第六十七話 『喧嘩の理由』
「……カハッ……死ぬかと思ったぞ……」
周囲をなぎ払った氷塊の雨、直撃こそしなかったものの、クロノは大きく流されてしまっていた。光珊瑚の欠片が水中を覆う中、巨大な影が佇んでいるのが見える。
「あれが、クリスタルシャークか……」
実際に目の当たりにすると、想像より遥かに大きい。あれと直接ぶつかるのは何としても避けたい。この場にはマリアーナも居る、彼女は2人の姉と違い、戦闘力に劣っているだろう。
戦闘に巻き込まれた場合、最悪の事態も考えられる。
(そんなの冗談じゃない……絶対に……)
(クロノッ! 来るぞ!)
アルディの叫び声が思考を切り裂いた。顔を上げると、クリスタルシャークが突っ込んできている。その速度は、その巨体には似つかわしくないほど、速い。
「くっそ! 冗談じゃねぇぞこれ!」
「金剛!」
回避を諦め、金剛を纏って両手でガードする。水中に漂ってる状態では踏ん張る事もできず、クロノの体はボールのように吹き飛ばされてしまう。
「……つぅあっ!?」
「クォオオオオオオオオオオオオオッ!!」
吹き飛んだクロノに向かって、クリスタルシャークは口を広げる。その口から尖った氷塊が撃ち出された。
「ちょっと待て、マジで殺す気かぁ!?」
堪らず疾風に切り替え、自身の体を水流に乗せて何とか避ける。そのまま全速力で逃亡を図った。
(くそっ……マリアーナ達を探すどころじゃない……)
(アイツを何とかして撒かないと……)
光珊瑚の間を掻い潜り、距離を取ろうとするクロノ、その体が水流で弾き飛ばされた。
「なっ……」
すっかり忘れていたが、この海域は正しい道以外は水流で通れないのだ。背後から追ってくる巨大な影に背筋が凍る。
「これマジでやばいんじゃないのか……?」
「今更だよぉ~~~!!」
「クロノッ! 来てる来てる!」
クリスタルシャークが周囲に再び氷を作り出している。それはまるで氷の魚雷のように、クロノ目掛けて撃ち出された。
「くそぉ! これ絶対にいつか当たるぞ!」
「畜生っ! 遠距離攻撃ならガルアからたっぷり撃ち込まれたんだ! もう勘弁してくれよっ!」
水中ではいつまでも上手く避けられない、被弾するのは時間の問題だろう。半泣きで逃げ惑うクロノだったが、水流の壁が無慈悲にその体を押し返した。
(やっぱ俺、神様に嫌われてないかな?)
(何悟ったような事言ってるんだ!)
(ひゃあっ! 前来てるよぉ!?)
水中で逆さまの状態のクロノ、その眼前に氷塊が迫っていた。被弾を覚悟したクロノだったが、何かが思いっきり手を引っ張った。
「クロノお兄さん! 遅れてごめん!」
「っと!? マリアーナ!」
ギリギリで氷塊の直撃を避けられたが、感謝している暇すらない。
「まさか海中で霰に降られるとはなっ!」
「大きすぎだっての! 冗談言ってる場合じゃないよこれ!」
クリスタルシャークはまだクロノに狙いをつけていた、氷塊は現在進行形で放たれ続けている。
「シーお姉ちゃんのとこに先に行っててさ、遅れて本当にごめんね!」
「それはいいよ! それよりこれどうするんだ!?」
その言葉に返事をしようとしたマリアーナだったが、すぐ横に氷塊が着弾し、言葉を遮られてしまう。
「あたしの妹に何してくれやがりますか!!」
追撃を放とうとしていたクリスタルシャークに、アクアが水撃を叩き込んだ。一瞬怯んだところに、シーが下から剣撃を喰らわせる。
「姉さま、正直……体が痛いです」
「泣き言は生き延びてからにしなさい! あたしだって泣きたいですわ!」
「成人の儀でもあるまいし……なんでここで死闘を繰り広げなきゃならないんですのっ!」
自業自得という言葉が地上にはあるが、今はその言葉を飲み込もう。
「クォオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
連続で攻撃を喰らったクリスタルシャークだったが、まったく意に介せず追撃の氷を生み出した。その目にはクロノとマリアーナしか映っていない。
「このっ! あたしを無視とはいい度胸じゃありませんの!」
その言葉の後、クリスタルシャークの巨大な目がアクアの方をチラッと見た。
「シー! マリアーナが心配ですわ! 傍で守りますわよ!」
(絶対怖かったんだろうなぁ……)
調子のいい姉だったが、妹目掛けて放たれた氷塊を水の魔法の一撃で弾き飛ばしてくれた。頼りになるのは間違いない。
「お姉ちゃん! いつも自分の魔法の自慢してんじゃん! こんな時こそ凄いとこ見せてよ!!」
「やかましい! 時と場合と敵を考えて口を開きなさいな!」
「こんな事になってる半分はあなたの責任ですのよ!?」
「ピンチの時くらい喧嘩止めろっ!!」
堪らずクロノが叫ぶ、今は喧嘩してる場合では無い。
「マリアーナ! ここじゃ逃げるのも難しいだろ! 一回海林から出ようぜ!」
自分の手を引いて泳ぐマリアーナに向かって叫ぶクロノだったが、マリアーナは前進を続けていた。
「勝負云々はまず置いておこう! このままじゃ……」
「勝負云々置いといてもね! 出口からどんどん遠くなってるの!」
「ここまで奥に来ちゃったら、神海の方が近い、そこに逃げ込むのが一番確実だよ!」
「けど、この場所は……」
そこまで言って気が付いた、さっきから水流の妨害が一度も起こってない。マリアーナはまるで、道が見えているようにスイスイと泳いでいた。
「マリアーナ、あなたこの場所の進み方知ってましたっけ?」
「知らないよ」
「これでは先導するのは危険と怒れませんね……」
実はこの場所には、本来の進み方という物が存在する。海住種は成人の儀の際、その進み方を肉親から教わるのだ。
そんな事はまったく知らないクロノだが、マリアーナが見えている物が何なのか、なんとなく分かっていた。
彼女の固有技能……探し物を映す目……。
兄や姉にも秘密にしていると言っていた、生まれ持った力。
マリアーナには見えているのだ、進むべき道が。
(『道』を探すんだ……この目に映すんだ……!)
珊瑚の森を全速力で泳ぐマリアーナ、その速度は、僅かだがクリスタルシャークを引き離しつつあった。放たれる氷も、アクアとシーが弾き飛ばしてくれる。
このままいけば、逃げ切れる。
「命の危機ですからね、今だけは休戦ですわ!」
「ですけど、神海に辿り着いたら容赦はしませんわよ!」
「お姉ちゃんしつこいよ!? いい加減お兄さんを認めてよ!」
「そんな男、あたしは認めませんわよ!」
「大体、その男がした事といえばシーを吹っ飛ばしてあたしにぶつけたくらいですわ!」
「どこが共存を訴える変人ですか!」
「僕の為にここまで来てくれてる事自体、既に証明になってるじゃん!」
「屁理屈を……シー! あなたはどう思ってますの!?」
「剣を返してくれましたし、希少種君は優しい良い子です」
「私は、もういいかと……」
「あーもう! 肝心な時に使えないですわ!」
「とにかく! 神海に着いたら覚悟しなさいよ人間君!」
「さっきの分、しっかりきっかり体に返してあげますわ!」
「だから俺はあんた達と戦う理由が……」
「えぇい! 口だけの善人気取りは聞きたくないですわ!」
「大体! マリアーナに懐かれてるからって調子に乗りすぎですわ!」
ここで気がついたが、アクアの顔は少し赤い。
そして、その目に浮かぶ感情は……僅かな嫉妬……?
(……もしかして、こいつ……?)
「見えた! 神海の入り口だよ!」
そんな疑問も、マリアーナの声で流されてしまった。
目の前には、光珊瑚がアーチの様になった物が見える。
「兄さんによると、神海の入り口は海林に4つ存在するようです」
「東西南北に1つずつ……、その入り口以外は水流の壁で通れないとか……」
「あれで間違いないよ!」
(探し物、見つけた! やっぱ僕の眼凄い!)
その話が本当なら、もう少しで神海に辿り着ける。まだ追ってきているクリスタルシャークも、そこまで辿り着けば追跡を止める筈だ。
(よし、なんとかなりそうだ!)
(着いたら着いたで、あの人魚と一戦ありそうだけどね)
(ねぇねぇクロノ、あのお姉さんってさぁ?)
「クォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
突然のクリスタルシャークの咆哮、それと同時、神海への入り口が氷で閉ざされた。
「なっ!?」
クロノが慌てて振り返ると、額を青く輝かせたクリスタルシャークが、逃げ道を塞いでいた。
「しゃらくさいですわね! こんな氷ぶち抜いてやりますわ!」
「アクア・シュトローム!!」
アクアの手から放たれた高圧水流が氷を砕くが、一瞬で再生してしまった。
「なっ……!?」
「……あの額の輝き……どうやら魔力をこの壁に注ぎ続けていますわね……」
「あの輝きを止めない限り、この氷を消す事は出来ませんわ……」
「それって……つまり……」
――戦闘開始……ということだ。
「クォオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮と共にクリスタルシャークが突っ込んでくる、だが、その速度は先ほどと比べると遅い。
「壁の再生に魔力を集中してるんですわ! 本体の能力は先ほどより落ちているはず!」
「倒せなくても、額の輝きさえ止められればオッケーですわ!」
「シー! 分かったら突っ込みなさい!」
「……釈然としませんが、仕方ないですね……」
「一応、私怪我してるって覚えてますよね?」
「世の中には自業自得という言葉があるのですわ!!」
どうやらその言葉の存在は知っていたようだ。
クリスタルシャークに向かって突っ込んでいくシー、その姿を見て、クロノも構えを取る。
「お、お兄さん……」
「マリアーナは離れてろ! 絶対に近づくんじゃないぞ!」
クロノに引っ付いていたマリアーナだったが、その言葉でゆっくりと離れていく。そんなマリアーナを、アクアは寂しそうに見つめていた。
(……別に、どうでもいいですわ)
(最後に懐いてくれたのは、いつでしたっけ、どうでもいいですけど)
「……っ!? 姉さま!!」
シーの叫び声、アクアが顔を上げると、眼前に氷塊が迫っていた。
「しまっ……」
「てりゃあっ!!」
完全に虚を突かれたアクアだったが、クロノが金剛を纏って庇う。
「おい、大丈夫か!?」
「あ……、……っ! べ、別に助けてなんて言ってませんわよ!?」
「今ので恩を売ったつもりですか? 残念ですけどそんな事では認めたりはしませんわよ!」
「あっそ、怪我がないなら良いよ」
「あの鮫、頭いいな……油断してる奴を狙ってきたぞ」
「ちょっと! あたしがいつ油断したんですの!?」
「シーさん! 一緒に攻めよう!」
「聞きなさい!!」
油断なんてしてない、する筈がない。
それなのに、胸が痛かった。
(何なんですの、これは……)
(イライラしますわね、もう!)
歯噛みをしつつ、アクアはクリスタルシャークに向かって水撃を放った。その攻撃で一瞬隙が出来る。その隙に左右から、シーとクロノが同時に攻め込んだ。
「水流剣・蛟!!」
「岩砕拳!」
その攻撃がクリスタルシャークに届く瞬間、クリスタルシャークの身体が光り輝いた。一瞬で周囲の水温が下がり、クロノとシーの身体が薄い氷で覆われた。
「冷たっ!!? なんだこれっ!」
「……!? 動けなっ……」
動きが止まった2人に向かって、容赦なくクリスタルシャークは尾を振るう。抵抗も出来ず、2人の体は吹き飛ばされてしまう。
「クォオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮と共に氷塊が生み出され、撃ち出される。標的は立ち尽くしていたアクアだ。
「おい馬鹿、避けろっ!!」
「姉さま!?」
しかし、その声に応える事は出来そうも無い。
アクアの手と尾びれが、薄く凍っていた。
(この距離にいるあたしの体も凍らせるなんて……しかもこんなピンポイントに……っ!)
(既に空間を支配されてる、撃ち出された氷塊で辺りの水温が下がってる……)
(あの鮫の氷魔法が空域魔法レベルに上がっている……!?)
気がつくのが遅すぎた、動けない、避けられない。あの大きさの氷が直撃すれば、ただでは済まないだろう。
「……っ!」
直撃の瞬間、柔らかい物が腰の辺りにぶつかった。昔は毎日のように感じた感触だ。
「マリ……ッ!?」
「……意地っ張りなんだもん、馬鹿」
自分を突き飛ばしたマリアーナの小さな体が、氷塊に吹き飛ばされた。
どうして、喧嘩をしたんだっけ。
あぁ、そうだ、昔みたいに甘えて欲しかったんだ。
でもそんな事、言えるはずがなくて。
いつの間にか、意地悪ばかりしてた。
プライドばっかり無駄に高くて、上手く言えない事が多すぎて。
何より大切な妹を、傷つけてばかりで。
今、本当に後悔した。
「マリアーナアアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!!!!!!」
絶叫が周囲に響く、マリアーナの体は力なく水中を漂うだけ、姉の声には答えない。クリスタルシャークはそんなマリアーナに、無慈悲な追撃を放った。
(……っ! やっぱこの鮫! 一番倒せそうな奴から狙ってやがる!)
「避けろっ! アクアさんっ!!」
「姉さま! マリアーナっ!!」
叫ぶクロノとシーだったが、お互い体の所々が凍り付いており、上手く動けない。届く物は、声くらいしかない。
だが、巨大な氷塊は唐突に砕け散った。
何の前触れも無く、何かに握り潰されたように。
(分かってる、あたしのせいだ)
(あたしが、こんな意味無い喧嘩したせいで……)
(つまらない意地張って、妹をこんな場所に……)
(あたしがあんな事言わなきゃ、素直に負けを認めてれば、マリアーナはここに来る事も無かった……!)
(こんな目に会う事は、無かった……っ!)
ゆっくりと妹へ近づき、その身体を抱き抱える。
アクアの目には涙が浮かんでいるが、光は失っていない。
(それは後で、ちゃんと謝りますわ……)
(今はそれより、やる事があります……)
(原因を作ったのはあたし、だけど、実際に傷つけたのは、あの鮫ですわ)
クリスタルシャークを睨みつけ、アクアは手を翳す。その瞬間、水流がクリスタルシャークを殴りつけた。巨体が大きく吹き飛び、クリスタルシャークの水晶の様な皮膚に僅かながらヒビが入る。
「絶対に……絶対に許しませんわ……!」
「水竜の宴……見せて差し上げます……妹の痛みを知りなさいっ!!」
怒りを宿したアクアが、神域の守護者と向き合った。
姉妹喧嘩が引き起こした騒動は、終わりに向けて動き出す。




