第六百四十七話 『憧れと現実と』
「助けて―ーーーーー………………っ!」
「ん? 今叫び声聞こえなかったか?」
前方から襲い掛かってくる中身無しの鎧を殴り飛ばし、ラックはそのまますぐに身体を起こす。後方から飛んできた皿を後頭部で叩き割りながら、彼方から聞こえる叫び声に反応した。
「仮にも競い合いという名の闘争中、他を想う気心は立派だが甘さにならぬ程度にな」
その背後には逆さまの状態でレフィアンが浮かんでいた。彼女はラックを気にかけながらも、指先で魔術を操り飛んでくる食器類を捌いていた。
「そうか、勝負だもんな! 一番倒した奴が勝ち!」
「その通り、見たところ無機物に下級の霊が宿った低級の敵ばかり……我等の中でこの程度の相手に苦戦する奴は居ないだろうさ」
「でも良いのか? りゅーまなんとかって魔物と仲良くするんだろ?」
「もはやこ奴等に意識はない、誘われ、負の意思のままに物に憑依し留まってしまっているのだ」
「殻を破壊し、再び導きの路に戻してやるのだ、ちゃんと成仏させてやるのが救いなのだよ我が友よ」
「つまり助けるって事だな! うおりゃああああああああっ!!」
元気よくポルターガイストに立ち向かうラック、迷いを感じさせない真っ直ぐな姿を見て、レフィアンは呆れたように笑う。
(それに比べて……全く困ったモノだ)
「ところでなんでレフィアンは俺について来てんだ? 俺はこんな奴等に負けないぞ? 心配ないぞ?」
「安心しろ、心配なんて最初からしていない」
「俺よりラサーシャの方についてやれよ、あっちも心配ないと思うけど、やっぱ今のラサーシャフラフラしてんぞ」
「一人で考える時間というのも、大切なのだよ」
「いつかお前にも分かる日が来る、闇に沈まねば見えぬものがあると……己と向き合う事は、理想を追うにあたって避けては通れぬ」
「ふーん? 自分と向き合う……鏡とかあげたら喜ぶかな?」
「…………お前はそのままで良い、我等が出会ったのは神の配慮かもしれんな」
呆れる程純粋で、心の裏まで見えるくらい透き通ったラック。悩みや迷いとは無縁のような存在は、ある意味で対極だった。だからこそ、自分含め影響を受けるのだと思う。少なくても、ラサーシャの迷いはラックの存在で加速しているのは明らかだった。
(絡まるのも、解けるのも、この関係性の先に鍵はあるのかもしれんな)
(全く、我を動かしたのは誰の言葉だと……割り切ってしまえば楽だというに)
「なんか言ったか? レフィアンの言葉は難しいぞ」
「んん? あぁ……つまりラサーシャは放っておいても脅威にはならん、迷いを抱えたままでは我の殲滅力には及ばぬ」
「後はお前の獲物を横取りし続ければ、我の絶対的勝利は揺るがないというわけだ」
「お前さっきから援護してたんじゃなくて獲物を横取りしてたのかっ!!?」
「今更気づくとは愚かな! 既に討伐数は我が三倍はリードしているぞ!!」
「なんだってっ!? 俺の三倍って事は…………」
「うわああああああああああああああああああ何体倒したか数えてなかったああああああああああああああっ!!」
「ふははははっ! 数字と踊っていろ脳筋野生児! 我は勝負にはいつでも全力なのだ!」
「うおおおお! 敵を魔法で薙ぎ倒しながら遠ざかっていく!? 稼ぐだけ稼いでどっか行くつもりか!?」
「こうなったら俺もレフィアンの獲物を片っ端から奪い取るしかない! 一体も倒させないようにすれば多分勝てる!」
「いや、レフィアンを倒せば勝てる!!」
「いや待てそれはおかし、あっぶねぇっ!!」
破滅的な作戦を思いついたラックは、一気に加速しレフィアンに襲い掛かる。ギリギリで飛び蹴りを回避するレフィアンだったが、追ってきたラックは目を輝かせていた。
「考えてみれば、ラサーシャとレフィアンは戦った事あるけど、俺だけ仲間外れだよな」
「飛んでくる皿や中身のない鎧と戦ってもつまんない、レフィアンは強いからワクワクする……!」
「ふははっ! 中身が無いのはお前の頭だろう……!」
「戦闘狂のきらいがあるな、目的を忘れたか? 友の為に動いている最中だろうに」
「クロノは助ける! 勝負にも勝つ、レフィアンとも戦う!」
「やりたい事、俺は全部やるんだ! この旅で俺はもっとでっかくなるんだ!」
獣のように壁を蹴りつけ、ラックが一気に距離を詰めてくる。闇の魔力を手に集め、レフィアンはラックの蹴りを左手一本で受け止めた。
「嫌な奴との戦いはドロドロしてて、胸がイガイガして楽しくねぇ」
「けど、友達との腕試しはワクワクする、勝負も全力で、気持ちが加速する、凄い速度で流れていく」
「止められないくらいのワクワクだ、身を任せれば何処までも行けそうだ、付き合えよレフィアンッ!!」
勢いは止まらず、レフィアンとラックは攻防を続けながら廊下を滑っていく。道中すれ違った敵は全て、レフィアンの魔法とラックの拳が飲み込んだ。
「欲深いな、お前は」
「本当に、何処までも真っ直ぐな奴よ……カクリヨに染まった我が言うんだ、相当だぞ」
「勝負事には全力、そう言い切ってしまったからな……トップは譲らん」
「お前がその気なら、適度にぶちのめし……完膚なきまで打ちのめしてやろうっ!」
「勝つのは俺だあああああああああああああああああああああああああっ!!」
闇魔法と拳が激突し、半壊している城の一部が爆散した。煙を突き抜け突っ込んできたラックに対し、レフィアンは真正面から魔術を放つ。空中で身体を捻り、闇魔法を回避しながらラックは拳を握り締める。彼の来ている服、そこに刻まれている勇者の数字、そこに傷が入るのをレフィアンは見逃さなかった。
(本格的に、おいていかれるぞ?)
(せめて顔を上げろ、じゃないと後悔することになるぞ、ラサーシャ)
友人二人が暴れている頃、ラサーシャは襲い掛かってきた敵を薙ぎ払い、槍を地面に付いて一息ついていた。
「なんでしょうこの揺れは……何故だかとても嫌な予感がします……」
「ダンジョン内でバラバラになって、討伐数を競うだなんて……緊張感が足りていない気が……そもそも流魔水渦の方針と……いや、最終的な目的が魂の解放、成仏ならこれは……ですが勇者としては……」
「救い、なら……勇者として……でも、魔物……魔物……」
ラサーシャは自分の足元に視線を落とす。今は人間化しているが、ラサーシャは元々蛇人種、自分の下半身は本来なら蛇の姿だ。そう、自分は勇者だが、魔物でもある。選別に臨んだ時から迷いは断ち切った筈なのに、まるで呪いのように事実が自分を縛り付けてくる。見ないようにしても、振り切ろうとしても、消せない現実が自分の前に立ち塞がる。
「憧れたから……仕方ない、かぁ……」
そう、仕方が無かった。目を閉じれば思い出す、砂に塗れた幼少期の思い出。暗い地下世界、砂が降り続け国は常に埋まるか埋まらないかの大混乱、娯楽なんてラサーシャの小さい頃は殆ど触れられなかった。大人はみんなワタワタしていて、子供達は天井の塞ぎ方を教わる毎日、国のトップはぱっと見ただのでかい石、夢も希望も無い最低な毎日。そんな地獄みたいな日々の中、たまたま地上で積み荷を積んだ馬車が流砂に飲まれた。荷物がそのまま降り注いできて、その中に紛れていた一冊の本がラサーシャの価値観を粉砕した。子供向けの、良くある勇者の物語。困った人々を救う、典型的な正義の味方。何千回読んだだろう、こうなりたい、こう在りたい、その一心で力を磨いた。魔法を頑張ったのは天井を塞ぐ為じゃない、槍術を選んだのは絵本の中の勇者の獲物だったからだ。先の見えない蛇のまま一生を終えるくらいならと、後先考えず国から飛び出した。人間化で正体を隠し、人の国で暮らした。本屋で目を輝かせ、子供向けの絵本を立ち読みした。困っている人を救い、国を守り、勇者はいつだってキラキラしていた。そして、魔物はいつだって本の中で悪者だった。悪い事をして、誰かを困らせ、奪い傷つけ、最後には勇者に退治される。憧れと真逆で、それが生まれながらの自分の立場で、自覚する度に絶望して、それでも諦められなかった。
本当は勇者選別の日、怖くて堪らなかったんだ。正体を隠しながら、後ろめたさを抱えながら、自分はあの場にいた。胸を張って試験を受けられなかった、証を賜る自信が、欠片も無かったんだ。自分のスタートは、証の価値も分からず、世間知らずでアホでスッカラカンの変な奴と同時に切った。勇者への憧れなら比較にならない、恋焦がれた年月が違う、心構えなんて比べるまでもない。
それなのに、その筈なのに、勇者として一度として勝てた事が無い。ここ一番の大事な時、決断や判断や心構え、何もかも劣ってしまう。自分は何冊も、何回も、勇者の物語を読んできた。あのアホが、何度も何度も重なるのだ。自分の理想と、迷いなく誰かの為に動くあの姿勢が、憧れた姿に重なるのだ。それと比較して、自分の未熟さが浮き彫りになるのだ。
(私は憧れた、国も種族も何もかも捨てて……憧れた姿を目指した、自分の理想を目指した……)
(……国や種族を捨てて、自分の為に生きて……それが正義? 捨てきれてない、自分の生き方を仕方ないって、甘やかして見ないフリをして……神様が証をくれたからって、それを免罪符にして……正体を偽って……胸を張れない、情けない生き方……)
(勇者なら、勇者だから、一言目にはそれが付いて回って、理想と現実を擦り合わせるだけで、すぐ動けなくて……そもそも外に出てから、勇者になってからは知らない事ばかり……)
(魔物でも勇者になれた、敵か味方か、正義か悪か、基準なんて絵本の中とは違う事ばっかりで、共存、退治屋、悪魔、何が正しいのか、何を守るべきなのか、エゴがずっと答えを隠してて、結局ラックの行動に便乗するだけ、私は今まで、何かを自分で選んで納得出来る答えを出せたの……?)
(分からない……分からない……分からない……今だって、人助けの為に幽霊を倒して……成仏の助けをして……? これは、私の意思? 勇者ならどうするのが……)
「憧れたのよ……憧れなの……ずっと、ずっと……夢だったの……」
「どうすれば……あのキラキラに、届くのかな……」
ラサーシャはまだ、ただの一度も迷いなく動けた事が無い。己の真を、貫けていない。自分の未熟さを痛感しているからこそ、尚更分からないのだ。この手の中の槍が、どうして自分を選んだのか。
「…………滅神槍……どうして、私なの……?」
「貴方の声が、もう聞こえない……証も割れず、神様の声なんて全然聞こえない……」
「貴方がこの手に収まったおかげで、証を刻んだ槍は今私の手の中にない……まるでどっちか選べって言われたみたい……私に勇者の証は似合わないって事?」
「…………滑稽ね、答えなんて返ってくるわけないのに……自分で探すしかないって、ラックに言われたのに……」
「噛み締める程、考える程……向き合う程、情けなくて……理想と遠くて、悔しいよ……」
「……なんで、こんな無様な私を……選んだのよ……」
槍は沈黙している、ラサーシャの声には応えない。八戒神器の一つである槍は、確かにラサーシャを使い手に選んだ。その意図は、誰にも分からないままなのだ。迷う度、壁に跳ね返される度、ラックやレフィアンの言葉でラサーシャは前に進んできた。自分一人じゃ折れていた、声に反発するように無理やり踏み出し、ギリギリで前に倒れ込むように進んできたに過ぎない。それじゃいつか限界が来る、それじゃ自分の道とは口が裂けても言えない。どう在るか、その形を見つけなきゃ永遠に胸を張って生きられない。このままでは、ラサーシャは憧れに壊される。憧れが呪いに代わり、潰されてしまう。
「……泣き言漏らしてる場合じゃないよね……とにかく今は動かなきゃ……」
「っていうか!! ドカンドカンと煩いです! 明らかに異常でしょう何の音ですかこれは!」
自分の友人二人が潰し合っている音だとは、ラサーシャは夢にも思わない。城を揺るがす轟音に痺れを切らし、ラサーシャは部屋から飛び出した。音の原因を突き止め成敗するつもりだったのだが、部屋から出てすぐに強敵の気配を察知し、足を止める。廊下の先から、先ほど蹴散らした雑魚とは比べ物にならない圧を感じる。
(…………近くに来るまで気配を殆ど感じられなかった……足音も殆どしない、かなりの使い手と見ました……明らかに意識のない下級霊ではない、意思を感じる……)
「……よくも……」
(……! 声……それも怒気を孕んでいる……怨霊の類か……!)
「……私一人ですか……いえ、ここで引いてはそれこそ勇者ではないですね……!」
ここはダンジョン、強敵ともなれば相当だろう。だが、引く選択肢は最初からない。ラサーシャは態勢を低くし、槍を構え相手の出方を伺う。崩れた壁から光が差し込み、暗闇の中の敵影を照らし出す。
「よくも滅茶苦茶してくれましたねーーっ! ここの治安はサクマ殿から私が任されてるんですよーーーっ!!」
首のない鎧が、剣をぶんぶんしながら現れた。見覚えのある魔物に対し、ラサーシャは肩の力が抜けてしまう。
「……確か、大会で……」
「あれ? 貴女大会で……」
「きゃああああああああああああああああっ!?」
「ぎゃん!?」
生首がいきなり目の前に落ちてきた。ラサーシャは悲鳴を上げ、反射的に槍を振り下ろし生首を叩き落す。爆音が辺りを揺らし、複数の悲鳴がこだまする。ここまで騒げば、流石に目を付けられるというものだ。森の奥から、大物がゆっくりと這い出てきた。気配に気づいたのはフェルドのみ、絵札と大罪は迷子の最中、アホ二人は潰し合い、蛇と首はお互い大混乱、そして切り札は食器に負けかけている。
緊張感が皆無の中、ボス戦が始まろうとしていた。




