第六百八十話 『奇跡は確かにここに在る』
空蝉の森を目指す道中、セツナは息を切らし地面に転がっていた。
「うわあ、あたし達の切り札がなんて無残な姿に」
「無様って言うんだよ、これはさ」
「好き放題言うな……お前達……ゼハーゼハー……」
「ふむ、エティルちゃんはもう少し加減を覚えた方が良いな」
「クロノやツイ君ならともかく、彼女レベルじゃ君に追い付けるわけがない」
「いやーあはは、ついね、つい……」
(主君も結構言いますよね……)
事の発端は暇だ暇だとレヴィがセツナを弄りまくったせいだ。あまりにもセツナが突っつきまわされるので、エティルが移動中に出来る遊びをしようと言い出したのだ。
「風の精霊と鬼ごっこ、嫉妬がモヤモヤしたから乗ったけどさ」
「オェ……脇腹が、切り札の脇腹が……」
「どうするのこれ、更なる無様を更新したよ」
「あははは、精霊達の中で一番のお姉ちゃんであるこのエティルちゃんが場の空気を良くし過ぎてしまったかーあははは」
「多分今のところ一番苦しいぞ……いや他も他で酷かったけどな……」
「今後関係が続くなら私は絶対にお前達と一対一で組むことはないだろうってくらいな……!」
「でもでも! ちょっとムキになったのは認めるけどそれはレヴィちゃんがズルしたからで!」
「はぁ? レヴィはちょっと能力使ったくらいだけど? それで負けるあんたがしょぼいんでしょ」
「ムキ―! じゃあそのエティルちゃんに負けたセツナちゃんが酷い扱いになるでしょ!?」
「そう言ってんだけど」
「確かに勝負にならないし体力ないし足は遅かったけどもう少し考えてあげなよぉ! 可哀想じゃん!」
「お前等両方いい加減にしろよ!?」
ちなみにレヴィはセツナを動かし、エティルを動けなくすることで秒殺勝利を決めた。自分の意思とは別の動く力が加わったセツナは暴走するように前方に吹っ飛んだのだが、それはまた別の話だ。
「しかし賑やかな旅路だな、微笑ましく温かさすら感じる」
「のどかですねぇ」
(……このパーティーセツナの味方が少なすぎる気がする、助けるタイミングはどこだ……)
幼少時より過酷な環境を過ごしていた魁人と紫苑は切り札の劣悪な環境に気づいていない、ツイとタイナが生命線なのは明らかだった。
「切り札ちゃん頑張ってー」
「応援より手を貸して欲しいよ」
「パスでー」
「ふふ、そろそろ心が折れそうだな」
「セツナちゃん一回くらい捕まえてごらんよぉ、ほらほらぁ」
「手の届く距離でウロウロしてるけどこれ捕まらないんだよへへへ……」
ヒョイヒョイとセツナの手を風のようにすり抜けるエティル、風の自然体での感知とスピードは切り札の動きを容易く翻弄していた。
「おかしいなぁ、セツナちゃん所々キリッとしてる時あるのに」
「このくらいなら、捕まえられると思うんだけどなぁ」
「……真面目な話、レヴィもそう思うよ」
「安心しろ、私はさっきから全力だけど掠りもしないぞ」
「……そろそろ休憩しないか? このままじゃ森であれこれする前にセツナが倒れてしまう」
「もう倒れたけどな! ツイ、今度風の修行もしよう」
「あぁ、なんでも付き合うよ」
「さて、まずはカリアに向かおうか」
「ん?」
「物資の買い出しだな、補充は必要だし良いと思うよ」
魁人とツイがあれこれ話し合っているが、セツナは首を傾げるばかりだ。
「お仕事や任務の前は食べ物とか野営の物資補充が当たり前でしょ」
「出発まで結構時間あったのに、良く考えればレヴィ達何も持ってこなかったね」
「流れのままに来ちゃったからねー、まぁアジトで準備するより外でしたほうがぶっちゃけ早いよー」
「じゅんび……?」
「何その顔……」
「いやぁ……今まで三か所回ってきたけど何処も何の準備もなかったし……」
「……一日未満でクリアしてきてたし、まぁいいんじゃないの」
「別にあの馬鹿共だってそういう考えが無かったわけじゃないよ、力技でスピード解決出来る案件だったのもあるし」
「ダンジョンはそもそも長居は危険、海は目的地は割れてた、龍の血は向かう場所が明確になったからだしね、多分だけど」
「道中の移動時間は流魔水渦の謎鍵のおかげで短縮出来てるし、そういう考えがすっぽ抜けても仕方ないんじゃないかな」
「ま、切り札としてはどうかと思うけど」
「最後の一言いる……?」
「けどけど! 今回だって目的地ははっきりしてるだろ? 森に着いたらエティルの知り合いにお願いして、ティターニアって奴に果実ください! でおしまいじゃないのか!?」
「おしまいだったらどれ程良かっただろうね……」
「あれぇ!? 藪蛇に飛び込んだ気がするぞ!? どういうことなんだ誰か説明してくれ!」
とはいえ、ティターニアと会った事があるのはレヴィ以外じゃこの場にエティルしか居ない。縋るようにエティルに目を向けると、そこには見た事ないくらい機嫌が悪そうなエティルが居た。
「うわあ嫌な予感しかしない」
「あの子性格悪いんだよね」
切り札から見ればクロノの精霊達はみんな大概な性格だ。そんなエティルにここまで嫌そうな顔をさせ、ここまでストレートな暴言を吐かせる妖精女王とは一体……。
「うぅ……お腹痛くなってきたぞ……」
「脆いメンタルだね」
「けど、それが長旅の準備にどう繋がるんだ?」
「鎌鼬や退治屋は仕事上いつもの癖でやってんだろうけど、事情を知ってるレヴィが止めないわけを聞きたいと?」
「正直聞きたくないぞ、いつも以上に説明口調なのが本当に嫌な予感しかしないんだよ」
「妖精って面倒くさいし悪戯大好きな害虫なんだけどね」
「その女王ってのはそれを百倍くらい強化したゴキブリ以下の極大害虫なの」
「人も魔物も問わず困った顔や苦しんだ顔にさせるのが大好きな性悪クソ女王だよぉ」
「性格難な妖精種でも、女王の側近とか罰ゲーム超えて死刑のレベル」
「こんなに慕われてない女王居る?」
「いやーエティルちゃんも多少の理解はありますよー? ティターニアは殆ど外に出られないからストレス溜まるだろうしねぇ」
「生涯大樹のお世話に捧げてるからね、来客とか結構嬉しそうに迎えてくれるよ」
「だからこそ……滅多にない他者との関わりを大事に、凄まじい濃さで行うわけだよぉ……」
「果実は貴重品だからこそ、譲る条件はどぎつい無理難題なのは確実だね」
「セツナ、この機会にこういったアイテム集めの依頼のお約束覚えておくと良いよ」
「先輩からのありがたいお言葉って奴か!」
「お使いは、連鎖する」
そう語るレヴィの背中は、いつもの数倍大きく見えた。というわけで、備えの為にセツナ達はカリアへ寄る事になった。
「お使いは連鎖する……なんでだろう、寝ても忘れない気がして堪らない……」
「何度か野営も覚悟しないとね、その度記憶をロストするお荷物抱えてるのが不安で仕方ないよ」
「またお前は誰だーとか言われるのかぁ、嫉妬嫉妬」
「ごめんってぇ……」
「世間もセツナみたいに、レヴィ達のこと忘れてくれてれば良かったのにね」
「罪は消えないって事かな、笑っちゃうよ」
買い物をする魁人達から少し離れ、セツナ達は後ろをついていく形になっていた。道行く人達を眺めているレヴィは、吐き捨てるようにそんな事を呟いた。
「レヴィ達は忘れない、何をされたか、どうなったか」
「記憶は歪んだ記録になって、今も鎖みたいにレヴィ達を縛ってる」
「求め欲した結末が、悪魔に堕ちて封じられ、都合よく叩き起こされて利用されて……」
「それでも、昔と同じものを夢見て、捨てられないで、これって呪い以外のなんだってのさ」
「みんなともう一度会いたい、たったそれだけなのにこんなに馬鹿らしい、本当に、馬鹿らしい」
「馬鹿らしいとは思わないぞ」
「周りが酷すぎた、だから起こった悲劇だったって……私は思う、思わせてみせる」
「だってレヴィは今ここに居る、だから私達と出会えたんだ」
「悲劇は終わりだ、絶対ここから大丈夫だって分からせてやる」
「悪魔でも幸せになって良いんだ、なれるんだ、流魔水渦はそういう場所だ」
「鎖は断ち切る、堕ちた心が安らぐまで私達と一緒に居れば良い!」
「…………その言葉、地獄に堕ちても忘れるなよ」
唐突に脇腹を突かれ、セツナは息を詰まらせる。笑いながら駆け出すレヴィを睨むが、一瞬その姿が霞んだように見えた。周りの景色から、浮いているように見えた。
(……悪魔だから、色々隠してるから、日常から浮いてるように見えた……? きっと、違う)
(本当は、終わった筈だった、レヴィ達は、今生きてここに居る事が、奇跡みたいな存在なんだ)
(違った運命が違った形で封印を解いていたかもしれない、きっと恨みや憎しみのままに、暴れて黒ずんで、堕ち続けて……壊れてたかもしれないんだ)
(レヴィ達は笑って、昔みたいに振舞える事が、それだけの事が奇跡なんだ)
自分の記憶も、クロノが居なければ綱渡りのモノだ。保証がなく、とても危ういモノ。だけど大切で、大事にしたいモノ。だから守るんだ、だから守りたいと思うんだ。時や運命を超えて出会えた奇跡、この縁を守りたいと、セツナははっきりと自覚した。
(流魔水渦のみんなも、私の事をこんな風に思ってくれてるのかな)
(何度忘れても、大切に想ってくれたのは……だとしたら、やっぱり私は……切り札になりたい)
セツナは駆け出し、先を行くレヴィの手を掴んだ。追いつかれた事に驚いたレヴィだが、そんなレヴィより早くセツナは口を開く。
「旅の準備、どんなもの買ったりするのか、私は知らない」
「はぁ?」
「レヴィは慣れてるだろ、先頭に追い付こう、色々教えてくれ」
「…………良いけど、忘れちゃうんでしょ?」
「思い出す!」
「…………」
そう言ったセツナの表情はいつも通りの無表情だった。だが、レヴィの目にはほんの少しだけ笑って見えた。手を引き駆け出すセツナを見て、レヴィはただの少女のように笑ってしまう。
「不意の嫉妬で、おかしくなりそうだよ」
引かれる手を握り返す。儚くも確かにここにある奇跡を、手放さないように。




