第六百六話 『裏側にて蠢く』
ゲルトを包む霧が揺らぐ、静かに振り続けていた雪に気づく事すら許さない無意識の霧。そもそも、霧に包まれている事にすら気づけない。国中が日常を変わりなく過ごし、隣人が消えても気が付かない。自分達が異常の中に居ることにすら、誰一人気づかない。
「……日が傾いた、そして戦況も傾きつつある、良くないねぇ」
ゲルトの街中を歩きながら、一体の悪魔が独り言を漏らす。空を見上げた悪魔の目には、偽のゲルト城が結ぶ魔力の線が映っていた。
「夜を待たずして此方も動かざるを得ないと……? 良くない、とても良くないよこれは」
「別に完璧なんて望んでない、だけど良くないものは良くないじゃないか、気分を害してしょうがない」
軽い足取りから一転、悪魔は地面を一発強く踏みしめる。次の瞬間、悪魔の姿は一瞬で地下に移動していた。ゲルト・ルフの地下に存在する、武器製造所及び格納庫。人々は悪魔の存在に気づかず、いつもの作業に汗水流している。その脇を抜け、悪魔は広い部屋に顔を出す。
「やあ諸君、真昼間に失礼するよ」
「知っての通りヘディル様は行方知れず、大罪組のナンバー2イクスタ様は席を外されている」
「だからこの国を任されたのは私、ここの指揮権を持っているのも私、リーダーも私、分かるかい君達私がこの場で一番偉いんだよ」
「この、私がっ!! ネファリウス様がっ!! 偉いんだ知っているか!? 知らない奴は今知れヘボ共ッ!!」
「勝手な真似をしたのは誰だ!? 誰が! 勝手に!! 怠惰様の能力を勝手に模倣したぁっ!!?」
「あ、あたしでーす」
部屋の中には数体の悪魔が、これ以上無いくらいだらけていた。地上では激しい戦いが続いているが、見る限り室内の悪魔達には戦意すら感じられない。ある者はソファーの上で寝ているし、壁に寄りかかりながら寝ている者もいる。しまいにゃ床に転がって寝ている奴もいた。激昂するリーダー格を気にも留めず、各々が怠惰のままに眠っている。唯一名乗り出た悪魔も、目を閉じたまま手を上げていた。
「ほうほう、君かねクルクルパー君……!」
「ククルアっす、そうカッカしないでくださいよネっさん~、モナカ食べます?」
「いらんわ!! 何故断りもなく大罪様のお力を使った? 何故ゾーンが勝手に上に出た? どぉして暴食様が捕まっている、暴食様に狂化をかけたアッシュは何処だぁっ!?」
「やだうちのリーダー代理なんにも知らなくて面白い」
「答えろヘボクルパーがぁっ!?」
「えー? だぁって愛しの怠惰様がこーんな近くにいてー、その力を皆で積み上げて頑張って模倣してー、たのしーじゃないですかぁ」
「そこにちょっかいかけてきてる、いい~感じの敵が現れたんですしぃ、試したいじゃないですかぁ」
「遊びたいんですよぉ、あたし達は楽して動かず、最高に遊びたいんですよぉ」
「特にあたしは、怠惰様推しですしぃ……?」
「質問の答えになっていなあああああああああああいっ!! 100歩譲って模倣を勝手に使ったのは良いが! ゾーンやアッシュの勝手な行動はなんだぁっ!!」
「勝手に魔法陣を追加して、何するつもりだぁっ!? 魂抜きや異空転移も勝手に飛び出て負けてるし! ライトとヘイトも偉そうに出て行った挙句負けてるし!? お前等何を考えて……!」
『……煩いなぁー、聞くまでもない事聞かないでよー』
部屋の中央、テーブルの上に転がっている本が喋った。軽い口調だが、室内の空気が一変する。
『悪魔が命令なんて、基本聞くわけないじゃんねー……』
『大罪を崇めたり崇拝したり、勝手な事言ってるけど本質君達好き勝手なごちゃ混ぜの集まりでしょー?』
『優先するのは己の欲、統率取れるわけないよねー……思い通りにならないから、めんどーなんだよ……集団行動ってー……』
「うぐっ……」
「やーん、怠惰様分かってるぅ~」
「かっはっはっは! 違いない!」
「リーダー代理殿、当然だがもしもの時は己の、いや俺達の欲を優先させてもらうからなぁ」
「災岳……? 君は既に勝手な行動で敵に情報を流した疑いがだな?????」
「流した! その方が面白いからなぁ!! はっはっはっは!!」
テーブルに足を乗せ、大きなソファーを独占している災岳は高らかに笑う。ネファリウスの怒りの込められた視線もなんのそのだ。
「実際のところ~、みんなは夜が来るまでお眠ですしぃ? このままお相手を好きに動かしてたら少し不味いでしょぉ?」
「侵入者を意気揚々と狩りに出たトリュフさん、返り討ちにあってるしぃ」
「寄せ集めとはいえ調子に乗った奴からやられてくんだもんなぁ本当に……あーっ……使えない……」
「まぁここまで悪魔の手に堕ちた、誰がどう見ても詰んでいる国に乗り込んでくる奴が居るってのも中々読めんだろうしなぁ」
「馬鹿野郎と見下し油断するのも分からなくもない、だが往々にして馬鹿ほど怖いものは居ないもんだ」
「敵はまだ増える、突っ込んでくる馬鹿はまだまだいる、舐めていると足元をすくわれるのは此方かも知れんぞ? はっはっは面白い!」
「あはは~、たる~い」
「笑ってる場合かぁ!!!!」
頭を抱えるネファリウスだが、彼の絶叫が室内に響いても寝ている悪魔は誰一人として目覚める事はない。数秒沈黙が続き、溜息をつきながらククルアが立ち上がる。
「お茶……入れよっか?」
「いらんわっ!!!」
「もぉ~……じゃあ状況纏めたから聞く?」
「言ってみろ……」
「暴食様に狂化かけたアッシュはね~、狙われてるっぽいから逃げてます☆」
「いやぁコピー使って取り返そうともしたんだけどさ、途中からコントロール利かなくなってやばい事になったらしいよ? 流石大罪様だよね、あたしらがどうこうできる力じゃないんだよ」
「分かり切ってただろうがぁっ!?」
「ままま、仮にアッシュが負けて暴食様が正気に戻っても平気だってぇ~」
「抱えた怒りが消えるわけじゃない、大罪様達は世界に見放されたんだからさ」
「それと足止めに行った子や始末しに行った子は知っての通り全滅ね、返り討ちでーす」
「まぁオウガを攻めて返り討ちにされた子達を使い回したわけだし、最初から期待はしてなかったでしょ?」
「期待以下の働きだったな、はっはっは」
「ああああああああああああああああああああああああああっ!! 脳内細胞がバグるっ!」
「良くない良くない良くない、非常に良くないぞっ!!」
「完璧なんて要らん、完全なんてつまらん、だが良くないものは良くないんだっ!!」
「国を完全に手中に収め、後は握り潰すだけの簡単な作業、決まった勝利!」
「その完全勝利の一歩手前で横転事故なんて屈辱の極み! 最も恥の極まった最低最悪の敗北っ!」
「踏ん反りかえって油断して、急転直下の負け路線が一番良くないっ!!! 良くないんだあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「落ち着けよリーダー代理、物凄く小物に見えるぜ」
「逆転を許しちゃう三流悪役の極みだねぇ」
「勝手な動きしまくる味方サイドのせいですーっ!!!」
「っていうか薄々気づいてるし聞きたくないんだけど傲慢様と強欲様は何処かなぁっ!?」
「傲慢様は国から出て行ったぜ」
「アーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
「強欲様はぁ……狩りに出たよ♪」
「もっとも、意思は強欲様のものじゃないけどさぁ」
(…………俺の獲物に手出したりしねぇだろうな、あのイカれ野郎……)
災岳は出ていく前の強欲の目から、嫌な気配を感じ取っていた。だがそんな災岳の考えも知らず、ネファリウスは頭を抱えて床の上で悶えていた。
「未来が……未来が見えない……おおおお」
「勝手にさせときゃ良いんだよ、悪魔なんざ好き勝手動いて生きてなんぼだぜ」
「とにかく暴食様を解放せねば……此方側に戻って貰わないと安心出来ん……!」
「向こうには嫉妬様と憤怒様が居るんだ、旧友故何が起こるか分からん、万全を尽くすべきだ……!」
「この絶対的有利な状況で万が一、億が一しくじってみろ、全ての責任は私に、リーダーの私に降り注ぐ……想像するだけで意識が飛ぶ……!」
「そこは正直どうでもいいな、俺は」
「ぎざまぁっ!!」
「まぁまぁ~……冷静になりなってネっさん~」
「むしろどうやったら、あたしらが負けんのさぁ~?」
魔力が、部屋の中を吹き抜けた。ククルアの目が怪しく光ると同時に、室内の寝ている悪魔達が魔力を纏う。まだ目覚めていない悪魔達だが、纏っている魔力は徐々に大きくなっている。今は無意識下で、国に仕込んだ魔法陣に魔力を供給しているだけ。当然、目覚めてからが本番だ。
「夜が本番、今は前座でしょ? 何人か先走ってるだけぇ」
「むしろ今の状況で押し切れない奴らが、明日の朝日を拝めるわけないよねー」
「ゾーンの兄貴は四枚羽だよ? 翼の数は魔力の多さに比例する……無意識云々省いても怪物だぁ」
「力を完全に取り戻してないとはいえ、現状大罪様だって二枚羽……魔力量だけならゾーンの兄貴の方が上なんだしさぁ……認識阻害の霧が晴れるなんて有り得ないよぉ~?」
「しかし兆が一にもだな……」
「やだこのリーダー代理超絶ビビりなんだけど面白い」
「じゃあ……じゃあ……? 出しちゃいます? 使っちゃいます? アッシュから許可とか貰ってないけど、リーダー代理が許可くれるなら良いんじゃないかな?」
「出ていく前に聞いちゃったんだよね……狂化は既に調整完了したって、完成してるんですよぉ」
「おいおい、あれを国に放てば最悪全部消し飛ぶぞ?」
「良いじゃないですかぁ~、どうせコピーすれば問題なく国なんて動くんですしぃ」
「見てるだけで全部が壊れていくなんて、たのしぃ~じゃないですかぁ」
「だからだからだ~か~ら~♪ 出しましょう、放しましょう、改造悪魔、デモリッション♪」
「全てを壊す、頭も身体も中身も全部弄り回した六枚羽の戦闘兵器♪」
「夜まで持つか、みんなで賭けでもしながら遊びましょ!」
闇の底より、破壊が解き放たれる。前座は終わり、幕は上がる。夜の帳を待たずして、戦いは加速する。




