第六十九話 『新大陸・コリエンテ』
マリアーナから聞いた通り、帰り道でクリスタルシャークが襲ってくる事は無かった。神海から出た時にはもう姿は無く、クロノ達は安全に帰路に着く事ができたのだ。
マリアーナ達の住処に戻ったクロノは、マリアーナの兄から手当てを受けていた。
「本当に人魚の宝玉を取ってくるとは……正直驚きましたよ」
「約束通り、僕は君の夢を信じる事にする」
「じゃあ、姉妹同士の勝負は……」
「マリアーナの勝ち、だね」
その言葉にマリアーナは両手を上げて大喜びだ。
「勝った~っ! 初めて勝った! 勝った勝った~!」
「……まぁ、あたし達も認めざるを得ませんもの……」
「そこの人間君には完敗ですわ」
「お姉ちゃん!? 勝負はあたしの勝ちなんだけど!?」
「まぁまぁ、マリアーナも勝ったんだし、細かい事は置いておきましょうよ」
シーがマリアーナをなだめるが、マリアーナは納得がいっていない感じだ。
「なぁ、お前達は何でこんな勝負する事になったんだ?」
「見た感じ、本当に仲が悪いわけじゃないみたいだろ?」
「クロノお兄さん、目が腐ってる!?」
「こんな妹、どうも思ってませんわよ!」
両者顔を赤くして反発してくる、こんなところもそっくりだ。
「私は兄さまは勿論、姉さまもマリアーナも大好きですよ?」
そんな中、シーだけは素直にそう言った。
「ちょ、シー!?」
「姉さまもマリアーナも、意地張りすぎです」
「大体、事の発端は姉さまが馬鹿言うからでしょう」
「あれは、マリアーナが融通がきかないから……!」
「14才にもなった妹に、『お姉さま♪』って呼んで欲しいとか頼むお姉ちゃんがおかしいんだよっ!!」
「一回くらいいいじゃないですのっ! 小さい頃は本当に素直で可愛かったのに!!」
「絶対絶対絶対やだっ! 気持ち悪くて死んじゃうっ!」
「そこまで言いますか!?」
再びギャーギャーと言い争う姉妹達、クロノは止める気力も湧かなかった。
(俺……そんな事の為に頑張ってたのか……)
(いいんじゃない? 別に後悔してるとかじゃないでしょ?)
(大事なのは、魔物の為に頑張ったって事実だよ、クロノ)
(……まぁ、そうだな)
そういう事にしておこう。
「あれ、だったらシーさんは何でお姉さん側に着いたんですか?」
「シーお姉ちゃんはアクアお姉ちゃんに買収されたんだよ」
「なんとかっていう鉱石でさ、可愛い妹を敵に回すとか有り得ないよね」
「基本的に鉱石や武器のほうが大切ですので」
「ぶれませんわね、あなたは……」
「あんな石ころとマリアーナを天秤にかけるとか有り得ませんわ」
「その石ころで買収を持ちかけるお姉ちゃんも、十分最悪だからね?」
「とにかく、勝負は僕の勝ちだったんだし、今回は言う事聞かないからね!」
「うぅ……仕方ありませんわね……」
「マリアーナ一日占有権が……」
落ち込むアクアとは対照的に、マリアーナは随分とご機嫌だ。
「……マリアーナも素直じゃないな」
「クロノお兄さん? 何を訳の分からない事言ってるのかな?」
「アクアさんに似てるなぁって」
「……意味がわからない」
「いやぁ、本当に嫌ってるなら、身を挺して庇ったりしないだろ」
「何と言うか、見てて微笑ましっ!?」
言い終わる前に、マリアーナの尾びれがクロノを吹き飛ばした。
「……ふんっ!」
背けた顔は真っ赤だ、背後ではアクアが顔を輝かせていた。
「別にいつでも甘えてきていいんですのよ~?」
「頭から腐敗してきてるのかな? 寝言は寝てから言いなよねっ!」
……結局は、このツンデレ姉妹の喧嘩に巻き込まれただけだったようだ。頭を強打したクロノは水中をプカプカと脱力していた。
「とはいえ、クロノ君には僕の負担を大きく減らしてもらったからなぁ」
そんなクロノに、マリアーナ達の兄が近づいてきた。
「君のおかげで随分と楽が出来た、僕個人は大助かりだよ」
「いつもいつもこの調子でね、いい加減うんざりだったんだ」
「……お疲れ様です」
「いやほんと、そう言ってくれるだけで涙が出そう」
「人間にも君みたいな子がいるんだね、初めて知ったよ」
手を差し出してくれたので、その手を取って起き上がる。
「人と魔の共存……考えた事もなかった」
「けど、君は本当にその夢を目指してるんだね」
「まぁ、まだまだ戯言にしか聞こえないかもしれないですけど……」
「俺個人は、凄くちっぽけですし」
「なら、そのちっぽけな君にこれをあげよう」
そう言って右手を差し出す、その上には先ほど渡した人魚の宝玉があった。
「申し遅れたが、僕の名前はネプトゥヌス」
「これでも僕は、海の中ではちょっとした地位を持っているんだ」
「訳があって妹達とこんな場所に居るんだが、それは今はどうでもいいね」
そんな事を話していると、右手の上の人魚の宝玉が輝き始める。そして、透き通る宝玉に紋章のような物が浮かんできた。
「この宝玉は海住種だけじゃない、海に住む者には結構特別な物だ」
「その宝玉に僕の紋を刻んだ、海に住む者にこれを見せれば、話くらいは聞いて貰えるだろう」
「君の旅の助けになればと思う」
テニスボールほどの宝玉を手渡される、その気持ちが本当に嬉しい。
「あ……っ! ありがとうございます!」
「お礼を言うのはこっちだよ、帰ってきてから妹達の機嫌も良いしね」
「まぁ、勝手に妨害行為をしようとしたアクアとシーには、後でお仕置きが必要だけど……」
その目は若干の闇を含んでいる気がした、この人を怒らせるとやばいと直感で察する。
「に、兄様? それはシーの案でして……」
「流れるように何を嘘言ってるんですか」
「私は姉さまに従っただけです、鉱石分の働きをする為に」
「鉱石分の働き云々言うなら姉を庇いなさいな!」
「心の底からゲスですね、姉さまは……」
「安心して良いよ、両方とも平等に罰を与えるからね」
ネプトゥヌスが浮かべた笑み、それはどこか冷たい物だった。クロノは苦笑いを浮かべていたが、そんなクロノの手をマリアーナが握ってきた。
「えへへ、お姉ちゃん達は大事な用が出来たみたいだし、僕達も行こうか?」
「え? どこに?」
「お兄さんをコリエンテまで届ける約束、ちゃんと守るよ!」
そういえばそうだったが、体は大丈夫なのだろうか。
「クリスタルシャークから食らったダメージがあるだろ、平気か?」
「お兄ちゃんに回復術して貰ったし、平気平気!」
「クロノお兄さんのおかげで、初めて勝てた、本当にありがとね♪」
「お礼に全速力でコリエンテまで送り届けるよ!」
「そっか、アルディ!」
(あぁ、任せろ)
生身の状態では少々危険だろう、クロノは金剛で身を固める。
「仲間を待たせてるんで、俺はもう行きます」
「縁があったら、また会いましょう!」
「クロノ君、またね」
「ま、まぁ……次あったら遊んであげてもよくってよ?」
「旅の武運を祈るよ、また会おう」
笑顔で再会を誓い、手を振りながら洞窟を出た。
「よ~っし! 全開で飛ばすよ!」
洞窟を出た瞬間、マリアーナは大きく加速する。クロノはそんなマリアーナに手を引かれ、次の大陸へと進んで行った。
一瞬で小さくなってしまったクロノを、洞窟の入り口から眺めるネプトゥヌス。彼は昔を思い出していた。
「兄様? どうしたんですか?」
「……いや、アクアとシーにどんな罰を与えようかとね」
「やはり私もですか、とんだとばっちりです」
(……人間、人間か……)
(……海王様も、人間を信じていたのかな……)
昔の主を思い出し、あの事件を思い出す。自分達兄妹がこの洞窟に身を隠す事になった、あの事件を……。
(いや、忘れよう、済んだ事だ)
(もう、済んだ事だ……)
洞窟の奥へ戻っていくネプトゥヌスだったが、彼はこの後、ある騒動に巻き込まれる。
洞窟の奥、アクアの部屋でその時を待ちかねる、悪魔の書物によって……。
彼が再びクロノと再会するのは、その時までお預けだ。
マリアーナの全速力は凄まじい速度だった、金剛を使ってなかったらやはり酷い目にあっていただろう。他愛無い話を数時間ほどしていただろうか、そろそろ到着するとマリアーナは顔を前に向けた。
「お兄さんとは会ったばかりだったのに、助けてもらっちゃって本当にありがとね」
「お兄さんが居なかったら、僕はまたお姉ちゃんの玩具にされてただろうしね」
「まぁいいよ、どんな理由だったとしても、俺にはきっと放っておけなかっただろうし」
「……ほんと、変な人間ー」
「うっ……自覚はあるんだからほっとけ!」
そうこうしている内に、陸が見えてきた。
「船で4日かかる筈の距離だってのに、凄いな……」
まだ完全に日が落ちていない、夜になる前に着いてしまったようだ。
「海に住む生き物の中じゃ、海住種の遊泳速度はトップクラスだしね」
「このくらい余裕って感じだよ~」
「えっと、マークセージからの船が入る港に行けばいいんだよね?」
「あぁ、セシルがそこで待ってるはずなんだ」
「港に直接は無理だから、港町の近くの浜辺に向かっていい?」
「あぁ、それで十分だ」
マリアーナは方向を変え、浜辺を目指して泳ぎだす。到着するのはすぐだった。
「それじゃ、ここでお別れだね」
「そうだな、これ返すよ」
空気の腕輪を外そうとするクロノだったが、それをマリアーナは制した。
「それ、あげる」
「え?」
「綺麗だったから気に入ってたんだけど、僕が持ってても役に立たないしさ」
「お兄さんにあげるよ」
「けどこれ、お前の宝物だろ?」
「いいの、お兄さんになら」
「役に立ててよね♪」
そう言って笑顔を浮かべるマリアーナ、少し悪い気もするが、ここはありがたく受け取ろう。
「そっか……ありがとな、凄い嬉しいよ」
「それじゃ、また会おうな!」
そう言って背を向け、陸へ向かって泳ぎだそうとするクロノ。
「……お兄さん!」
マリアーナに呼ばれ、振り返ろうとする。
「ちゅっ♪」
不意打ちで、頬にキスされた。
「……え」
「えへへっ! また会おうね! 絶対だよ!」
「本当にありがとね~っ!」
何か言う前に、逃げるようにマリアーナは泳いでいってしまった。
「えっと……えぇ……?」
「役得だね、クロノ」
「クロノ、顔赤いよぉ?」
「う、うるさい!」
耳まで真っ赤に染まっているクロノを、2体の精霊はここぞとばかりにからかう。精霊達に笑われながらも、クロノはコリエンテ大陸へ上陸した。
「この大陸に、ウンディーネがいるのか……」
「もう日も暮れてきてるし、まずはセシルと合流が先だね」
「港町はあっちだよぉ! 早く行こう行こう!」
クロノはエティルの指差す方へ駆け出す、新大陸の冒険はもう少し我慢だ。早まる鼓動を抑え、クロノは港町を目指して行った。
港町から少し離れた場所に位置する密林、その奥に不気味に佇む大きな屋敷。少し前から、この辺りには幽霊が出るという噂があった。
人気の無いその屋敷の入り口に、一人の女性が立っていた。入り口を開けようと手を伸ばすが、その手は扉をすり抜けてしまう。そのまますり抜けて中に入ろうとするものの、手首から先が入っていかないようだ。
「透過、能力って言うんですかね、こういうの……凄く半端ですぅ……」
ブツブツと独り言を零す女性だったが、その背後で風が草木を撫で、ガサガサと音を立てた。
「ひにゃああああああああああああああああああっ!?」
悲鳴と共に腰を抜かす女性だったが、腰から下は存在していない。透けるように下半身が消えてしまっているのだ。
「怖いよぉ……誰か助けてくださいぃ……!」
ガタガタと怯える霊体種の彼女こそ、クロノを次の冒険へ導く魔物だ。
コリエンテ大陸での冒険が、始まろうとしていた。




