第六百六十四話 『この衝動は夢じゃない』
「ルト様! 傲慢に動きが!」
扉を開け放ち、非戦闘員が慌てて部屋に飛び込んできた。ルトは髪の毛で大量の魔術式を操りながらも、息を切らす仲間の元へ駆け寄っていく。
「やあやあお疲れ様、君は最近来たばかりのかぁいい子だね!」
「ごめんねぇ、みんな世界中に出張ってるから人手不足で……まだ慣れてないのに働きっぱなしで疲れてるでしょう」
「い、いえ……戦えない私でもお役に立てるなら……多分みんなそう思ってる筈ですし……」
「って! それよりまた傲慢が街を襲って……!」
「暴食の言った通りかぁ……配置は済んでるよね? 大罪はどう動いてる? まぁどう動いてようと指示は聞いてもらえないだろうけどさ」
(事前に座標だけ送られてきたけど、襲撃地点を先読み出来るって事は傲慢は何か理由があって襲ってる……過去ありきなのかな……? さてこの状況、どう動く、何が起きる……?)
現状大きく動くのは傲慢のみ、大罪組は息を潜め、世界中で悪魔の動きはまるで誘うように小さな波紋を残すばかりだ。
(尻尾を掴ませないようコソコソと……何を狙っているのか知らないが……傲慢を抑えれば向こうに手は……)
(けど気になる、地獄に堕ちたヘディルと見つからない色欲の魔本……もう随分時間が経ってるし肉体は失われている筈、なのに痕跡も魔本も見つからない……頭を潰されても大罪組の動きには迷いも動揺も見られなかった……全く、不気味過ぎるなぁ……かぁいい娘成分補給したい……)
頭を悩ませるルトだが、愛する仲間がこちらを不安そうな目で見ている。まだ仲間入りしたばかりの新入りに、不安を与える訳にはいかない。
「よぉし! 現地のみんなにラブコールと応援でも飛ばしますか! ついておいで新入りちゃん!」
「え!? あ、はい!」
(まずは目の前のイベント回収、傲慢くんは今回何を残すのか!)
「今頃セツナは、海の中かな? あたいも頑張るからセツナも頑張りな! ファイ・オー!」
一方その頃、切り札は大きなサメのおやつになろうとしていた。
「クォォォ!!」
「ぎぇえええええええええええええええええええええええっ!?」
(でかい! 怖い! 足付かない! 浮いてる! 待って沈む! 足動かして……落ちる沈む溺れる! なんかこうバタバタして、そうだ後ろ、後ろの洞窟に戻……グイグイ押される凄い水流だ戻れないだめだ助けやめあああああああああああああああああああっ!?)
走馬灯ブーストで思考がダメな方向に加速するセツナだが、クリスタルシャークはお構いなしに魔力を高める。低音が響き、クリスタルシャークの周囲に氷の結晶が生み出される。
「待つんだ止めろ!! 私はそれはもうあっけなく死ぬぞ!?」
「クォオオオオオオオオオオッ!」
「嫌だー! 最近全く会話が成立しないー!」
無表情で泣き喚くセツナだが、命乞いなど通用するわけもない。飛来する氷塊に対し、ヤケクソ気味に剣を振るうしか残された道は無い。水の中故いつものように剣を振るえないが、それでも的が大きい為なんとか剣は氷に当てる事が出来た。魔法で出来た氷は、セツナの能力で煙のように消え失せてしまう。
「やった……生きてる……」
「…………ォ……?」
(もしやいけるかもしれない……大きさに惑わされるな切り札、落ち着いて状況を分析するんだ、冷静に頭を回すんだ、生き残る為に)
(氷の魔法を使うんだこいつは……私自身自分の能力について理解が浅いけど、当たれば無効化出来る、無効化、封印、一定時間仕様不可、色々あるが使い分けとか実際出来ない、でも、当たれば、なんとかなる!)
(なんかこう、ぐわっと思いきり撃てば広範囲、一気に無効化ー! って出来るけど……四天王だって無力化出来ちゃうけど、それを今やると今どこにいるか分からない仲間にも当てる可能性がある……上で多分戦闘中、だからそれやると駄目切り札な気がする!)
ジパングで初めてクロノ達を助けた時がそれだが、あれは雪奈にやれと言われたからぶっ放したのだ。アズが事前に範囲から離れていたから有効だっただけで、全力で放つと味方まで危険に晒す事になる。それに今回の相手は巨大なサメであり、脅しやはったりが通用する相手じゃない。仮に魔法を封じても、普通に噛み付きなどの物理攻撃に移行されてしまうだけだ。まともに泳いで移動できないセツナは、美味しく頂かれる事になる。
(つまり相手の魔法を封じると、逆に即ゲームオーバーなのだ!)
(ここは無理せず飛んできた氷を消し去りながら時間を稼ぎ……誰か来てくれるのを待つのが得策だ……幸い氷の速度はそんなに早くない……クロノの精霊達に鍛え上げられたから割と余裕で当てれるぞ)
「さぁこいでっかいサメ! 何発でも撃ってくるが良いぞ! この切り札には通用しないがな!?」
「クオオオオ!」
クリスタルシャークは天を仰ぎ絶叫する、当然だが無力を嘆いているわけではない。全身を氷で覆い、氷の棘だらけな鎧を身に纏ったのだ。言葉は全く通じないが、セツナには『今から体当たりするからな』と死神の通訳が伝わった。
「通用する攻撃は止めないか!? やめろ今の切り札の回避性能は0なんだぞ!」
「クオオオオオオオオオ!」
(だめだぁ剣を当てても氷が消えるだけで体当たりは止まらないー止まるのは私の息の根だぁー)
「うわああああああああああああああああああっ! 待ってくれ平和的に解決しようよー!!」
勿論クリスタルシャークは1秒すら待ちはしない。ロクに動けないセツナ目掛け勢いよく突っ込んでくるが、何かが矢のように飛び込みセツナの腕を引いた。その速度はクリスタルシャークを完全に上回り、目標を見失ったクリスタルシャークはその勢いのまま壁に激突した。
「ピェ……」
「間に合ったぁ! ひー……よかったぁ……」
「マリアーナァ!!」
「僕の目で洞窟から放り出されたのが見えたからさ! 上から全力で泳いできたんだよ!」
「いやぁ……切り札さん危なかったねぇ……」
「私にはお前が天使に見えるぞ!!」
「えへへ、ならあの二人はヴァルキリーかな!?」
マリアーナに遅れて、ティアラとロスが上から泳いできた。水流と影の魔法がクリスタルシャークに叩き込まれ、注意が向こうに向いたようだ。
「※必死の形相で魔法を放ち、凄まじい目をクリスタルシャークと『セツナの手を引いているマリアーナ』に向けている」
(……サメより……隣の犬が、怖い……)
「グオオオ!」
一瞬ティアラ達の方を睨むクリスタルシャークだったが、何故かすぐにセツナ達の方に向き直ってきた。
「ぎゃああ、なんだなんでこっちを……!」
「……お姉ちゃん達が言ってた、クリスタルシャークは……一番仕留めやすい奴から狙ってくるって」
「前もそうだったんだ、気を失った僕を執拗に狙ってきたって……」
(ティアラは強い、ロスも強い、子供のマリアーナと、足手まとい切り札の私……なるほど?)
「ふむ、つまりあいつは私達を狙ってくるわけだな! 逃げろおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「勿論全力で逃げるよぉ!! 僕戦えないもんっ!」
ティアラ達の攻撃を受けながらも、クリスタルシャークは氷をこちらに向け飛ばしてくる。マリアーナはセツナを抱え、猛スピードで氷をかわしながら泳ぎ出す。
「ひぃぃ……でも凄いぞマリアーナ! 一発も当たらない!」
「僕探し物が見えるんだ! 逃げ道を探すと、道が見えるから、その通りに泳いでる!」
「け、ど……! 切り札さん抱えてるし、あっちこっちの洞窟から水の流れが噴き出てて……この渓谷すっごく泳ぎにくいよぉ!!」
「上の方では悪魔さんがシーサーペントの相手してるんだけど、そっちもそっちできりがないんだよ! きっとまだまだ潜んでる! この状況も長く続かないよ! 僕そんなに長く全力で泳げない!」
ここでようやく気が付いた、自分を抱えるマリアーナの腕が震えている。当たり前だ、怖いに決まっているのだ。後ろを見ると、クリスタルシャークが追いかけてきている。あんな馬鹿でかいサメに追い回されて、怖くない筈がない。なのに、マリアーナは自分を助けに来た。
(…………馬鹿か、私は)
必死にクリスタルシャークの動きを止めようと魔法を撃っているが、ティアラとロスは完全に無視されている。時折周囲を氷塊で薙ぎ払ったり、広範囲を凍り付かせて足止めを喰らっているようだ。ウンディーネのティアラは兎も角、ロスは水中が得意な種族というわけでもない、クリスタルシャークの動きに食らい付き、尚且つ動きを抑制するのは中々に至難だ。
(何してる、何が切り札だ、守られてるだけか)
(何かしたいって、何か返したいって、また口だけか)
(動け、動けよ、今動かないで何が切り札だ)
クロノと出会い、一緒に行動し、経験を忘れないで明日を迎えられるようになった。今まで忘れた事に対して罪悪感を抱き、無力を嘆き、役立たずの切り札として自己嫌悪を続けていた。忘れないようになって、記憶の重さと罪悪感の引継ぎが自分の首を絞めた。それでも折れないように、悔しさを忘れないように、全部背負って変わると決意した。頑張るって決めた、それでも怖さは想像を超えていて、ふと口を付いて出た言葉があったんだ。
『クロノは、怖い時どうするんだ?』
『私はまだ、助けたいとか助けるとか良く分からない……けどそう思った時、思えるようになった時、それでも怖いって気持ちが消えてるとは思えないんだ』
『ん? あー……俺も怖いとかあるけど……気にしてないかな』
『ん?』
『助けたいって思ったら、勝手に身体動いてるから……怖くても不安でも、もう動いちまってるから手遅れ手遅れ』
『後先考えないから精霊に後でめっちゃ怒られるんだ、怖いぞ……?』
『心外だな、君を想っての事なのに』
『クロノってばすーぐ無茶するんだからさぁ』
『いつか、本当に……死ぬ、よ……』
『ま、言っても無駄だろうけどな? 助ける理由が助けたいからだったりするわけだし』
『理屈じゃねぇんだろ、自分の心に正直なのはまぁ……悪くねぇ』
『クロノが悪いのは頭と女癖かな』
『アルディ君? 誤解を招く悪口はやめないか? セツナに悪影響が出るよ?』
『言うほど誤解を招くかなぁ? 真実じゃないー?』
『お前等さぁ!』
『…………怖いより先に、身体が……』
自分が目覚めさせると、誓った。絶対にやり切ると、貰った分を返して見せると決めたんだ。やると、やりたいと、心がそう叫んだんだ。自分は変わった、虚ろだった心はもう自分の意思をちゃんと持ってる。記憶は消えない、消えても思い出す、もう離さない、忘れるから、消えるからって言い訳はもうしない、出来ない。助ける意味だとか、助けたいだとか、細かな理由は用意するのも面倒くさい。そんな理由付けは、その瞬間にはいつだって置いてきぼりなんだ。不甲斐ない自分はもう嫌だ、守られてばかりで良いわけがない、震える手で自分を救い出したマリアーナから、ありったけの勇気をもらった。剣を握れ、出来る出来ないじゃない、ここで動かなきゃ自分は切り札じゃない。
「目覚めたお前に、胸を張って褒められたいんだ」
「ここで動かなきゃ、動けなきゃ、明日の私にすら……私は胸を張れないっ!!」
自分に出来る精一杯の自然体、セツナは練習で覚えた全てを駆使し、マリアーナの手から離れクリスタルシャークに向き直る。剣を握る手は震えているし、早速自分の身体は水底に沈み始めている。マリアーナが声を上げる前に、クリスタルシャークは無防備なセツナに向け氷を放ってきた。
「切り札さ……!」
(あぁ……走馬灯か……? 飛んでくる氷がキラキラ光ってる……)
(……いや、なんだ……水、影、色が違う……魔力か……? なんだこれ、何が見えて……)
(…………私は、これを…………知って、ル…………)
頭に激痛が走り、知らないけど知っている光景が頭の中を凄い勢いで駆け抜けた。そして、身体が動いた。自分は、動き方を覚えている。剣を振るというより、剣の軌道に引かれたような感覚だ。自分だけど、自分じゃない。覚えてないけど、覚えてる。セツナの髪が水流とは関係なく大きくなびき、色彩が泳ぐように髪の中で煌めいた。どうやったか分からないが、確かに感触は手に残っている。自分は氷を切り裂き、水を割き、クリスタルシャークの魔法と動きを縛り沈黙させた。既に動き方を忘れたセツナは、水中を逆さまになって漂っている。両手で剣を握り締めるセツナは、ただ茫然と自分の剣を見つめていた。
「私は……切り札…………起源故、自在…………ぐっ……頭、痛……」
「なんだ、これ……記憶か……? 夢、か……? …………何が、何処……に……」
頭痛の中に意識が溶けていく。セツナの元にマリアーナが泳いできているが、もはやその声すら届かない。意識も真実も、闇の中に落ちていった。




