第六百五十二話 『淀み水、纏いて』
「とんでもない目に遭ったぞ……今のところ仲間にダメージしか与えられていない」
「どうも力加減がバグってしまうな、まぁ大した事はないからそう怒るな」
「……優しさも……与えてる……」
「大した事しか起きてないし、どの口が言うんだ……私はさっき水球の中で洗濯されたんだぞ」
「……どうせこの後も、沢山、濡れる……」
「嫌な未来を予言しないでくれ」
どうにかティアラの理不尽アタックから脱出したセツナは、タオルで頭を拭きながら先行するドゥムディを追いかける。同行者の心当たりがあると言っていたが、まずこのアジトでは出会うまでが大変だ。
「道はグニャグニャ、奇妙な場所だなここは」
「だが真に望めば、目的地までの道は勝手に現れる……ならば欲に長けたおれ達は迷うことなく辿り着けるはずだ!」
「まぁ……私もなんだかんだ行きたいところに行けなかったこと無いけど……毎回過程は違うかな」
「同行する大罪は一名、今回はおれが一緒……それに加えて絵札一名、他に二名だったな」
「うん、ルトの決めた事は守るのが切り札なんだ」
「今回の目的地は海底洞窟、当然だが水中だ」
「さっき人魚達がマルスの器の名を呼んでいたのを見かけてな、ゲルトにも居た奴等だ」
「あの目は仲間の目だった、奴等に協力を頼もうと思ってな」
「あ、クロノの友達だな」
「きっと協力してくれるぞ! じゃあ後は絵札だな」
(ケールが別れ際、次の同行じゃんけんをしてくるって言ってたけど……その辺どうなってるんだろ)
ケール達ケルベロスは地獄を見張っている筈だ、こちらから連絡を取る術がない。無表情のまま唸るセツナだったが、彼女の影が不意にぐにゃりと形を変える。切り札は反応どころか一切気づかず、己の影から飛び出してきた毛玉タックルの直撃を喰らった。
「おぅふぇっ!」
「わ、セツナ……飛んでった」
「ふむ、中々危なっかしい奴だな」
「反応が淡泊なんだよ! 仲間ならもう少し心配しろっ!!」
「って、あれ? ロスか?」
影から飛び出してきたのは、ケルベロスの一体であるロスだった。ケールと違い、短めの黒髪に小さな犬耳、子犬のような印象を持つ子だった。
「今回はお前が付いてきてくれるのか、迷う心配はないな!」
「※笑顔で頷いている」
「……ん……信頼、心の波紋……仲が良いのが、良く分かる……」
「ロスとは一番の友達なんだぞ! 良く遊ぶし一緒に寝たりするんだ、多分絵札で一番最初に忘れなくなったのはロスだと思う」
「ロスはケルベロスの中で一番魔法が上手くて、ケールやルベロと違って道に迷わないんだ!」
「前者がおかしいんじゃないか?」
「わかんないけど、あの二人は良く迷うんだ……」
「※セツナの腕の中で丸くなっている」
「まぁなんにせよ、同行してくれるなら仲間だな」
「俺は強欲のドゥムディ、よろしく頼む」
手を差し出すドゥムディだが、ロスは頷くだけで握手には応じない。それどころか、一言すら返さないでセツナの胸に顔をうずめた。
「ロスは滅多に喋らないんだ、悪気があるわけじゃないぞ」
「通訳の二人もいないから、ここは切り札が通訳するしかないな……」
「いや私も何考えてる分かんないがっ!?」
「……大体は、心の音で分かる……敵意は、感じ、ない……」
「大罪のおれに対して敵意がないなら、まぁ問題はあるまいよ!」
「本当に悪気があるんじゃないんだ、ロスはケールやルベロの分も魔力を請け負ってるんだ」
「ロスの言葉は詠唱に等しいんだってケールが言ってた、本人にその気が無くても、発した言葉が魔法になる可能性があるんだって、だから普段は喋らないようにしてるんだって」
「ケール達は先代ケルベロスより三位分体がへたっぴで、力のバランスが悪いんだって言ってた」
「ロスは魔力を、ルベロは身体能力を多く請け負ってるんだ、ケールにはケルベロス本来の力の器だけ残ったらしいぞ」
「戦闘能力は一番低いけど、ケールが一番人に近いのは心の形が一番人に近いからだって前に言ってたな」
「結構、ちゃんと……覚えてるんだ、ね」
「絵札で一番私と距離が近いのはロス達だからな、何度も忘れたけど、もう忘れないくらいに一緒に居たんだ」
「何度忘れても傍に居てくれた、大事な友達なんだ、優しいんだ」
ロスを背後から抱きしめるセツナ、ロスは笑顔で受け止め、何故か踏み込みセツナを押し返す。油断していたセツナは、足を滑らせ近くの壁に頭を打ち付けた。
「ぐはぁっ!? ま、またドジ……を……」
悶絶するセツナにすり寄り、ロスはセツナの頭を撫でる。その顔は心配しているというより、何処か楽し気だ。
(……心が、弾んでる……楽しんでる……ゾクゾク、してる……)
(……親愛、慈愛、興奮…………この子、変態だ……)
「うぅ……ロスは優しいな……」
「※笑っている」
(フェル兄……やっぱりここ、変な子、多いよ)
「お? いつの間にか広間に通じているな!」
「役者が揃いつつあるようだぞ、切り札よ」
「ん?」
いつの間にか通路が広間に繋がっていた。ここからでも、広間の中心が見える。そこでは、アクアとシーが言い争っていた。
「この忙しい時に我儘はよしてよね、兄さま一人で行かせるわけにいかないでしょう」
「承知の上でお願いしているのです! 私も何か……」
「あんたの友達だって、国に戻って出来る事からコツコツ頑張るって言ってたじゃない!」
「あれもこれもって言えるほど、あたし達は優れてないの、立場もある……いい加減聞き分けなさい」
「…………兄さま一人に、背負わせるわけにはいかないじゃない」
「誤魔化しなんて利かない、いつかは伝えなきゃいけない事なのよ」
「……お姉ちゃん」
「……ッ」
「お取込み中か?」
「どうしたんだ怖い顔して」
セツナの問いに、アクア達はバツが悪そうな顔をする。俯くシーに代わり、アクアが口を開いた。
「兄さまに、海王様から招集がかかったのよ」
「十中八九ネーレウス様の事でね、兄さまは全てを伝えるつもりだわ」
「一人で行かせるわけにいかないからあたし達も一緒にって言ってるのに……この子はまだここで役に立ちたいってごねてるのよ」
「だって……私達はまだ、大して……」
「兄さまだけじゃない、あたし達にも立場があるの、何度言わせるのよ」
「直接な関係もない、罪も無ければ、ネーレウス様の勝手な行動の結果かもしれない、それでも仕えた主の死よ? 軽い問題じゃない」
「立ち会うのは、当然でしょう」
「……ネーレウス様が紡いだ、命を賭して紡いだクロノ君が意識不明……ここで離脱なんて、あの世でネーレウス様に怒られてしまいます」
「ネーレウス様の事を想ってなら、尚更己のやるべき事を済ませてからよ」
「主と従者なんて、小綺麗で整った関係じゃなかった、軽口叩き合うような仲だった、そんな緩い感じで済む話じゃない」
「今更主の為とのたまう資格、今のあたし達にはないの、ちゃんと向き合わないとね」
「いつもの調子で済ませたりしないわよ、シー、わきまえなさい」
「あたし達の兄さまは海王に仕えし存在で、あたし達はその妹なの……通すべき筋はある、起きた事実から逃げるわけにはいかない」
「兄さま一人に、背負わせない」
「ネーレウス様が大切に想っていたあの人間に恩があるのは、あたし達全員同じよ」
「けど恩に報いる前に、果たすべき事があるの……責任があるのよ、距離開けておいて、今更感はあるけどね」
「責任……」
その言葉に、セツナは自然と俯いていた。その言葉の重みは、痛いほど知っている。それに応える事がどれだけ難しいのか、自分という存在にどれ程食い込むのか、最近は特に思い知っている。
「シー、今回は譲れないからね」
「マリアーナだって聞き分けたの、貴女もいい加減に……」
「ちょっと割り込むが、お前達は海王と繋がりがあるんだな?」
「そしてそっちのお嬢さんは、マルスの器……クロノだったか、あの少年を助けたいと、力になりたいと?」
「……だったらなんですか」
「渡りに船だな……なにやら複雑なお話だが、乗らない手はない」
「海域を任されし海王の情報網ならば、珊瑚のある洞窟の場所も割れるだろう……」
「一石二鳥な話があるんだ、協力してくれないか?」
グイグイと話を進めるドゥムディだが、ティアラは最後方でふよふよしながら珍しく思考速度を速めていた。
海王の娘であり、お姫様だったネーレウスがクロノを守る為に死んでしまった。
クロノが意識不明、助ける為のアイテムを集めている。
今から海王の元へ出向く。
直接ではないが姫の死ぬ原因となった人間を助ける為、アイテムの聞き込みだ!
(…………嫌な、予感……波紋、おっきい……)
ティアラの顔色が悪くなるが、この場に舵取りが上手い奴が居ない。話の進行速度についていけず、その内ティアラは思考を放棄した。
この先の海は、荒れるかもしれない。




