第七百四話 『全ては自分の中に』
強大な力を持つ、六枚羽の悪魔。ただでさえ向こうの力は底が知れず、異様な巨体も手伝って威圧感は呼吸すら制限してくるようだ。しかも能力でこちらの力を削り続けてくる、弱化する速度も、その範囲も常軌を逸していた。身体から力が抜け続け、既にティドクランは立ち上がる事すら困難な程ヘロヘロになっていた。気を抜けば、すぐにでも人間化が解けてしまいそうだ。
(こんな状態で人間化を解けば……動けないビックトカゲ肉……守られる立場が一転ボーナスレベルの的に……じょ、冗談じゃ……)
這って動く事すら困難な程、身体が重い。なんとか首だけ動かし戦況を確認するクランだったが、絶望が加速するだけだった。ラーネア達が悪魔の巨躯に纏わりついているが、文字通り相手になっていない。大層な事を言っていたが、現実的に勝つのは不可能だ。巨人と蟻の方がまだ戦いになるかもしれない、そのくらい力の差が開いてる、開き続けている。
(無理無理無理無理、絶対無理勝てるわけがない、ないないないない!)
(せめてこの間に逃げ……逃げる? 何処に? 息苦しいほどの圧迫感、これでもかってくらいの悪魔の気配……意味不明なこのアジトの繋がりが更に意味不明に歪んでいるのを肌で感じる……!)
(まるで悪魔の腹の中……もうだめだ終わりだよ僕の龍生はっはっは)
命を諦めたのは、これで何度目だろう。まだ怖い物知らずで世界を巡っていた頃、暴食の森に降り立った時が一度目だったのは覚えている。あの頃は、若かった。
(虫けら共と遊んであげようって意気揚々と向かって、変な植物に翻弄されながらあれやこれやと包囲され、落ち着いて辺りを見渡して見ればどいつもこいつも魔核個体の怪物パレード、この世の地獄はここにあったと悟った青春時代)
井の中の蛙とはよく言ったものだ、真の強者、化け物達に喧嘩を売り、後悔を抱えたままボコボコにされ、逃げ切れずマーキングまでされおやつにされた。己の愚かさを呪った、呪いまくって自分を呪い殺しそうなくらいだった。
(最強だと思っていた力は何一つ通用しなくて、土系統の魔法は何も効かず、鉄壁だと信じていた鱗は紙のように割かれ剥がされチップスのように貪られ、最強だと信じていた龍種の誇りは森の養分になった)
(いやね、正直な話天狗になってた僕が悪いよ? 今思い返すと恥ずかしいくらいドラゴンだからって威張りまくってたし、自業自得だよ)
(強さってさ、周りと違うとさ、飛び抜けたものがあるとさ、やっぱり態度とか大きくなっちゃうんだって)
(それが通用しなくて、容赦なく引っぺがされたらさ、もう何も残らないわけで、頭下げて謝り倒して命乞いして、本当に強い奴に縋って生き延びるしかない、ないんですよ……そうじゃないか、だって……だって……!)
「ぐはっ!」
「……っ!」
すぐ近くに、ラーネアが落ちてきた。足が二本、変な方向に捻じ曲がってる。どう見ても関節じゃない部分が折れている、身体も色んな所がボコボコにへこんでいた。
「あぁ? クランお前まだそんなところに転がってんのか?」
「テーウ! キリハ! 早くこいつも連れて……」
「シューシュー……全身へにゃってきた―……」
「……身体、重い……皆を逃がす前に……私達も……」
弱化の進行が遅かったテーウやキリハも、立つことが出来ない程弱ってきていた。暴食の森からやってきていた虫人種達や、流魔水渦の構成員達も、既に動けない程弱ってきている。
「あークソ、最悪を更新し続けてんな」
「ヒャハハ、あの日落っこちてきたクロノと、どっちが絶望的だこれ」
「なんで笑ってんですか……負け確定の全員死亡ルートなんですよ……!」
「痛いでしょう、怖いでしょう!? なんで立ち向かうんですか!?」
「そりゃお前、諦めは自分自身に負ける事だからな」
「自分に勝てない奴が、何に勝てるんだ? 勝てなきゃ死ぬ世界で生き抜いてきたあたしらに、その質問は無粋だっての」
「戦う以外ねぇのさ、やりたい事があんなら、自分で掴み取るしかねぇのさ」
「強者しか生き残らねぇ暴食の森魂を舐めんなよ、覚悟決まったクレイジー野郎しか居ねぇんだぜ」
「思えば初めて会った時からお前はヘタレドラゴンだったよなぁ……」
「誰だってあんた等みたいな化け物に襲われてボコボコにされたら心折られ……!」
「そりゃそうだ、けどなぁ……飛べもしない、強さもクソカス、触手の壁に阻まれ逃げる事も許されない」
「そんな状況でも、あの人間は笑ってたぜ」
「あいつのせいだな、あいつのせいで元々キマッてた奴等の覚悟が更にイカレたんだ」
「あいつのせいで、あたしも夢見ちまったんだ、諦めが悪くなっちまったんだ」
「なぁクラン、死ぬほどの絶望、心がポッキリいっちまった時はどんな気持ちだった? 最悪だったろ」
ポッキリ折った本人がそれを言うのかと、ティドクランは絶句する。そんな様子を知ってか知らずか、ラーネアは笑いながら立ち上がる。
「自分のやりたい事、したい事、夢描き恋焦がれた事、希望に満ちた欲しい物、己の欲がひしゃげた時が絶望だ、まるで世界に拒絶されたような感覚」
「自覚した瞬間、色んなものが抜け落ちて壊れそうになる……あたしも欲しい物、願った物が絶対両立しないと知った時、自暴自棄になってな……暴食の森に自分からやってきたのさ」
「何がきっかけかは、この際置いとけ、絶望したか、させられたか、そんなのどうでもいい」
「投げ出すのは、諦めるのは、決めるのは、始めるのは自分だ、結局全部は自分からだ」
「クラン、お前の心が弱いのはお前自身すぐ投げるからだ」
「なっ……! 勝てないと、死ぬと分かってて馬鹿みたいに挑んで何になるんですか!?」
「何にもなんねぇ、無駄死にかもな」
「言ってる事滅茶苦茶じゃないですか!? 暴食の森で生き残った強者が! 生き残ったから強者なんでしょう!? なのに自殺方法しか語らないのは狂って……」
「けど、後悔はしねぇ」
「………………は?」
「生き残ったから強いんじゃない、後悔しねぇように、自分を貫いたから強く生き残れたんだ」
「弱くなろうが、この先どうなろうが、あたし等は後悔する道は選ばねぇ」
「そんで何も零さなかったら、文句なしに強いだろ、格好いいだろ」
「復讐心からだろうが、なんだろうが、お前はいつかあたし達を超えるんだろ、だったら弱っちい背中は見せられねぇ」
「この生き方しか知らねぇし、この生き方が最高だって人間に思い出させてもらった、だから譲らねぇ」
「全部望んで、全部掴み取るのが一番強くてカッケェだろ、あたし等は暴食だ、全取りがモットーだ」
「絶望だって、喰らい尽くすのさ」
巨躯が両腕で地面を殴りつける。衝撃は全方位に広がり、へばりついていたヒャクとシロガネが吹き飛んでいく。地面を走り抜ける衝撃は、ラーネアの捻じ曲がっていた足を一本巻き込み、引き千切った。
「ラーネアさんっ!!」
(何言っても! どれだけ格好つけても! 現実問題勝ち目もない、生き残らなきゃ背中もクソもない!!)
「いってぇな……」
「もう守るとかどうとかどうでもいいですから!! 死んじゃったら何にもならな……」
「死なねぇし、全取りだっつってんだろヘタレ」
「よぉく分かった……日々戦い、欲のままに生きてきたあたし等を舐めんじゃねぇぞ」
「魔核を作ったあたしには余計分かっちまうんだよなぁ……似た感覚だが決定的に違うんだ悪魔野郎が」
「テメェの弱化は失ってねぇ、下がってるだけだ」
魔核は、力を凝縮し結晶化させて生み出される。己の力の源を切り離すようなものなので、生み出せば強さが大きく失われる。最大値が減る感じであり、実際ラーネアの強さは魔核を生む前と後じゃ倍以上違う。一方、この悪魔の能力は力を下げているだけだ。抜け出ていく力は感じるが、力の器は空のままそこに残っている。つまり、取り戻せる筈だ。
「弱化するより早く、強化すりゃいい」
「な、なるほ……いやそれが出来れば苦労はしないでしょ!? どこに強化魔法の使い手が……!」
「あーね、なるほどね」
「単純、理解、やりやすい」
「言っただろクラン、結局全部自分からだ、やりてェ事も、諦めも、何もかも、行動は自分からだ」
糸を操り、ラーネアは千切れ飛んだ自分の足を手元に引き寄せる。ヒャクも自らの足を引き千切り、シロガネは折れた片腕を口元に持ってきた。
「なにする気ですか……? なにするつもりですかっ!?」
「あたし等の強さは、ここにある」
己の肉体を喰らい、暴食の限りを尽くす。咀嚼音が一つなる毎に、鼓動のような音がそれに重なってくる。弱化の効果を持つ悪魔の魔力が、狂った力に押し戻されていく。
「一際弱ってたラーネアちゃんにはサービスしたげるね」
「同郷の、よしみ……援護、宜しく」
「厳密に言えばあたしは暴食の森で生まれたわけじゃないけどな、まぁありがたく頂くよ」
ヒャクとシロガネは食いかけの足と腕をラーネアに投げ渡す。仲間の肉に大口を開け喰らい付く姿に、ティドクランは正直恐怖しか感じない。だけど、散々自分も味わった捕食の恐怖、目に、脳裏に焼き付いた敗北と後悔の記憶。嫌な思い出しかない筈なのに、恐怖はしている筈なのに、その姿は、何故か少し違って見えた。
「え、ら……エラー……弱化エラー、エラー」
「ヒャハハハ、そりゃあエラーだろうよ……お前ヌルいんだよ……そんなんじゃ弱ってやれねぇなぁ」
「お前そんなんじゃ、暴食の森で生きてけねぇぞ……三流悪魔がぁ……!」
「お腹減ってきちゃったな、自分だけじゃ物足りないってね」
「頂きますの後は、ご馳走様」
「今のマイブームは、皆でご馳走様」
暴食が、弱化の圧を消し飛ばす。否、喰い荒らす。この欲は、何者にも止められない。




