第六百十六話 『繋ぐ想いが絶望としても』
夢を見るんだ、温水の中にいるような、嫌になるほど生温い夢だ。自分は笑ってる、嘗て自分の精霊だった娘も笑っている。けれど、繋いでいた手は己の力によって弾かれる。手を伸ばしても届かない、この悪夢は決まってスピカが目の前で消えていく最後で〆られる。何度も何度も同じ夢を見た、後悔と絶望は自分を離さない、忘れられるわけがない。だから忘れない、どうせならもっと焼き付けろ。もはや自分がどうなっても、壊れてしまっても構わない。行きつく先まで、狂いながら手を伸ばし続ける。己の全ては、精霊と精霊使いを不幸に引きずり込む為に。もう二度と手に入らない光を求めるほど、自分が壊れていく実感がある。世界が関わらない選択を取るまで、自分は精霊と精霊使いを襲い続ける。この八つ当たりに、ブレーキなんて存在しない。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「大罪様に価値はあれど、器の意思が主張しすぎているな!」
「つまり強欲様ではなく、お前は良く知りもしない他人に過ぎない! よって俺の邪魔をするから排除する!! クロノ・シェバルツは俺の獲物だっ!」
剥がされた力を再度纏い、災岳は錫杖を持ち直し突っ込んでくるジュディアを迎え撃つ。その身体が、真横に吹き飛ばされた。
「ぐうおっ!?」
「引っ込んでろ……こっちが先約だぁっ!!」
吹き飛んだ災岳が態勢を立て直す前に、見えない何かが降り注ぎ災岳を地面に叩きつける。地面が砕け、土煙が視界を覆う。
(あれは多分前にラベネで戦った男が持ってた能力、ジュディアの仲間だった奴が使ってた重さの固有技能……)
『俺の固有技能は重力指針、俺の体に重さをプラス出来る力よ』
『俺の肉体限定だが、プラス出来る重さの大きさ、方向は自在っつー便利な力だ』
(肉体限定っつってた筈だが、今のも、前に海で見た時も、重力が自在に操れてるようにしか見えない……見知った奴が使ってた力だからって応用が利きすぎじゃないか……)
だが、少し理解も出来た。能力は成長、或いは変化していく可能性が当然ある。そして固有技能は魔力が『意味』を持つ現象だ。そして意味は各々の解釈で形を変える。
「精霊使いいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
ジュディアが大きく右腕を振るうと、前方に重力が放たれ広範囲が吹き飛ばされた。ぱっと見衝撃波にしか見えないが、今のクロノは魔力を見切る水の自然体がある。あれは振るった腕から放たれた魔力の壁に重さが乗って飛んできているものだ。さっきから上から降り注いできているのも、魔力の膜が重さを乗せて落ちてきている。
(認識一つでこうも変わるのか……魔力が肉体かどうかは分かんないけど、己の内から生まれた力に変わりはない、あいつは元の能力者以上に能力を使いこなしてる)
(レヴィちゃんの自己解釈の両天秤を見てなきゃ、納得は出来なかったかもしれないな……! 自己解釈次第で固有技能は幅を広げる……大罪の能力もきっと、なんでもありの延長線上にある……!)
(概ね当たりだよ、結局力は使う者の使い方次第)
(ドゥムディの……強欲の能力は欲庫という、他者の固有技能を無尽蔵に飲み込む力だ、嘗てのドゥムディは生きた技能冊とまで呼ばれていた)
(最初は奪うだけ、保管するだけの能力だったんだ……だが己の内に取り込んだ能力を理解し、使役するまでになった、最終的には奪った能力同士を掛け合わせ自在操った)
(取り込み、自己の解釈を加え無限を生む、無限の可能性を求め更なる技能を求める……底無しの欲とあいつ自身の気質を現した力だ)
(無限故、決して満たされる事は無い……どれだけ奪っても、その先に満足は有り得ない)
マルスの解説を聞きながらも、クロノは重力を乗せて加速する色々な攻撃をギリギリで避け続ける。毒を払い、炎を割き、形を失う地面を蹴り空を駆け拳を握る。左右から精霊剥離の力を感知し、力を抜いて下に落下する。すぐに態勢を立て直し、再び宙を蹴ろうと足に力を籠める。上を見ると、ジュディアと目が合った。空虚な目だ、そこには冷たさだけがあった。
「…………なんでだよ……!」
「…………!」
「ふっはははっ! 妙な男だぁっ!」
ジュディアの背後に迫った災岳が、黒い炎を纏った錫杖を叩き込む。炎は、ジュディアに触れた瞬間消え去ってしまう。錫杖を振るうパワーも、何かに遮られたかのように消し飛んだ。
「それほどの力、欲を見せるもお前は空っぽだ! 何が気に食わないのか!」
「精霊と精霊使い、その全てだよ……ヒヒャハハ!」
ジュディアの全身から全ての方向に、根のような形で重力が吹き出した。災岳が弾き飛ばされ、入れ替わるようにクロノがジュディアに襲い掛かる。拳に込めた精霊の力は、拳が届く前に全て剥ぎ取られた。だがクロノは背中から暗獄の魔力を放出、二本の黒い腕を形成しジュディアの両肩を掴む。
「!?」
「おおおおおおおおっ!」
逃がさない、放さない。クロノはそのまま再び拳を握り、ジュディアの顔面に叩き込む。だが、拳は届かない。
(…………? 何故、精霊の力で攻撃してくる?)
(この黒い魔力で殴りかかれば、無効化は出来なかった)
ジュディアは精霊剥離をバリアのように張り、クロノの拳を受け止めていた。触れた感じで分かる、今の精霊剥離を強引に突き破るのは不可能だ。精霊の力は、確実に止められる。
「こんなに、しっかりと触れられる……見ろよ、触れただけで込めた力が消えていく」
「見えるか? 精霊の力がお前の能力に触れただけで消えて、散っていく」
「あぁ、それが僕の力だからね」
「精霊の力は、僕の前では無力……ヒヒャハ……思うがまま」
「力は、使い手の使い方次第…………能力は、認識で形を変える、どんな能力も成長する」
「強欲の力で、お前は多くの力を振るってる、理解が深まれば深まるほど択が増えていく、知らないなんて言わせない」
「とっくの昔に気づいてた筈だ、見ないふりをしてきたのか? けど今のお前にその言い訳はさせないぞ」
「…………何を」
クロノは再び拳をジュディアに振るう、正確には精霊剥離の壁にぶつける。力が剥がれ、四散していく。クロノは暗獄の魔力で作った腕を伸ばし、ジュディアの右腕を掴んだ。
「っ!」
「触れるだろ」
その右腕を引っ張り、四散していく精霊の力を掴ませる。
「認識次第なら、解釈次第なら、お前の能力が精霊を自在に出来るなら」
「お前の手はっ!! どんな絶望からでも精霊を救い出せる筈だろっ!!」
「お前の能力はっ!! 精霊に届く筈だろっ!!」
とっくの昔に気づいていて、飲み込み永遠の吐き気を約束した事実。それを無神経に叩きつけられ、頭の中が湧き上がる。精霊の力を奪うとか、壊すとか、絶望だとか全部置き去りにして身体が動いた。ジュディアは何の捻りもない、ただの拳をクロノの顔面に叩き込んだ。
「気づいても、遅すぎるんだよなぁ……! 何一つ残さず失った後で、そんな可能性に辿り着いてもさぁ……!」
「遅すぎんだよっ!! その時気づけなかった自分自身の不甲斐なさ、情けなさ、無力さを思い知るだけだ、引っ搔き回して楽しいか? 正論並べて綺麗な可能性見せつけて、お前の力は本当は素晴らしいものだ使い方次第だよってかっ!?」
「だからなんだそれがなんだ今更それが何になるっ!! 掴めた筈? 救えた筈? それが可能か不可能かじゃねぇ……意味のあるなしですらねぇっ!! 俺の求める何かに一切関与しない事実はどうだっていいっ!」
「この穴は埋まらない、終わった事実は変わらない、だからこの力は真逆には向けない……どん底にて最悪の為に使うんだ」
連続で拳を叩き込み、クロノを地上に叩き落す。倒れたクロノを踏みつけ、ジュディアは冷めきった目をクロノに向ける。
「もう奪ってお前の精霊をズタズタにするとか、余計な手間はかけないことにするよ」
「殺意が振り切ってどうにかなりそうだ、お前と精霊纏めて潰す、確実に殺す」
「そうはいかねぇ、クロノ・シェバルツは俺の獲物だ」
「黙ってろ、お前も精霊使いなら後できちんと消し飛ばしてやるよ……ヒヒ、ヒヒャハハ」
災岳が近くまで飛んでくるが、ジュディアは目も向けない。興味がないのだろう、災岳の攻撃は殆ど精霊の力を纏っている、ジュディアの行動を止める事すら出来ない。だが、クロノはそんな災岳を指差した。
「…………?」
「あいつの精霊は、欲で悪魔に堕ちてる」
「堕落霊種との違いはなんだ? 分かるか?」
「…………堕落霊種は、絶望の果てに心が壊れた精霊、耐え切れずに壊れ滅んだ精霊だった成れの果て」
「肉体が変容するほどの欲に溺れ、悪魔になった精霊とは真逆の存在、欲の果てに堕ちるか、翻弄され壊れるか」
「どちらも精霊だった存在、本質は変化していないから僕の力で問題なく消せる」
「届かない、求めても、手を伸ばしても手に入らない……絶望は欲しても届かない時湧き出すんだ」
「それと、失った時に吹き出すんだ」
「…………命乞いにしては、話のチョイスが分からないなぁ」
「精霊と精霊使いの想いは、心は繋がっているんだ、悲しい時は一緒に悲しんでくれる、嬉しい時は一緒に笑う、ずっと寄り添ってくれるんだ」
「同じ感情は、重なって繋がり合うんだ、お前は分かってる筈だぞ」
「精霊使いと話してると気分が悪くなるなぁ……ヒヒャハハ……もういいよ、死ね」
「仮に、お前の力は悪魔になった精霊を元に戻せるか?」
「戻せるんじゃないのか? もうどうでもいいけど」
「堕落霊種も救えるかもしれない?」
「救えたかもな、もう遅すぎるけど」
ジュディアは精霊剥離を纏わせた重力の槍をクロノに落とす。災岳が動く前に、クロノは黒い腕で槍を受け止める。身体を起こし、水の力でジュディアを貫いた。
「…………精霊の力は、僕には効かない」
「お前には効かなくても、お前の後ろには届いたぞ」
水の一閃はジュディアに掻き消されたが、波紋が後方に届いた。奇跡なんて起きない、予測していたわけでもない、これは当然なんだ。ジュディアの過去を聞かされた時から、絶対間違いないと確信していた。クロノは堕落霊種を、精霊の最後を目の当たりにしている。感情全てが絶望に染まり、撒き散らす悲痛な暴走を目にしている。あの時、契約者に見捨てられるという形で終わりを迎えた。繋がりが切れたことで、最後が始まった。そんな最後でも、想いが肌で感じられるほどの強さだった。
じゃあ、お互いに臨まぬ最後だったら? 同じ想いで、同じ絶望で、望まぬ力でその手を断ち切られたら? 同様の絶望を抱え、堕落霊種になった場合どうだろうか。最悪の最後を迎えても、暴れて暴れて亡骸が世に残るくらいだ。想いを繋いだまま、同じ絶望で繋がったままなら、言い換えれば『強固な想いで繋がったままなら』。
「まだ、終わってないよ」
ジュディアの背後から、半透明の精霊が手を伸ばす。その手はジュディアの力に阻まれ、触れる事は叶わない。もう、意識もないだろう。もう、消えかけの想いの残滓。恨みだろうか、悲しみだろうか、後悔だろうか、それは分からない。だけど、絶望の中を彷徨い続けて、長い時間が過ぎ去っても、消えずに想いは残ってる。切れたと思っていたそれは、まだ繋がっている。他の誰かだったら、それがなんだで終わる話。残っていても、救いようのない消えるだけの存在。未練がましく縋っても、どうにも出来ない、最低は覆せない。だけど――――。
「今更なんだって言ったよな、言わなきゃ分からないなら言ってやるよ」
「お前の力なら、まだ届くんだ……お前にしか、変えられないんだよジュディア」
「振り返れ、お前の光は……この先にはない」
「堕ちるな……! 戻れ、その手を取れっ!!」
こいつは何を言っているんだ? とっくに失った、起きたことはどうにもならない。仮に、仮に手が届くのだとしても、救えるのだとしても、もうそこに何の価値も無い。結局今更なのだ、今更振り返ってどうなるというのだ。光? 振り返って目に入るのは、自分が傷つけてきた精霊と精霊使いだ、自分は絶望を振りまき、世を染めてきた。今更何がひっくり返ろうと、絶望を拭えたとしても、罪は消えない。後ろに何が居ても、もう関係ない。いや、それが目に見える形になっているのなら。
(この手で、断ち切る……未練も想いも、何もかも……戻りはしない、戻れやしない、ならいっそ……!)
ジュディアは力を手に集め、振り返った。そこにいる亡霊を、再び己の力で拒絶し、消し去るために。
「スピカ……!!」
表情も分からない、輪郭のぼやけた何かがそこにいる。自分に手を伸ばしているが、あの時と同じく触れない。それでいい、これでいい、今更戻りはしない、自分にはあの時も、今も、手を取る資格なんてないんだ。精霊を拒絶する光が、周囲を包み込んだ。




