第六百七十二話 『身から出た錆』
さて、時は少しだけ遡りラーネア達の視点に映る。彼女達もまた、流魔水渦のメンバーにゲートを開いてもらい、一足早くデフェール大陸へ出向いていた。
「いやー、テーウは森の外出たの初めてだから初めてが沢山で楽しいなー!」
「シュシュッ、クロノの話してくれた色々をこの目で見れるの嬉しいなぁ、人間がご飯に見えないのが新鮮だよー」
「……私は、クロノに褒められたい」
「あー! テーウもクロノに会いたいー!」
「クロノってば龍の血で起きるの? お腹減ってるのかな? お腹が減ると触手もへにゃるもんねぇ」
「ん……餌が無いのは、困る……」
「……ラーネア、本当に龍がこの先に居るの?」
「あぁ、お前等がまだ餌にもならないカスだった頃の話だ……あのポンコツドラゴンが森に降り立ったのはな」
「あいつは所謂武者修行みてぇな事をしててなぁ? 一度入れば二度と出られねぇって噂の暴食の森、並びにそこに住まう魔物共に興味があったらしく偉そうな態度でズカズカ入り込んできやがった」
「若い龍さ、基本龍ってのは広範囲を巡る事は少ないってのに好奇心と持ち前の若さで各地を飛び回ってやがった、怖いもの知らずで世間知らず、簡単に言えば馬鹿だ」
「テーウとどっちがおバカー?」
「いい勝負だな、永遠のドローかも知れねぇぞ」
「それは……相当」
「ムキ―! キリハちゃんの貴重な笑顔なのに全然嬉しくないタイミングー!!」
触手の八割を使ってキリハの背中をペチペチするテーウ。元々仲が悪かったわけではないが、やはりクロノと関わった影響で関係性は間違いなく変わった。捕食者や強さを超え、今は純粋な友人と呼べる関係だろう。愛おしく思うと同時、ラーネアには捕食欲と保護欲の二つが湧き上がる。昔は葛藤したものだが、今の自分はこの二つを受け入れ笑える精神に至った。
(慣れって怖いな、悟りとでもいうのかねぇ)
(こいつらの強さもクロノと出会う前と比べりゃ、伸びる速度も段違い……人の影響が凄いのかあいつが特別凄いのか……なんにせよ目まぐるしいもんだ)
「クロノ、起こす……好感度アップ……」
「キリハちゃんクロノの事大好きだねー」
「……うん」
(大概おかしくなったもんだが……まぁクロノがキリハに食われてもキリハが強くなるし、なんかこう色々狂ってガキが出来ても強い奴同士のガキだから将来楽しみな餌が増えるわけで……うんあたし的にもオッケーだオッケー、深く考えると頭痛ぇしもうそれでいいや)
(クロノを助けたいっつーこいつら二人の願いを叶えてやることは、あたしには出来る……なんせこうも都合の良い龍を知ってるのはあたしらくらいだろうしな)
(馬鹿でヘタレ、何度もおやつにしてきたおかげであいつはあたしらを見るだけで戦意を失う……龍鱗をチップス代わりにパリパリしてやってたくらいだ、血だけ寄越せば見逃すと言えばむしろ喜んで献上するだろうよ)
(……だが、何度もボコボコにしたがそのたびあいつは成長してる、馬鹿だが弱くはねぇんだ……こいつらだけなら返り討ちだろう……そして今のあたしは……)
魔核をクロノに託したラーネアの強さは、かなり……いや相当落ちている。断言できるが、今の自分では勝ち目はないだろう。
(だからっつって放っておけるわけがねぇ……シロガネ達に頭下げて付いてきてもらうべきだったか……? いやぁ、キリハはシロガネと仲悪いし、ヒャクを連れて行ったら戦闘待ったなしだ)
(…………力任せにぶっ飛ばして手に入れた血で起きても、多分クロノは喜ばねぇし……こいつらも違うって思うだろうな、嫌だねぇ変化は時に枷になる)
「本能、願い、関係性に種族の違い、積み重ねに想い……こんがらがってわけわかんねぇ、面倒くさいったらねぇや」
「ラーネアちゃん何ブツブツ言ってるのー? お腹減ったぁー?」
「テーウの触手なら、食べ放題」
「放題じゃないけどー!? あ、でも食べる? もちもちだよ」
「いいねぇお前等は単純で」
(ハッタリでいい、脅して血を貰って撤収……最速最善だ)
(あいつはあたしの糸にトラウマがある、ちらつかせりゃ勝手にビビって……いや、流石に舐め過ぎか……? 万が一あたしの弱化に気づかれりゃ……)
「そういえばラーネアちゃんは元々森の外の子だったよね? なんで暴食の森に来たの? やっぱり食べ放題だから?」
「……出入り自由な強さ、当時から純粋に憧れていた」
「そりゃ……」
好いた者に対する捕食衝動、それ故に選んだ一人きりの弱肉強食の世界。なのに、結局自分は一人に慣れず縁を結んでいる。知ったから、教えてもらったから、受け入れたから、もう眼は背けない。だからこそ、愛おしく思うからこそ、喰いたい想いと同じくらい守りたいと思うのだ。
「知りたきゃあたしより強くなってみな、この世界は力が全てだ」
「うわ出た! むー」
「じゃあいつか聞き出そう」
「ヒャヒャヒャ、やってみなガキ共が」
(無茶でもなんでもやり通す、やってやろうじゃねぇかよ)
(万が一の保険って言うにはか細いが、多分追いかけて来る筈だしな……けどそれは最悪の場合だ、無駄に面倒かけちまう……そりゃ流石に面目ねぇ)
「龍の血ってのはお宝のレベルだ、相当な価値があるんだぜ? クロノのバカが起きたら恩売ってやれ恩」
「腕くらいなら食べていいかなー!?」
「……子供作る」
(恩売るのやめさせとくかぁ……?)
割とドン引きしつつ、ラーネアはとある山を目指し歩を進める。山の麓に近づくにつれ、生き物の気配が無くなってきた。
「静かだねぇ」
「あいつは馬鹿だが龍だ、気配だけで圧があるから何もしなくてもこうなっていくのさ」
「それに勝負馬鹿のくせにあいつの食性って草食だし、土属性だからこういう土の魔力が豊富なところだと不自由しねぇんだ」
「人気のない場所だから泣いても喚いても誰も助けにこねぇ……あたしらにマーキングされた以上逃げても無駄……必要以上に痛めつけない、命までは取らない、だから無駄に逃げずに常用おやつとしてここに留まれ……それが交わした契約だ、ヒャヒャヒャ」
「悪魔だなー」
「血も涙もない」
「実際滅茶苦茶美味かったから殺すのは惜しかったんだよ、鱗一枚が蜜の味さ」
「全身噛んだり、血を啜ったり、鱗を剥いでムシャムシャしたり、ちょっと尻尾の先ちょんぎったり、翼膜の柔いところなんて……はっ!」
「美味しそうだねー……じゅるり」
「…………ごくり」
(食欲を煽ってどうすんだあたしは……! こいつらが暴走して喧嘩吹っ掛けたら返り討ち間違いなし、止めに入ればあたしの弱化はバレて確実に全滅……柄でもねぇが今回はハッタリと対話で事を済ませなきゃならねぇってのに……)
「ま、まぁ? 今回はクロノの為だ、残念だがサクッと血を貰って帰るとしようぜ」
「早く持って行ってやらねぇとさ、先越されちゃ売れる恩も減っちまうしな?」
「うーん、まぁしょうがないかぁー」
「クロノが優先、何より優先」
(クロノ、お前はある意味最高の餌だよ)
ホッと息をつくラーネアだったが、次の瞬間背筋に冷たいものが走った。山の麓の洞窟から、凄まじい圧を感じる。
(……チィ……今のあたしじゃ威嚇の魔力だけでここまで縮み上がるかよ)
(こりゃ想像以上に不味いな、あたしの弱化とあいつの成長で相当な差が生まれてやがる……悟られたらやべぇ……!)
「わぁ、凄い魔力」
「……相当な強者、これが……龍王種」
「あぁ、あの洞窟の中に居る土色の龍が……」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああラーネアさんだぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「……ティドクラン、あたし達の舎弟おやつだ」
洞窟から首だけ出したドラゴンが、この世の終わりのような悲鳴を上げた。涙まで溢れているが、その悲鳴だけでラーネア達は数センチ後ろに押し出される。
「よぉ久しぶりだな、お前が元気そうであたしは嬉しいよ」
「悪意ぎっしり! 本物のラーネアさんだ帰れぇっ!!」
「おいおい、一応本心なんだぜ? お前が健やかに育ってくれるとあたし達は涎が止まらなくなるんだ」
「子供を太らせて食べる魔女と思考が変わらないんだよね! 近づくなぁ! 僕の住処に近づくなぁ!」
「ヒャヒャヒャヒャヒャ、おいおいおいおい誰に向かって命令してんだお前は糸で縛って鱗剥がされたいのかお前なぁお前さぁ」
「やめろぉ! やめろぉっ!!」
膨大な魔力を吹き出し、龍は地面の形を変え洞窟の入り口を埋め立てようとする。ラーネアは洞窟の入り口に糸を張り、瞬時に蜘蛛の巣状に広げそれを阻害した。地面を蹴り、ラーネアは張り巡らせた巣に着地する。
「おいおいせっかく遊びに来たんだ、あたしの仲間を紹介させておくれよクラーン」
「暴食の森が無くなっちまってさ、初めて外に出れた奴等なんだ……お前の事も紹介しときたいんだよ」
「新しい捕食者って事ですね分かります、痛くしないで……!」
「おっきー! ドラゴン初めて見た―!」
「おぉ……すごい……」
「痛くはしねぇって、つうかいつも優しくしてんだろうが」
「優しく……?」
「いやマジ警戒すんなって、今日は別にお前をむしゃりに来たわけじゃねぇんだ」
「ちょっと急用でな、龍の血が必要なんだよ……小瓶一つ分でいいから血をくれ、そんだけで帰ってやるからよぉ」
「え、それだけ? 本当にそれだけで帰ってくれるんすか?」
「あぁ、今日は急いでるからな」
(いける、想像通りの展開だ)
「なんだそれなら任せてくださいよラーネア姉さんー! 血だけで許してもらえるなら喜んで、あ、なんなら足とか舐めますよへへへ……」
「いや、それは良いよ……」
「あ、じゃあちょろっと出血するんで……ん?」
少し前に出てきたティドクランだったが、龍の巨体の少しはやはり影響が大きかった。ラーネアの張った蜘蛛の巣に、ティドクランの鼻先が当たってしまう。
(や、べぇ……っ!!)
「ひぎゃあああラーネアさんの糸ぉ!? と、取れな……あれ?」
パニックになったティドクランが身を引くと、ラーネアの糸が呆気なく千切れてしまった。
「糸……ラーネアさんの糸がこんな簡単に……???」
(ハッタリ利かしてすぐ引っ込めるべきだったっ! 強度の異変に気付かれ……)
龍は、賢い生き物だ。異変に気付き、ティドクランはパニック状態から脱してしまう。恐怖よりも疑問が勝り、その目でラーネアを正確に見切ってしまう。感じる力の小ささに、疑問は確信に変わる。
「ラーネアさん、どうしたんですかその『弱さ』」
「あ、いや……今日は少し調子が、な……」
「ふぅん……」
龍の眼光は鋭さを増し、口角が持ち上がる。凄まじい魔力が渦を巻き、ラーネア達は洞窟の外まで吹っ飛ばされた。
「うひゃあああああああああああああ!?」
「くっ! 凄い、力……!」
「あぁクソ……舐め過ぎた…………身から出た錆って奴か……自業自得とはいえ、我ながら酷いな……!」
地面を転がるラーネアは、洞窟の中から這い出て来る土色の巨龍をその目に捉える。龍は後ろ足で立ち上がり、翼を広げ赤黒いオーラを纏っている。あれは魔力じゃない、怒りが目に見えるレベルで具現化しているだけだ。
「この世は弱肉強食……ラーネアさん達が耳にタコが出来るくらい聞かせてきた言葉ですよ……」
「確かに、確かに身の程知らずで世間知らずでした、僕は己の力を過信し、結果ボッコボコにされ長い年月屈辱を味わい続けてきた……全ては僕の弱さ故、悔しいけどそれが現実……そこに文句はありません」
「だから……弱肉強食を説いて来たラーネアさんも、文句はないですよねぇえぇええええっ!?」
「……あぁ、文句はねぇさ……あんたと同じように、抵抗はするけどな」
「お互い、当然の権利だ……悪いなテーウ、キリハ、失敗した上に巻き込んだ」
「超展開! ウネウネしてきたぁ!」
「クロノの為なら、迎え撃つ」
「今こそ、復讐の時いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
以上が、今回の戦闘経緯である。




