第六十八話 『人魚の宝玉』
アクアが怒りの形相で腕を振る。それに従うかのように周囲がうねり、強烈な水流がクリスタルシャークを殴り飛ばす。
「水竜の宴・乱襲!!」
うねり始めた水流がアクアを取り囲む、遠巻きに見ていたクロノには巨大な蛇のようにも見える水の流れが、連続でクリスタルシャークを叩きつけた。
「なんだありゃ……すっげぇ……」
未だ手足が凍って上手く動けないクロノは、水中を漂いながらその光景に目を奪われてしまっていた。そんなクロノにシーが近寄ってきた。
「はっ!」
クロノの手足を封じていた氷を、剣の背で砕いてくれる。
「っと……助かったよ、ありがとう」
「いえ……それよりも時間がありません」
「姉さまのあれは確かに凄いです、正真正銘の必殺技と言ってもいいでしょう」
「ですが、長くは持ちません」
そう言って殴り飛ばされ続けているクリスタルシャークを見る。連続でぶっ飛ばされているが、ダメージを感じられない。
「あの鮫の水晶の様な体表は、本体の物ではありません」
「あれは氷の鎧、鎧をいくら傷つけても再生します」
「姉さまのあの技は魔力の消費が馬鹿げています、このままでは押し切るのは不可能かと」
「だったら、あの額を……」
そう言いかけたところで、アクアの操っている水流がクリスタルシャークの額を捉えた。僅かにヒビが入り、砕け散ろうとした瞬間、クリスタルシャークの体に入ったヒビが再生していく。
「このっ……しつこいですわよっ!」
そんな言葉は意に介さず、体の傷全てを再生したクリスタルシャークはマリアーナを狙って氷塊を飛ばしてくる。
「この子に手は出させませんわ!」
飛ばされた氷塊をなぎ払うアクア、それを見たクリスタルシャークは額の輝きを強めた。
「……っ!?」
アクアの周囲の水が凍り付いていく、一瞬だが水の操作が止まってしまう。その隙にクリスタルシャークは、マリアーナ目掛け突っ込んでいく。
「意地でもその子を狙うつもりですの!?」
「この程度の氷じゃ、水竜の宴は止められませんわ、よっ!」
氷を無理やり砕き、突っ込んできたクリスタルシャークに水撃を叩き込む、だが当たる寸前、水流が氷に阻まれ止められてしまう。
「こ、の……っ!」
最初こそ圧倒していたが、徐々に攻撃を止められつつある。このままでは魔力が切れ、アクアは負けるだろう。
そうなれば、意識を失っているマリアーナが殺される。
「何か手は無いのか、何か……!」
「無い事は、ないです」
「姉さまと私が協力すれば、恐らくあの額を砕く事が出来ます」
「あまり使った事はないんですが、ちょっとした合体技がありまして……」
「だったらそれで……!」
「問題もあるんです」
「その技は、1分ほどの溜めがいるんです」
「その間、姉さまも私も動けません」
「水竜の宴も当然、止まります」
「クリスタルシャークはマリアーナを狙っている、1分もあれば、マリアーナは殺されてしまう……」
なるほど、確かにそれは問題だ。
だが、大した問題では無い。
「なんだ、だったら俺が囮になればいいじゃんか」
「あの鮫は最も仕留めやすい者から狙っているようです」
「申し訳ないですが、希少種君では、1分間マリアーナを守る事は不可能だと思います……」
「そうだな、マリアーナ一人を守るなんて、俺は嫌だ」
「お前達含めて、三人全員守ってみせるさ!」
そう言い、クリスタルシャークの背後に回るクロノ。
「アクアさんっ! 俺が時間を稼ぐ!」
「シーさんと協力して、こいつの額を砕いてくれ!」
「はぁっ!? この場面で冗談は止めて下さる!?」
「この鮫はマリアーナを狙ってるんですのよ! お遊びじゃすまな……」
アクアが何か叫んでいるが、言い終わるのを待ってる暇は無い。クロノは大きく息を吸い込む。
(で? 何をするつもりなんだい?)
(無茶)
(だろうね)
(クロノと居ると、落ち着く時間が少ないよぉ)
(……ごめん)
(別にいいよぉ、謝らなくてもさ)
(終わった後に、ありがとって言ってくれればね)
(そういうことだ、だから絶対に死ぬな)
(まぁ、僕が死なせないけどな)
(……あぁ、分かってる!)
何度か深呼吸を済ませ、最後に息を止める。それと同時、左手首の空気の腕輪を外した。
「!? 何をっ!」
「ちょ、あなた何をしてますのっ!」
二体の海住種は目を見開く、自ら呼吸の術を取り払ったのだ、当然だろう。それと同時、マリアーナを狙い続けていたクリスタルシャークの体が、ピクッと反応を示した。
(意識を失ってはいるものの、アクアに守られているマリアーナ)
(水中で呼吸を術を失った、『人間』の俺)
(どっちの方が仕留めやすいかとか、馬鹿でも分かるよな)
クリスタルシャークは勢いよく振り返り、クロノ目掛けて突っ込んできた。
(1分くらいなら息は続く、さぁ行くぜ!?)
(あぁ、やるぞ)
(クロノ! 早く空気の腕輪しまって!)
(……え)
突っ込んできながらも、クリスタルシャークは氷を飛ばしてきた。疾風の力で水流を作り出し、その氷を避ける。
(うわぁっ!?)
避けた先に、クリスタルシャークが回り込んでいた。
(本当に頭いいな、こいつ!)
右から尾で殴り飛ばされ、クロノの体が吹き飛ばされた。喰らう瞬間に金剛を発動させたものの、やはり結構痛い。
(いきなりやべぇ、これはやべぇ!)
吹き飛ばされた拍子に、左手から空気の腕輪が零れ落ちてしまう。眼前にはクリスタルシャークが迫っている、拾っている暇なんてない。
(だから早くって言ったのにぃ!)
(金剛で耐え凌ぐのも限界があるぞ!)
(うるさいうるさい! 説教なら後にしてくれ!)
体勢を立て直そうとするも、左足が凍って上手くいかなかった。そのまま殆どノーガードでクリスタルシャークの突進を喰らってしまう。
「……ゴボッ!?」
口から大量の空気を吐き出しながら、クロノの体は吹き飛んでいく。
「……っ! 馬鹿じゃありませんの!? 殺されますわよ!」
アクアが水流を操り、クロノを助けようとする。そんなアクアにクロノは首を横に振った。
「なんで……そこまでするんですの、そこまで出来るんですの……!?」
「姉さま! あれを撃ちますよ!」
「けど、あの人間君を……」
「体を張って守ってくれているあの子を、助ける為にも!」
「私達が迷ってる暇はないんです!」
その言葉に、アクアも覚悟を決めた。シーの構えた双剣へ、水流を集めていく。
(死なせません、死なせてなる物ですか……!)
(マリアーナにも、あの子にも、まだ謝っていないんですから……!)
何度か突進を喰らい、その度に空気を吐き出してしまっていたクロノ、既に息は限界だ。
(く……そ……泳ぐ余裕がない……)
(苦し……)
(クロノ! 前!)
顔を上げると、クリスタルシャークが自分を飲み込もうと口を大きく開けていた。寸前で後ろに下がるが、距離が足りない。
(冗談じゃない、食われてたまるかよっ!)
金剛の力で閉まろうとする口を支える、両手が悲鳴を上げるが、食われるよりはマシだ。食いしばる歯の間から残り僅かな酸素が零れていく。
(ぐ……っぅ……!)
「クォオオオオオオオオオオッ!」
クリスタルシャークが大きく顔を振り、銜えていたクロノを放り投げた。そのままクロノに氷塊を連続で撃ち出してくる。金剛の力で耐えるが、それも長くは続かないだろう。
何発も直撃を許し、クロノの体から力が抜けてくる。息ももう続かない。一際大きい氷塊がクロノの体を吹き飛ばしたのが止めになった、クロノは体を起こす事も出来ず、水中を漂う。
クリスタルシャークは目の前の人間が、異様な防御力を誇っている事を理解していた。
このまま氷塊を放っていても殺せるが、それは無駄に長引く事になる。既に抵抗も出来ないほどに痛めつけた、息も切れただろう。このまま接近し、噛み砕けばそれで終わりだ。
力なく漂うクロノへ、クリスタルシャークは一気に突っ込んでいく。勝ちを確信した巨大鮫が見たのは、この状況で笑っているクロノの顔だった。
(……だって、俺は勇者志望だったんだぞ……?)
勇者を目指し、日々努力を重ねてきたクロノ、当然だがそれは魔法の知識もだ。自分に魔法の才能が無いとしても、勇者として最低限の知識を持っていなければいけない。
だから知っていた、風の魔法を駆使すれば、空気の膜を自分で生み出し、水中で呼吸が可能な事を。どうせ自分には縁がないと思っていたが、知識は自分を裏切らないのは本当だった。
精霊の力を借りても、クロノには空気の膜を生み出すほどのコントロールはまだ出来ない。だが、最低限の保険をかけておいたのだ。
とても小さい、一呼吸分の空気の気泡……水中に入る前に、ポケットに忍ばせておいた物だ。エティルとリンクをしていない、普段の自分で出来る精一杯のコントロールで作った物だ
その気泡を口元へ運び、たった一呼吸分の空気を取り込む。それだけで、一発分くらいは何とかなる。
(人と駆け引きできるほど、賢くはなかったな、ざまぁみろ)
全身全霊、金剛の力を乗せた左のストレートが、クリスタルシャークの額に叩き込まれた。相手の突進に合わせ、カウンター気味に入ったその一撃は、巨大鮫の巨体を後方に大きく吹き飛ばした。
そして、吹き飛んだクリスタルシャークを待ち構えるように、シーが剣を構えていた。
「お見事、そして、ナイスパスです」
「姉さまっ!」
シーの言葉に従い、アクアが魔力を放出する。シーの構えている双剣が纏っている水流が、一際大きくなった。
「「シンフォニア・シュトローム!!」」
放たれた水流は渦を巻き、一点集中でクリスタルシャークの額に叩き込まれた。ガリガリと削り取るような音が響き、青く輝いていた額が粉々に砕け散った。
それを見た瞬間、今度こそクロノの体から力が抜けていく。
(……やっ……た……)
意識が落ちかけたが、そんなクロノの体をアクアが抱き止めた。そして、左手に空気の腕輪をはめてくれる。クロノの体が再び空気の膜に包まれた。
「ゲホッ! ぶはぁあ……死ぬかと思った……」
「本当に無茶しますわね! あの鮫が傷を再生しない内に逃げますわよ!」
「シーッ! マリアーナを!」
「分かっています、先に行きますよ!」
マリアーナを抱き抱えたシーは、神海への入り口を覆っていた氷を尾びれで砕く。そのまま光珊瑚のアーチを潜って行った。
「あたし達も行きますわよ!」
「うわっ!?」
強引に手を引かれ、クロノ達もその後へ続いた。
「助けてくれるとは思わなかったよ、ありがとな」
笑顔を浮かべ、素直に礼を述べるクロノ、そんなクロノにアクアは顔を赤く染めた。
「べ、別にそんな……当然の事をしたまでですわ……」
「あなたが時間を稼いでくれなかったら、全滅してたかもですし……」
「アクアさんやシーさんが居なきゃ、あの鮫は倒せなかった」
「マリアーナが居なきゃ、神海の入り口まで逃げ切れなかった」
「それを言うなら、お互い様なんじゃないかな」
「助け合ったから、なんとかなったんだ」
「だから、ありがとうな」
「……~~~~~~~っ! も、もうこの話は終わりですわっ!」
「泳ぐ事に集中しますから、黙ってなさいっ!」
顔を真っ赤にしたアクアが、プイッとそっぽを向いた。その様子が面白くて、思わず笑ってしまう。
(……それと、お前達もありがとうな)
(どう致しまして~♪)
(結果オーライかな、何とかなって良かったよ)
そうこうしてる内に、光珊瑚のアーチで出来たトンネルを抜けた。光り輝いていた海林とは打って変わり、静まり返った海域に辿り着く。
何の気配もない、あるのは沈黙だけ、すり鉢状に凹んだこの場所は、丘の上から海林の光りが差し込んでいた。
「ここが、神海……なのか」
言葉を発する事すら躊躇ってしまうほど、そこは静かだった。先に着いていたシーも、その雰囲気に呆気に取られているようだ。
皆が呆然としている中、マリアーナが意識を取り戻した。
「いったぁ……あれ、ここどこ?」
「マリアーナ!」
その声に反応し、アクアが涙ぐんでマリアーナへ近寄った。
「体は大丈夫? 痛くない?」
「痛いよ……お姉ちゃんのドジ」
「うっ……ごめんね……」
「本当に、ごめんね……」
「……ばーかばーか」
「お姉ちゃんは色々と意地張りすぎなんだもん、妹の苦労も考えてよ」
「ぐっ……」
「あーあ、体が痛いなぁ、ダメなお姉ちゃん持つと本当に大変だよ」
「……このっ……言わせておけば!」
手を振り上げるアクア、シーに抱えられて逃げる事が出来ないマリアーナは目をぎゅっと瞑る。
ぶたれると思ったのだろうが、アクアはマリアーナの小さな体を抱きしめた。
「本当に、無事で良かった……」
「だから、痛いってば……」
「本当、勝手なんだから……」
そうは言うものの、マリアーナは嫌がる様子はない。むしろ、その表情は嬉しそうだ。そんな二人を微笑ましそうにシーは見ていた。
(本当に素直じゃないな、どっちも)
(もう、大丈夫そうだねぇ)
(後は人魚の宝玉だね、どこにあるのか……)
周囲を見渡してもそれらしいものはない、どうしたものかと考えを巡らせていると、マリアーナが声を上げた。
「あ、上!」
その言葉と同時、海林から巻き上げられるように水流が集まってきた。頭上で水流が乱回転する様子は、荒々しくも美しい光景だった。光珊瑚の破片を含んだ水流はキラキラと輝き、その輝きが一点に圧縮されていく。
数多の水流が舞い踊り、その中心に小さな結晶が構成されていく。透き通るような宝玉が、クロノの目の前にフヨフヨと落ちてきた。神秘的な光景に目を奪われていたクロノだったが、慌てて宝玉を受け止めた。
「これが、人魚の宝玉か……?」
答える者は居ない、言葉を失うほど、先ほどの光景は美しかったのだ。
海中の神域は、再び静けさに包まれていた。
(……凄い物、見れたな……)
貴重な体験が出来た、これだけでも頑張ったかいがあったというものだ。
後は、帰るだけだ。
次回でマーメイド編は終わりです。




