第六百三十五話 『ただ、上だけを見て』
加速する二つの星が、ゲルト上空で激突を繰り返す。片や笑顔で、片や焦りを感じさせる表情で、勢いを増し、想いと拳をぶつけ合う。
「楽しいなぁクロノ・シェバルツッ!!」
「全然全く、楽しむ時間とかないんだけどっ!?」
「おいおい萎えるなやめてくれよ、またお前は他に気を向ける」
「俺達を見ろ、俺に集中しろ、どうせ下は敵も味方も全部滅ぶ」
「はぁっ!?」
打ち合いながら言葉を交わすクロノと災岳、互いの攻撃がぶつかり、衝撃で双方後ろに弾ける。開いた距離を埋める前に、災岳の言葉にクロノが動揺した。
「勝敗も何もあったもんじゃない、歪んだ欲は全てを巻き込み台無しにする」
「退路が無い以上、狂いに狂って最悪を選び取る…………付き合いこそ短いがそんな悪魔ばっかりだここは」
「下で最も狂ったあの怪物はブレーキの存在しない暴走者、止めるどころかアクセルぶち壊す悪魔しか下にはいない、特にここを任されたリーダー殿は敗北を決して認めないだろう」
「お前達には驚かされた、まさかここまでの逆転劇を見せてくれるとは、感心感心だ」
「だがお前達が悪魔を追い詰めれば追い詰める程、最低な結末に近づくんだよ」
「欲のままに、好き勝手自分の事しか考えずに生きてる俺には分かる、この戦いの果ては双方の全滅さ」
「国は滅ぶ、止まる事のない破壊は全てを薙ぎ倒しても止まらん」
「だから俺はお前の前に居るんだ、お前だけは誰にも譲らん」
「…………お前の考えは良く分かった、忠告も賞賛もありがたく受け取るよ」
「けど何度だって、何を言われたって俺の言葉は変わらないぞ」
「ん?」
「勝つのは俺達だ、最低な結末を変える為に俺達はここに居る」
「最高の結末が俺の欲だ、どんな破壊にだって壊せない、壊させない」
「俺に苦戦しているようじゃ、止められるわけがないが? 変えられるとは思えないが?」
錫杖を構え直し、災岳は呆れたように息を付く。精霊使いとしての練度は向こうが上、劣っている点が幾つも目立つし、消耗も激しい。正直、この戦いは非常に分が悪い。だけど、そんなの諦める理由にはならない。
「俺の夢は、この先にあるから……苦戦も困難も諦めの理由にはならないね」
「…………なるほど、本当に珍しい」
「お前ほどのご馳走、中々お目にはかかれないな……やはりお前は誰にも譲れん、俺の獲物だ」
「だからこそ、惜しい惜しいなぁ……!」
頭を抱える災岳だが、これ以上付き合っている時間は無い。クロノは拳を握り、動きを止めている災岳に飛び掛かる。一方その頃、地上ではスピネルが悪魔と交戦していた。
「ガキ共! こいつを殺し……」
「あぁ駄目ですよ、正気かどうかわかりませんけど……そいつらって報酬がないと基本動きません」
「自分の意思が薄いし、話していても何一つ面白くない奴等ばっかりです」
「愛想も無いし、本当に昔の僕にそっくりだ」
「ぎゃっ!?」
飛び上がり逃走しようとした悪魔の両の翼を切り裂き、頭部に踵を叩き込む。地面に叩き落とし、起き上がる前に両腕を双剣で地面に縫い付ける。
「能力を使う素振りを見せたらバラバラにするので、死ぬより苦しみたいなら勝手にどうぞ」
(なんだ……このガキ……殺気がガキのそれじゃ……)
「しゅぴ君かぁっこいぃ~!」
「惚けてないで拘束手伝ってよ」
「はいは~い♪」
自らの手首を切り裂き、ダバダバと血を流しながら笑顔で近づいてくるロベリア。血を操作し悪魔をガチガチに拘束する彼女を尻目に、スピネルは呆然と立ち尽くす嘗ての仲間達に近づいていく。
「久しぶりに帰ってきてんだけど、なんかないのお前達」
「あ、えっと……」
「まぁ最後があれだったしね、お前達からすれば僕は悪魔と一緒にどっか行った程度の認識かな」
「っていうか、状況すら把握できてない感じ?」
狂化や分身など、幾つもの能力に晒されていた子供達は自分達の置かれている状況の理解が追い付いていない。自分達に働いていた能力が一気に消え失せた為、混乱の方が大きいようだ。国が荒れているのは分かるが、それもそれで大きく感情を揺さぶるわけでもない。
「棒立ちだと死ぬぞ、今国は悪魔に攻め込まれて危ない状況だ」
「そうなんだ……」
「…………親も居ない、助けてくれる人も居ない、それでも出来る事に縋って、必死に這いつくばって、諦めないで頑張ってきたのは生きる為だ」
「我武者羅に生きる為に踏ん張ってきたのが、お前達最後の道だろ」
「何呆然としてんだよ、こんなわけわかんない終わりで良いのか?」
「スピネル君だって、分かってる筈じゃん」
「生きる為に頑張って今日までやってきたけど、私達には生きる意味が無いんだよ」
「結局、なんでこんなに必死に生きようとしてるのか分かんないんだよ」
「空っぽだから、危ないとか死ぬとか良く分かんない、そんな考えだから危ない仕事もやってこれた」
「そんな子ばっかりだし、終わりでも別に……」
「ここ抜けて成功した奴は欲がある、むかつくけどブレアさんとか強欲だっただろ」
「生きる為以外に、意味を見つけたから……原動力があるから前を向ける、僕だってそう思ってた」
「けど逆だから、今空っぽでも、生きなきゃ意味なんて見つからないから、意味があるから生きるんじゃない、それを見つける為の命だ」
「道とかなくても踏み出して、僕はそれが分かったんだ、だからお前達を無視できなかった」
「最後とか決めつけうざったいんだよ、都合よくぶっ壊れたなら丁度いいじゃんか」
「道なき道を行く気があるなら付いてこい、死にたきゃ勝手に死ねば良い」
「何を信じて何を求めりゃいいか分かんない、何もかもが空っぽでも、漠然と前に進む気があるなら来い」
「意味をくれる出会いが、前にあるのかも知れないぞ、その可能性を僕は死なせたくない」
呆然としていた子供達は、嘗て自分達と同じ目をしていたスピネルの言葉に顔を上げる。別人のようになったスピネルに何があったのか、後ろで血を流して倒れている悪魔は何なのか、分からない事ばかりだ。分からないまま死ぬのも良い、別にそこまで生きたいとはもう思えない。だけど、我武者羅に生にしがみついてきたのも確かだ。その経験が、今までの血生臭い最低な歩みが、ここで終わって堪るかって気持ちを作り出す。死ぬのも自由なら、生きるのだって自分達の自由だ。決めつけられた最後の道から、何も定まっていない未知の道を歩むのだって悪くない。スピネルの言葉は、確かにその選択をみんなに示した。まだ呆然とする子の手を引き、止まっていた子供達はスピネルを先頭に国から脱出を試みる。
「スピ君やったね♪」
「まだ何も解決してないよ、とにかく国の外に……他の避難民が集められてる場所に一旦戻るよ」
「流魔水渦にこいつら預けて、状況整理だ……向こうからやばい音聞こえてるし……まだ何も終わってない」
「向こうね……凄い力を感じるよ」
「それに、嫌な予感がするんだ……スピ君、絶対スピ君はお姉ちゃんが守るからね」
「守られるだけとかごめんなんだけど」
「はぅあ」
吐血し崩れ落ちるロベリアは放っておくが、嫌な予感というのはスピネルも感じている。戦いの優位はこちらに傾いている、それ自体もちゃんと感じている。だけど、何かがまだ蠢いている。明るい場所に決して出しちゃいけないような、どす黒い何かが水面下で動いている。好きにさせちゃいけない何かが、淡々と足元を狙っている。
「……向こうの音……あれが止むまで安心は出来ない」
「クロノお兄さん、今どこに居るんだよ……」
不安を煽る破壊の音、鳴り響くたび怪物の存在を主張する。そんな物騒な音の陰で、ゲルトを任された悪魔が肉塊になっていた。
「おおよそ人のやる所業じゃないねぇ、小さい子も居るってのになんてことすんのさ」
「おーさまめかくしー」
「非道には非道って言うだろ、今更俺が真っ当な手段を取るとでも?」
「鬼だねあんた、悪魔も真っ青だよ」
「くだらねぇ事言ってないでとっととこのゴミ封印しとけ」
「俺は、さっきからうるさいこの音を止めてくる」
「へーいへい、ミルメル封印しちゃおっか」
「うにゅー」
人の声が耳に届く、グチャグチャにされたネファリウスはもう指一本動かす気力も残っていなかった。幾度身体が再生しようとも、次の瞬間には消し飛んでいる。この数分の間に人間だったら100回は余裕で死んでいるくらい打ちのめされた。力の差は歴然、何をどうしようとこの場に希望なんて残っていない。いや、思い返せば希望なんて今まで感じた事も無い。自分は最初から悪魔だったのか、それとも人間か、別の魔物だったのか、過去は自分の中でそれくらい曖昧だった。振り返っても意味がないし、気分が悪くなるだけだ、自分はいつも地面を這っていた。
(這って、這って、手を伸ばした、踏みつけられ、泥に塗れて、ゴミのような生、だからいつだって上を向けば眩しくて、いつだって目に入るそれが、欲しかった)
どん底だったからこそ、それは鮮明に見えた。それが欲しい、そうなりたい、その欲は最初から自分の中にあった、それだけが自分の手持ちだった。それしか、育てるものがなかった。貪欲に、上だけを目指した。這い上がる事だけが、己の意味だった。だからネファリウスは諦めない、諦める事は無い。
「さて封印を……っ!?」
肉塊だったネファリウスが、一瞬で再生する。その再生力は今までの比ではない。異常を察した覇王が即座に地を蹴り、再生したネファリウスの首を跳ねる。宙を舞った首が即座に肉体を再生させ、翼を広げ空に飛び上がる。
「おいおいおいおい、急になんだってんだ!」
「分からん、分からんが……」
「嫌な予感がするな、これ以上無様を晒させるなクソ野郎が……!」
「おーさま、あのあくま……あぶないとこむかってるよ」
手段などどうでもいい、過程なんて気にする余裕はない、今までだってそうだった。追い込まれ、追い詰められ、絶望の底に何度も何度も叩き落され、それでも自分は這い上がってきた。それこそ底無しの欲で、上だけを目指してきた。
「負けない……負けるものか……!」
大罪組がこの場をネファリウスに任せたのは、その異常な欲故だ。計画上、大罪組の動きの中心はもうゲルトから離れている。どうなろうとも大きな影響はない、ゲルトは言ってみれば二番手だ。だから落とされても大きな損害は無いが、万が一追い込まれた場合……一番相手に嫌な思いをさせるにはどうすればいいだろうか。諦めが悪く、最後の最後まで足掻くのがいい。負けが確定しても、敵味方考えず暴れ最悪の被害を叩き出してくれる異常者、そいつを配置するのが良い。それこそ、大勢道連れにして最高の負けを演出してくれれば完璧だ。切り捨てる場所も役者も、最悪で最高を用意した。
「負けない、負けない……負けてたまるかあああああああああああああああああああっ!!」
狂いし欲が、大きく弾けた。これが、最後の試練。




