第六百五十六話 『縋って、這いずって』
言葉をかける事すら、躊躇ってしまった。周りが黒く塗り潰され、音も消えた。空間は何かを映そうとしているのか、それとも今は止まっているのか、何もかも勝手に進行しているのでクロノには何も分からない。ただ、黒を見つめるマルスの背が、とても小さく見えた。
「……なぁ、俺は……」
「この先を見てもいいのかなんて、今更言うなよ」
「見る義務がある、大きさは違えど同じ夢を持つ君には……多分だけど」
「マルス……」
「分かり切ってるだろう? 僕達は失敗したんだ、大罪を背負わされ、尽くした相手に危険だと、害だと言われて封印された」
「終わった物語の過程を、こうして数百年経った今同じような愚者と振り返る……枯れもするさ」
「君は前に言ったよな、こうしている今は、確かな続きだって」
「最低の終わり、その延長線に僕は希望を信じて良いのか? もう一度って、縋って良いのか?」
「あの時だって、信じていたんだ、この先で笑っている自分達を、信じていたんだよ」
「あの日の僕の怒りは、そんな甘ったれた自分への怒りだったんだ」
「口だけの、理想ばっかりの、大馬鹿野郎への……ごはっ!?」
俯くマルスに自分がしてやれる事なんて、さっきまでの理不尽な暴力を倍返しするくらいだ。隙だらけな脇腹を狙い、クロノは回し蹴りを叩き込む。この空間に落ちて初めてのクリーンヒットである。
「おま、お前っ!?」
「知らないよ、先の事なんて……だから俺もお前も頑張るんだろ」
「少なくても、何もしないなら何にも起きない……良い事も悪い事も、起きないし起こせない」
「この先も見届けるよ、目を逸らさずに……何も無駄にしない、1秒も無駄にしない」
「なんかこの先すぐに始まらないっぽいし、殴り合おうぜ先輩」
「全部見て、全部受け止めて、起きたらまた二人で頑張ろう、皆で頑張ろう」
「同じように失敗するかもってビビってるならここでその性根ぶちのめしてやんよ、今度こそって前を向けるようにさ」
「それとも、大嫌いな俺に見せ場全部奪われて良いんですかね、大罪のリーダーさんよ」
「…………言うじゃないか……無茶して自分一人で目覚める事も出来てない癖に」
「その情けなさすら今回みたいな成長の兆しに変えるのが、諦めの悪い俺のクオリティだ」
「…………諦めの悪い、か……」
「やっぱり君は嫌いだよ、厄介が過ぎる……」
「俺の諦めの悪さには、運命だって折れちまうってもっぱらの噂だ」
「っていうか同族嫌悪か? 昔のお前も相当厄介そうだったけど? あの逃げても追って来る性格はローに似てる」
「……ははっ」
一瞬笑みを浮かべ、次の瞬間にはマルスの拳がクロノの顔面を捉えていた。遠慮の欠片も無い一撃が、クロノの身体を笑っちまう勢いで後方に殴り飛ばす。
「いってぇんだけどっっ!?」
「殴り合おうと誘ったのはそっちだぞ? 次が始まる前にこの暗い気分を発散させてもらう」
「修行じゃねぇなこれただの虐めだ……クソ……!」
(とはいえ、真正面から正攻法でいっても勝てないんだよ、今のところ……)
(色々と試す間にボコボコにされるだろうし、なんか気を引くような……そうだせめて情報を……)
構えを取り、マルスと打ち合い始めるクロノ。何もかも此方が劣っているらしく、すぐに押され始める。今クロノに出来る事は、マルスの動きに食らい付く事だけだ。せめて向こうの動きを鈍らせる為、唯一届く言葉で有利なピースを探し出す。
「今の内に聞いておきたいんだけど!!?」
「なに?」
(一切手が緩まない……!)
「残りの大罪、色欲さんの能力ってどんなの!?」
「それと、カルディナさんから聞いてるけど……傲慢の力についても……!」
「……昔は、そうでもなかったよ」
「僕の浄罪が飛び抜けていて、二人の能力はそこまでじゃなかった」
「けど色欲、ミライの力は……悪魔化してから防御面で言えば、反則級になった」
「そしてその逆、ツェンの能力は攻撃面で飛び抜けた……なんせあれは回避が不可能、確実に対象に当たる」
「だからこそ、僕やディッシュ……強力な攻撃と組み合わせることで文字通りの必殺になる」
「…………あいつは、誰かと組めば本当に強かったんだ……ツェンが一緒だったから、僕達は……」
語りながらも容赦のない連撃がクロノを打ち抜く。吹っ飛びながらも、クロノは脳裏に嫌な想像が浮かんでしまう。現在傲慢の悪魔は、元八柱を器にしている筈だ。強力な固有技能を持った器に、大罪の能力がプラスされている。どう考えても、脅威だ。
(カルディナさん……大丈夫なのかな……)
クロノが知る由もないが、大丈夫ではなかった。クロノ達がゲルトで死闘を繰り広げている頃、カルディナ一行はコリエンテ大陸で傲慢と再会していた。
そして、敗北し現在流魔水渦のアジト内で傷を癒していた。ベッドの上に寝かされているカルディナは呆然と天井を見上げ、自身の手を伸ばし、次の瞬間ベッドの上に叩きつける。
「クソ……クソォ……!! ちくしょう……!」
「何回やんだよそれ、治るもんも治んねぇぞ」
「……マスター……」
「……ごめん……」
任せてくれと、これは自分の因縁だと、カルディナは我儘と分かっていながら傲慢との勝負を望んだ。結果は大敗、勝負にすらならなかった。向こうの打撃も、光線も、何一つ回避出来なかった。肩と脇腹を抉られ、数秒も持たずに地面に伏した。流魔水渦の援軍が割って入り、向こうが再び肉体の支配権で争い、そのまま飛び去って行く形で戦いは終わったのだ。
(やっと能力も使えるようになったのに、新しい靴も作ってもらったのに……あたしがやんなきゃって、そう思ってたのに……この様だ……悔しい、悔しい……! 情けない情けない、情けない……!)
「そんな怖い顔してさぁ、僕がいくら優秀でも治せる限度があるんだよ気持ちの問題はチョコでも食べて切り替えなきゃさぁ」
チョコを食べながら、ナルーティナーが部屋に入ってきた。カルディナはハッとしたように身体を起こそうとするが、痛みでそれすら叶わない。
「いだっ!?」
「どうしてその傷で起きようとするかねぇ、まだ塞がってないんだよ?」
「お手数かけます……クロノ君だって、今大変だって聞いてるのに……!」
「あたし……こんな時に……!」
「クロノ君やルト様は、確かに傲慢を君に任せてもいいと言ってるけどさ、大罪達はその気はないんじゃない?」
「今さっき嫉妬ちゃんについてる子から連絡来たけど、勝算が無いなら手を引けってさ」
「彼女達にとって嘗ての仲間、君にわざわざ譲る義理は存在しないだろうしね」
「自分達でどうにかしたいって思う気持ちも、分かるでしょ? それに結構本気で心配してる節もあるよ? 傲慢の強さは彼女達が一番……」
「分かってます……! けど、傲慢の悪魔は兎も角……あの身体は、あの、器になってる男は……!」
「情けなくて、ウジウジしてて、勇者らしくなくて……怖がりで弱くてそんな器じゃないあたしでも……! 許せない相手なんです……あたしが、倒さないと、駄目なんですっ!!」
「うーん頑固……そのボロボロな身体を優秀な僕が治して、そもそも勝てそうなのかい?」
「……それは……」
「無理だな、カルディナが万全でオレとシズクが完璧でも、秒で死ぬ」
「リウナ……!」
「現実問題、即死級の攻撃が不可避で飛んでくるんだ」
「オレだって悔しいけど、現状打つ手はねぇ……今のまま挑んでも、死ぬだけだ」
「リウナちゃんの言う通りだヨ、マスター」
いつもは勝気なリウナですら、勝機は無いと語る。向こうの攻撃を防ぐ術がない以上、それは当然と言えた。
「避けられないけど、そうだよ! メランさんは防いでた! 身体に攻撃が当たった瞬間弾いて……」
「打撃は兎も角、光線もか?」
「それにオレは兎も角……お前やシズクがそれを出来るのか?」
「……無理です」
「……オレだって自分一人その防御が出来るかどうかだ、お前達を庇う余裕なんざねぇ」
「あっちはそんな攻撃を連射出来るんだ、手に負えねぇよ……」
「……オレが、もっと強けりゃ……」
部屋の隅で丸まっているリウナは、自らの爪を手に食い込ませていた。いつもより冷静なように見えて、悔しさで暴れたいのはリウナだって同じなのだ。だが、どうにもならない力の差を肌で感じているのだろう、獣の勘は誤魔化しが利かないのだ。
「……ッ!」
「なんや辛気臭いなぁ、カビ生えてまうやんこんなん、あかんよ凍って永久保存版のカビになってまう」
そんな彼らの元に、冷たい風が舞い込んだ。青い顔をした雪奈が半身を凍らせながら転がり込んできたのだ。
「おや、雪奈ちゃん? チョコ食べる?」
「いると思う? 食える思う?」
「お前、確か大会の雪女……」
「話は勝手に聞かせてもろたで、報告もお嬢から聞いとる」
「部外者のうちがいきなりこんな事言うてもムカッと来るやろうけど、このまま再戦しても自殺やでそれ」
「……そんな事、分かって……」
「分かってへんから言うとるんじゃボケ、頭冷やす氷ならなんぼでも出せるで」
「上手く出来ん、力が足りん、それは凄く悔しい、辛い……けどな、それで自棄になってどないすんねん」
「悔しくても飲み込んで、あんたの事心配してるその子達はどうなんねん、前だけじゃなくて周りもちゃんと見んと、大事なもん見失ってどないすんねん」
「…………あたし…………」
「おやおやぁ? 雪奈ちゃんにしては熱くなってるねぇ」
「お嬢も人が悪いわ、放っておけん子あてがってくんねん」
「繋いだ縁は繋ぎ紡いで強くなる、うちらの役目は縁を仰山繋ぐ事……凍えとる場合ちゃうんよ」
「勇者・カルディナ! お嬢が任せる言うたんや! うちらは全力でサポートする! 大罪達が譲る気がないっちゅーなら、大罪より早く傲慢を討つしかない!」
「せやけど、このまま挑んでも負けは見えとる、焦りは禁物や……あんた等には最速で、今より強なってもらうっきゃない」
「んな都合の良い話あるかよ、言いたくねぇけどあいつは化け物なんだ」
「せやな、真っ当な方法じゃ無理や」
「けどな、相手の能力が分かってて、朧げにでも対策があるのなら……そこに絞れば勝機はあるんよ」
「そこに絞って伸ばせば、勝ち目はあるんや……なんせあんた等は、一人やないんよ」
「特にうちには、最近出来た心強い友達がおるんや!」
雪奈は懐から、黒い鍵を取り出した。それを虚空にかざし、ゲートを作り出す。
「最強の獣人種の力を、研ぎ澄まされた心の力を! 学び鍛えるっちゅーなら! 世界で一番適しとる筈や!」
「伸るか反るかは己で決めい! うちが凍り付く前に! 早く!」
「話してる間もずっと凍り続けてるもんねぇ」
「せめて暖房付けるとかして?」
目の前で氷の塊になろうとしている雪奈だったが、カルディナはそんな氷塊に手を伸ばした。傷は痛むが、そんなの気にしていられない。一人じゃどうにもならない、出来ないんだ。だから、助けてもらうんだ。少しでも可能性があるのなら、縋って、這いずって、絶対にやり切るんだ。
「やります、行きますっ!!」
「……ええ度胸やな、あと、手離した方が……」
「え? きゃああああああああああっ!?」
カルディナの腕が凍り付き、室内が軽くパニックになる。ドタバタ騒ぎの中、作られたゲートの向こう側では小さな狐が空中のゲートを見つめていた。
「んー? 九曜ー、お客さんー?」
最強の獣の血を引いた子狐の下、傲慢を穿つ修行が始まる。




