第六十六話 『海林の水晶鮫』
(……アルディ居なかったら、今回3回位死んでる気がするんだけど……)
直撃の瞬間、ギリギリで金剛に切り替えたクロノは、自分の肩をさすった。服と皮が浅く切れた程度で済んだのは、金剛の防御力のおかげに他ならない。
へし折れた光珊瑚の欠片が周囲に浮かび、2体の海住種からはこちらの姿は見えていないようだ。クロノは力なく海中に浮かび、どうするか考える。
(別に、あの二人と戦いたいわけじゃないんだけどなぁ……)
(といっても、水中じゃ逃げることも適わない、戦闘はもう避けられないだろうね)
(どーするのぉ……? あっちは何だかんだ言ってコンビネーション良い感じだよぉ?)
前衛・後衛の役回りがはっきりしている所を見ると、仲が悪いのとチームワークは関係ないらしい。馬鹿正直に向かって行っても勝ち目は無いだろう。
(……エティル、アルディ、ちっと聞いてくれ)
(5割博打の策がある)
(随分運に左右されるね……)
(運って言うか、あっち次第なんだよな)
(とりあえず、やってみる価値はあると思う)
先ほどの戦闘であっちが抱いた考え、第一印象を利用する策だ。クロノは体を起こし、2体の海住種に向かって泳ぎだした。
「シー、あの子まだ動けるみたいよ?」
「腕が落ちてるんじゃないこと?」
「心外です」
「まぁいいわ、さっきみたいに油断しないようにね」
むっとした表情で、シーがこちらと距離を詰めてきた。
「本当に頑丈な体ですね、手加減する必要が無くて助かりますよ」
「……なぁ、そんなにお前等、妹に負けるのが嫌なの?」
「当然負けることも嫌ですし、そもそもはあの子が私達の言う事を聞かないからいけないのです」
「事の発端は、あの子の反抗が原因ですし」
そう言いながらも、シーは剣を構えてきた。
「私も姉さんも、まだ成人の儀を終えてない身」
「この場所に長居すると危険なのは、私達も同じです」
「ですから、早々に海の藻屑となってください」
そして、その尾びれが海中を蹴りつけ、一気に距離が縮まった。
「精霊技能・疾風っ!」
交差するようにその剣を避けるクロノ、しかし完全には避け切れず、右足を浅く切られた。切り傷から血が零れ、海中に赤い色が漂う。
「……え……」
一瞬、シーが戸惑うような表情を浮かべた。
「シーッ! 体勢を崩している今がチャンスですわ!」
「止めを刺すのです!」
そんなシーに姉が声をかける、その言葉の通り、クロノは完全に体制を崩していた。反射的に距離を詰め、クロノ目掛けて剣を振り上げる。
そして、そのまま剣を止めた。
「シーッ!?」
(先ほどの防御力を感じられない、今斬ったら殺してしまう……)
(それは……そこまでするつもりは……)
殺すつもりで戦っているわけでは無い、それは双方同じだ。
シーには今のクロノに向かって、本気で剣を振る事は出来ない。
殺意を持たない物が、命を奪ってしまうかもしれない場面にあったら、当然迷いが生まれるだろう。
その迷いが動きを止める、クロノはこうなる事を確信していた。
だからこそ、わざと斬られたのだ。
(ちょっと卑怯かもだけど、位置関係も作戦通りだ)
(行くぞ!)
目の前で動きを止めているシーに向かって、クロノは風の流れで生んだ水流を利用し、一気に近寄った。しかし、このままでは先ほど同様、アクアの遠距離攻撃で邪魔されるかもしれない。
「別にいいんだぜ、撃ってもさ」
だがアクアとクロノの間には、シーの体があった。当然だが、こうなるように誘導したのだ。
動き出しが遅れたシーは、クロノを懐に進入させてしまう。クロノは彼女が反応するより早く、両手の剣を弾き飛ばした。
「……ッ! 私の剣っ!」
「シーッ! そこを退きなさい!」
シーの視線は剣を追い、クロノから目を離す、アクアからはシーの体で良く見えてないはずだ。
「油断大敵だ、風昇打・圧っ!」
シーに向かって翳した掌から、風が勢いよく放たれる。それは強力な水流を生み出し、シーの腹部に叩き込まれた。
「ぐっ!」
「え、ちょっ!」
弾き飛ばされたシーの体は、アクア目掛けて吹っ飛んで行った。シーが退いたらすぐに魔法を撃てるよう構えていたアクアはそれを避けられず、二人は仲良く光珊瑚に激突する羽目になった。
「……人間君~っ!? やってくれますわねぇ……!?」
「もう怒りましたわ、あたしの必殺技で息の根をコロリっと!?」
こめかみをピクピクさせながら起き上がってきたアクアだったが、シーがその顔を押し退けて前に出てきた。
「剣……私の剣……っ!」
「シーッ!? 邪魔しないでくれますっ!? 剣なんてどうでもいいでしょう!」
その剣はというと、2本ともクロノの手の中だ。
「さぁ覚悟しなさい人間君、洗濯機に突っ込まれた方がマシだと思えるほどの体験が出来ますわよ!」
「もう後悔しても遅いですぶふぁあっ!?」
構えた両手が輝き始め、何か凄い技を出そうとしていたアクアの右頬に、シーの尾びれによる強烈な蹴りが叩き込まれた。
「シーッ!? あなたからお刺身にしてさしあげましょうかっ!?」
「『あれ』を今撃ったら、私の剣に傷が付くかもしれないじゃないですかっ!」
「今はあなたのコレクションより大事な事があるでしょう!?」
「あれは私の武器の中でも一番大事な物なんですっ!」
「やかましいですわっ! 大体あなたがボーっとしてるからこうなったんですわよっ!?」
「だって……ちょっと虐めるだけで諦めるって言ったの姉さまじゃないですかっ!」
「あの希少種君、全然諦めないですよっ!?」
「うっ……あーあーあーっ! うるさいですわっ! もう引くに引けないでしょう!?」
「いいから退いてなさい、あたしが粉微塵に吹き飛ばして差し上げますっ!」
「私の剣まで粉微塵になるじゃないですかっ!」
「大体、あの人間を殺したりしたら……兄さまだって怒りますよ!」
「じゃあ半殺しで済むように祈ってなさい!」
「お願いですっ! 後生ですから止めてくださいっ! あの剣は姉さまより大事なんですっ!」
「今どさくさに紛れて何て言いましたっ!?」
……正直、剣を奪っただけでここまで荒れるとは思っていなかった。目の前で言い争う2体の海住種に圧倒され、クロノは呆然と立ち尽くしていた。
だが、必死に姉を止めるシーの目に涙が浮かんでいるのに気がつき、クロノは溜息をついた。
そして、2本の剣をその場に放り、後方へと下がる。
「「……え?」」
その行動に、言い争っていた海住種達は間抜けな声を上げる。
(クロノ!? 何してるんだっ!)
(……何か、違うだろこれ)
(そんな事言ってる状況じゃないだろうっ! 少しの可能性を利用していかないと勝てないんだぞ!?)
(だから、それが違うんだ)
大急ぎで剣まで泳ぎ、抱き抱えるように受け止めるシー、その目からは戦意が削がれていた。
「……どうして……?」
「俺は、夢に対して本気である事を証明する為にここに来てる」
「マリアーナを勝たせる為に、ここに来てるんだ」
「別にお前等と戦いたいわけじゃないし、俺が勝ちたいわけでもない」
「しかも、大事な物を奪って脅すような真似、したくない」
そんな真似は、本末転倒だろう。そう語るクロノを見て、アクアは笑みを浮かべた。
「これは驚きましたわっ! とんだお間抜けさんですっ!」
「シーッ! 今度こそやっちゃいなさいっ!」
「……嫌です」
追撃するよう叫ぶ姉だが、シーはそれを拒否した。
「……姉さまは私の宝物を、傷つけようとしました」
「この子は、ちゃんと返してくれました」
「私の中の順位で、この子は姉さまより上になりました」
「だから、この子と戦うのはもう、嫌です」
「この裏切り者がぁっ!? それでもあたしの妹ですのっ!?」
「マリアーナといい、あなたといい、どうしてこうも姉の言う事を聞かないんですのっ!」
「姉さまの正確に問題があると指摘します」
またもや睨み合う二人、また言い合いが始まりそうになった所へ、一つの影が突っ込んできた。
「クロノお兄さ~~~んっ!! 大丈夫っ!?」
凄い勢いで突っ込んできたマリアーナに抱き付かれ、クロノの体が若干浮いた。
「うわっ!? マリアーナ!? 待ってろって行っただろ!」
「待ってられるわけないじゃん! 何か大きな音はするし、心配だもん!」
「何かと戦ったの? まさかクリスタルシャークに……」
ここでようやく、2人の姉の存在に気が付くマリアーナ。
「うわぁっ! 変なのが居る!?」
「姉の姿を見て変なのとは、どんな思考回路してやがりますのっ!?」
「何でお姉ちゃん達居るの!? 邪魔しに来たの!?」
「うっわ有り得ない、最低最悪信じらんないっ! そこまでするとか汚すぎるよっ!」
「やかましいですわっ! 姉妹同士の問題に部外者を持ち込んだあなたが悪いんですのよ!」
「クロノお兄さんは僕の探し物なんだし、ルールは破ってないじゃん!」
「お姉ちゃん達がいちゃもん付けたせいで、こんな場所まで来る事になったんだよ!?」
「しかも散々いちゃもん付けた上に、こっそり邪魔してくるとか最低すぎるでしょ!」
「元はと言えば、あなたが私の言う事をちゃんと聞いていれば、こんな喧嘩は起こらなかったんですのよ!?」
「あんな言う事聞くくらいなら、まな板の上でギロチンにかけられたほうがマシだよーだっ!」
こんな言い争いが毎日続いているとしたら、あのお兄さんに同情したくなる。クロノは遠い目でそんな事を考えていた。
そんなクロノを、剣を抱き抱えたシーがジーッと見つめていた。
「……何?」
「不思議です、君の思考回路は理解できないです」
「さっきまで私は、君にこの剣を向けていたんですよ?」
「なのに……」
「大事な物なんだろ? それ」
「さっきも言ったけど、俺は君達と戦いたい訳じゃないからさ」
「君の大事な物を利用してまで、戦いを有利に進めたくないって思った、それだけだ」
「……私が姉さんの言うとおり、君に剣を向けたらどうしたんですか」
「なんとかした」
「……なんですか、それ」
そう言って、僅かに笑ってくれた。これ以上この子と戦う必要はないだろう。後はあっちで言い争いを続けている、一番上の姉をなんとかするだけだ。
そう思ってマリアーナ達の方を向いたクロノ、その背筋が凍りついた。
言い争っている二人の背後、光珊瑚の間に、巨大な影が佇んでいる。
あまりに巨大で、一瞬背景と見間違えてしまった。だが、間違いない。
それは、この海域の守護者だ。
「二人共っ!! そこから離れろっ!!!」
クロノが叫ぶのと、二人の背後の珊瑚が砕け散るのは、殆ど同時だった。驚きで固まる二人の前に、超巨大な鮫が姿を現した。
咄嗟に距離を取った二人だったが、その巨大な鮫は巨体に似合わない速度で、マリアーナに肉薄する。その大きな口を開き、マリアーナの眼前に多数の牙が現れた。
「…………あっ……」
「マリアーナッ!!!」
双剣を構え、妹と鮫の間に割り込んだシー、その剣撃が鮫の頭部を僅かに上に弾いた。
(硬……いっ!?)
全身が角ばり、水晶のように煌いている巨大な鮫、この海域の守護者……クリスタルシャークに間違いない。
僅かに上に弾かれた頭部を、勢い良く横に振る。顔の横から生えた突起状の角が、凄まじい勢いでシーの体を吹き飛ばした。
「かはっ!?」
「シーお姉ちゃんっ!」
紙切れのように吹き飛ばされたシーは、光珊瑚を何本もへし折りながら遠くに飛んで行ってしまう。彼女の事は当然心配だが、目の前の状況はそんな余裕を与えない。
「クゥォォォォォッ!!!!」
上を仰ぐようにクリスタルシャークが唸る、それと同時に、シャークの周りに結晶のような物が多数出現した。
(なんだ、急に水が冷たく……!)
(あれは……氷かっ!?)
(クロノッ! 逃げてっ!)
エティルの叫びも虚しく、クリスタルシャークが作り出した多数の氷塊は、鮫の体を中心として全方位に撃ち出された。一つ一つが人間一人より遥かに大きい氷塊は、周囲の珊瑚を砕き飛ばし、辺り一帯を地獄と変えた。
その地獄絵図の中心に佇む、神海の守護者……クリスタルシャーク。
その目は、侵入者を決して逃さない。




