第六百十五話 『精霊を否定する者』
「本番前の準備運動だ! さぁ遊ぼうぜクロノ・シェバルツッ!」
「今はお前に構ってる暇は……って言うかお前大罪殴り飛ばして立場的に良いのかよ!」
「知らないねぇっ! 今はお前しか目に入らない、俺も、こいつ等もっ!」
(クロノ! 話し合いは無意味だっ!)
「あぁクソッ! 体も心も手一杯な時にっ!」
悪魔化した精霊の力を一身に纏い、災岳が襲い掛かってくる。吹っ飛んだジュディアが気になるが、意識を別に向けたまま戦えるような相手じゃない。クロノは大地の力を身に纏い、振り下ろされる錫杖を受け止める。衝撃が辺りを揺らす中、フラフラとジュディアが建物に開いた穴から姿を見せる。その両目には、二人の精霊使いが映されていた。だが、ジュディア自身は違うモノを見ていた。霞む視界の中には、一体のウンディーネが浮かんでいた。あの日のままの姿で、彼女は自分を見つめている。どんな表情をしているかなんて、もう分からない。確かなのは、プラスの感情は宿っていない事。あの日から、自分の評価は下がり続けているだろう。そうじゃなきゃ、困るんだ。
(――――始まりはどうだった? 今となっちゃどうでもいい……思い出すだけ無駄な記憶)
両親の事は覚えてない、他に家族が居たかすら記憶にない。自分は一人で、生きていく為に足掻いて這いつくばって、出来る事を必死にやらなきゃいけない立場だった筈だ。残飯を漁り、拾ったナイフと浅知恵で盗みを働き、か細い魔力を束ねて依頼をこなし、その日その日を生きていた。小汚い虫けらのような人生、這い上がるために勇者選別に臨み勇者になった、掲げる理想も大層な思想も持ち合わせてない、自分の為に、生きるために勇者になった。小奇麗な理想を胸に勇者になる奴なんてたかが知れてる、自分みたいな勇者の方が多いくらいだ、世の中の汚いところを知っていれば、何も珍しくない話だ。
(空っぽだった、ただ飢えていたんだ、僕に綺麗な考えなんて最初から無かった)
(満たされたくて、飢えるのが嫌で、欲して欲して死に物狂いで毎日生き抜いた、仕事の内容なんてどうでもよかった、強くも特別でもなかった僕は振り絞るしかなかった)
出会ったのは、何の依頼の後だったか……森の中で薄汚れたウンディーネに出会った。人の手で住処が穢れ、住めなくなった泉から離れ彷徨い、力尽きて倒れてた。放っておくのは簡単だったし、精霊に関心も無かった。手を差し伸べたのは気まぐれか、それとも幼少期の自分と重なったからか。いつの間にか自分は大人になっていた、年なんて覚えてないけど二十くらいか、自分が小さい時、誰も手を差し伸べてくれなかった。そりゃあそうだろう、周りは自分と同じような境遇の奴ばかりで、住む家もその日の食い物も無かった。大人も子供も関係ない、どうしてそんな事になったのかあの日の自分は知らなかった。戦争に巻き込まれ、多くを失った自分達に出来る事は、各々が足掻く事だけだ。自分が今日まで生き延びてこれたのは、必死に足掻いて、尚且つ運が良かっただけ。幸運の元に生き永らえた自分が、たまたま消えかけている精霊に巡り合った。だったら、気まぐれで手を差し伸べるくらい良いじゃないか。
綺麗な水を与えると、ウンディーネはすぐに元気になった。でも警戒はされていた、彼女の故郷を汚したのは人間だ、そんな簡単に心は開いてくれない。恩を売りたかったわけじゃない、ただの気まぐれだ。元気になったならそれでいい、もう一回足掻くチャンスが生まれたじゃないか。もう用はないから立ち去ろうとしたのに、このウンディーネは図々しくも後をつけてきた。確か、なんて言ってたっけ。
(助けたなら、最後まで責任を持て……だっけか……良い出会いとは、言えないよなぁ……)
契約もしてないし、するつもりもなかった。面倒な荷物が増えたと思ってた。後ろをついて回ってたウンディーネは、いつの間にか横にいるようになっていて、ウンディーネと呼ぶのが面倒になったからペットに名前を付ける感覚でスピカと名付けた。仕事の途中で飲み水が切れて、スピカが手のひらから水を出してくれた。動く水道と言ったら引っ叩かれたのをまだ覚えてる。
ずっと一人だった、ずっとずっと一人で生きてきた。長い時間をただ生きていた。自分の人生の大半は、そうやって過ぎていった。スピカと一緒の時間は、その過ぎていった時間よりずっと長く感じていた。色々なことが起きて、考えて、なんていうか濃かったんだ。生きているって、ちゃんと思えるようになっていた。いつ契約したんだっけ、あまりにも自然に、すんなりと契約してた気がする。だけど、二人笑い合ったのを覚えてる。水の力は心の力、満たされている自分を鏡で映しているようだった。
勇者として、自分に想うモノなんて一つもなかった。そんな自分にスピカは人助けの依頼を優先して持ってきやがる、気乗りなんてするはずもない、特別稼げるわけでもない。それでも、勇者指定の依頼は勇者しか受けられない、危険な仕事は大抵見向きもされない、勇者とは名ばかりのリスクを避ける奴なんて珍しくもない。そんな依頼をニコニコしながら持ってくる、疫病神だと最初の頃は思っていた。だけど依頼の後、ありがとうと涙を流して感謝されて、まんざらでもない自分が居た。勇者の文字が、番号を刻んだナイフが、ちゃんとしたモノになった気がしたんだ。人生って道を、ちゃんと歩いていると思えるようになってきていた。
『スピカ、あのな』
『ん? なぁにジュディア』
『ありがとうな、お前に出会って僕は生まれ変わった気がするよ』
『……? 良くわからないけど、生まれ変わったのは私も同じかな』
『人間が嫌いだった、故郷を奪った人間が、仲間を奪った人間が……でも私を助けてくれたのが人間の君だったから、私は思い直して、今の私になれた』
『だから、私達の心はさ……混ざり合って変われたんだと思うよ』
『だからありがとうは、お互い様だよ』
『そっか……ならこれからもよろしくな』
『うん!』
笑顔が綺麗で眩しいウンディーネだった、心から美しいと思ってた。彼女の青色の髪を撫でようと手を伸ばして、弾かれた。
『…………え?』
『ふえぁっ!?』
その日からだ、自分の魔力が特異な力に目覚めたのは。スピカに触ろうとすると、静電気のような音と共に弾かれる。精神を繋ぎリンクしても、効果が弱まったり途切れてしまう。まるで、自分の魔力が精霊を拒絶しているようだった。上手く操れず、精霊使いとして自分は大幅に弱化した。勿論悩んだ、頭を抱え色々な事を試した。だけど目覚めた固有技能を制御できず、ジュディアは大きく落ち込んだ。
『ごめんスピカ……ごめん……!』
俯くジュディアの手をスピカは包み込むように握ってきた。バチバチと魔力がスピカの手を弾き飛ばそうとするが、スピカは手を離そうとはしない。
『あたた……けど手は繋げる、リンクだって不安定だけど出来ないわけじゃない!』
『大丈夫だよ! この力をコントロールできるようになれば元通り! 何の心配もないよ!』
『それにジュディアは沢山勇者として活動して、名前も知れてきてるしさ、お仕事だって他の精霊使いや勇者と組めば問題なしなし!』
『他の奴と組む……?』
『前だって新米精霊使いにリンクのコツ教えて感謝されてたじゃない! 人は力を合わせて大義を成す生き物だって君といて感じたよ』
『間違いを犯す事もあるけど、正しい想いと行いは繋がって、もっともっと綺麗な何かを生んでいく』
『苦しくても、汚れてきても、綺麗な想いはそんな気持ちも払いながら繋がって、沢山の綺麗を生んでいく』
『君と一緒に生きて、私はそんな尊さを知れたんだよ』
『そんな大層な考え、俺はお前に与えられてないよ』
『あの日私を助けてくれた君から、ずっとずっと続いてる』
『だからね、君の行く先は絶対に、綺麗なんだよ』
与えられているのは、自分の方だった。スピカと出会えて、自分は光を見つけられたんだ。他の精霊使いや勇者と組む事が増え、仕事も問題なくこなせた。スピカの人懐っこさも手伝い、組む相手に困る事は無かった。どん底から始まった自分の人生は、スピカの言う通り綺麗な光に向かっていっている気がしてたんだ。そんな筈が、無かったのに。
(知ってた筈だったのになぁ……人間は自分が一番、自分の事しか考えない生き物だって、ガキの頃からずっと見てきて、知り尽くしてた筈だったのになぁ……!)
(綺麗な生き方に酔ってなきゃぁ……信じるなんて存在意味のない言葉を信用してなきゃぁ……自分だけを信じていれば……お前はあんな目に遭わなかった、絶望することはなかった……!)
能力のコントロールは相変わらず上手くいってなかったが、自分達に問題なんてなかった。毎日充実していて、幸せ、だった。変わらず依頼を受け、顔見知りの勇者達と苦戦することなく目標を終える。充実した思いで帰路につき、途中で休憩を挟んだ。
そこで、自分は毒を盛られた。動けなくなった自分の目の前で、スピカは抑え込まれ犯された。自分の中に戻る事も出来なかった、助けを求めるスピカを自分の魔力は拒否したんだ。最初からこの下衆共はスピカが狙いだったんだ、精霊にすら欲情する屑を見抜けなかった不甲斐なさ、そして目の前にいたのに救えなかった絶望。涙が出たが、泣く資格すらあるわけがない。自分はスピカに、再び人間に裏切られるという地獄を与えたんだ。助けての声が、今も耳にへばり付く。自分の中に戻ろうとするスピカを弾く音が、ずっとずっと鳴り響く。絶望に沈み、スピカは黒ずんで堕落霊種に堕ちた。暴れ狂うスピカによって、屑勇者共はミンチになった。荒れ狂う黒い渦の中、ジュディアは己の力故無傷だった。黒い水のように溶けたスピカは、ジュディアに向かって飛び込んでくる。黒い水の槍はジュディアにぶつかり、砕け散った。結局、力に目覚めてから一度もスピカはジュディアの中に戻れなかった。砕け散り、消えていく水飛沫を震える手のひらで受け止める。冷たさに触れる事すら出来ず、水滴は消えていった。
依頼の達成報告は、何一つ聞こえなかった。
自分に話しかけてくる勇者達の声も、聞こえない。
嘗て自分が精霊使いとしてのコツを教えた新米が、シルフと一緒に街中を駆けている。
どいつもこいつも笑ってる、絆、想い、どれもこれも意味が分からない。ただ、己の中には絶望だけが満ちていて、嘲笑うように魔力が膨れ上がる。
『行く先は綺麗だって……? スピカ、この先は絶望しか存在しない、しちゃいけないよ』
自分を師匠と呼んでくれた少年から、シルフを奪い取った。己の内から溢れる力は、今は手足のように動かせる。契約者の纏う力を消し去り、内から精霊を抜き取れた。精霊の力はジュディアの身体に傷一つ付けられない。無効化、消滅、拘束、服従、精霊の全てを自由に出来る。ようやく理解した、自分の力は精霊使いを否定するもの、間違っても自分は精霊と絆なんか紡いじゃいけなかったんだ。これが、自分の役目だと理解できた。いや、そもそも役目なんてどうだっていいか。力で捉えたシルフが涙ながらに救いを求める、倒れている少年も何かを懇願している。
この場合、どうすればいいだろう。どうすればこいつらは一番絶望してくれるんだろう。シルフの力を強制し、少年の手足を切り刻んでもらった。少年の右腕が千切れた辺りで、シルフの心が壊れて堕落霊種と化した。暴走する風に巻き込まれ、少年は絶望の後細切れになる。暴れ狂う堕落霊種を一撃で滅し、ジュディアはフラフラと歩きだす。
自分の経歴は全て消した、勇者の証たるナイフは、海に捨てた。ゴロツキを、犯罪者を集め組織を結成、精霊売買を生業とする『黒曜霊派』を立ち上げた。精霊を捕らえ、人への恐怖心、敵対心、マイナスの意識を植え付ける。屑に売れば勝手に潰れる、万が一善人が買い取り、最悪な出会いから絆とかいう薄っぺらいモノを構築して関係ない。捕らえて力を植え付けた精霊の場所は、簡単に割り出せる。ジュディアは『綺麗』になりつつある反応があれば自ら出向き、最悪で精霊使いと精霊を地獄に叩き落す。堕落霊種を生み、自らで消し去った。契約者は巻き添えで死んだり、奇跡的に生き残っても廃人一歩手前、間違ってももう一度精霊と契約しようなんて思わないだろう。
(僕はこの力、精霊剥離で世の精霊使いを否定する)
(僕と同じ痛みを、絶望を、その為ならなんだってしてやるよ)
(精霊と関わるのが間違いだと、世界が気づくまで何度でも、何度でも……)
八つ当たりだろうか、自分と同じ気持ちを押し付けるなんて、復讐とでも呼べば良いだろうか。クルセルド・ジュディアは、単なる復讐者だろうか。正確にはそうじゃない、彼の欲は、彼を突き動かすのは、『強欲』だ。
『やめて……やめてぇっ!!!』
聞き飽きた悲痛な声、今日もまた精霊が堕落霊種に堕ちる。何度も見てきた、この瞬間が一番契約者が絶望する、だって自分もそうだったから。黒く染まった精霊が、元契約者に襲い掛かる。放っておいても良いが、今日は契約者は生かしておこう、目の前で元精霊を握り潰して見せつけよう。気まぐれから、ジュディアは能力で堕落霊種の動きを縛る。例え黒に染まっても精霊は精霊、自分の敵じゃない。全ては、手のひらの上だ。四肢を引き千切り、自分の魔力を圧縮し上から叩き潰す、精霊だったモノは、元契約者の目の前でグチャグチャに潰れ消えていく。呆然とする契約者に背を向け、顔を隠したジュディアはその場を後にする。もう、この行動に何も感じなくなっていた。そんなジュディアだったが、手のひらに何かが握られている事に気づいた。手を開き確認すると、さっき殺したノームの指がそこにあった。
真っ黒に堕ちた筈のノームの指は、堕ちる前の色に、普通のノームの指に見える。目を見開き、吐き気がした。指を握り潰しても、目に焼き付いて消えてくれない。自分の力は、精霊の全てが手のひらの上だ。攻撃を無効化する事も、弾くことも反射も消し去ることも、行動を操作することも拘束することも、精霊の全てが自由自在だ。例えば、闇に堕ちた精霊を強制的に元に戻す事だって出来るかもしれない。その事に気づいて、脳みそが焼き切れそうになった。自分はあの時、救えたかもしれないのだ。それなのに、絶望してその機会を零した事に、また絶望したんだ。
今更何の意味がある? 正当な理由もなく周囲に当たり散らした悲劇の役者が、今更そんなことに気づいてどうなるというのか。自分の力は絶望して開花した、まるでこうするのが定めと言わんばかりに、それが今更助けられたかもしれないなんて、後悔するのもおこがましい。だけど、一度光を経験した心は、あの笑顔を、温もりをどうしても忘れてくれないんだ。だったらそれで構わない、もう二度と手に入らない、失ってしまったあの笑顔を求め続ければいい。決して忘れない、忘れたくても忘れられない、あの希望を求めれば求めるほど、行きついた絶望は自分を沈めてくれる。始まりはどん底だったんだ、何もかもどうでもよくなった自分にとって、ここはお似合いじゃないか。
精霊と仲良くしている奴を見ると、心から憎しみが湧き上がる。自分の力は、底無しに膨れ上がる。八つ当たり? 好きに言えばいい、自分は精霊を否定するもの、精霊使いを否定するものだ。この絶望が生まれなくなるその日まで、そんな世界になる日まで、同様の絶望を撒き散らす。虚ろな目で両手を上げ、ジュディアは力を振り絞る。どす黒い魔力が吹き出し、衝撃が災岳とクロノの纏っていた力を消し去った。
「なんだ!?」
「っ! ジュディアァッ!!」
「ヒヒ……ヒヒヒッ! 良いなぁ……良いなぁ……お前達は、仲がよさそうでさぁ……!」
「思い出させてくれたなぁ……精霊使い……原点を、僕の始まりをさぁ…………!」
「寄越せ……よ、こせ……! ヨコセッ!!! お前達の、精霊を……力を……!」
「奪って開いた心の穴に、絶望を詰め込んでやるっ!! みんな、壊れちまえぇええええええええええっ!!」
絶叫するジュディアは、明らかに先ほどより力を増している。精霊使いへの憎悪は、ストレートに力に影響を与えている。彼は壊れ、受けた絶望を周囲に撒き散らす悪になり下がった。重ねた罪を正当化なんて出来やしない、倒すべき敵なのは間違いない。だけど、クロノにはジュディアが泣いているようにしか見えなかった。知ってしまった、彼がどんな目に遭ったのか、何があったのか全部フローから聞いてしまった。だからこそ、負けない。精霊使いとして、彼の絶望に負けちゃいけない。今の自分には、彼の背後で泣き続ける残滓が見えているから。
「俺は精霊使いだから、お前にだけは負けられない」
「お前の絶望でも切れない絆で、この連鎖を断ち切るよ」
「そしてもう一度繋ぎ直す、お前と、彼女の心をっ!!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
たとえ終わってしまったとしても、零れてしまったとしても、無かったことにはならないから。確かにそこにあった想いに、もう一度繋いでみせる。黒に堕ちても、光は差すと信じてるから。




