込み過ぎて契約者を維持できなくなったってところか?)
(欲のままに生きる故に、外部からの欲で乱されたと)
(クロノ……)
「正直追いかけたいところだけど、分かってるよ」
「あいつらは、必ず俺が止める……けど今は……」
黒く染まっていくアジトの中を見つめ、クロノは息を呑む。今はやるべき事がある、優先すべき事がある。巨悪はまだ、ここに居る。
大罪達がアジト内に雪崩れ込んだ影響か、アジト内に充満する欲の気配が少し変わる。滅茶苦茶な気配でも、欲に敏感な悪魔達はこれを肌で感じ取る。紫苑と相対していたリリネアも、変化を捉えていた。
「戦場は依然としてカオス……誰が死んでもおかしくない状況だねぇ」
「リリネアちゃんも魁人君をさっさとミンチにしてやりたいんだ、だからいい加減退いてよ暴走女」
「本当に主君に執着しますね……! あれなんじゃないですか!? リリネアさんの欲って色欲なんじゃないですか!?」
「ウケるねそれ、どんな解釈? 意外に脳内ピンクだったりする?」
「安心しなよ、リリネアちゃんはちゃんと魁人君が大嫌いだから、リリネアちゃんの欲はね、きっと憤怒とか嫉妬とかそっち系だよ」
「嫉妬の大罪が言ってました! 嫉妬は好きだから湧いてくるものだって!!」
「脳内ピンクだなぁ!? 違うって言ってんでしょうが!」
「それにね、リリネアちゃんが好きだったのは全部に絶望してた、死んだ目をしてた魁人君なんだよね」
「今みたいにお目目キラキラ未来に希望満ちまくりな魁人君、不幸極まって死んじまえとしか思わないんだよね!」
距離を詰め、紫苑の頬を殴りつけるリリネア。退魔の力を纏った紫苑にはまるでダメージは通らず、岩のような感触が拳に伝わった。
(硬くない?)
歯を食いしばり、紫苑が右腕を大きく振るう。ビンタという名の破壊の衝撃が、リリネアの頬を打ち抜きその身体を床に叩きつける。
(痛くない?)
その衝撃は、戦場を一瞬沈黙させた。
「リリネアさん!!」
「待って悪魔になってなかったら今ので粉々だったけど……?」
「貴女を助ける為に、降参するまで攻撃はやめませんっ!!」
「こういう女の戦いってビンタの応酬とかになったりしない!? 攻め続けてくるの!? ちょ、待っ」
「大丈夫です! ラファグラスが良い感じに半殺しにしてくれるはずですから!」
「何が大丈夫なのよ! ちょっと魁人君この鬼やべぇ奴じゃない!? 冗談じゃ、きゃああああああああ!!!」
途中からリリネアの悲鳴しか聞こえてこなくなった、任せる相手を間違えたかもしれない。
「あーらら……リリネアちゃんの悪魔の素質は本物だってのに……それ以上に化け物が相手だなぁ」
「憎しみも憎悪も吹き飛ばす程、圧倒的な暴力の化身……とんでもねぇのを野放しにしたもんだ」
「正直今の紫苑を好き勝手やらせると、取り返しのつかない事になりかねない」
「困ったもんだよ、だからお前相手にこれ以上時間はかけられない」
「やる気になればすぐ片付けられるみたいな言い方するなよなぁ、傷ついちまうぜ」
「多勢に無勢なこの状況、退魔のお前が如何に強かろうと不利なのに変わりはねぇんだぞ」
ウィローは空間を捻じり、常に何が起きても対応できる距離を維持している。紫苑の力を借りているとはいえ、その攻撃力も届かないなら意味がない。当然退魔の力も警戒されている。普通にやっても攻撃は当たらない。しかも周囲はリリネアの使い魔に囲まれている。不利以外の何でもない状況だ。
「不利を覆すのが、運命を変える絶対条件だ」
右手に装備した籠手の溝に、魁人は札を数枚装着する。魔力札の効果を永続させるタイプの装備品だ、特別な効果は無い。
(そう、特別な効果なんてない……ただ札の効果を永続させるだけ)
(紫苑と繋がっている今、俺に宿るのは鬼の力と元々の退魔の力…対魔物に対しては退魔の力だけで事足りる、そこに加わった鬼のパワー、身体能力、特別な効果なんて必要ないくらい攻撃に関しては揃ってる)
(必要なのはサポート、そもそも今まで戦闘に使ってきた魔力札は残数制限のあるサポートアイテム、強力すぎる攻撃能力に対して継続力も支援能力も不安が残る、だからそれを補ってやる)
籠手に装着した札から魔力が溢れ、鎖のような物が飛び出してきた。それは魁人の意思のまま動き、周囲の魔物達の動きを縛る。
「魔力札は込めた魔力が尽きれば効能を失う、使い捨てのアイテムだろうが」
「なるほどねぇ、その籠手は充電器ってか? 札に常に魔力を流し続けて効果を永続させると」
「ただでさえ鬱陶しい退魔の力を札でのブースト、変形を垂れ流し状態にしやがって、魔物への配慮が足りてねぇぞ」
「今更俺が配慮したところで、許されるようなものでもないだろう」
「開き直ってんじゃねぇよ大罪人がぁっ!! お前が傷つけた魔物達に向き合いもせず突き進んでくる気かぁ!?」
魔物達を縛り、ウィローへの道を切り開く。空間を歪められても、退魔の力がそれを貫く。
「目を逸らさないからこそ、俺はお前を穿つんだ」
「向き合うからこそ、お前に構ってる暇なんてないんだよ」
「傲慢だな退魔、犯した罪は永遠にお前を許さないぜ」
「なら、永遠に罪に焼かれよう」
「そうやって、生きていこう」
「なるほど? 狂ってやがる」
「悪魔以上に、狂ってやがる」
振るった退魔の一撃が、螺旋の悪魔の身体を射抜く。永久に誓った贖罪の想いが、未来に手をかける。




