第七百三話 『想い、揺らがず』
蠢く海面から昇る水流を掻い潜り、ラズライトは高速で水上を飛び回る。水と混ざり合ったような悪魔は、虚ろな目で、しかし明確な殺意を持ってラズライトを攻め続ける。
「しご、と……おしご、と…………敵は、こ、ろ……」
「あ゛……あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「妙な場所よな……気配が感じにくいぞ」
「しかし、隔離されたような空間だというのに……感じにくいにも関わらずただならぬ気配が『ある』ことだけはわかる……不気味な……」
「くるし……い……し、ご……」
「故に、これ以上時間をかけるわけにもいかんな」
閃光一閃、輝きと共に加速したラズライトは両手の刃にて悪魔の身体を両断する。小さな身体は一瞬で悪魔の背後に回り、両手の刃は粉のように消えていく。
「あ、あああ……!!」
「む?」
上半身も下半身も水面に溶けるように消えていくが、悪魔は崩れた身体のままラズライトに手をかざす。水が渦巻き、龍のような形となりラズライトに食らい付く。飲み込まれたような形になるが、ラズライトは気にも留めない。
「我、女王ぞ?」
「格下にこれ以上かける時間は無いのだ、勝負は付いたというにそれに気づく事も出来んか」
「空間を喰らい、身に余る力に滅ぼされるとは愚かなものよ」
切り裂かれた断面が輝き、悪魔の身体が六角推の結界に閉じ込められる。悪魔が沈黙すると同時に、ラズライトに食らい付いた水も効果を失い崩れ去った。周囲の気配や海の色も元の綺麗な色に戻っていく。
「さて、これで終わりでは無かろうが……あー意図せず森を離れちゃってるけど……悲しいかな、多分あんまり心配はされてないなこれな」
「とはいえあんまり長く留守にするとね、お役目的によろしくないんだけど……」
ラズライトが辺りを見渡すと、傷ついた流魔水渦のメンバーがまだ沢山転がっていた。悪魔の影響が薄れたせいか、辺りの戦闘の気配もさっきより強く感じ取れる。
「…………これを見過ごすのは、妖精的にも女王的にも、違うよなぁ」
「セツナに恩を売りまくって、お土産沢山森に持ち帰りますかね」
「ここらで女王のイメージ回復でもしとくかぁ、威厳を欠片ほどでも取り戻すぞぉ」
同胞の見ていないところで善行を重ねる妖精女王。このように誰にも知られないところでポイントを稼ぐ者も居れば、堂々と目の前でポイント稼ぎに努める者も居る。そんな者達は、過去最大のピンチに陥っていた。
「守ってくれる話は何処に言ったんですかぁっ!? 話が違うんですがああああああああああ!!」
「みんな負けそうなんですけどぉ!? ラーネア姉さぁん!?」
「ヒャヒャヒャ……! そうだなぁ、可愛がるつもりも、守ってやるってのも本心だったよ」
「けどこれはそうな、所謂一つの大ピンチって奴だ」
龍状態のティドクラン並の巨体を誇る、黒い塊。背中から六つの翼を生やしたそれは、もはや悪魔と呼んで良いのかどうかも分からない。突如襲い掛かってきたそれは、ラーネア達を圧倒し、追い詰めていた。
「力、抜ける……吐きそう……」
「参ったなぁ、初めての感覚だねこれは」
「生まれてからこんなに食欲が失せたのは初めてだし、手足に力が入らない」
「虫けらになった気分だよ、はっはっは」
黒の巨体と相対するヒャクとシロガネだったが、口調とは裏腹に調子は最悪だった。振り下ろされる腕の一撃を上手く避けられず、余波だけで吹き飛ばされてしまう。
「弱いってのは……難儀だねこれ……」
「改めてクロノの凄さが際立つよ、あんなに弱かったのに頑張ってさ……」
「思い知るのも、思い出にふけるのも、後」
「生きる為に必死になるのは、久しぶり、守る事もそうだけど、慣れない事ばかり」
「これが生きがいって奴? 初めての感覚だねぇ」
「けど悪くない、生存本能がゾワゾワしてきたぜ」
「格好いい事言ってますけど避けてええええええええええええええええええっ!!」
クランの叫び声も虚しく、振り抜かれた腕の一撃をまともに喰らい、ヒャクとシロガネは木々をへし折りながら遠くに飛んでいった。
「シロガネ……!」
「シュシュ―! ヒャクさんも負けちゃったー!?」
「畜生なんて役に立たない捕食者なんだ!」
「……クランも……寝転んでるだけ……」
「力が入らないんですよ! なんかもう立ってられないくらいに!!」
プルプルと震えながら地面に転がっているクランは、言葉の通り立ち上がる事すら出来なくなっていた。あの黒い塊が魔力を発してから、明らかにみんなが不調になった。
(キリハやテーウはまだマシ、周りの虫人種もまだ動けてる)
(一番影響が大きいのがクラン、次点でヒャクとシロガネが……)
「あいつがさっき口にしてた、弱化……そういう力か……?」
「さっきから向こうでもでかい音が響いてるし、状況はどんどん悪化してる……」
悪魔の影響で空間に乱れは出ているが、ラーネア達の居る森エリアはラサーシャ達が戦っていた場所からは距離的に少し離れている。流魔水渦のアジト内で森エリアは最も広く、ラーネア達の今いる場所は木の密度が高い暗く湿った森だった。攻撃性の高い虫系モンスターや、ジメジメした場所を好む者が潜んでいるところで、クラン曰く長居したくない場所である。そんな場所が今、黒の巨体で薙ぎ倒され暴力的な開拓を受けていた。
「強い奴ほど、弱くされてる……参ったなあれを倒すイメージが湧かない」
「参ったなぁ、守ってもらえるイメージが湧かない」
「しかも僕自身力が出ない……もうだめだ終わった、来世は苔にでも生まれ変わって平穏な日々を過ごすんだ」
「お前、結構強くなってんだからもう少し前向きな思考に育てよなぁ」
「誰のせいで後ろしか向けないメンタル砂カスドラゴンになったと思ってんですか?」
「ヒャヒャヒャ、そりゃ失敬」
「なら責任取って、大志を抱く立派なドラゴンに育ててやらねぇとな」
「それまで、死ねないし死なせねぇ」
両手から糸を伸ばし、近くの木に結び付ける。自分の身体を引き起こし、大きく息を吐く。この場に、強者は居ない。力は散らされ、弱化した者ばかり。目の前には巨体の六枚羽、知性はほぼ感じないが力量差は圧倒的。正直、まともに攻撃を受ければ一撃でミンチになるだろう。
「キリハ、ティト、まだ動ける奴連れて引け」
「クランも連れて、とにかく離れてな」
「シュッ!? ラーネアちゃん戦うの!? まだこの前の怪我も治ってないのに!?」
「無謀……どうせ特攻するなら全員で……」
「しゃあねぇだろ、欲しがったモノは全部この先なんだ」
「今な、凄くクロノの奴の気持ちがわかるんだ……あいつが笑って戦い抜いた理由がさぁ」
「ヒャヒャヒャヒャ、理想の為ならなんだって出来るか、覚悟ってのは麻薬みたいだなぁ」
「最高に、狂っちまったよ」
何もかも塗り潰さんとする絶望の中でも、己の欲は消えはしない。どれだけ無謀でも、それは暗闇の中で希望のように光輝く。破滅への道だとしても、それに魅入られ欲した時点で負けなんだ。だからこそ、夢は呪いと言い換える者が居るんだ。
「ちょっとラーネアさん!? なに勝手に狂ってんです!? 自殺する気ですか守るとか口だけで終わる気で……!」
「守るよ、お前が納得しなくても、あたしはお前が大事だから」
「口にした全部、責任を持つさ、安心できないだろうが後ろにいな」
「好き勝手ほざいた責任は、行動で示す……強い弱いじゃない、生き様に恥は塗らないよ」
「エラーエラーエラーラーラーラーra-ra-ra-ra-、『弱化』発動、発発発ど、どどどど」
「また力が抜けてきた……厄介な能力だねぇ、ヒャハハハ」
「『強さ』で、あたしの心は折れないよ……! イカれた夢を抱いちまった哀れで愚かな虫けらがあたしさ」
「悪魔は欲のままに生きる生き物だって? ならこの絶望の中、どっちが欲を食い漁って生き延びるかだっ!!」
糸を使い、ラーネアは自分の身体を上に跳ね上げる。巨体目掛け飛び掛かるラーネアを見て、クランは絶句していた。
(勝てるわけない、力の差は絶望的だ、今だって力が抜け続けてる……勝ち目は0どころかマイナスだ)
(なんで……)
「いやはや、森の外は刺激がいっぱいだなぁ」
「こんなに身体中痛いの、久しぶり、ゾクゾクしてきた」
「やぁクラン君、お互いヘロヘロだね」
「ひゃあ! ムカデにカマキリ!」
「酷いなぁ、ヒャクって名前があるんだけどなぁ」
「全部終わったら、その脳みそに忘れないよう名を刻もう」
「クソ怖い事言ってるんですけど!? って、全部終わったらって……」
ケラケラ笑うヒャクと、冷たい目をしたシロガネ、そのどちらも身体はボロボロだった。一撃で、致命傷の手前レベルのダメージを受けている。
「か、勝てるわけないし、逃げた方が……」
「無理じゃないかな、逃げ場なんて何処にもないよ?」
「それに、多分逃げたら僕達は二度と君と対等にはなれないね」
「ラーネアが宣言した、クロノが語った、私達は各々が自分のやり方と考え方でそれに並んだ」
「覚悟無く並んだわけじゃない、逃げたら己の恥、生き恥は晒さない」
「自分の欲に嘘は付けない、曲げるくらいなら死んだ方がマシなんでね」
「だから、守ると言ったら死んでも守る」
「でも! どう考えても戦っても死ぬだけでしょう!?」
「欲を欲する時は、いつだって死ぬか生きるかさ」
「暴食の森で日々鍛え上げた、生への執念、欲への渇望、この程度で揺らぐ事はない」
「「喰うか、喰われるかだ」」
強いか、弱いか、在り方は力に左右されない。どう在るか、どう在りたいか、それを自ら選ぶ者を強者と呼ぶ。考え方、覚悟の違い。ティドクランはそれを、肌で感じ取った。弱化如きで、暴食の森魂は揺らがない。
「エラー、エラー、エラー……」
「さぁて……」
「食事の、時間」
ここからは、強者の時間だ。




