第六百二十八話 『霞に覆われた切り札』
「あ、あの……」
「黙って見てなよ、それと今のレヴィはめっちゃ弱いから何かあっても期待しないでよ」
泣きじゃくるククルアを尻目に、レヴィは能力に集中する。自身を弱化し、セツナを強化する。単純な文面だが、そもそもの強さの基準は極めて曖昧だ。筋力を上げれば強化か? 身体能力や判断力、強さとは各々の認識や状況に左右されるもの。そしてレヴィの能力はレヴィ自身の解釈によって結果はどうにでも変わる。
(普段からドジだし間抜けだし、正直頼りないけど……セツナには底知れない何かがある)
(能力は強弱で受け責めは拮抗する、それなのにセツナの能力は強弱無視で強制的に解除や無効化が発動する……強弱の理の外の力……レヴィですら、セツナの中にある何かに背筋が冷たくなる)
(だったら秤に乗せたりしない、解釈を捨てて強化を施す……セツナ自身が望むままに、欲するままに、理想の強さを与えよう……好きに暴れて見せてよ、切り札……)
レヴィの取った強化法は、意識しない事。下手に変化を与えず、セツナの本能に任せ力を引き上げた。結果、目の前のヘタレ切り札は怪物となった。剣を構え、息を整えるセツナから異常な力が湧き出ている。あれは与えられた何かではない、強化され内から溢れたもの、セツナの内に元々あったものだ。
(どうしてだろう、今までこんな構えしたことない、けど知ってる)
(忘れてたのかな、思い出したって感じでもないのに、身体が知ってる)
(クロノの言ってた通り、取り戻せるのかな、思い出せるのかな、やっぱり不安は消えないけど)
(今は目の前の『今』を、失いたくない、守りたい)
不思議と恐怖はない、強くなった事で自信が付いたわけでもない。感情の変化が乏しいわけでもない、集中力が振り切れているだけだ。セツナは態勢を低くし、一気に前方に飛び出す。眼前には輪郭がグチャグチャになったコピー体の群れ、一振り、二振りと剣を振るい、コピーの隙間を舞うようにすり抜ける。コピーが脆いのか、セツナの一撃が鋭いのか、判断が付かない。上空から見ていたレヴィに分かったのは、セツナが通った後には何一つ残らなかった事だけだ。
(強度無視で消し去っている……無効化の一撃、能力を無視したのか……いや、或いは……全てを無視したのか……)
「ゾっとするね、なんなんだあの力……嫉妬しちゃうよ」
(剣が軽い、足も、この足運びはいつか修行したっけ、誰かが教えてくれた奴だった気がする)
(頭の中がボーっとする、なんだろう……前にもこんな……)
敵の群れを蹴散らしながら、セツナは集中力を増していく。失った何かを取り戻せるような、思い出せるような感覚が全身を包み込む。意識こそしていないが、セツナはそれを求め奥底に意識を向けた。
『――――世が、割れる』
『――――後は、任せるぞ』
自分の声だった、誰に任せた? 分からない、何一つ状況は思い出せない。ただ、その声が頭の中に響いた瞬間、身体の力が抜けた。
「…………うぁ……?」
(!? レヴィの強化が跳ね除けられた!?)
(能力の無効化……自己強化まで否定するって、コントロール不足? それとも必然? いや、とにかく……!)
「そういう事は最初に言っとけっ! 何が思いついただ馬鹿切り札!」
咄嗟にレヴィが救出に向かうが、遠すぎる。無防備を晒したセツナに、グチャグチャになったコピー体が迫る。セツナは顔を向ける程度の動きしか出来ず、グチャグチャのコピー体は右腕を容赦なく振り下ろす。もはや腕というより何かの塊のような右腕は、無抵抗のセツナの頭部を地面に叩きつけた。
「セツナッ!!」
レヴィの声が響くのと、セツナから鮮血が飛び散るのは殆ど同時だった。そして血が地面に落ちるより早く、セツナを殴ったコピーが消し飛んだ。理解するより早く、レヴィは後方に飛んでいた。助けなきゃ、その想いより強く、早く、防衛本能が逃げろと叫んだ。レヴィの眼前に線が走り、次の瞬間セツナの周囲が粉々に切り払われた。
(なんだ、レヴィの強化は無効化された、もう効果は切れている)
(違う……あれはセツナじゃない……セツナの目はあんなじゃない)
いつもと変わらない無表情だが、あれはセツナの感情豊かな無表情とは違う。真の無表情、その瞳には何一つ映してはいない。虹色の髪をなびかせ、セツナはフラフラと剣を構える。虚ろな目をした切り札は一瞬で姿を消し、次の瞬間地面に亀裂が走った。
「ッ!? 浮島を斬った!?」
(けど再発動される、すぐに元に…………うわっ!?)
魔法陣の再発動より早く、斬撃は島を両断する。島中の魔法陣を斬りつけ、島自体も微塵切りにし、凄まじい速さでセツナは剣を振るい続ける。
(このままじゃ巻き込まれる……!)
翼を広げ、レヴィは急いで島から離脱した。距離を取り振り返ると、そこには粉々になったゲルトのコピーが浮いている。術式が動いているのか、コピーの再発動の予兆はあるのだが、それ自体が斬撃の軌道で切り裂かれている。歪な術式の強引な現象が、異常な何かに全て否定されている。
「…………嫉妬どころか少し怖いよ、セツナ、あんた一体……」
粉々になった島の内部で、何かが光った。両手を広げたセツナが何かを放ったらしい。閃光が周囲を包み込み、ゲルトのコピーだったものが光に包まれ消し飛んだ。後には何も残らない、無力化された全ては欠片も残らず消し飛んだ。そこに居るのは、虚ろな目をしたセツナだけだ。
「あわわわ……」
「何が何だか分からないけど、とりあえず結果オーライだね」
「セツナ! もう……っ!?」
セツナが剣に光を溜めている、間違いなく眼下のゲルト・ルフを狙っている。今のセツナならゲルト中の魔法陣も、それを組んでいる悪魔も倒せるかもしれない。だがさっきの規模の攻撃をすれば大罪も、それどころか仲間達すら巻き込みかねない。
「待ってセツナ! 止まっ……!」
近づこうとしたレヴィが、咄嗟に手を引っ込めた。伸ばそうとした手の先端、指先が消滅しかけた。
(近づくだけでやばい、何が……!)
レヴィの声にも反応せず、セツナは剣を振り下ろそうとする。その剣は下から吹き荒れる気流に止められ、飛び込んできたクロノがセツナの腕を掴んだ。
「何一つ状況は分かんないけど! やったんだなセツナ!」
「大活躍は一旦終わりだ! 状況整理するぞ!」
「…………」
「セツナッ!!」
セツナの頭を掴み、耳元で名前を呼ぶ。虚ろだったセツナの瞳が揺れ、頭から流れる血が目に入った。
「クロノ……? あれ? 私何を……って痛い!? 頭が痛い痛…………血が、……うわあああああああああああああ!?」
「どうしたんだよお前、今凄い目してたぞ……?」
「目!? 頭だよ凄い事になってるのは! 痛いし血が! リコーラ! レヴィ! 何があったんだなんで私は血塗れなんだどうなってるんだ痛い痛い!」
「切り札ちゃん、何にも覚えてないの~?」
「ふぇ……?」
ペンダントに化けたままリコーラが答えるが、セツナは首を傾げるだけだ。恐らく一部始終を見ていたであろうレヴィも、離れた場所で困惑している。その近くには知らない悪魔が固まっていた。
「……セツナが何をしたのか、どうして見知らぬ悪魔が居るのか、色々と気になるけどさ」
「少なくてもセツナが落下寸前のゲルトコピーを消したのは事実、イレギュラーもこの際ラッキーとして持っていこう」
「え? 私が?」
「状況はこっち側に傾いてる、勝ちにいくぞ切り札」
先ほどまでゲルトのコピーが浮いていた空中には、セツナの斬撃の痕が残っている。どうも術式が再びコピーを生もうとしているらしいが、その効果が継続的に無効化されている。セツナの能力は本人に聞いても全てを知る事が出来ない為、この影響も多分や恐らくでしか説明できない。それでも、こちらにとって好機なのは間違いないのだ。
「目の前に迫ってた全滅の危機は去ったんだ、後は残ってる敵を黙らせるだけだ」
「もう一頑張り、やってやろうぜ」
「空元気で良いなら、頑張るぞ……」
クロノに支えられながら、セツナはぐったりとした表情で応える。ヘニャヘニャになっている切り札だが、レヴィは先ほどのセツナを思い出し息を飲む。もしかしたら、運命すら捻じ曲げる鍵は本当にこの切り札にあるのかもしれない。レヴィは人知れずそう思うのだった。




